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第32話 もう、同じ場所には立っていない
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第32話 もう、同じ場所には立っていない
その知らせは、穏やかな朝に届いた。
シュタインベルク公国・公爵邸。
執務室に差し込む光は柔らかく、
昨夜の決断を否定するものは、何もない。
「……王国から、使者です」
側近の声は、慎重だった。
「使者?」
セラフィナは、書類から顔を上げる。
「どの立場で?」
「正式な外交官ではありません」
その一言で、
空気が変わった。
「……個人名義、ということですか」
「はい。
身分は……」
側近は、言いにくそうに続ける。
「ノエリア様です」
セラフィナは、瞬きを一つだけした。
驚きはない。
だが、意外ではあった。
「……彼女が」
カルヴァスは、表情を変えずに問う。
「亡命ではないな」
「ええ。
あくまで“個人的な訪問”とのことです」
セラフィナは、静かに考える。
ノエリア。
かつて王国で、
彼女の後ろに立ち、
何も言えずにいた女性。
(……来るべき人が、来ましたわね)
「お通ししてください」
即答だった。
「公爵邸の客として」
それが、
彼女の立場を示す答えだ。
応接室。
ノエリアは、
以前よりもずっと痩せて見えた。
豪奢な衣装はなく、
装飾も最小限。
それでも、
彼女は背筋を伸ばしている。
「……お久しぶりです」
声は、震えていなかった。
「ええ」
セラフィナは、穏やかに微笑む。
「遠いところを」
その距離感が、
すべてを物語っていた。
もう、主従でも、
同じ王国の人間でもない。
**対等な“他国の貴族”**だ。
「突然の訪問、
失礼とは承知しています」
「構いません」
セラフィナは、席を勧める。
「今の王国では、
正式な手続きこそ、
意味を持ちませんから」
ノエリアは、
苦く微笑った。
「……お察しの通りです」
沈黙。
彼女は、
一度だけ視線を落とし、
それから、はっきりと言った。
「私は、
謝りに来ました」
セラフィナは、
何も言わない。
否定もしない。
促しもしない。
「あなたが矢面に立たされていた時」
ノエリアは、言葉を選ぶ。
「私は、
“正しい側にいる”と思っていました」
それは、
最も卑怯な錯覚だ。
「でも、違った」
ノエリアは、
拳を握りしめる。
「私は、
責任を負わない側に、逃げていただけでした」
その告白は、
重かった。
セラフィナは、
静かに頷く。
「それに、
今、気づけたのは――」
「遅い、ですか?」
ノエリアが、恐る恐る問う。
セラフィナは、
少しだけ考えた。
「……遅くはありません」
その言葉に、
ノエリアの目が揺れる。
「ただし」
セラフィナは、
はっきりと続ける。
「同じ場所に戻れる、という意味ではありません」
それは、拒絶ではない。
事実だ。
「王国は、
今、立て直す気力すら失っています」
「……はい」
「私が戻る理由は、
もう、どこにもありません」
ノエリアは、
唇を噛みしめた。
「……それでも」
彼女は、
顔を上げる。
「あなたの選択が、
間違っていなかったと、
私は……」
「分かっています」
セラフィナは、
静かに遮る。
「あなたは、
“理解した側”です」
ノエリアは、
目を見開いた。
「でも」
セラフィナは、
優しく、だが揺るがず言った。
「理解したからといって、
許される立場に戻れるわけではありません」
沈黙。
だが、
そこに敵意はない。
「……私は」
ノエリアは、
小さく息を吸う。
「ここで、
何かを望む資格はありませんね」
「ええ」
即答。
「ですが」
セラフィナは、
続ける。
「これから、何をするかは、
あなた自身が決められます」
それは、
最後の餞だった。
ノエリアは、
深く頭を下げた。
「……ありがとうございました」
それだけを言って、
彼女は立ち上がる。
引き止める言葉は、
なかった。
扉が閉まったあと。
カルヴァスが、
静かに言う。
「情けを、かけたな」
「いいえ」
セラフィナは、
首を振る。
「線を引いただけです」
「……戻れない線を」
「ええ」
彼女は、
窓の外を見る。
「私たちは、
もう“過去の延長線”にはいません」
王国からの使者は、
それで終わりだった。
誰も、
彼女を連れ戻そうとはしない。
できないからだ。
王国は、
もう交渉のテーブルに
着ける場所にいない。
そしてセラフィナは、
もう振り返らない。
同情は、する。
理解も、する。
だが――
同じ場所には、立たない。
それが、
選んだ者の責任だった。
その知らせは、穏やかな朝に届いた。
シュタインベルク公国・公爵邸。
執務室に差し込む光は柔らかく、
昨夜の決断を否定するものは、何もない。
「……王国から、使者です」
側近の声は、慎重だった。
「使者?」
セラフィナは、書類から顔を上げる。
「どの立場で?」
「正式な外交官ではありません」
その一言で、
空気が変わった。
「……個人名義、ということですか」
「はい。
身分は……」
側近は、言いにくそうに続ける。
「ノエリア様です」
セラフィナは、瞬きを一つだけした。
驚きはない。
だが、意外ではあった。
「……彼女が」
カルヴァスは、表情を変えずに問う。
「亡命ではないな」
「ええ。
あくまで“個人的な訪問”とのことです」
セラフィナは、静かに考える。
ノエリア。
かつて王国で、
彼女の後ろに立ち、
何も言えずにいた女性。
(……来るべき人が、来ましたわね)
「お通ししてください」
即答だった。
「公爵邸の客として」
それが、
彼女の立場を示す答えだ。
応接室。
ノエリアは、
以前よりもずっと痩せて見えた。
豪奢な衣装はなく、
装飾も最小限。
それでも、
彼女は背筋を伸ばしている。
「……お久しぶりです」
声は、震えていなかった。
「ええ」
セラフィナは、穏やかに微笑む。
「遠いところを」
その距離感が、
すべてを物語っていた。
もう、主従でも、
同じ王国の人間でもない。
**対等な“他国の貴族”**だ。
「突然の訪問、
失礼とは承知しています」
「構いません」
セラフィナは、席を勧める。
「今の王国では、
正式な手続きこそ、
意味を持ちませんから」
ノエリアは、
苦く微笑った。
「……お察しの通りです」
沈黙。
彼女は、
一度だけ視線を落とし、
それから、はっきりと言った。
「私は、
謝りに来ました」
セラフィナは、
何も言わない。
否定もしない。
促しもしない。
「あなたが矢面に立たされていた時」
ノエリアは、言葉を選ぶ。
「私は、
“正しい側にいる”と思っていました」
それは、
最も卑怯な錯覚だ。
「でも、違った」
ノエリアは、
拳を握りしめる。
「私は、
責任を負わない側に、逃げていただけでした」
その告白は、
重かった。
セラフィナは、
静かに頷く。
「それに、
今、気づけたのは――」
「遅い、ですか?」
ノエリアが、恐る恐る問う。
セラフィナは、
少しだけ考えた。
「……遅くはありません」
その言葉に、
ノエリアの目が揺れる。
「ただし」
セラフィナは、
はっきりと続ける。
「同じ場所に戻れる、という意味ではありません」
それは、拒絶ではない。
事実だ。
「王国は、
今、立て直す気力すら失っています」
「……はい」
「私が戻る理由は、
もう、どこにもありません」
ノエリアは、
唇を噛みしめた。
「……それでも」
彼女は、
顔を上げる。
「あなたの選択が、
間違っていなかったと、
私は……」
「分かっています」
セラフィナは、
静かに遮る。
「あなたは、
“理解した側”です」
ノエリアは、
目を見開いた。
「でも」
セラフィナは、
優しく、だが揺るがず言った。
「理解したからといって、
許される立場に戻れるわけではありません」
沈黙。
だが、
そこに敵意はない。
「……私は」
ノエリアは、
小さく息を吸う。
「ここで、
何かを望む資格はありませんね」
「ええ」
即答。
「ですが」
セラフィナは、
続ける。
「これから、何をするかは、
あなた自身が決められます」
それは、
最後の餞だった。
ノエリアは、
深く頭を下げた。
「……ありがとうございました」
それだけを言って、
彼女は立ち上がる。
引き止める言葉は、
なかった。
扉が閉まったあと。
カルヴァスが、
静かに言う。
「情けを、かけたな」
「いいえ」
セラフィナは、
首を振る。
「線を引いただけです」
「……戻れない線を」
「ええ」
彼女は、
窓の外を見る。
「私たちは、
もう“過去の延長線”にはいません」
王国からの使者は、
それで終わりだった。
誰も、
彼女を連れ戻そうとはしない。
できないからだ。
王国は、
もう交渉のテーブルに
着ける場所にいない。
そしてセラフィナは、
もう振り返らない。
同情は、する。
理解も、する。
だが――
同じ場所には、立たない。
それが、
選んだ者の責任だった。
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