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第2章:スーパー・ヘッドハンティング大戦
第10話:隣国からの黒船(ヘッドハンター)来襲
しおりを挟む社会人にとって、「ヘッドハンティング」という響きは甘美な誘惑だ。
今の職場に不満があるわけではない。
上司(勇者)は優秀だし、俺を評価してくれているし、衣食住+愛という名の報酬も手厚い。
だが、今の俺は「戦力外」のウサギだ。
いつ「やっぱり使えないから契約終了」と言われるか分からない不安が、心のどこかにこびりついている。
そんな俺の心の隙間に入り込んできたのは、隣国からやってきたド派手な「黒船」だった。
◇◇◇
王城の大広間。
煌びやかなシャンデリアの下、着飾った貴族たちが談笑している。
今日は隣国『ビースト・キングダム』からの親善使節団を迎える歓迎パーティーが開かれていた。
当然、王国の英雄であるアレクセイも強制参加である。
彼は礼服に身を包み、不機嫌オーラを隠そうともせずに壁際に立っていた。
そして俺、ノワールは――。
「……窮屈だな」
「キュゥ(我慢してください)」
俺はアレクセイの礼服の胸ポケットに収まっていた。
顔だけひょっこりと出し、周囲を警戒する。
本来なら従魔をパーティーに連れ込むなどマナー違反だが、アレクセイが「ノワールを置いていくなら俺も欠席する」と王様にゴネた結果、特例で許可されたのだ。ここまでくると権力濫用である。
「……あいつか」
アレクセイが低く呟き、視線を向けた先。
人だかりの中心に、その男はいた。
燃えるような赤髪。野性味溢れる褐色の肌。
シャツのボタンを三つほど開け、無駄に鍛えられた胸元を晒しているチャラ男。
隣国ビースト・キングダムの第二王子にして、天才魔獣使い(テイマー)と名高い、レオニード・フォン・ビーストだ。
彼の周りには、美しい女性たち……ではなく、様々な動物たちが侍っていた。
肩には極彩色のオウム、足元には優雅なシルバーウルフ、腕には希少なフェレット。
まさに歩く動物園。
(うわぁ……キャラ濃いな)
俺がドン引きしていると、不意にレオニードがこちらを振り向いた。
琥珀色の瞳が、獲物を見つけた獣のように細められる。
「おや?」
彼は取り巻きの貴族たちをスルリと躱し、真っ直ぐにこちらへ歩いてきた。
その足取りは軽い。シルバーウルフが主人に合わせて音もなく追従する。
「やあ、初めまして。君が噂の『剣聖』アレクセイ殿だね?」
レオニードは気さくに手を差し出した。
だが、アレクセイは腕を組んだままだ。
「……何用だ、レオニード殿下」
「つれないなぁ。同じ『力ある者』同士、仲良くしようよ」
レオニードは苦笑しつつ、その視線をアレクセイの顔ではなく――胸元へと落とした。
俺だ。
俺と目が合った。
「……へぇ」
レオニードの瞳が、妖しく輝いた。
鑑定スキルだ。
それも、アレクセイのような汎用的なものではなく、魔物の詳細を見抜くことに特化した『魔獣鑑定眼』。
俺の背筋にゾクリと悪寒が走る。
見透かされている。外側のウサギの皮だけでなく、その内側にある「本質」を。
「素晴らしいね。ダーク・ラビットの変異種……いや、これは『進化の途中』かな? 膨大な魔力を内包しているのに、器が追いついていない。……そして、この『人化』の因子」
レオニードが感嘆の声を漏らす。
バレた。一瞬で全部バレた。
「君、すごいよ。こんな希少な個体、世界中探してもいない」
「……俺の連れを気安く鑑定するな」
アレクセイが割って入るように体をひねり、俺を隠す。
だが、レオニードは引かない。
むしろ、楽しそうにニヤリと笑った。
「アレクセイ殿。君、この子の扱い、ちょっと雑じゃない?」
「何だと?」
「だって見てよ。毛並みが少し荒れてるし、魔力酔いを起こしてる。君の強すぎる魔力を無理やり注ぎ込んで、パンクさせちゃったんだろ? これじゃあ可哀想だ」
痛いところを突かれた。
確かに今のウサギ化は、アレクセイの過剰供給(愛)が原因だ。
レオニードは、アレクセイの殺気など意に介さず、俺に向かって甘い声で語りかけた。
「ねえ、可愛いウサギさん。僕の宮殿(パレス)に来ないかい?」
(……はい?)
俺の耳がピクリと動く。
「僕は魔獣使いだ。魔物のケアにかけては世界一だと自負している。君の魔力回路を優しく治してあげられるし、こんな窮屈なポケットじゃなく、専用の広大な聖域(サンクチュアリ)を用意してあげよう」
レオニードの指先から、甘い香りが漂う。
それは魔物を魅了するフェロモンのようだった。
「食事は最高級の魔法野菜と、湧き出る聖水。専属の世話係(グルーマー)もつけよう。……ああ、そうだ。公務の負担も心配だろう?」
彼はイタズラっぽくウィンクした。
「君、勇者の元で酷使されているね? 泥にまみれ、危険な戦場を駆け回り……」
図星だ。
労災案件の連続だ。
「僕の国なら、野蛮な戦いはさせない。君はただ、謁見の間で僕の膝に乗っていてくれればいい。そうだな……週に三、四日ほど顔を見せてくれれば、あとは聖域で寝ていて構わないよ」
――ガタッ。
俺の中で、何かが崩れる音がした。
俺の脳内翻訳機が、即座にその言葉を変換する。
『週に三、四日の稼働』
=週休3日、いや4日!?
『戦わせない』
=危険手当不要の安全なデスクワーク(膝上)!?
『専属の世話係』
=福利厚生完備!?
(ほ、ホワイトだ……! 超絶ホワイト企業だ……!)
元社畜の悲しい性が反応してしまった。
ブラック企業(勇者パーティー)での「24時間365日・命がけの拘束」に慣れきっていた俺にとって、その条件はあまりにも眩しすぎた。
思わず、俺の鼻がヒクヒクと動き、耳がレオニードの方へ傾いてしまう。
「キュゥ……(く、詳しい契約内容を……)」
無意識に、ポケットから身を乗り出しそうになった、その時。
ピキ、ピキキキッ……。
周囲の空気が凍りついた。
シャンデリアのロウソクの火が、一斉にかき消えるほどの冷気。
物理的な寒さではない。
アレクセイから溢れ出した、濃密な殺気だ。
「……ノワール?」
頭上から降ってきた声は、地獄の底から響くようだった。
「今、心が揺らいだか?」
ヒィッ!!
俺は硬直した。
見上げると、アレクセイが笑っていた。
目は全く笑っていない。碧眼がどす黒く濁っている。
「その男の条件が、そんなに魅力的か? 俺の側で、片時も離れず愛されるよりも?」
(いや、それはそれで労働基準法違反というか……束縛が重いというか……)
ツッコミを入れる余裕すらない。
アレクセイはゆっくりとレオニードに向き直った。
その手は、剣の柄にかかっている。
「……隣国の王子といえど、容赦はせんぞ」
アレクセイの声が、広間に響き渡る。
周囲の貴族たちが悲鳴を上げて逃げ惑う。
「俺のノワールを誘惑するな。次にその口を開いたら……国交断絶覚悟で、その首を落とす」
本気だ。
この人、俺のためなら国の一つや二つ滅ぼしかねない。
しかし、レオニードはそんな脅迫を前にしても、涼しい顔で肩をすくめただけだった。
「おやおや、怖い怖い。さすが『剣聖』、愛が重いねぇ」
彼は一歩下がると、意味深な視線を俺に残した。
「でも、今の反応で分かったよ。君のウサギさんは、今の環境に不安を感じている。……『もっと優雅に愛してくれる飼い主』を求めているんじゃないかな?」
「貴様ッ!」
「今日は引くよ。でも、夜会の招待状は送っておくからね」
レオニードは優雅に一礼すると、シルバーウルフと共に踵を返した。
去り際、すれ違いざまに俺にだけ聞こえるような小声で囁く。
「(待ってるよ、可愛いノワールくん。僕なら君を、もっと甘やかしてあげられる)」
その言葉は、甘い毒のように俺の耳に残った。
魔法防御力ゼロの俺には、その言葉に含まれた微かな「魅了(チャーム)」の残滓を弾くことすらできなかったのだ。
◇◇◇
帰りの馬車の中。
空気はお通夜のように重かった。
アレクセイは一言も発しない。
ただ、俺を膝の上に乗せ、逃がさないように強く、強く抱きしめている。
その指先が、少し震えているのが分かった。
(怒ってる……よな、やっぱり)
俺は縮こまった。
他所の好条件に釣られかけた俺が悪い。
でも、弁解させてほしい。俺はただ、安定が欲しかっただけで、アレクセイが嫌いなわけじゃないんだ。
「……ノワール」
ようやく、アレクセイが口を開いた。
叱責が来る。俺は身構えた。
だが。
「……俺では、不満か?」
その声は、驚くほど弱々しかった。
見上げると、彼は傷ついた子供のような顔をしていた。
「あいつの言う通り、俺は戦うことしか知らん。お前を危険な目に合わせ、ウサギの姿に戻してしまったのも俺の未熟さゆえだ」
「キュッ……(そんなことないです)」
「週に三日の公務だけか……。確かに、俺はお前に安息を与えていなかったな」
アレクセイが自嘲気味に笑う。
違う。そうじゃない。
俺は、あなたの隣にいたいのだ。
ホワイトな環境も魅力的だが、俺が本当に欲しいのは「あなたに必要とされること」なんだ。
俺は必死に彼の胸に頭を擦り付けた。
言葉が話せないのが、これほどもどかしいとは。
「……だが、渡さん」
アレクセイの腕に力がこもる。
彼は俺の背中に顔を埋め、独占欲を滲ませて呟いた。
「たとえお前が何を望もうと、俺から離れることは許さない。……お前を繋ぎ止めるためなら、俺はどんな手でも使うぞ」
その言葉には、仄暗い執着の色が混じっていた。
俺はブルリと震えた。
嬉しい。嬉しいはずなのに、怖い。
ホワイト企業の甘い誘惑と、ブラック上司の重すぎる愛。
揺れる俺の心に、レオニードが撒いた「魅了の種」が、静かに芽吹き始めていたことを、俺たちはまだ知らなかった。
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