【8話完結】勇者の「便利な恋人」を辞めます。~世界を救うより、自分の幸せを守ることにしました~

キノア9g

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第4話:あなたはもう、特別じゃない

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 隣国『聖域(サンクチュアリ)』の王都に辿り着いた時、ガウルたちの疲労は限界を超えていた。

「くっさ……! なんなのこの馬車、獣の臭いがする!」
「仕方ねえだろ、金が尽きたんだから。野営よりマシだと思えよ」

 安物の乗り合い馬車から降りた瞬間、リリアとカイが口論を始める。
 ガウルは二人を怒鳴りつける気力もなく、ただ重い足を引きずって地面に降り立った。
 かつて輝いていた白銀の鎧は赤錆と泥にまみれ、誇らしげになびいていた金髪は脂ぎって額に張り付いている。
 対照的に、目の前に広がる『聖域』の王都は、憎らしいほどに美しかった。
 道路は塵一つなく清掃され、街路灯には魔力灯が煌々と輝いている。行き交う人々も皆、清潔で洗練された身なりをしていた。

 すれ違う市民たちが、ガウルたちを見て露骨に鼻をつまみ、道を避けていく。

「なんだあれ、野盗か?」
「汚いわねえ……衛兵を呼んだほうがいいんじゃない?」

 ひそひそ話が耳に刺さる。
 ガウルは拳を握りしめた。
 俺は勇者だ。世界を救う英雄だぞ。
 それもこれも、全てエリアスのせいだ。あいつが管理を放棄したせいで、俺たちはこんな屈辱を味わっている。

「……ギルドの情報だと、エリアスはこの街の魔導騎士団に潜り込んだらしいぞ」

 ガウルは歪んだ笑みを浮かべた。
 
「へっ、騎士団だと? 笑わせるな。あいつの貧弱な魔力で務まるわけねえだろ。どうせ下っ端の雑用係でこき使われて、泣いてるに決まってる」

 そうだ。きっと今頃、厳しい規律と労働に耐えかねて、ガウルたちとの「自由で楽しい冒険の日々」を懐かしんでいるはずだ。
 迎えに行ってやれば、泣いて足元に縋り付いてくるだろう。
 そうしたら、たっぷりと焦らしてから、許してやればいい。

 ガウルは自身の優越感を回復させることで、みじめな現実から目を背けていた。

               
 ◇◇◇

 王都の中心広場に差し掛かった時だった。
 大勢の人だかりができている。黄色い歓声と、畏敬の念に満ちたどよめきが聞こえてきた。

「見ろ! 新しく就任された師団長様だ!」
「キャーッ! エリアス様ー! こっち向いてー!」
「シグルド公爵が見出した『千の魔術』の使い手だろ? 噂じゃ、結界の強度が以前の三倍になったとか……」

 耳慣れた名前に、ガウルの足が止まった。
 エリアス? 師団長?
 人違いだろ、と鼻で笑おうとした瞬間、人混みの向こうから一隊の騎士たちが現れた。

 先頭を歩くのは、黒馬に跨った一人の魔導師。
 
「――は?」

 ガウルの思考が停止した。
 そこにいたのは、間違いなくエリアスだった。
 だが、ガウルの知るエリアスではなかった。

 冒険者時代の地味なローブではない。
 彼が身に纏っているのは、純白の生地に金糸の刺繍が施された、儀礼用の軍服だ。
 襟元は高く詰まっていて禁欲的だが、その分、仕立ての良い生地が身体のライン――引き締まった腰や長い脚を優雅に強調している。
 肩には、高位の指揮官であることを示す紺碧のマント。
 風に揺れる髪はサラサラと絹のように輝き、肌は陶器のように白く滑らかだ。

「うそ……あれ、エリアスさん?」

 リリアが呆然と呟いた。
 彼女の知るエリアスは、いつも荷物を背負い、汗をかいて走り回り、どこか疲れた顔をした地味な男だった。
 だが、今の彼はどうだ。
 まるで物語の中から抜け出してきた王子のような……いや、王族そのもののような気品を漂わせている。

「おい、冗談だろ……」

 ガウルは乾いた笑い声を漏らした。
 なんだ、あの格好は。
 俺の隣にいた時は、あんな顔をしたことなんてなかったぞ。
 涼しげで、自信に満ちていて、そして何より――圧倒的に「美しい」。

 その時、馬上のエリアスがふと視線を巡らせ、沿道の市民に優雅に微笑みかけた。
 ドッ、と歓声が上がる。
 ガウルの腹の底から、形容しがたい熱い塊がせり上がってきた。
 それは嫉妬であり、怒りであり、そして独占欲だった。
 俺のものだ。あいつは俺の所有物だ。なんで俺以外の奴らに愛想を振りまいているんだ。

「おい! エリアス!!」

 ガウルは人混みを掻き分けて叫んだ。
 周囲の市民が「なんだ?」と振り返る。
 汚い格好の男が大声を上げていることに、人々は眉をひそめたが、ガウルは構わず最前列へ躍り出た。

「エリアス! 俺だ、ガウルだ! 迎えに来てやったぞ!!」

 ガウルの大声は、広場の喧騒を切り裂いて響き渡った。
 馬上のエリアスが、ピクリと反応する。
 ゆっくりと、その視線がガウルに向けられた。

 目が合った。
 ガウルはニヤリと笑った。
 気づいたか。驚いただろう。まさか勇者である俺が、わざわざこんな他国まで来てやったんだ。
 さあ、馬から降りて駆け寄ってこい。
 泣いて謝れば、頭くらい撫でてやる。

 しかし。
 エリアスは馬を降りなかった。
 それどころか、眉一つ動かさず、表情をスッと消したのだ。
 まるで、道端の石ころを見るような目で。

「……進め」

 エリアスは短く部下に命じ、視線を正面に戻してしまった。

「は……?」

 ガウルは呆気にとられた。
 無視?
 今、目が合ったよな?
 
「おい待てよ! 無視すんな!」

 カッとなったガウルは、制止線を越えてパレードの列に飛び出そうとした。

「貴様! 無礼だぞ!」

 ガキィン!
 即座に、二人の重装騎士がガウルの前に立ちはだかり、槍を交差させて進路を阻んだ。

「どけ! 俺はその人の知り合いだ! 勇者ガウルだぞ!」
「勇者? 戯言を。どこの浮浪者だ」
「なんだと!?」

 騒ぎが大きくなり、行進が止まる。
 市民たちの冷ややかな視線が突き刺さる。「勇者だって?」「あの汚いのが?」「頭がおかしいんじゃないか」という嘲笑が聞こえる。
 屈辱で顔を真っ赤にしたガウルが、剣の柄に手をかけた時。

「――控えなさい」

 凛とした声が響いた。
 騎士たちがサッと道を空ける。
 馬から降りたエリアスが、静かに歩み寄ってきた。
 
 近い。
 数メートル先に立つエリアスからは、高級な香油の香りが漂ってくる。
 汗と泥の臭いがする自分とは、生物としての格が違うようだった。

「エリアス……!」

 ガウルは表情を崩した。
 なんだ、やっぱり来てくれたんじゃないか。
 騎士たちが邪魔をしたから近づけなかっただけだ。

「まったく、人騒がせな奴だな。そんな大袈裟な格好しやがって」

 ガウルは馴れ馴れしく歩み寄ろうとした。
 いつものように肩を組み、「帰るぞ」と言うつもりだった。

 だが、エリアスの冷徹な声がそれを遮った。

「どなたかと思えば、ガウル様ではありませんか。……正規の手順は、取っておられますか?」

 ガウルの足が止まった。
 ……正規の手順?

「は? 何言ってんだよ。俺だぞ? 手順なんか要るわけねえだろ」
「ここは軍の管理区域であり、私は公務中です。如何なる方であっても、正規の手続きなき面会はお断りしております」

 エリアスの口調は、完璧な敬語だった。
 しかし、そこには感情が一片も乗っていなかった。
 怒りすらも、ない。
 ただ、窓口の事務官が、厄介な相手を処理する時のような、無機質な響き。

「おい、ふざけんなよ……他人のフリしてんじゃねえぞ」

 ガウルの声が震えた。焦りが滲み出る。

「俺は、お前を迎えに来てやったんだ! パーティーに戻してやるって言ってるんだぞ! 違約金なんて払わなくていい、今すぐ戻れば許してやる!」

 精一杯の譲歩のつもりだった。
 しかし、エリアスは小さく溜息をついた。
 その瞳には、哀れみすら浮かんでいた。

「お引き取りください、勇者様。今の私には、あなたと遊んでいる暇はありません」
「遊んでる……だと?」
「ええ。あなたは冒険者ごっこがお好きでしょうが、私はこの国の安全を預かる身です。あなたのお守りをする時間は、もう終わったのです」

 お守り。
 その言葉が、ガウルのプライドを深々と抉った。
 俺を、子供扱いしたのか?
 最強の勇者であるこの俺を?

「……俺がいなきゃ、お前は何の価値もねえ道具係だろうが!」

 ガウルは激情に任せて叫んだ。
 広場が静まり返る。
 言ってはいけない言葉だった。だが、認めたくなかったのだ。自分がエリアスを必要としている以上に、エリアスが自分を必要としていないという事実を。

 エリアスは、ふっ、と冷ややかに微笑んだ。

「ええ。私はただの道具係でした。あなたの元では」

 彼はガウルを見下ろすように背筋を伸ばした。

「ですが、ここでは違います」

 エリアスは言葉を切り、周囲を見渡した。
 彼の背後には、整然と並ぶ騎士たち。沿道には、彼を慕う市民たちの熱い眼差し。
 それらが全てを物語っていた。

「今の私には、守るべきものと、敬ってくれる人々がいます。あなたの『付属品』に戻るつもりなど、毛頭ありません」

 言い切ると、エリアスは踵を返した。
 マントが翻り、ガウルの視界から彼の顔が消える。

「待て! エリアス!」
「連れて行け」

 エリアスの短い指示で、衛兵たちがガウルを取り押さえた。

「離せ! 俺は勇者だぞ! そいつの、そいつの恋人なんだぞ!!」

 ガウルは喚いた。
 だが、エリアスは一度も振り返らなかった。
 かつて、ガウルがどれだけ無茶を言っても、必ず背中を守ってくれた男は、もういない。
 遠ざかっていく純白の背中は、ガウルには手が届かないほど高く、遠い場所にいってしまったのだ。

「……うそだろ」

 地面に組み伏せられ、泥の味を噛み締めながら、ガウルは呆然と呟いた。
 
 拒絶された。
 完全に。
 しかも、怒って感情をぶつけることさえされず、ただ「不要なもの」として処理された。

 その事実は、ガウルがこれまでの人生で味わったどの敗北よりも、深く、冷たく、心臓を握り潰されるような痛みをもたらした。
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