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第6章 俺たちは『反逆者』じゃなくて、『イカパーティー』がしたい
第43話:誤解は雪だるま式に
しおりを挟むかゆい。
猛烈に、背中がかゆい。
「……んぅ……」
翌朝。
重厚な天蓋付きベッドの中で目を覚ました俺、ルシアンは、寝ぼけ眼で背中に手を回した。
指先に触れたのは、カサカサとした乾いた感触と、ペリッ……と薄皮がめくれる感覚。
(ああ……そういえば)
南の島でのバカンス。
前半は魔導水着で完全防備されていたが、最終日は「どうせならバカンスらしく焼きたい!」と、オルドリンの静止を振り切って少し肌を露出して遊んでいたのだ。
元々肌が白くて弱い俺は、赤くなってから皮が剥けるタイプ。
どうやら、昨夜あたりから本格的に脱皮が始まったらしい。
「……かゆいなぁ」
俺が身じろぎして背中を掻いていると、隣で優雅に眠っていたはずの「氷の伯爵」が、バッと目を開けた。
そのアイスブルーの瞳が、俺の手元――剥けかけた皮に釘付けになる。
瞬間、部屋の温度が五度下がった。
「ル、ルシアン……ッ!!」
悲鳴のような声。
オルドリンは顔面蒼白になり、俺の肩を掴んだ。
「その背中はどうした!? 皮膚が……君の美しい白磁の肌が、ボロボロじゃないか!」
「ん? ああ、日焼けだよ。皮が剥けてきたんだ」
「日焼け……? これがか!?」
彼は震える指で、俺の赤くなった肩口に触れようとし、恐る恐る止めた。
まるで壊れ物を扱うような手つきだ。
「なんということだ……。私の守護が至らなかったばかりに、君の肌が太陽光線ごときに焼かれ、こんな痛々しい姿に……!」
「大袈裟だって。かゆいだけだから」
「ダメだ! かゆみは痛みの前兆だ! 万が一、そこから悪いものが入ったらどうする! 痕が残ったら!」
オルドリンは苦悶の表情で頭を抱えた。
「くそっ、やはりあの時、太陽を氷漬けにしておくべきだった……! 私の失態だ、万死に値する!」
「だから生態系を壊そうとするなって!」
彼は俺のツッコミを聞く余裕もなく、サイドテーブルから最高級の薬瓶(王家御用達)を取り出した。
そして、俺をふかふかの枕にうつ伏せにさせると、ひんやりとした軟膏を指に取り、背中に塗り始めた。
「……んッ、つめたっ」
「すまない。熱を持っているから、冷却効果のある薬を選んだ。……痛くはないか?」
彼の大きな手が、赤くなった背中をゆっくりと滑る。
魔法で適温に調整された指先が、火照った肌に吸い付くようで心地いい。
丁寧で、慈しむような手つき。
かゆみが引いていくのと同時に、とろりとした甘い熱が体に溜まっていく。
「……ふぅ……そこ、気持ちいい……」
「ここか? ……可哀想に、こんなに広範囲に」
オルドリンは、薬を塗り広げながら、俺の肩口――皮が剥けて新しい皮膚が見えている部分に、チュッと音を立ててキスを落とした。
「早く治れ。……君の肌は、私だけの聖域なんだからな」
「……ん。ありがとな、旦那様」
俺は彼の気遣いに目を細めた。
過保護すぎるけど、愛されている安心感がある。
「さて、と。薬も塗ったし、着替えて出かけるか」
俺は起き上がろうとした。
昨日の「黒い氷(イカ)」の件で、街がざわついているらしい。
俺たちが直接行って、「美味しい食材だから安心して」と説明して回らなければ、誤解は解けないだろう。
しかし。
俺がベッドから足を降ろそうとした瞬間、強靭な腕が俺の腰をホールドし、元の位置へと引き戻した。
「……どこへ行くつもりだ、ルシアン」
低く、甘く、そして絶対的な響きを含んだ声。
振り向くと、オルドリンが真剣な眼差しで俺を見下ろしていた。
「え? だから、街へ説明に……」
「却下だ」
即答だった。
「君の今の肌の状態を見てみろ。服が擦れるだけで刺激になる。そんな状態で外出など言語道断だ」
「いや、でもイカの件が……」
「イカなどどうでもいい。最優先事項は君の安静だ」
オルドリンはパチンと指を鳴らした。
すると、クローゼットから最高級シルクのガウンが飛んできて、俺の体をふわりと包み込んだ。
さらに、羽毛布団が魔法のように巻き付き、俺を簀巻き(すまき)状態にする。
「ちょ、拘束!?」
「保護だ。……いいかルシアン。君の皮膚が再生し、元の美しいスベスベ肌に戻るまで、この部屋から一歩も出ることは許さん」
「はあ!? いやいや、 ただかゆいだけなんだって!」
「ダメだ。もし外気にあてて悪化したら、私は自分を許せないし、王都の空気をすべて浄化(真空に)してしまうかもしれない」
彼の目は本気だった。
俺の健康に関することになると、この旦那様は融通が利かない。
「……じゃあ、外の誤解はどうするんだよ。放置したらヤバいことになるぞ」
「安心しろ」
オルドリンは立ち上がり、マントを翻した。
その背中から、冷気と共に「氷の伯爵」としての威厳あるオーラが立ち上る。
「私が直接行って、彼らの誤解を解いてくる」
「えっ」
「君の名誉と、我が家の平穏を守るためだ。……きっちりと『教育(説明)』してこよう」
彼は自信満々に胸を張った。
その表情は、「もう昔の不器用な私ではない」と言わんばかりのドヤ顔だ。
「任せておけ。これまでの君との経験を経て、私の社交スキルも向上しているはずだ。……君はここで、私の帰りを待っていてくれ。いい子にな」
ニッコリと微笑むその顔は、頼もしいはずなのに、なぜか俺の背筋に猛烈な不安を走らせた。
「待てオルドリン! アンタが行くと余計に……!」
「セバスチャン、ルシアンの見張りを頼む。決してベッドから出すな」
「御意。……奥様、消化に良いスープをご用意いたします」
俺の制止も虚しく、オルドリンは颯爽と部屋を出て行ってしまった。
残されたのは、シルクの布団に囚われた俺と、ニコニコしているメイドたちだけ。
「……終わった」
俺は天井を見上げた。
あの「言葉足らず」で「威圧感マシマシ」の旦那様が、一人で説明に行く?
火消しどころか、火にガソリンを注ぎに行くようなものではないか。
「……頼むから、穏便に済ませてくれよ……」
俺の祈りは、分厚い壁に吸い込まれて消えた。
◇◇◇
その頃、王都の大通り。
いつもなら活気のある商店街が、今日は妙に静かだった。
昨日の「黒い配達人」事件の余波で、人々は怯えながら噂話をしている。
そこへ。
カツ、カツ、カツ……。
凍てつくような足音と共に、現れたのは「氷の伯爵」オルドリン・クライス本人だった。
背後には、数名の屈強な従僕を従えている。
その表情は冷徹そのものだが、内面では「スマートに解決して、早くルシアンの元へ帰るぞ」という気合いで満ち溢れていた。
(まずは八百屋か。……穏便に、かつ分かりやすく説明せねばな)
オルドリンは、馴染みの八百屋の前で足を止めた。
昨日、黒い氷を送った先だ。
店主の親父さんは、オルドリンの姿を見た瞬間、腰を抜かしてへたり込んだ。
「ひぃッ!? ……ク、クライス伯爵様……!」
親父さんは震え上がり、地面に頭を擦り付けた。
「も、申し訳ございません! 頂いた『アレ』は……その、恐れ多くてまだ開封できておらず……!」
「ふむ」
オルドリンは無表情で見下ろした。
やはり、一般人にはあの梱包(絶対零度保存)を解くのは難しかったか。
ルシアンの言う通り、少し配慮が足りなかったかもしれない。ここは回収するのが「大人の対応」だろう。
「……手間を取らせたな。アレは回収する」
オルドリンが指を鳴らすと、従僕たちが店内にあった「黒い氷塊」を運び出した。
親父さんは、それが「証拠隠滅」に見えたらしい。
さらに、オルドリンは親父さんの恐怖を和らげようと(彼なりの気遣いで)、事情を説明することにした。
「実はな。……妻が、体を壊してしまったのだ」
「えっ……!?」
親父さんが顔を上げた。
「お、奥様が……?」
「ああ。昨夜から全身が赤く腫れ上がり、皮が剥けて、服も着られない状態だ。……私の管理不足で、酷い目に遭わせてしまった」
オルドリンは沈痛な面持ちで語った。
彼の頭の中にあるのは「日焼けで皮がむけたルシアン」の姿だ。
「よし、正直に現状を伝えたぞ」と彼は内心で頷く。
だが、事情を知らない親父さんの脳内では、最悪の変換が行われた。
『(呪いの肉のせいで)全身が赤く腫れ上がり、皮が剥けて(爛れて)、(瀕死で)服も着られない状態』
「な、なんてことだ……!」
「妻も挨拶に来たがっていたのだがな、今はベッドに縛り付けて(安静にさせて)いる。……可哀想に」
「(縛り付けて……!? 感染を防ぐための隔離か!?)」
親父さんは絶句した。
オルドリンは「同情してくれているようだ。理解が得られたな」と満足し、踵を返した。
「というわけだ。……口外は無用にたのむ」
ルシアンの痛々しい姿(皮むけ)を広められては困る、という意味での口止めだった。
だが、親父さんには「この悲劇を喋ったら消す」という死の宣告にしか聞こえなかった。
「は、はいぃぃぃ!!」
オルドリンが去った後、親父さんはガタガタと震えながら周囲に漏らした。
「奥様は……呪いの肉に侵されて、今は座敷牢に監禁されているらしい……」
誤解は、確信へと変わった。
◇◇◇
「よし、次は冒険者ギルドだ」
八百屋での「成功体験」に気を良くしたオルドリンは、自信満々でギルドへ向かった。
ここにはルシアンの友、ガリルがいる。
彼にも「イカの回収」と「ルシアンの現状」を伝えねばならない。
バンッ!
ギルドの扉が開かれると同時に、室内の温度が一気に下がった。
冒険者たちが一斉に道を開ける。
カウンターの奥で、ガリルがジョッキを持ったまま石化していた。
「……ガリルと言ったな」
オルドリンが近づくと、ガリルは悲鳴を上げて後ずさった。
テーブルの上には、まだ未開封の「黒い箱」が置かれている。
「だ、旦那さん……! い、いや、俺は決して奥さんに手を出そうなんて……!」
「静かにしろ。……ルシアンのことだが」
妻の名前が出た瞬間、ガリルの表情が強張った。
「ルーク(ルシアン)は……無事なんですか!? 手紙には、これを食えって……」
「ああ、それはもういい。回収する」
オルドリンは黒い箱を従僕に預けた。
そして、努めて穏便に、あくまで事実だけを伝えようと口を開いた。
「ルシアンは、当分ここには来られない」
「……え?」
「南の島で、少々ハメを外しすぎてな。……今、体中ボロボロになって寝込んでいる」
オルドリンは痛ましげに眉を寄せた。
日焼けで真っ赤になり、かゆがるルシアンの姿を思い出したのだ。
ガリルが息を呑む。
「ボ、ボロボロって……そんなに酷いんですか!?」
「ああ。服が触れるだけでも辛そうだ。見ている私が辛くなるほどにな」
ガリルの顔色が土気色になる。
「やはり……呪いの肉の副作用か……!」と戦慄しているようだ。
だが、オルドリンはそこでガリルの「過剰な心配」に、ピクリと反応してしまった。
(……なんだ、その目は。なぜ貴様がそこまでルシアンを心配する?)
(ルシアンの痛みを知り、癒やしてやれるのは私だけだ)
嫉妬の炎が、ボッと音を立てて燃え上がった。
ついさっきまでの「大人の対応」など消し飛び、いつもの「激重独占欲」が顔を出す。
オルドリンは、ガリルを鋭く睨みつけ、低い声で付け加えた。
「だが、貴様が心配する必要はない」
「へ……?」
「彼のボロボロになった身体を世話し、癒やしてやれるのは……夫である私だけだ」
オルドリンは、勝ち誇ったように宣言した。
「今は私の寝室に閉じ込めている。誰の目にも触れさせん。……あんな無防備で弱りきった姿、私以外の男に見せるわけにはいかないからな」
本人は「独占愛」のつもりだった。
しかし、ガリルには「監禁宣言」にしか聞こえなかった。
「……ッ!!」
「そういうわけだ。二度と気安く会えると思うなよ」
オルドリンはマントを翻し、満足げに去っていった。
彼の中では「嫉妬する虫も追い払えたし、ルシアンの現状も伝えられた。完璧だ!」という達成感でいっぱいだった。
残されたガリルは、膝から崩れ落ちた。
「ルーク……。お前、監禁されて……再起不能になるまで……!」
「なんてこった……。あの『呪いの肉』を食わされて、身体を壊されたんだ……」
「助けなきゃ……でも、相手は『氷の伯爵』だぞ……!」
ギルド中が絶望的な空気に包まれた。
オルドリンの「説明」は、見事に「最悪の脅迫」として完遂されてしまったのだ。
◇◇◇
一時間後。
屋敷に戻ったオルドリンは、晴れやかな顔で寝室に入ってきた。
「ただいま、ルシアン。いい子にしていたか?」
「お帰り……って、早かったな」
ベッドの上で退屈していた俺は、身を起こそうとしたが、またすぐに布団ごと抱きしめられた。
「ああ、完璧だ。皆、私の言葉に深く頷き、納得していたよ」
オルドリンは自信満々に言った。
「イカも、彼らには扱いが難しかったようだから回収してきた。……やはり、君と私だけで食べるのが一番だ」
「そっか……。まあ、みんなが納得したならいいけど」
俺は少し拍子抜けした。
なんだ、意外と上手くやったのか。
あの不器用な旦那様も、成長したんだな。
「ありがとう、オルドリン。アンタのおかげで助かったよ」
「礼には及ばない。……さあ、また薬を塗ろう。早く治して、また君とお風呂に入りたいからな」
「気が早いって」
俺たちは笑い合った。
部屋の中は、相変わらず甘くて温かい空気に満ちていた。
外の世界で、俺が「呪いに侵され、監禁された悲劇のヒロイン」として伝説になっているとは知らずに。
◇◇◇
そして、その日の夕方。
王城の一室にて。
「……何? クライス伯爵が、夫人を監禁しているだと?」
報告を受けた第二王子・アレクセイは、書類の手を止めて眉をひそめた。
「はい。街の情報によれば、夫人は全身の皮が剥けるほどの重症を負い、今は座敷牢に繋がれていると……。原因は、南の島から持ち帰った『呪物』にあるとか」
「バカな。あの愛妻家のオルドリンに限って、そんなことがあるはずがない」
アレクセイは鼻で笑った。
彼は知っている。オルドリンがどれほどルシアンを溺愛しているかを。
だが、同時にこうも思った。
『あの言葉足らずな人のことだ。皆が何か盛大な勘違いを引き起こしているに違いない』と。
「……面白い。真相を確かめに行くとしよう」
アレクセイはニヤリと笑い、椅子から立ち上がった。
「公式訪問だ。……『伯爵夫人の見舞い』という名目でな。ついでに、その噂の『呪物』とやらも拝ませてもらおうか」
こうして、最強の助っ人(兼トラブルメーカー)が、クライス家に向かおうとしていた。
俺たちの「イカパーティー」が、まさか王族まで巻き込んだ国家行事になろうとは、この時の俺はまだ知る由もなかった。
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