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第11章
223話
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傍観者side
北に向かって歩を進めていたユリウスとゾフィーは、ようやく彼らから日常を奪ったウーレア山の麓までたどり着いていた。
太陽はすでに地平線の向こうへと沈みかけ、辺りにはゆっくりと闇が這い寄ってくる。
「そろそろ休もうか。」
ユリウスの言葉にゾフィーは静かに頷いた。
かつてはよく喋っていたゾフィーだったが、父の死を境にその口数は目に見えて減っていき、今では「うん」としか返さなくなっていた。
ふたりは岩陰に見つけた小さな窪みに身を潜める。
夜は進化した彼らが肉を求めて動き出す時間だ。太陽が昇るまで、ジッと息を殺してやり過ごすしかない。
「ウーレア山を越えれば、何とかなるかもしれない。あと少しの辛抱だよ。」
そう言って、ユリウスは隣にいるゾフィーの手をそっと握り、笑いかけた。
「…うん。」
生気のない顔で小さく答えたゾフィーは、そのまま身体を横たえた。
ユリウスはそんな妹を見守りながら、慎重に周囲の気配を探る。
あの夜ーー異形の獣たちに囲まれたあの悪夢の夜から、ユリウスの警戒心はよりいっそう研ぎ澄まされていた。
今のところ、進化した者たちの気配は感じられない。
父を失って以来、脅威から逃れるため、ふたりは休息を削って距離を稼ぎ続けていた。
その疲労の蓄積が祟り、この日の夜、ユリウスの眠りはいつになく深く沈んでいた。
❖❖❖❖❖
ーーードンッ!
薄暗い早朝。
深い眠りに潜っていたユリウスは、その音に飛び起きた。
「ーーっ!?」
それは、まるで何かが地面に叩きつけられたような重い音だった。
警報のように、全身を激しい動機が駆け巡る。
まさか、追い付かれたのか。
背中に、一筋の冷たい汗がつぅーっと伝う。
息を殺して周囲の気配を探るが、何も感じられない。
力を持つ彼らは、ユリウスたちのように身を隠す必要が無い。故に、近くに居ればすぐに気配を察知することができたのだ。
では今の音は一体ーー
「ゾフィー、起きろ。」
嫌な予感がした。ここは危険だ。すぐに離れなけらばーー
そう思い、ユリウスは隣に手を伸ばす。
だがーーー
「ゾフィー…?」
そこに居るはずのゾフィーの姿が、どこにもいなかった。
ぞっとするような冷気が頭のてっぺんから背筋を伝って駆け下がる。
「ど、どこだ、ゾフィー…。どこに居るんだ…?」
震える声で名を呼びながら、ユリウスは地面に手をつく。そこはまだほんのりと温かい。
つい先ほどまで、ゾフィーがここで寝ていた証だ。
ユリウスは弾かれたように身を起こし、岩の窪みから飛び出した。
ゾフィーの名前を叫ぼうとしたーーその時だった。
あっけないほどあっさりと、ゾフィーは見つかった。
だが、ユリウスの口から安堵の息が漏れることはなかった。
彼がいた岩陰のすぐそばで、ゾフィーが仰向けに倒れていたからだ。
「……ゾフィー?」
最初に覚えたのは違和感だった。
次の瞬間、それが確信へと変わる。
彼女の後頭部からは、赤黒い液体が地面へと広がり、小さな水たまりのようになっていた。
「ゾフィー!!」
絶叫と共にほとんど這うようにして駆け寄り、ユリウスはゾフィーの身体を抱き起こした。
名前を何度も呼び、身体を揺さぶる。
だが、ゾフィーの身体はぐったりしてピクリとも動かない。
体温はある。
けれど、呼吸がない。
鼓動も…感じられない。
ゾフィーは、すでに命を失っていた。
「…うそだろ…」
頭の中が真っ白になる。現実感が薄れ、足元が崩れ落ちていくような感覚。
ユリウスは思った。これは夢なのではないかと。
だがゾフィーの身体から徐々に体温が失われていく生々しい感覚が、ユリウスにこれが現実であることを冷酷に告げていた。
まさか、奴らにやられたのか?
その憶測をユリウスはすぐに否定した。
もし進化した彼らに襲われたなら、ゾフィーの身体は喰われているはずだからだ。
彼女の身体にその痕跡はない。
では、いったい何がーー?
その時、ユリウスの目が、ゾフィーの左腕に走る細い傷跡を捉えた。
ただの傷ではない。
それは明らかに、意志を持って刻まれた線だった。
血で濡れた腕をそっと拭う。
すると、石か何かで削りつけるようにして刻まれた文字が浮かび上がった。
その文字を目で追ったユリウスは息を吞む。
ーーーごめんなさい
私は兄さんみたいに強くなれない
「あ…あぁ…」
夜明け前。ユリウスが深く眠っていたその隙に、ゾフィーは窪みから抜け出し、近くの岩へ登ったのだろう。
そして、そのまま、背中から落ち、後頭部を岩に打ち付けーーーその場で命を落とした。
「…どうして…」
ユリウスはゾフィーの小さな身体を胸に抱き締める。
血のにおいが、鼻腔に焼きつく。
腕は、ゾフィーの血で真っ赤に染まる。
「僕は……強くなんてないよ…」
声が震え、言葉にならない嗚咽が喉から溢れ出す。
気弱なユリウスがここまで来れたのはゾフィーが居たからだ。
守るべき存在が居たからこそ、ユリウスはこの地獄に耐えることができたのだ。
「ゾフィー…頼むから、僕をひとりにしないでくれ…」
ユリウスのの言葉に、ゾフィーは答えない。
かつての日常なら『仕方がないなぁ、兄さんは。私が居ないとダメダメなんだから。』と笑いながら言ってくれていただろう。
しかし。
ゾフィーはもう、何も答えてはくれない。
ユリウスの嗚咽だけが、岩壁に反響して、虚しく夜明けの空へと溶けていった。
北に向かって歩を進めていたユリウスとゾフィーは、ようやく彼らから日常を奪ったウーレア山の麓までたどり着いていた。
太陽はすでに地平線の向こうへと沈みかけ、辺りにはゆっくりと闇が這い寄ってくる。
「そろそろ休もうか。」
ユリウスの言葉にゾフィーは静かに頷いた。
かつてはよく喋っていたゾフィーだったが、父の死を境にその口数は目に見えて減っていき、今では「うん」としか返さなくなっていた。
ふたりは岩陰に見つけた小さな窪みに身を潜める。
夜は進化した彼らが肉を求めて動き出す時間だ。太陽が昇るまで、ジッと息を殺してやり過ごすしかない。
「ウーレア山を越えれば、何とかなるかもしれない。あと少しの辛抱だよ。」
そう言って、ユリウスは隣にいるゾフィーの手をそっと握り、笑いかけた。
「…うん。」
生気のない顔で小さく答えたゾフィーは、そのまま身体を横たえた。
ユリウスはそんな妹を見守りながら、慎重に周囲の気配を探る。
あの夜ーー異形の獣たちに囲まれたあの悪夢の夜から、ユリウスの警戒心はよりいっそう研ぎ澄まされていた。
今のところ、進化した者たちの気配は感じられない。
父を失って以来、脅威から逃れるため、ふたりは休息を削って距離を稼ぎ続けていた。
その疲労の蓄積が祟り、この日の夜、ユリウスの眠りはいつになく深く沈んでいた。
❖❖❖❖❖
ーーードンッ!
薄暗い早朝。
深い眠りに潜っていたユリウスは、その音に飛び起きた。
「ーーっ!?」
それは、まるで何かが地面に叩きつけられたような重い音だった。
警報のように、全身を激しい動機が駆け巡る。
まさか、追い付かれたのか。
背中に、一筋の冷たい汗がつぅーっと伝う。
息を殺して周囲の気配を探るが、何も感じられない。
力を持つ彼らは、ユリウスたちのように身を隠す必要が無い。故に、近くに居ればすぐに気配を察知することができたのだ。
では今の音は一体ーー
「ゾフィー、起きろ。」
嫌な予感がした。ここは危険だ。すぐに離れなけらばーー
そう思い、ユリウスは隣に手を伸ばす。
だがーーー
「ゾフィー…?」
そこに居るはずのゾフィーの姿が、どこにもいなかった。
ぞっとするような冷気が頭のてっぺんから背筋を伝って駆け下がる。
「ど、どこだ、ゾフィー…。どこに居るんだ…?」
震える声で名を呼びながら、ユリウスは地面に手をつく。そこはまだほんのりと温かい。
つい先ほどまで、ゾフィーがここで寝ていた証だ。
ユリウスは弾かれたように身を起こし、岩の窪みから飛び出した。
ゾフィーの名前を叫ぼうとしたーーその時だった。
あっけないほどあっさりと、ゾフィーは見つかった。
だが、ユリウスの口から安堵の息が漏れることはなかった。
彼がいた岩陰のすぐそばで、ゾフィーが仰向けに倒れていたからだ。
「……ゾフィー?」
最初に覚えたのは違和感だった。
次の瞬間、それが確信へと変わる。
彼女の後頭部からは、赤黒い液体が地面へと広がり、小さな水たまりのようになっていた。
「ゾフィー!!」
絶叫と共にほとんど這うようにして駆け寄り、ユリウスはゾフィーの身体を抱き起こした。
名前を何度も呼び、身体を揺さぶる。
だが、ゾフィーの身体はぐったりしてピクリとも動かない。
体温はある。
けれど、呼吸がない。
鼓動も…感じられない。
ゾフィーは、すでに命を失っていた。
「…うそだろ…」
頭の中が真っ白になる。現実感が薄れ、足元が崩れ落ちていくような感覚。
ユリウスは思った。これは夢なのではないかと。
だがゾフィーの身体から徐々に体温が失われていく生々しい感覚が、ユリウスにこれが現実であることを冷酷に告げていた。
まさか、奴らにやられたのか?
その憶測をユリウスはすぐに否定した。
もし進化した彼らに襲われたなら、ゾフィーの身体は喰われているはずだからだ。
彼女の身体にその痕跡はない。
では、いったい何がーー?
その時、ユリウスの目が、ゾフィーの左腕に走る細い傷跡を捉えた。
ただの傷ではない。
それは明らかに、意志を持って刻まれた線だった。
血で濡れた腕をそっと拭う。
すると、石か何かで削りつけるようにして刻まれた文字が浮かび上がった。
その文字を目で追ったユリウスは息を吞む。
ーーーごめんなさい
私は兄さんみたいに強くなれない
「あ…あぁ…」
夜明け前。ユリウスが深く眠っていたその隙に、ゾフィーは窪みから抜け出し、近くの岩へ登ったのだろう。
そして、そのまま、背中から落ち、後頭部を岩に打ち付けーーーその場で命を落とした。
「…どうして…」
ユリウスはゾフィーの小さな身体を胸に抱き締める。
血のにおいが、鼻腔に焼きつく。
腕は、ゾフィーの血で真っ赤に染まる。
「僕は……強くなんてないよ…」
声が震え、言葉にならない嗚咽が喉から溢れ出す。
気弱なユリウスがここまで来れたのはゾフィーが居たからだ。
守るべき存在が居たからこそ、ユリウスはこの地獄に耐えることができたのだ。
「ゾフィー…頼むから、僕をひとりにしないでくれ…」
ユリウスのの言葉に、ゾフィーは答えない。
かつての日常なら『仕方がないなぁ、兄さんは。私が居ないとダメダメなんだから。』と笑いながら言ってくれていただろう。
しかし。
ゾフィーはもう、何も答えてはくれない。
ユリウスの嗚咽だけが、岩壁に反響して、虚しく夜明けの空へと溶けていった。
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