「自由に生きていい」と言われたので冒険者になりましたが、なぜか旦那様が激怒して連れ戻しに来ました。

キノア9g

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第2話:Fランク冒険者のしょぼい日常と、沈黙の守護者

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「完璧だ。我ながら、完璧な二重生活だ」

 結婚から半年が経過したある晴れた日の午後。
 俺、ルシアン・ヴァーデル改め、冒険者「ルーク」は、王都の裏路地にある安酒場で、昼間からエールをあおっていた。

 ジョッキの中身はぬるいし、ツマミの串焼きは肉だか軟骨だか分からない部位で、塩気が強すぎる。
 けれど、このジャンクな味がたまらない。
 屋敷で出される最高級のワインや、フォークを入れただけで崩れる仔牛のソテーも美味しいけれど、俺の魂(前世:男子高校生)が求めているのはこっちなのだ。

「おう、ルーク! 今日も精が出るな」
「あ、ガリルさん。お疲れ様っす」

 声をかけてきたのは、顔に大きな古傷があるベテラン冒険者のガリルさんだ。

「どうだ、今日の稼ぎは」
「いやー、ボチボチっすね。薬草の選別で手間取っちゃって、銅貨八枚ってとこです」
「ははっ、相変わらずシケてんなぁ! お前、見てくれは貴族の坊っちゃんみたいに綺麗なのに、やってることは地味だよな」
「ほっといてくださいよ。俺にはこれが合ってるんすから」

 そう、俺の冒険者ランクは、登録時から不動の「F」だ。
 Fランク。それはギルドにおける最下層。主な仕事はドブさらい、荷物運び、そして安全な場所での採取。
 剣を振れば素人丸出し、魔法を使えば「そよ風」レベル。
 それでも俺はこの生活に大満足していた。

 朝、旦那様を送り出した後(実際はお互い無言ですれ違うだけ)、俺はこっそり屋敷を抜け出してギルドへ向かう。
 日中は泥にまみれて働き、小銭を稼ぐ。
 そして夕方、何食わぬ顔で屋敷に帰り、シャワーを浴びて「貞淑な妻(夫)」の顔をしてディナーの席に着く。

 この半年間、俺はこのルーティンを完璧にこなしていた。
 旦那様ことオルドリン様は、俺の行動に一切干渉してこない。
 たまに廊下ですれ違っても、軽く会釈をする程度。
 きっと俺のことなど「屋敷に住み着いた同居人」くらいにしか思っていないのだろう。
 無関心バンザイ。おかげで今日も俺は自由だ。

「さてと、そろそろ帰らないと」

 俺はジョッキを空にし、銅貨をテーブルに置いた。
 門限があるわけではないが、夕食の時間に遅れると、あの広いダイニングでオルドリン様と二人きりになる時間が長引いてしまう。
 あの沈黙は、気まずい。
 嫌われているわけではない(と思う)が、共通の話題がなさすぎるのだ。

 俺はフードを目深にかぶり、夕暮れの街へと駆け出した。
 待ってろよ、フカフカのベッドと最高級のディナー!


 ◇◇◇

 一方その頃、クライス伯爵邸・執務室。

「……報告を」

 書類の山に埋もれたオルドリンは、顔を上げずに低い声で告げた。
 部屋の隅、影の中から一人の男――私設諜報部隊の部下が姿を現し、跪く。

「はっ。本日、ルシアン様は王都西区のギルド酒場にて、エール一杯と串焼き二本を完食されました」
「……食べたのか。あの、衛生状態が著しく疑わしい店で」
「はい。大変美味しそうに。その後、常連客のガリルという男と談笑。内容は『稼ぎが少ない』という愚痴でしたが、表情は晴れやかでした」

 オルドリンは、持っていた万年筆をカタンと置いた。
 眉間に刻まれた皺が、さらに深くなる。

(……なぜだ)

 オルドリンは心の中で頭を抱えていた。
 この屋敷には、王都でも五本の指に入る一流シェフがいる。食材だって、新鮮な肉や野菜を毎日取り寄せている。
 それなのに、なぜ愛しい妻は、あんな場末の酒場の、獣臭くて硬い肉を「最高だ」という顔で食べるのか。

(私の用意した食事が、口に合わないのか? それとも、私と食べる食事が不味いのか……?)

 ネガティブな思考が、漆黒の渦となってオルドリンを飲み込んでいく。
 彼はルシアンを愛している。一目惚れだった。
 しかし、どう接していいか分からない。
 不用意に話しかけて「うわ、堅苦しい」と引かれるのが怖くて、結果として「無言で見守る(ガン見する)」という、一番不気味なコミュニケーションをとってしまっている自覚はあった。

「……怪我は?」
「ありません。ただ、薬草採取の際、木の根に躓いて派手に転ばれましたが」
「場所は」
「西の森、入り口付近です」
「……明朝、土木課に指示を出せ。西の森の遊歩道を整備しろと。木の根一つ残すな」
「はっ……(過保護すぎる……)」

 部下は内心で呆れつつも、主君の命令には逆らえない。
 オルドリンは溜息をつき、窓の外を見た。
 夕日が沈みかけている。
 そろそろ彼が帰ってくる時間だ。

「……帰ってくるなら、いい」

 どんなに泥だらけでも、安酒場の匂いがしてもいい。
 彼が自分の足で、この家に帰ってくる。
 それだけで、オルドリンの心に空いた穴は埋まるのだから。


 ◇◇◇

「おかえりなさいませ、ルシアン様」

 執事の出迎えを受け、俺は屋敷の裏口からこっそりと潜入した。
 この執事さんたちも、俺が日中何をしているか気づいているはずだが、旦那様の方針なのか、何も言わずに温かいタオルを渡してくれる。いい職場だ。

 急いでシャワーを浴び、清潔なシャツに着替えてダイニングへ。
 ちょうど、オルドリン様が席に着いたところだった。セーフ。

「……こんばんは、旦那様」
「……ああ。こんばんは」

 相変わらずの低音ボイス。
 そして始まる、カチャカチャという食器の音だけが響く静寂のディナータイム。
 俺は気まずさを紛らわせるために、今日のメインディッシュである鴨のローストを口に運んだ。
 うん、美味い。
 美味いけど、昼間の串焼きのジャンクな味も恋しい。

 ふと視線を感じて顔を上げると、オルドリン様がじっとこちらを見ていた。
 眼鏡の奥のアイスブルーの瞳が、獲物を狙う猛禽類のように鋭い。

(ひえっ、なんだ!? マナーが悪かったか!?)

 俺は背筋を伸ばし、口元のソースをナプキンで拭った。
 オルドリン様は、俺が視線を合わせると、慌てたように目を逸らし、咳払いをした。

「……その、今日は」
「は、はいっ!」
「……街は、どうだった?」

 お、珍しい。会話を振ってくれた。
 これは「ちゃんと貴族として恥ずかしくない行動をしていたか」という査察だろうか。
 俺は貴族スマイルを貼り付けた。

「ええ、とても楽しかったですよ。 天気も良かったですし、色々な……えーと、お店を見て回って、充実してました」
「……そうか。それはよかった」

 オルドリン様は、短くそう言うと、また黙って食事に戻った。
 え、それだけ?
 もっと追求されるかと思ったのに。
 やっぱり、俺が何をしてようが興味ないんだな。社交辞令か。

 俺は少しだけ胸がチクリとするのを感じたが、すぐに頭を振って流した。
 期待しちゃダメだ。
 俺たちは、お互いに干渉しないことで成り立っている仮面夫婦なんだから。


 ◇◇◇

 それから数日後。
 俺、冒険者ルークに転機が訪れた。

「ルーク、お前にぴったりの依頼があるぞ」

 ギルドの受付で紹介されたのは、隣町まで荷物を運ぶ護衛依頼だった。
 報酬は銀貨一枚。俺にしては破格の高給案件だ。
 ただし、片道半日はかかるため、日帰りは厳しい。一泊二日の行程になる。

(外泊、か……)

 今まで、夕方には必ず帰っていた。
 けれど、俺は完全に放置されている。
 旦那様は毎日激務で、帰宅も遅い。俺が一晩くらいいなくなったところで、気づきもしないんじゃないか?
 むしろ、同居人がいない方が、彼も羽を伸ばせるかもしれない。

 それに、俺自身も少し、この「門限あり」の生活に窮屈さを感じ始めていた。
 もっと遠くへ行きたい。
 知らない景色を見たい。
 前世の記憶が、俺に「もっと冒険しろよ!」と囁いている。

「……やります。受けます、それ!」
「おっ、いい返事だ。じゃあ出発は明日の朝な」

 俺はその日、屋敷に帰ると、自室でこっそりと旅支度を始めた。
 着替え、保存食、少しばかりの小銭。
 そして、一通の手紙を書いた。

 『旦那様へ。
 いつもお世話になっております。
 ちょっと遠くの友人に会いに行くので、しばらく留守にします。
 探さなくて大丈夫です(なんて、探さないと思いますけど笑)。
 部屋の戸締まりはしっかり確認しました。
 では、ごきげんよう。
 ルシアンより』

 軽い。我ながら羽毛のように軽い書き置きだ。
 でも、重苦しい挨拶なんて俺たちの柄じゃない。
 俺はそれを、オルドリン様が毎朝必ず目にするダイニングテーブルの上に置いた。

 翌朝、まだ空が薄暗いうちに、俺は屋敷を抜け出した。
 振り返った屋敷は、朝霧の中で静まり返っていた。

「じゃあな、旦那様。……たまには独身気分を楽しんでくれよな」

 俺は小さな罪悪感と、それ以上の解放感を胸に、王都の門をくぐった。
 これが、長い「家出」の始まりになるとは、この時の俺はまだ知らなかったのだ。


 ◇◇◇

 その日の朝、午前七時。
 いつものようにダイニングへ降りてきたオルドリンは、テーブルの上に置かれた一枚の紙を見つけた。
 普段なら、そこには朝食を待つルシアンの姿があるはずの場所に。

「……手紙?」

 嫌な予感がした。
 背筋に冷たいものが走る。
 震える手でそれを拾い上げ、視線を走らせる。

『しばらく留守にします』
『探さなくて大丈夫です』

 オルドリンの思考が、真っ白に染まった。
 文字がゲシュタルト崩壊を起こし、意味をなさなくなる。
 友人に会いに行く?
 嘘だ。報告によれば、彼に王都の外の友人などいない。
 つまりこれは――。

「……逃げられた」

 オルドリンの口から、乾いた絶望の声が漏れた。
 膝から力が抜け、その場に崩れ落ちそうになるのを、テーブルに手をついて必死に耐える。
 ガタガタとテーブルが揺れ、食器が音を立てた。

 自由にしろと言った。
 干渉しないように、距離を取った。
 それが彼のためだと思ったから。
 だが、それは間違いだったのか。
 俺の態度は、彼にとってただの「冷淡」でしかなかったのか。
 だから彼は、何も言わずに――いや、こんな軽い紙切れ一枚を残して、俺の前から姿を消したのか。

「……ッ、ルシアン……!」

 オルドリンは手紙を握りしめ、胸に押し当てた。
 心臓が引き裂かれそうだ。
 今すぐ追いかけたい。馬を飛ばして、連れ戻したい。
 だが、自分にはその権利があるだろうか?
 「自由にしろ」と言った自分の言葉が、呪いのように足を縛る。

「……当主様」

 背後から、影が忍び寄った。昨日の部下だ。
 彼は主人の悲痛な背中を見て、ためらいがちに声をかけた。

「ルシアン様は、商隊の護衛として隣町へ向かわれました。……護衛の班を、どうされますか?」

 オルドリンは、ゆっくりと顔を上げた。
 眼鏡の奥の瞳には、昏い、底知れぬ炎が宿っていた。
 絶望ではない。それは、執着という名の狂気。

「……総動員だ」

 低く、地を這うような声。

「第一部隊から第三部隊まで、すべて出せ。彼に気づかれないように、周囲を固めろ」
「は、はい! しかし、そこまでする必要が……?」
「ある。……もし彼に、かすり傷一つでもついたら、その地域の魔物を根絶やしにすると思え」

 オルドリンは手紙を丁寧に折りたたみ、胸ポケット――心臓に一番近い場所へとしまった。

「帰ってくるまで待つ。……だが、もし帰ってこないなら」

 その先は言葉にしなかった。
 だが、部下は悟った。
 もし彼が帰ってこないなら、この国一番の魔法使いが、力ずくで世界中をひっくり返してでも見つけ出すだろう、と。

「……行ってきます」

 オルドリンは、いつもよりずっと冷たい無表情で、執務室へと向かった。
 その背中は、昨日までとは明らかに違う。
 「待つ男」の静かな狂気を孕んでいた。
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