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第六話 北のお菓子の国、開店前夜
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第六話 北のお菓子の国、開店前夜
ふわふわの衝撃から、三か月。
屋敷の一角にあった古い倉庫は、すでに「店」と呼べる姿に変わっていた。
石造りの壁を磨き、北向きの窓を大きく広げる。外気を取り込みやすい構造にし、床下には半地下の冷蔵室を設けた。冬の氷を貯める氷室も整備済みだ。
寒さは、もう欠点ではない。
設備だ。
「店名は……本当にそれで?」
家宰が、看板の文字を見つめる。
私は微笑む。
「ええ。――“ノルディック・カフェ”」
北を誇る名。
王都の華やかさとは違う。
だがこの地の冷気、乾燥、土壌、すべてがこの店の味を支える。
厨房では、てんさい糖の精製工程がすでに安定している。
最初は茶色く濁っていた砂糖も、濾過と再結晶を重ねることで、淡く白い結晶へと進化した。
まだ南方産の最上級には及ばない。
だが価格は三分の一以下。
しかも、安定供給。
畑は拡張された。
公爵芋の畝の隣に、てんさい畑が広がる。
あんな芋女と笑った王都の貴族たち。
今、芋が甘味を生んでいる。
そしてもう一つ。
じゃがいも。
私はそれを油で揚げ、薄く切り、塩を振った。
パリッ。
音がする。
厨房長が目を見開く。
「軽い……!」
「保存も利きます。持ち帰りも可能です」
プライドポテト、ポテトチップ。
本流ではない。
だが利益率は高い。
油と塩と芋。
安価で、やみつきになる味。
てんさい糖で得た資金が、領地を潤し、
芋がさらに収入を生む。
経済が回り始めていた。
私は帳面を広げる。
砂糖の年間収量。
加工費。
人件費。
輸送コスト。
王都の商人ギルドが関与していない今、
利幅は大きい。
だが油断はできない。
南方砂糖の独占が揺らげば、
必ず動く者がいる。
「王都に試食会を開きます」
家宰が息を呑む。
「正面から、ですか」
「ええ。隠れても意味がありません」
北の地でカフェが可能な理由。
それを示す必要がある。
第一に、気候。
昼間でも十五度前後。
湿度が低い。
粉が傷みにくい。
第二に、天然冷蔵庫。
夜間の冷気。
冬の氷室。
生乳の保存期間が長い。
第三に、自給砂糖。
輸入に頼らない甘味。
王都では成立しない三条件。
だが北では揃っている。
私は試作のパンケーキを皿に乗せる。
白くなり始めたてんさい糖を振りかける。
ふわりと舞う結晶。
その光景は、南方産と見分けがつかない。
厨房の若者が呟く。
「本当に、ここは北のお菓子の国になるのでしょうか」
私は即答する。
「なりますわ」
自信ではない。
計算だ。
砂糖が安くなれば、
甘味は贅沢から日常になる。
日常になれば、消費が増える。
消費が増えれば、税収が上がる。
領地は豊かになる。
すでに、農民の顔色が違う。
てんさい栽培の報酬。
製糖工房の雇用。
菓子職人の育成。
北の寒村が、活気を帯び始めている。
私は窓の外を見た。
灰色の空の下、子どもたちが走り回る。
手には、試作の芋チップ。
笑っている。
甘味は、人を笑顔にする。
それが利権の象徴だった王都とは違う。
私は静かに決意する。
婚約破棄は、終わりではなかった。
あの大広間での嘲笑がなければ、
私はここまで本気にならなかった。
絶望は、燃料だ。
そして今。
カフェ開店前夜。
厨房は静まり返っている。
だが私は知っている。
明日。
この扉が開いた瞬間。
硬いパンしか知らなかった人々が、
初めてふわふわを口にする。
その一口が。
北の歴史を変える。
私は最後に、白くなった砂糖をひとつまみ口に含む。
甘い。
澄んでいる。
そして、確かな味。
芋女と呼ばれた公爵令嬢は、
いまや甘味の支配者になろうとしている。
シュガー・ビート公爵令嬢。
名はそのまま。
だが意味は、完全に変わる。
北のお菓子の国は、
明日、産声を上げる。
ふわふわの衝撃から、三か月。
屋敷の一角にあった古い倉庫は、すでに「店」と呼べる姿に変わっていた。
石造りの壁を磨き、北向きの窓を大きく広げる。外気を取り込みやすい構造にし、床下には半地下の冷蔵室を設けた。冬の氷を貯める氷室も整備済みだ。
寒さは、もう欠点ではない。
設備だ。
「店名は……本当にそれで?」
家宰が、看板の文字を見つめる。
私は微笑む。
「ええ。――“ノルディック・カフェ”」
北を誇る名。
王都の華やかさとは違う。
だがこの地の冷気、乾燥、土壌、すべてがこの店の味を支える。
厨房では、てんさい糖の精製工程がすでに安定している。
最初は茶色く濁っていた砂糖も、濾過と再結晶を重ねることで、淡く白い結晶へと進化した。
まだ南方産の最上級には及ばない。
だが価格は三分の一以下。
しかも、安定供給。
畑は拡張された。
公爵芋の畝の隣に、てんさい畑が広がる。
あんな芋女と笑った王都の貴族たち。
今、芋が甘味を生んでいる。
そしてもう一つ。
じゃがいも。
私はそれを油で揚げ、薄く切り、塩を振った。
パリッ。
音がする。
厨房長が目を見開く。
「軽い……!」
「保存も利きます。持ち帰りも可能です」
プライドポテト、ポテトチップ。
本流ではない。
だが利益率は高い。
油と塩と芋。
安価で、やみつきになる味。
てんさい糖で得た資金が、領地を潤し、
芋がさらに収入を生む。
経済が回り始めていた。
私は帳面を広げる。
砂糖の年間収量。
加工費。
人件費。
輸送コスト。
王都の商人ギルドが関与していない今、
利幅は大きい。
だが油断はできない。
南方砂糖の独占が揺らげば、
必ず動く者がいる。
「王都に試食会を開きます」
家宰が息を呑む。
「正面から、ですか」
「ええ。隠れても意味がありません」
北の地でカフェが可能な理由。
それを示す必要がある。
第一に、気候。
昼間でも十五度前後。
湿度が低い。
粉が傷みにくい。
第二に、天然冷蔵庫。
夜間の冷気。
冬の氷室。
生乳の保存期間が長い。
第三に、自給砂糖。
輸入に頼らない甘味。
王都では成立しない三条件。
だが北では揃っている。
私は試作のパンケーキを皿に乗せる。
白くなり始めたてんさい糖を振りかける。
ふわりと舞う結晶。
その光景は、南方産と見分けがつかない。
厨房の若者が呟く。
「本当に、ここは北のお菓子の国になるのでしょうか」
私は即答する。
「なりますわ」
自信ではない。
計算だ。
砂糖が安くなれば、
甘味は贅沢から日常になる。
日常になれば、消費が増える。
消費が増えれば、税収が上がる。
領地は豊かになる。
すでに、農民の顔色が違う。
てんさい栽培の報酬。
製糖工房の雇用。
菓子職人の育成。
北の寒村が、活気を帯び始めている。
私は窓の外を見た。
灰色の空の下、子どもたちが走り回る。
手には、試作の芋チップ。
笑っている。
甘味は、人を笑顔にする。
それが利権の象徴だった王都とは違う。
私は静かに決意する。
婚約破棄は、終わりではなかった。
あの大広間での嘲笑がなければ、
私はここまで本気にならなかった。
絶望は、燃料だ。
そして今。
カフェ開店前夜。
厨房は静まり返っている。
だが私は知っている。
明日。
この扉が開いた瞬間。
硬いパンしか知らなかった人々が、
初めてふわふわを口にする。
その一口が。
北の歴史を変える。
私は最後に、白くなった砂糖をひとつまみ口に含む。
甘い。
澄んでいる。
そして、確かな味。
芋女と呼ばれた公爵令嬢は、
いまや甘味の支配者になろうとしている。
シュガー・ビート公爵令嬢。
名はそのまま。
だが意味は、完全に変わる。
北のお菓子の国は、
明日、産声を上げる。
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