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第2章:スーパー・ヘッドハンティング大戦
第12話:囚われのウサギとホワイト企業の罠
しおりを挟む目が覚めると、そこは天国だった。
比喩ではない。
俺の体は今、雲の上に浮かんでいるかのように軽い。
背中に触れる感触は、とろけるように柔らかく、ほんのりと温かい。
鼻をくすぐるのは、精神を落ち着かせる最高級のアロマのような香り。
(……俺、死んだのか?)
俺はぼんやりと考えた。
記憶にある最後の映像は、アレクセイの腕の中に抱きとめられた瞬間だ。
あの時、確かに俺は彼の体温を感じていた。
なのに、どうして今、こんなにも静かで、甘い匂いのする場所にいるんだ?
俺は寝返りを打とうとした。
すると、体が沈み込むようなクッションの感触と共に、耳元で鈴のような音が鳴った。
「おや、お目覚めかい? 可愛いノワールくん」
聞き覚えのある声。
天国の門番にしては、妙にチャラついた声だ。
俺はパチリと目を開けた。
視界に入ってきたのは、天蓋付きの豪華なベッドの装飾。
そして、その傍らで優雅に紅茶を飲んでいる、赤髪の男。
レオニード・フォン・ビースト。
隣国の第二王子が、バスローブ姿(!)で寛いでいた。
「キュッ!?(で、殿下!?)」
俺は飛び起きようとして、自分の体が「黒い毛玉」であることを思い出した。
そうだった。俺はウサギに戻ってしまったんだった。
慌てて周囲を見渡す。
ここはどこだ? 宮殿の一室か?
いや、微かに床が振動している。窓の外の景色が流れている。
馬車の中だ。それも、俺が知っている馬車とは次元が違う。部屋がまるごと移動しているような、超巨大な移動要塞だ。
「落ち着いて。ここは僕のプライベート・コーチ(馬車)。君の新しい『住処』の一つだよ」
レオニードは微笑み、サイドテーブルから銀のトレイを差し出した。
そこには、瑞々しく輝くオレンジ色の野菜が盛られている。
「キュッ、キュゥ!?(ど、どうして俺がここに!? 俺はアレクセイの腕の中にいたはずじゃ!)」
俺は混乱して喚いた。
最強の勇者アレクセイが、みすみす俺を奪われるなんて信じられない。
まさか、アレクセイが負けたのか?
俺の動揺を察したのか、レオニードはクツクツと喉を鳴らして笑った。
「不思議そうな顔だね。あの『剣聖』からどうやって君を盗み出したのか、気になるかい?」
彼は人参を俺の鼻先にちらつかせながら、愉快そうに語り始めた。
「簡単なことさ。彼は君を愛しすぎていた。それが最大の隙になったんだ」
レオニードの指が、俺の耳をなぞる。
「君が気絶した瞬間、彼はパニックになったんだ。……その一瞬、彼の意識は周囲の敵(ぼく)ではなく、腕の中の君だけに集中してしまった」
俺は息を呑んだ。
アレクセイ……。
いつも冷静沈着な彼が、俺の体調不良ごときで、そこまで取り乱してしまったのか。
「僕の使い魔『影縫いの鷹』は、そのコンマ一秒を見逃さなかった。彼が治癒魔法を使おうと剣を手放した瞬間、君を『置換魔法』ですり替えたのさ」
身代わりの何かと俺を入れ替えたということか。
そんな芸当、普通ならアレクセイの感知スキルに引っかかるはずだ。
でも、あの時の彼は、俺のことしか見えていなかったらしい。
「彼が気づいた時には、もう僕たちは転移魔法で脱出していたというわけさ。……愛ゆえの敗北。皮肉なものだね」
ズキリ、と胸が痛んだ。
俺のせいだ。俺が倒れたせいで、彼に隙を作らせてしまった。
今頃、アレクセイはどれほど自分を責めているだろうか。
どれほど怒り狂っているだろうか。
「さあ、辛気臭い顔はやめて。お腹が空いただろう? これは『スター・キャロット』。一本で金貨一枚はする代物だ」
レオニードの話を遮るように、高級食材が差し出される。
金貨一枚!?
一般市民の年収に匹敵する人参だと!?
俺の鼻がピクピクと動く。
罪悪感はある。あるが、本能には抗えない。
俺は恐る恐る、その人参を齧った。
――カリッ。
(……う、美味いッ!!)
口の中に広がる、濃厚な甘みと清涼感。
泥臭さなど微塵もない。まるでフルーツだ。いや、それ以上の魔力を含んだ滋養強壮剤だ。
一口食べただけで、体中の疲労が霧散していくのが分かる。
「気に入ってくれたかな? いくらでもあるよ。君は僕の大切なゲストだからね」
レオニードが俺の頭を撫でる。
その手つきは、洗練されていた。
アレクセイのような、「壊さないように必死に加減する無骨な手」ではない。
最初から最適な力加減を知り尽くした、プロフェッショナルの手技。
耳の付け根、背中のツボ。的確に気持ちいい場所を刺激され、俺は思わず脱力してしまった。
「キュゥゥ……(ごくらく……)」
悔しい。
でも、気持ちいい。
これが……これが「ホワイト企業」の福利厚生なのか。
「もう戦わなくていいんだ。君はただ、ここで美味しいものを食べて、フカフカのベッドで寝て、僕に愛でられていればいい」
レオニードは俺を抱き上げ、高い高いをした。
「君の仕事は『存在すること』。それだけで、僕のコレクションとして完璧だよ」
コレクション。
その言葉に、俺の社畜センサーが反応した。
それは「社員」ではなく、「備品」扱いということだ。
でも、「何もしなくていい備品」なら、それはそれで勝ち組なのでは?
思考がまとまらない。
俺はされるがままに、彼の腕の中で微睡んだ。
窓の外では、アレクセイがいる王都がどんどん遠ざかっていた。
◇◇◇
それから数時間が経過した。
俺は「ウサギ様専用ルーム(金網のない広々としたサークル)」に入れられ、一人になっていた。
床には高そうな牧草が敷き詰められ、自動で水が出る魔道具まで完備されている。
快適だ。文句のつけようがない。
誰も俺に「敵が来たぞ!」と叫ばないし、「ポーションを出せ!」と急かされることもない。
命の危険など皆無。
まさに、理想の隠居生活。
なのに。
(……なんか、落ち着かない)
俺は広いサークルの真ん中で、ポツンと座り込んでいた。
静かすぎるのだ。
聞こえるのは、馬車の滑らかな走行音だけ。
いつもなら、この時間はアレクセイが剣の手入れをする音や、俺に話しかける低い声が聞こえていたはずだ。
『ノワール、腹は減ってないか』
『ノワール、寒くないか』
『ノワール、こっちに来い』
過保護で、鬱陶しくて、暑苦しいほどの構い倒し。
それが今は、ない。
俺は前足で、自分の体を抱いてみた。
軽い。
アレクセイに抱きしめられる時の、あの「骨が軋むほどの圧力」がない。
レオニードの抱擁は優しかった。完璧だった。
でも、どこか物足りない。
体温が、上滑りしているような感覚。
(……あっちの方が、良かったな)
ふと、そんな思いが頭をよぎった。
高級人参よりも、ダンジョンの焚き火でアレクセイと分け合った干し肉の方が、味が濃かった気がする。
最高級のベッドよりも、硬い鎧の上で寝る方が、なぜか安心できた気がする。
俺は、ただの「愛玩動物」になりたかったわけじゃない。
俺は、彼の「右腕」になりたかったんだ。
背中を預け合い、泥だらけになって、それでも互いに笑い合える。
そんな「ブラックな現場」こそが、俺の選んだ職場だったはずだ。
「キュゥ……(帰りたい……)」
小さく鳴いた声は、吸音性の高そうな壁に吸い込まれて消えた。
魔法防御力ゼロのウサギには、自力でここから脱出する術はないだろう。
このまま、隣国に連れて行かれ、一生「幸せなペット」として飼い殺されるのか。
その時。
ズズズズズズズ……。
重低音が響いた。
馬車が揺れたのではない。大気が、空間そのものが震えているような振動。
俺の長い耳がピクリと反応する。
遠い。まだ遠いが、急速に近づいてくる「何か」がある。
殺気だ。
それも、ただの殺気じゃない。
火山が噴火する直前のような、圧縮された怒りと、狂気じみた執着の波動。
このプレッシャー、知っている。
いや、今まで感じたことのあるレベルを超えている。
「……おや?」
ドアが開き、レオニードが入ってきた。
彼はグラスを片手に、少し困ったような、しかし楽しそうな笑みを浮かべていた。
「困ったねぇ。元飼い主さんが、随分とお怒りのようだ」
彼は窓のカーテンを少し開けた。
そこから見えた景色に、俺は息を呑んだ。
はるか後方。
砂煙を上げて爆走してくる、「金色の光」があった。
馬ではない。乗り物ですらない。
人間だ。
一人の人間が、身体強化魔法を限界突破させて、馬車(たぶん時速60キロは出ていそう)に追いつこうとしているのだ。
「アレクセイ殿、国境警備隊を三つほど突破してきたらしいよ。……もはや勇者というより、災害(カタストロフィ)だね」
レオニードが肩をすくめる。
俺は窓にへばりついた。
(アレクセイ……!)
あの光の中にいる男の顔が、俺には容易に想像できた。
きっと、般若のような顔をしているに違いない。
俺を取り戻すためだけに、国も立場も投げ捨てて。
胸の奥が熱くなる。
恐怖? いや、違う。
嬉しいのだ。
アレクセイが、俺一匹のために世界を敵に回して追いかけてきてくれている。
その「重さ」が、今はたまらなく愛おしい。
「でも、渡さないよ」
レオニードが冷徹な声で呟き、パチンと指を鳴らした。
馬車の周囲に、魔法陣が展開される。
防御結界と、迎撃用の召喚獣たちが展開される気配。
「彼には少し、お灸を据えないとね。……君はここで見ていなさい。僕が君の『新しい飼い主』に相応しいことを証明してあげる」
レオニードは部屋を出て行った。
俺はサークルの中で、ガラス越しに迫りくる金色の光を見つめた。
来てくれ、アレクセイ。
このふかふかの檻をぶち壊して、俺をまた、あの暑苦しい胸の中に連れ戻してくれ。
元社畜ウサギの切なる願いを乗せて、物語は勇者の大暴走(バーサーク)へと突入する。
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