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第2章:スーパー・ヘッドハンティング大戦
第11話:魅了(チャーム)魔法は副作用強め
しおりを挟む「魔力供給」という名の濃厚なスキンシップ(意味深)による治療の甲斐あって、俺は一時的に人間の姿を取り戻していた。
ただし、制限時間付きだ。
体感だが、おそらく数時間。
それでも、ウサギの姿でポケットに入れられているよりはマシだ。今日は隣国主催の舞踏会。
アレクセイのパートナーとして、恥ずかしくない振る舞いをしなければならない。
「……ノワール。本当にその格好で出るのか?」
「はい。これが一番動きやすいですから」
控え室の鏡の前。
俺はアレクセイとお揃いの意匠が凝らされた、漆黒の礼服に身を包んでいた。
ただし、首元にはあの「黒革のチョーカー」が鎮座している。
礼服にチョーカー。
フォーマルな場では明らかに浮いているが、アレクセイが「絶対に外すな」と譲らなかったのだ。
「誰が見ても、俺の所有物だと分かるな」
アレクセイは満足げに俺の首筋を指でなぞり、独占欲たっぷりの瞳を細めた。
俺は苦笑してネクタイを直す。
「はいはい。さあ、行きましょう。営業の時間ですよ」
俺たちは腕を組み、煌びやかなホールへと足を踏み入れた。
◇◇◇
会場は、甘い香りと音楽に満ちていた。
隣国ビースト・キングダムの主催というだけあって、会場内には珍しい動物や、魔力を帯びた植物が飾られている。
俺たちが現れると、ざわめきが広がった。
最強の勇者と、その美貌のパートナー(と噂されている男)。
視線が突き刺さるが、アレクセイが常に俺の腰に手を回し、周囲を威圧しているおかげで、誰も近寄ってこない。
(……過保護がすぎるな)
俺は内心でため息をついた。
これでは人脈作り(ネットワーキング)もできない。
まあ、昨日の「ヘッドハンティング騒動」でアレクセイが神経質になるのも分かるが。
その時だった。
不意に、鼻腔をくすぐる香りがあった。
甘く、濃厚で、どこか懐かしい香り。
高級な花のような、あるいは熟した果実のような。
「……ん?」
俺は鼻をヒクつかせた。
なんだろう、この匂い。嗅いだ瞬間、頭の奥がフワッと痺れるような感覚がある。
すごく……いい匂いだ。
肩の力が抜け、思考がとろけていくような。
(ああ……これは……)
例えるなら、金曜日の夜。
激務を終えて帰宅し、熱いシャワーを浴びて、冷えたビールを一口飲んだ瞬間の、あの多幸感。
あるいは、ボーナス明細を見た瞬間の高揚感。
いや、もっと根源的な、「もう何も頑張らなくていいんだよ」と囁かれているような安らぎ。
「やあ。来てくれたんだね」
人混みが割れ、その男が現れた。
レオニード・フォン・ビースト。
昨日のラフな格好とは打って変わり、深紅の正装に身を包んでいる。
昨日会った時は、ただの「チャラい王子」に見えたはずだ。
なのに、どうしたことだろう。
今の彼は、まるで後光が差しているように輝いて見える。
彼の胸元から漂う香りが、俺の脳を直接揺さぶる。
いい匂いだ。もっと嗅ぎたい。
この匂いのそばに行けば、俺の抱えている将来の不安とか、激務の疲れとか、全部消えてなくなる気がする。
「レオニード殿下……」
隣でアレクセイが低く唸り、俺を背中に隠そうとする。
俺は不思議に思った。
なぜ怒っているんだろう?
目の前の人は、こんなにも優しそうな笑顔を向けてくれているのに。
「顔色が赤いよ? 酔ってしまったのかな」
レオニードが優しく微笑み、手を差し伸べてくる。
その声が、俺の耳には天上の音楽のように響いた。
『辛いだろう? こっちへおいで。楽にしてあげるよ』
ああ、なんて甘美な響き。
俺の脳内通訳が、その言葉を瞬時に翻訳する。
『有給消化率100%の世界へようこそ』
(ゆ、有給……!)
俺の目が虚ろになる。
気づけば、足が勝手に、フラリと前へ出ていた。
あっちに行かなきゃ。
あっちには、俺が求めていた「定時退社」と「プレミアムフライデー」が待っている。
「ノワール!?」
アレクセイが驚いて俺の腕を掴む。
痛い。その強い拘束が、今の俺には「ブラック企業の鎖」に感じられた。
どうして止めるんですか、社長。
俺はもう休みたいんです。あんなに働いたじゃないですか。
「……いい香り」
俺はポツリと漏らした。
自分の声じゃないみたいに、甘く、熱っぽい声だった。
「そっちに行けば……休ませて、くれますか?」
俺の言葉に、レオニードが深く頷くのが見えた。
ほら、やっぱり。
彼は俺の理想の経営者(オーナー)だ。
俺を理解し、俺を評価し、俺に休みをくれる救世主だ。
「もちろん。君のための専用の聖域と、最高級の寝床を用意して待っているよ。さあ、その手を」
レオニードの手が、俺の目の前に差し出される。
俺はその手に、吸い寄せられるように自分の手を伸ばし――。
ガシッ!!!!
鋼鉄のような衝撃が、俺の肩を砕かんばかりに掴んだ。
「――いい加減にしろ」
アレクセイだ。
彼は俺を強引に引き戻すと、そのまま抱きすくめ、レオニードを睨みつけた。
見上げると、その形相は恐ろしかった。
瞳孔が開ききり、白目が血走っている。
どうしてそんなに怒るんだ?
部下がより良い条件の会社に転職するのを、力ずくで阻止するなんて。
これだからブラック企業は困る。
「殿下。そのふざけた匂いを今すぐ消せ。さもなくば、その発生源(おまえ)ごと焼き尽くす」
物騒すぎる。
外交問題になるぞ、と普段の俺なら止めていただろう。
でも今の俺は、アレクセイの声がただの「雑音」にしか聞こえない。
大事な「契約の話」を邪魔しないでほしい。
周囲で何かが割れる音がした。悲鳴も聞こえる。
でも、どうでもいい。
俺の視界には、輝くレオニードの手だけが映っている。
「おや、アレクセイ殿。彼自身が望んでいるように見えるけど?」
「黙れ」
「見てごらん。君の腕の中で、彼は僕を求めている」
その通りだ。
俺はアレクセイに抱きしめられながらも、熱に浮かされたようにレオニードへ手を伸ばそうともがいていた。
その指先が、あと数センチで届きそうなのに。
「……あっち……いきたい……」
本音がこぼれる。
アレクセイの腕は温かい。俺はずっとここが好きだった。
でも、今は「重い」。
「休みなし」「24時間拘束」「命がけ」の重圧が、物理的な重さとなって俺を押しつぶそうとしている。
それに比べて、あの香りの先は、なんて軽やかで自由なんだろう。
「ノワール、目を覚ませ! それは魔法だ! 惑わされるな!」
アレクセイが必死に何か叫んでいる。
魔法? 何を言っているんだ。
俺にはこれが、正当なヘッドハンティングに見える。
むしろ、アレクセイの方がおかしいんじゃないか?
どうして周りのみんなは、この素晴らしい香りに酔いしれないんだ?
「……でも、しゅうきゅう、みっか……」
「なッ!?」
俺のうわ言に、アレクセイが絶句する顔が見えた。
ショックを受けている?
ごめんなさい、社長。でも、条件が違いすぎるんです。
「ははは! いいね、素直で可愛いよ!」
レオニードの笑い声が、優しく響く。
「さあ、おいで。勇者なんて野蛮な男は捨てて、僕の愛玩動物(ペット)におなり」
ああ、ペット。
責任のない、ただ愛されるだけの存在。
今の俺には、それが最高の役職に思えた。
俺はアレクセイの腕を振りほどこうと、最後の力を振り絞った。
その時。
プツン。
俺の中で、何かが切れる音がした。
急激な眠気。
そして、体が内側から縮んでいく感覚。
視界が高く……いや、低くなっていく。
(……あ、れ?)
力が抜ける。
伸ばした手が、人間の指から、黒くて丸い前足に変わっていくのが見えた。
時間切れだ。
それとも、キャパオーバーか。
「ノワールッ!!」
アレクセイの悲鳴のような声。
俺の体は光に包まれ、アレクセイの腕の中に「小さな重み」として着地した。
「キュゥ……(福利厚生……)」
薄れゆく意識の中で、俺は最後の未練を呟いた。
目の前が暗くなる。
ああ、やっと眠れる。
次に目が覚めたら、そこが「週休3日」の天国であることを願って……。
俺の意識は、そこで完全に途切れた。
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