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第11章
222話
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ユリウスの背中を、冷たい汗が一筋伝った。
心臓が爆発しそうなほど、激しく脈打っている。
誰かがわずかにでも動けば――その瞬間、獣たちが襲いかかってくる。
耳に入るのは、獣の鼻息と、己の鼓動だけ。
ほんの微かな音さえ、死を呼ぶ。
ユリウスは必死に頭を回転させて、状況を打破する術を探った。
歩けないヤーコプを背負い、全員でここから逃げるのは不可能。
ならば、この獣たちの包囲を突破する方法は、たった一つ。
「……ユリウス。俺を囮にして逃げろ。」
背後から聞こえたヤーコプの囁き声に、ユリウスは息を呑んだ。
「お前のことだ。どうせ、自分が囮になるつもりだったんだろ?」
図星だった。
ユリウスは自分が囮となって獣の注意を引きつけ、その間に家族とヤーコプを逃がすつもりだった。
ユリウスには自信があった。自分なら撒けると。だが、ヤーコプでは――
「お前…死ぬつもりか?」
かすかに震える声で問いかけると、傍らの父とゾフィーが息を呑んだ。
「俺はもう長くない。どうせ死ぬなら、お前たち家族を守って死にたい。」
ヤーコプは勝ち気な笑みを浮かべて言った。
「俺は、お前たちを守るために生まれてきた。そう思わせてくれ、ユリウス。」
「馬鹿な真似はやめろ。僕なら全員助けられ―――」
「役立たずのまま死にたくねぇんだよ!!」
叫ぶようなその声の直後だった。
ユリウスの視界が、唐突に宙を舞った。
己の身体が、さっきまで自分を取り囲んでいた獣たちの頭上を飛んでいる。
景色が、妙にゆっくりと流れる。
その中で――獣に飛びかかられようとしているヤーコプと目が合った。
立てるはずのないはずの彼が、しっかりと両足で地を踏みしめていた。
ヤーコプはユリウスに向かってニヤリと笑う。
その瞬間、ユリウスはようやく理解した。
何処にそんな力があったのだろうか。
ヤーコプは、自らの身体を犠牲にして、ユリウスを獣の輪から投げ飛ばしたのだ。
「ーーうぐっ!!」
岩の地面に背を強く打ちつけられ、ユリウスは苦痛に顔をしかめながらも、即座に上体を起こした。
「受け止めろ!! ユリウス!!」
ヤーコプの怒鳴り声が響く。
その声にハッと顔を上げたユリウスの視界に飛び込んできたのは、父とゾフィーの姿だった。
咄嗟に両腕を広げ、頭上から降ってきた大切な家族をしっかりと抱きとめる。
「ヤーコプ!!」
ユリウスは親友の名を叫んだ。
だが、ヤーコプの姿はもう見えなかった。
唯一見えたのは、獣の群れの中から突き出された一本の腕。
その親指が、力強く天に向かって立てられていた。
「家族を守れ!! ユリウス!!」
ヤーコプの魂の叫びに、ユリウスの脳裏には瓦礫の下敷きとなった母の姿が過ぎった。
ヤーコプを助けなければ。
ユリウスが腰を浮かせた、その直後。
一頭の獣が、ユリウスたちに気づいた。
ぎらつく双眸が、ゾフィーに狙いを定める。
ユリウスは思い出す。
かつての仲間の、悪趣味な笑い声を。
『若い女の肉が一番旨い。』
考えるより先に、身体が動いていた。
父を背負い、ゾフィーの手を掴む。
そして、走る。
全力で、北へ――。
獣の咆哮が背後に響く。
ユリウスは振り返らない。
振り返れなかった。
「ごめん……ヤーコプ!! ごめん……!!」
ユリウスはまだあの日のお礼をヤーコプに言えていなかった。
火の海から救ってくれてありがとう。
君に辛い決断をさせてしまってごめん。
何故、もっと早く伝えなかったのか。
なぜ、なぜ……
涙が頬を伝う。
だが、止まれない。止まってはいけない。
ユリウスは、親友を犠牲にして、家族を守る道を選んだのだ。
❖❖❖❖❖
死んだ大地にも、変わらず太陽は昇り、そして沈んでいく。
ユリウスは、いつからかその回数を数えるのをやめていた。
だから、あの噴火からどれだけの時が流れたのか。
ヤーコプがいなくなって、いくつの夜を超えたのか。
それすらも分からない。
まるで、終わりの見えない絶望という名の檻の中に閉じ込められているようだった。
またひとつ、太陽が昇る。
何度目かも分からないその朝。
ユリウスが目を覚ますと、その傍らで父の身体が冷たくなっていた。
最後まで決して人間の肉を口にしなかった父は、静かに、餓えに命を奪われていたのだ。
「父さん…」
昨夜、父は静かに言っていた。
――すまん、お前たちを守れずに。
――神様は、乗り越えられない試練は与えないはずだ。
――どうか、希望を持って生きてくれ。
その言葉を最後に、父は母のもとへと旅立った。
ユリウスとゾフィーは、言葉もなく涙を流した。
母、ヤーコプに続き、今度は父までもが――。
神様の試練はいつになれば終わりが来るのだろうか。
そもそも試練は何をもって終わりとなるのだろうか。
「…このまま岩の上じゃ、父さんが可哀想だわ。」
その言葉に、ユリウスは静かに頷いた。
けれど――
どこを見ても、荒れ果てた岩地が広がるばかり。
墓標も、土も、祈るための静かな場所さえも、この死んだ大地には存在しなかった。
ならば。
彼らにできる唯一の供養は――
「…僕たちで、父さんを食べよう。」
ユリウスの口から絞り出された言葉に、ゾフィーは息を呑んだ。
「……正気なの?」
「正気だよ。父さんが言ってただろ?」
死期を悟っていた父は、前に何度か話していたのだ。
――もしものときは、私の肉を食べなさい。
――お前たちが生き延びるためなら、それでいい。
「……言ってたわ。でも、そんなの……」
ゾフィーの声が震える。
ユリウスは、そっとその手を取った。
「分かってる。でも、このままじゃ…父さんはアイツらに喰われてしまう。」
その言葉に、ゾフィーの肩がピクリと震えた。
「それは……それだけは、絶対に嫌……」
「僕も同じ気持ちだよ。父さんを、そんな形で失いたくない。」
ユリウスの脳裏に浮かぶのは、異形の獣たち群れから突き出たヤーコプの腕。
ユリウスは大きく息を吸い込み、そして吐いた。
胸の奥で何かが軋む音がしたが、聞こえないふりをする。
「…食べよう。」
ユリウスが再び言うと、沈黙がふたりの間をゆっくりと流れる。
やがて、ゾフィーは震える唇をきつく噛みしめながら、小さく頷いた。
彼女の頬を伝う涙が、乾いた岩に吸い込まれていく。
この大地は命でけでなく、涙さえも貪欲に奪っていくのか。
そう思いながらユリウスはは静かに拳を握り、涙を湛えながら天を仰いだ。
灰色の空。
かつての青を失った天に向かって、ユリウスは心の中で祈った。
どうか神様。
罪も罰も試練も、僕にだけ与えてください。
妹は十分に苦しみました。
妹を救って下さい。
僕の全てを貴方に捧げますから。
だからーーどうか、どうか…
僕の宝物を、この地獄から解放してください。
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