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第3話:調子に乗って強制送還
「光陰矢の如し」とは、よく言ったものだ。
あの一泊二日の予定だった「プチ家出」から、気づけば半年が経過していた。
人間の順応性というのは恐ろしい。
当初は「たまには家に顔を出すか」とか「そろそろ屋敷に戻らないと怒られるかな」なんていう小さな良心もあったのだが、二週間、一ヶ月と経つうちに、俺の頭の中からは「クライス伯爵夫人(夫)」という肩書きは綺麗さっぱり消え失せていた。
今の俺は、冒険者ルーク。十九歳。
得意技は「逃げ足」と「荷物の整理整頓」。
ギルドでの評価は『地味だけど確実に仕事をする、便利な雑用係』。
「よし、今日の収穫はこんなもんか」
王都から馬車で三日ほど離れた、キルデアの森。
俺は背負い袋パンパンに詰め込んだ薬草の重みを感じながら、額の汗を拭った。
今回の依頼は、調合師ギルドからの直々のご指名だ。
『ルーク君の採ってくる薬草は、根っこが綺麗に残っていて鮮度がいい』と褒められたのだ。
前世、家庭菜園を趣味にしていた祖母の手伝いをさせられていた経験が、まさか異世界で役に立つとは人生分からないものである。
「依頼料は銀貨三枚……これで新しいブーツが買えるな」
今のブーツは底がすり減ってきている。
貴族として生きていた頃は、オーダーメイドの最高級革靴を一回履いただけで捨てていた(親に捨てられていた)けれど、今は自分の稼ぎで買う安物が何よりも愛おしい。
俺は鼻歌交じりで森の斜面を下り始めた。
空は青く、鳥はさえずり、俺の人生は順風満帆。
旦那様ことオルドリン様も、きっと今頃、俺がいなくて清々した独身貴族ライフを謳歌していることだろう。
たまに「生きてます、元気です」という生存報告の手紙だけは送っているし、返信(というか捜索隊)も来ていないから、完全に「黙認」されているはずだ。
「ウィンウィンの関係ってやつだよなぁ、これぞ理想の夫婦……ん?」
ふと、視界の端にキラリと光るものが見えた。
崖の縁、岩場の陰にひっそりと咲く青い花。
あれは……希少素材の「月光花」!?
市場に出せば金貨一枚は下らないレアアイテムだ。
(うおっ、マジか! 今日の俺、ついてる!)
俺の脳内で、金貨のチャリンという音が鳴り響いた。
あれがあれば、ブーツどころか、奮発して美味い肉が食える。
俺は慎重に足を運び、岩場へと手を伸ばした。
「よし、あと少し……」
指先が花に触れた、その瞬間だった。
ズリッ。
足元の土が、何とも頼りない音を立てて崩れた。
え、と思った時にはもう遅い。
視界が天地逆転する。
「うわああああああっ!?」
俺の体は重力に従い、斜面を滑り落ちていった。
受け身? 取れるわけがない。俺は運動音痴のFランク冒険者だぞ!
ゴロゴロと転がり、枝にぶつかり、最後にドサッと茂みの中に着地した。
「……いったぁ……」
全身に走る鈍い痛み。
恐る恐る体を動かしてみる。腕は大丈夫。首も回る。
だが、右足首に焼けるような激痛が走った。
「っ……あ、これ、やってるわ」
見ると、右足があらぬ方向に腫れ上がっている。
折れたか、酷い捻挫か。
少なくとも、自力で歩いて帰るのは不可能なレベルだ。
「……月光花、取れなかったなぁ」
俺は空を見上げながら、のんきにそんなことを思った。
痛いけれど、命があるだけマシだ。
通りがかりの冒険者に助けを求めるしかないか。
最悪、一晩くらい野宿しても死にはしないだろう。
そう、俺はこの時まだ、事態を軽く見ていた。
自分の怪我が、まさかあんな「大騒動」を引き起こすスイッチになるとは、微塵も思っていなかったのだ。
◇◇◇
「いやー、酷い捻挫ですね。靭帯がいっちゃってます」
王都の治療院。
通りすがりの親切なパーティーに拾われ、荷車に揺られて搬送された俺は、ベッドの上で医師の宣告を受けていた。
「全治一ヶ月ってところでしょうか。しばらくは絶対安静です」
「一ヶ月……そうですか」
俺はガックリと肩を落とした。
足の痛みより、懐の痛みの方が深刻だ。
治療費に薬代。貯め込んだ小銭が一瞬で消えていく計算になる。
やっぱり、欲をかいてレアアイテムなんて狙うもんじゃない。
「とりあえず痛み止めを出しておきますね。家族の方への連絡は?」
「あ、いえ、家族はいないんで……」
旦那様に連絡? するわけがない。
『スライムも倒せないくせに崖から落ちて怪我しました』なんて、恥ずかしくて言えるか。
「貴族の恥さらしめ」と冷ややかな目で見下されるのがオチだ。
それに、半年も音信不通(一方的な手紙のみ)だったのに、怪我した時だけ頼るなんて図々しいにも程がある。
「一人でなんとかします。宿屋の手配だけお願いできれば……」
俺がそう言いかけた、その時だった。
バンッ!!!!
治療院の入り口の扉が、蝶番が壊れるんじゃないかという勢いで弾け飛んだ。
待合室の患者たちが「ひっ」と悲鳴を上げる。
俺もビクッとして振り返った。
強盗か? 魔物の襲来か?
土埃舞う入り口に立っていたのは、一人の男だった。
乱れた黒髪。
肩で荒く息をする、仕立ての良いスーツ姿。
そして、眼鏡の奥で異様な光を放つアイスブルーの瞳。
「……え」
俺の思考が停止した。
そこにいたのは、半年間会っていなかった俺の旦那様、オルドリン・クライス伯爵その人だったからだ。
(な、なんでここに!?)
まさか、俺が怪我した情報を聞きつけた? いや、そんなに早いはずがない。
もしかして偶然? 彼は治療院の出資者か何かなのか?
いや、それにしては様子がおかしい。
いつもの「氷の伯爵」の姿はどこにもなかった。
額には汗が滲み、ネクタイは少し緩んでいる。
そして何より、その顔色が――死人のように真っ白だった。
オルドリン様は、血走った目で院内を見渡し、一番奥のベッドにいる俺を見つけた。
瞬間、彼から放たれるプレッシャーが膨れ上がった。
「ル、ルシアン……ッ!!」
悲鳴のような声で名前を呼ばれた。
俺は反射的に身構えた。
やばい、怒られる!
半年間も家を空けて、こんな怪我までして、「いい加減にしろ!」と雷が落ちる――!
「す、すみませ――」
俺が謝罪の言葉を口にしようとした瞬間、視界が真っ黒に覆われた。
衝撃。
そして、強く、痛いほどに抱きしめられる感覚。
「……え?」
怒鳴り声はなかった。
拳骨も飛んでこなかった。
代わりに、俺の顔はオルドリン様の胸に埋もれていた。
高級なコロンの香りと、全力疾走してきたであろう汗の匂い。そして、服越しに伝わってくる体温の高さ。
「……無事で……よかった……」
耳元で聞こえた声は、掠れていた。
俺を抱きしめる腕の力が強すぎて、折れた足より背骨の方が折れそうだ。
でも、それ以上に気になったのは――震えだ。
俺の背中に回された彼の腕が、カタカタと小刻みに震えている。
(え……旦那様、震えてる?)
あの完璧超人のオルドリン様が?
なんで?
俺ごときが捻挫したくらいで?
「だ、旦那様? あの、苦しいです……」
「……すまない。だが、あと少しだけ」
彼は腕を緩めるどころか、さらに俺を深く抱き込んだ。
まるで、少しでも手を離せば、俺が煙のように消えてしまうとでも思っているかのように。
「……君が、崖から落ちたと聞いて……私は……」
「あ、いや、そんな大したことなくて! ただの捻挫ですし!」
「関係ない!!」
突然の怒声に、俺はビクッと体を強張らせた。
オルドリン様は俺の体を離し、俺の肩を両手で掴んで顔を覗き込んだ。
その瞳は、怒りではなく、見たこともないほどの恐怖と焦燥に彩られていた。
「怪我の大小など関係ない! 君が痛い思いをしたという事実だけで、私は……気が狂いそうだったんだ!」
治療院の静寂の中に、彼の悲痛な叫びが響き渡る。
医師も看護師も、他の患者たちも、ぽかんと口を開けてこの美しい貴族の乱心を見守っている。
俺もだ。
何言ってるんだ、この人。
俺が痛いと、気が狂いそう?
なんで?
俺たち、愛のない政略結婚のビジネスパートナーだよね?
「……帰るぞ」
「え?」
「ここには置いておけない。屋敷に連れて帰る」
オルドリン様は強引に話を進めると、俺の返事も待たずに、俺の膝裏と背中に手を回した。
身体がふわりと浮く。
いわゆる「お姫様抱っこ」というやつだ。
待って待って、成人男性(一応貴族)が公衆の面前でお姫様抱っこ!?
「ちょ、旦那様! 歩けます! 片足なら!」
「黙っていろ。……もう二度と、私の目の届かない場所で怪我などさせない」
その声は低く、そしてとてつもなく重かった。
有無を言わせぬ迫力。
俺は口をパクパクさせたが、反論の余地はなかった。
治療費を(金貨で)叩きつけるように支払ったオルドリン様は、俺を抱えたまま風のように治療院を出て行った。
外には、伯爵家の紋章が入った豪華な馬車が待機していた。
御者や護衛たちが、俺の姿を見てホッとしたような、それでいて微妙に生暖かい視線を送ってくる。
「出せ。屋敷へ」
「はっ!」
馬車の中に押し込まれ(抱っこされたまま)、扉が閉まる。
密室。
向かい合わせの席ではなく、なぜか俺はオルドリン様の膝の上に座らされていた。
いや、座らされているというか、離してくれないのだ。
「あの、旦那様。そろそろ下ろしていただいて……」
「……」
「重くないですか? 俺、筋肉ついたし……」
「……」
無言。
オルドリン様は俺の腰に腕を回し、俺の肩に額を押し付けたまま、石像のように固まっている。
窓から差し込む夕日が、彼の耳を赤く染めているのが見えた。
(……なんか、空気が重い)
半年前の、あの冷徹で無関心だった旦那様はどこへ行った?
今の彼は、まるで迷子になった子供を見つけた親か、あるいは大切な宝物を取り戻したドラゴンのようだ。
「……なぜ、連絡しなかった」
しばらくして、籠もった声が聞こえた。
「半年間、手紙の一通もない。怪我をしても、他人を頼る。……私は、そんなに頼りない夫か?」
「いや、手紙は出しましたよ! 『元気です』って!」
「生存報告だろう、あれは! 私が聞きたかったのは……もっと……」
彼は言葉を詰まらせ、俺の服をぎゅっと握りしめた。
「君の声が聞きたかった。……顔が見たかった」
その言葉は、あまりにも小さくて、馬車の車輪の音にかき消されそうだった。
けれど、俺の耳には痛いほどはっきりと届いた。
俺の心臓が、トクン、と大きく跳ねた。
顔が見たかった?
俺の?
邪魔だと思っていたんじゃなくて?
「……もしかして、旦那様」
俺は恐る恐る、彼の顔を覗き込んだ。
眼鏡が少しズレていて、その奥の瞳は潤んでいるように見えた。
「俺のこと、心配してくれてたんですか?」
馬鹿みたいな質問だ。
でも、確認せずにはいられなかった。
オルドリン様は、俺の問いかけに、拗ねた子供のように視線を逸らし、しかしはっきりとこう言った。
「……心配していないわけがないだろう。君は……私の妻なんだぞ」
その「妻」という言葉の響きが、今までとは違って聞こえた。
契約上の役割ではなく、もっと温度のある、甘くて重い何かを含んだ響き。
俺は言葉を失った。
「自由にしろ」という言葉の裏に、こんな感情が隠されていたなんて、俺は微塵も気づいていなかった。
俺は半年間、この人を不安にさせて、待たせていたのか?
足の痛みなど忘れてしまうほど、俺の胸の中は混乱と、そして得体の知れない熱でいっぱいになっていた。
馬車は屋敷へと急ぐ。
俺の「自由気ままな冒険者生活」が終わりを告げ、代わりに「訳のわからない溺愛生活」が幕を開けようとしていることを、俺はこの密着した体温からひしひしと感じ取っていた。
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小説家になろう様でも2023年 03月07日 15時11分から投稿しています。