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第6章 俺たちは『反逆者』じゃなくて、『イカパーティー』がしたい
第44話:光の王子と、深淵の唐揚げ
しおりを挟むその日の午後、クライス伯爵邸の正門前に、王家の紋章を掲げた白銀の馬車が滑り込んだ。
降り立ったのは、この国の第二王子、アレクセイ。
彼は静まり返った屋敷を見上げて爽やかに笑った。
「……ふむ。噂に聞く『呪いの瘴気』とやらは感じられないけど。……結界が厚いな。外部への漏洩を完全に遮断しているのか。さすがはクライス伯、仕事が丁寧だ」
巷で囁かれる「伯爵家、呪いに沈む」の怪談。
魔法学の権威としての好奇心と、友人でありオルドリンのファンでもある彼は、心配半分・期待半分で自ら確かめに来たのだ。
玄関ホールは、真冬のように冷え切っていた。
その冷気の中心に、主であるオルドリン・クライスが立っている。
表情は能面のように動かない。完璧な礼儀作法で一礼するその姿は、まさに「氷の伯爵」そのものだった。
「――ようこそお越しくださいました、アレクセイ殿下。事前に連絡も寄越さず、本日はどのような御用でしょうか」
「やあ、クライス伯。挨拶もそこそこに棘があるね。君が『愛妻を蝕む呪い』と戦うため、屋敷を閉ざしていると聞いてね」
アレクセイは人懐っこく笑ったが、オルドリンのアイスブルーの瞳には、絶対零度の拒絶が宿っていた。
「……お心遣いは痛み入ります。ですが、妻は今、絶対安静の状態。殿下の放つ眩しい『光』属性の魔力は、今の彼のデリケートな皮膚には毒です。お引き取りを」
「そこまで酷いのかい? 光魔法なら治癒の助けになるかもしれないよ?」
「お断りします」
オルドリンは即答し、扉の前に立ちはだかった。
その背後から、冷気を含んだ威圧感が立ち上る。
「全身の皮が剥がれ落ち、赤く爛れたあのような痛々しい姿……他の男に見せるわけにはいきません。彼の痛みを理解し、その身を清められるのは、夫である私だけです」
「(……『痛々しい』……やはり、噂通り呪いの進行は末期なのか)」
アレクセイがごくりと唾を飲み込んだ、その時。
奥の廊下から、老執事セバスチャンが音もなく現れた。
「――旦那様」
「なんだセバスチャン。今は取り込み中だ。ルシアンの看病はどうした」
「それが……申し上げにくいのですが、奥様が寝室にいらっしゃいません」
「……何?」
オルドリンの鉄仮面が、ピクリと震えた。
「『寝てるのもう無理。イカ食いたいから厨房行ってくる』と仰せになり、厨房へ……」
「…………」
セバスチャンの報告に、オルドリンは無言で天を仰いだ。
怒りではない。純粋な絶望と、深い悲壮感が彼を襲ったのだ。
「……あの食いしん坊め。全身が傷ついているというのに、火を使う厨房に立つなど……熱気で乾燥したらどうする気なんだ」
「……え、乾燥?」
アレクセイが首を傾げたが、オルドリンの耳には入っていない。
彼は悲痛な面持ちでマントを翻し、背後にいる王子の存在など忘却の彼方に追いやって、無言のまま屋敷の奥へと疾走した。
「……瀕死の重傷を負った奥方が厨房に? ……これは壮絶な愛の物語になりそうだね」
興味をそそられた王子は、楽しげにその後を追った。
◇◇◇
ジュワワァァァ……!
小気味いい油の音と、スパイシーな香りが鼻腔をくすぐる。
最高だ。これだよ、これ。
「よっしゃ、いい色!」
俺、ルシアンは、菜箸でキツネ色に揚がった『クラーケンの唐揚げ』を網の上に引き上げた。コンロの火を止めると、揚げたての熱気がふわりと顔にかかる。
背中が日焼けでちょっとチリチリするし、皮がポロポロ剥けてきて痒いけど、そんなのどうでもよくなるくらいの光景だ。
そもそも、いつまでもベッドで寝ているなんて無理だったのだ。
俺の胃袋は、あの極上のイカを求めて叫んでたんだから。
「――ルシアン」
不意に、背筋がゾワッとするような冷気を感じた。
冷蔵庫を開けた時みたいな、あの冷たい風だ。
振り返ると、厨房の入り口に旦那様が立っていた。
顔色が悪い。というか、この世の終わりみたいな顔でこっちを見てる。
「あ、オルドリン。勝手に抜け出したのは悪かったよ。でも、見てくれよこれ、最高の揚げ具合――」
「隠れろッ!!」
「へっ!?」
言うが早いか、オルドリンが突風みたいに駆け寄ってきて、着ていた分厚いマントを頭からバサッ! と被せてきた。
視界がいきなり真っ暗になる。
そのまま、俺はガシッと強い力で抱きすくめられた。
「ちょ、何すんだよ!?」
「肌を晒すな……! 君のその、痛々しくも扇情的な『傷跡』を、誰にも見せたくないんだ!」
相変わらず重いな!
ただの皮むけを「傷跡」とか「扇情」とか、ワードチョイスがいちいち大袈裟なんだよ。
「――ルシアン君、動けるのかい?」
その時、マントの外から聞き覚えのある声がした。
え? この爽やかな声、まさか。
俺はマントの隙間から、こっそり顔を出した。
「――えっ、アレクセイ殿下!?」
そこにいたのは、間違いなく第二王子のアレクセイ様だった。
なんで? 王族がなんでこんな油臭い厨房にいんの?
「し、失礼いたしました! まさか殿下がいらっしゃっているとは知らず、こんな格好で……!」
俺は慌てて姿勢を正そうと暴れた。
一応、これでも伯爵夫人(妻)だ。エプロン姿で揚げ物してるところなんて見られたらマナー違反もいいとこだろ。
でも、オルドリンが「絶対に見せない」と言わんばかりにマントの上からギチギチに抱きしめてくるから、身動きが取れない。
殿下は、そんな俺の姿(マントで簀巻き状態)を見て、なぜか痛ましげに眉を寄せた。
「ああ、いいんだよ。……無理をしないでくれ。噂には聞いていたが、そこまで酷い状態だったとは」
「……はい?」
酷い状態?
俺はきょとんとして首を傾げた。
俺が暴れた拍子にマントが大きくズレており、殿下の視線はそこから覗く首筋(日焼けで赤い)に釘付けになってる。
「全身の皮膚が剥がれ落ち、服も着られないほどの重症(カース)……。それなのに、厨房に立つとは。君の精神力には心が震えるよ」
は?
カース? 重症?
俺はゆっくりと、腰にへばりついている旦那様を見下ろした。
オルドリンは、気まずそうに眼鏡の位置を直し、明後日の方向(換気扇の方)を見ている。
「……なぁ、オルドリン」
「…………」
「アンタ、『誤解は解決した』って言ったよな?」
「……ああ。私は『事実』をありのまま伝えた」
「じゃあなんで殿下が、俺を瀕死の重病人だと思ってるんだよ!? まさか、アンタ俺の『日焼けの皮むけ』を変な風に説明したんじゃ……」
俺の追及に、オルドリンはフイと視線を逸らした。
あ、逃げた。
「……君の無防備な姿を、有象無象に想像されたくなかったんだ。つい、言葉選びが……重厚になってしまった」
「真実を伝えてくれよ!!」
俺は叫んだ。
オルドリン超訳により、日焼けが「皮膚の剥離」と言い換えられ、安静が「隔離」と表現されていたらしい。
全然解決してない。むしろ悪化してるじゃねーか!
「しかし、いい匂いだね。……それが噂の『呪物』なのかい?」
アレクセイ殿下が、興味深そうに揚げたての唐揚げに手を伸ばそうとした。
おっと、誤解はさておき、これはチャンスだ。
殿下に食べてもらえば、「呪い」なんて嘘だって分かってもらえるはず。
「あ、はい! 呪いなんてとんでもない、最高の食材ですよ! 殿下もぜひ一つ――」
カァンッ!
硬質な音が響いて、殿下の指先が弾かれた。
見れば、皿の周りに透明な氷の壁(結界)が出現している。
「……クライス伯? 私の味見を拒むのかい?」
「――殿下。毒味も済んでいないものを、王族に食べさせるわけにはいきません」
オルドリンは冷ややかに言い放つと、さらに氷の厚みを増そうとした。
おいおい、王族相手に喧嘩を始めようとするな。
「オルドリン、やめろって! 殿下はわざわざ心配して来てくださったんだぞ?」
「だめだ。これはルシアンが『私のため』に命を削って作ったものだ。一欠片たりとも他人の胃袋には入れん」
「命削ってないから! ……申し訳ありません殿下、これよかったら!」
俺は旦那様の腕の拘束を強引にすり抜け、マントの隙間から味見皿を突き出して、揚げたての一つを殿下へ差し出した。
オルドリンが「あッ!?」と声を上げたが、もう遅い。
パクッ。
殿下は優雅な動作で唐揚げを口に含んだ。
カリッ、サクッ。
小気味良い音が厨房に響く。
殿下の動きが止まった。
「…………」
「いかがですか、殿下?」
俺が恐る恐る尋ねると、殿下はゆっくりと目を見開き、それから感嘆の吐息を漏らした。
「……素晴らしい!」
王族らしい品位を保ちつつも、その碧眼は興奮に揺れている。
「なんだこの弾力は。噛むたびに深海の濃厚な旨味が溢れ出してくる……。衣のスパイスが魔力の残滓を完璧に調和させ、芸術的なコクへと昇華させているとは。これが呪物だって? とんでもない、これは『祝福』の味だよ」
「ですよね!? 美味しいですよね!?」
「ああ。こんな至高の逸品を独占しようとしていたとは……クライス伯、君はなんと欲張りな男なんだ」
殿下は呆れたように、でもどこか楽しそうにオルドリンを見た。
旦那様は「チッ」と舌打ちし、さらに俺を強く抱きしめて顔を隠そうとしている。
「何と言われようと、ルシアンの手料理は私だけの特権です」
「だが、このままでは惜しいな」
殿下はナプキンで口元を拭うと、真剣な眼差しで俺たちに向き直った。
「ルシアン君。この味があれば、街の不名誉な誤解など一発で霧散するだろう。……どうだい? ここで一つ、王家主催の晩餐会を開いてみては」
「晩餐会、ですか?」
「ああ。私が音頭を取って『南洋の珍味を味わう会』を開催しよう。会場は王宮の庭園がいい。最高の楽団と酒を用意して、君たちの『戦利品』を披露するんだ。そうすれば、噂も消えるし君の料理の腕も賞賛される。悪い話じゃないだろう?」
なるほど。
確かに、俺たちがいくら口で説明しても、「呪い」の噂は消えないかもしれない。
王宮の庭園でのガーデンパーティーなら、誤解している人達も安心して来てくれるだろう。
俺たちがバカンスで獲ってきた獲物を、みんなでワイワイ囲むなんて楽しそうじゃないか。
「いいですね! 是非やりましょう殿下! 王宮でイカパーティー!」
「ふふ、やはり気が合うねルシアン君。では早速――」
俺と殿下が顔を見合わせて笑い合った、その時だった。
「…………嫌だ」
背後から、低く、湿っぽい声が聞こえた。
同時に、厨房の気温がスッと下がる。
え? と振り返る間もなく、腰に回された腕がギリリと食い込む。
「オルドリン?」
「……なんでそんなに楽しそうなんだ」
「へ?」
「なんで私を置いて、アレクセイ殿下と意気投合しているんだ。……二人の波長が合っているのが気に入らない」
見上げると、オルドリンは唇を尖らせ、捨てられた子犬のような瞳で俺を睨んでいた。
「それに、誤解を解くためとはいえ、アレクセイ殿下の力を借りたくない。君を輝かせる舞台を用意するのは、夫である私の役目だ……」
「いや、でも王宮でパーティーなら皆安心だろうし……」
「ッ! ルシアンは殿下の肩を持つのか!」
オルドリンは俺の肩に額を押し付け、グリグリと擦り付けてきた。
「ずるい……。そのイカを仕留めたのは私だぞ。足を切断したのも私だ。なのに、美味しいところだけ殿下が持っていくなんて……」
「もー、分かった、分かったから!」
めんどくさい! けど、可愛いんだよな。
俺はマントの中で身じろぎして、背後にいる旦那様の頭をよしよしと撫でた。
「別に殿下の肩を持ってるわけじゃないって。俺にとっての一番はアンタだよ。あのクラーケンを倒してくれたアンタが世界一かっこいい。それは変わらないから」
「…………ほんとうか?」
「ああ。だから拗ねんなって。な?」
俺が優しく諭すと、オルドリンはチラリと殿下の方を見た。
殿下は「おやおや、当てられるねぇ」と余裕の笑みを浮かべている。
その余裕が、オルドリンの対抗心に火をつけたらしい。
旦那様はバッと顔を上げ、冷然と言い放った。
「……アレクセイ殿下。あなたの提案はお断りします」
「おや、ルシアン君は乗り気だったようだが?」
「王宮の庭園など狭苦しい。それに、王家の予算などたかが知れているでしょう」
オルドリンは眼鏡をクイと押し上げ、フンと鼻を鳴らす。
そこにはもう、嫉妬にむくれる乙女はおらず、絶対強者の「氷の伯爵」が君臨していた。
「私の妻が振る舞う料理です。『そこそこ』のパーティーでは釣り合いません」
「……ほう?」
「私が主催します。クライス家の財力と威信をかけ、王宮の宴が霞むほどの、史上最高に豪華絢爛なパーティーを企画してみせましょう」
おお、なんか話がでかくなってきた。
「殿下が用意できる楽団の倍の奏者を呼びます。酒は王室御用達以上のヴィンテージを開ける。装飾も、演出も、すべて私が最高級のものを用意する。――ルシアンが『すごい』と言うのは、私の力に対してだけがいい」
最後の一言、こっち向いて言ったね。
ドヤ顔がすごい。
殿下は一瞬きょとんとした後、嬉しそうに肩をすくめた。
「完敗だね。愛の力と財力には勝てないよ。……いいだろう、私は一ゲストとして参加させてもらうよ」
「招待状が届くのをお待ちください。……もっとも、席があるかは分かりませんが」
「ははは、手厳しいな!」
こうして、嫉妬と対抗心に火がついた旦那様の一声で、『南洋の珍味を味わう会(通称イカパーティー)』の開催が決定した。
だが。
数日後、招待状(差出人:クライス伯爵 )を受け取った貴族たちが、
「つ、ついに伯爵が動き出した……!」
「『史上最高に豪華なパーティー(意訳:最後の大虐殺)』だって……!?」
「断れば凍らされる……行けば呪いの肉を食わされる……これは死の晩餐会だ……!」
と、さらに震え上がり、遺書をしたためて参加することになるのを、今の俺たちはまだ知らなかった。
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