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第11章
216話
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籠いっぱいに詰めた林檎を、二人はトラックの荷台へと慎重に積み込んでいった。
ユリウスが最後の籠を荷台に載せ終えたその時、ヤーコプがふと呟いた。
「……北の動きが、最近どうも怪しい。」
「またその話か。」
ユリウスは苦笑しながら、額の汗を袖でぬぐった。
「どうせ何も起きやしないよ。北と南がにらみ合って、もう百年以上だろ?ただ牽制し合ってるだけさ。」
「……だといいけどな。」
ヤーコプの視線は、林檎の木々の向こう、島で一番大きいウーレア山の稜線に向けられていた。 その山の向こうにあるのが、北の領土。すなわち敵国だ。
「大丈夫だよ、ヤーコプ。今までもそうだったように、今回も心配して損だったって笑い話になるさ。」
そう口では言いながらも、ユリウスの脳裏には、あの煙を吐き続ける工場群の光景がよぎっていた。
近くの町では、かつての森が次々と切り拓かれ、代わりに無機質な建物が並んでいた。 経済は好調。兵器開発も加速している。
その一角にある軍需工場で、ヤーコプは“工場長”として日々多忙な毎日を送っていた。
「最近、俺のところで戦車まで作り始めたぞ。」
ヤーコプは唇を片方だけ持ち上げて、皮肉めいた笑みを浮かべた。
「戦車か……。しがない農家の僕には、縁のない乗り物だな。」
ユリウスは笑いながらそう言って、愛用のトラックを指でコンッと鳴らす。その笑いにはどこか乾いた響きがあった。
「……同じ人間なのに、どうしていがみ合うんだろう。」
少しの沈黙のあと、ユリウスはポツリと呟いた。
北と南。
瞳の色も、肌の色も、髪の色も、言葉すらも、ほとんど変わらない。
金色の髪に、白い肌、翡翠の瞳――。
「それが人間ってもんだよ。欲しいものがあったら、手に入れないと気が済まない。」
肩をすくめて言ったヤーコプの言葉に、ユリウスは視線を伏せ、小さく首を振った。
「……そうかな。僕には、ただ適当な理由をつくって、互いに都合のいい距離を保ってるようにしか見えない。」
ヤーコプは、ふっと短く息を吐いた。
「でもよ……そのおかげで、俺たちは飯を食えてる。皮肉な話だけどな。」
そして、ヤーコプはトラックの荷台を軽く叩いた。
「……さあ、市場に行こうぜ。みんな、丘の上の林檎を待っている。」
ユリウスは小さく笑い、運転席のドアを開けた。
…ん?なんだ、虫の子。
……。あぁ、なるほど。トラックや戦車が分からないのか。
そうだな…。
この時代に魔法はまだ存在していない。その代わり、今よりも文明が進んでいたんだ。
…ははは、分からないよな。
生まれた時から当たり前のように魔法がある世界で育った君には。
まぁ、あれだ。魔力や馬がなくとも自動で動く便利な乗り物と思ってくれていればいい。
さて、話を戻そうか。
ユリウスが運転するトラックは山道を抜け、町へと下りていった。 町の入口には開拓中の木材が積まれ、重機が動き回っている。 工場の煙突から上がる灰色の煙が空を覆い、風の通り道さえ灰に染めていた。
ユリウスは鼻を擦る。ユリウスは微かに匂う鉄と油の工場の匂いが少し苦手だった。
人工的な曇天の下、活気に満ちた市場は多くの人々で賑わっていた。
果実や肉、野菜、日用品などが並び、店先では次々と品物が取引されていく。
ユリウスは町の人々から「丘の上のリンゴ屋さん」と親しみを込めて呼ばれていた。
彼の育てた林檎は評判がよく、この日も持ち込んだ籠はすべて売り切れた。
受け取った報酬は金貨と紙幣が数枚――決して多くはないが、汗と時間を重ねた努力の結晶だった。
その帰り道、ユリウスは一部の報酬を使って、妹への贈り物を買った。
店先で見つけたのは、水色と白のリボンがついた可憐な髪飾り。
水色は妹が好きな色で、リボンの端には小さな青い鳥が刺繍されていた。
「気にってくれとるといいんだけど……」
ラッピングされた袋を胸に抱えながら、ユリウスは少し不安げに呟いた。
そんな彼の背中を、ヤーコプがバシッと力強く叩く。
「心配するな!きっと喜ぶさ!」
ニカッと笑うヤーコプ。その無邪気な笑顔に、ユリウスも小さく笑みを浮かべた。
「ありがとう、ヤーコプ。」
ユリウスは最後まで仕事を手伝ってくれた愛する友人を自宅まで送り届け、夕暮れの中、再びトラックを丘の上へと走らせた。
朝方、ヤーコプとともに林檎を収穫した果樹園の向こうに、木とレンガでできた小さな家が見えてくる――それが、ユリウスの家だ。
玄関の扉を開けると、香ばしいスープの匂いが鼻先をくすぐった。 母が台所から顔を出し、笑って迎える。 父は古びた椅子に座り、新聞を片手に穏やかな顔で頷いた。
お喋りで料理上手の母に、寡黙で博識な父。ユリウスはそんな両親を心から尊敬していた。
「おかえり、ユリウス。」
「ただいま。」
「兄さん!おかえりなさい!」
台所から飛び出してきたのは、妹のゾフィーだった。
嬉しそうな笑顔を見せて駆け寄る彼女に、ユリウスも自然と顔をほころばせる。
「ただいま、ゾフィー」
ユリウスは、そっとポケットから髪飾りが入った袋を取り出し、照れ臭そうに彼女に手渡した。
「これ、…結婚祝いに…」
綺麗にラッピングされた小さな袋を手にしたゾフィーは、目を丸くした。
「えっ……いいの?開けてもいい?」
「いいけど、あんまり期待するなよ。ほんと大したものじゃないから…」
丁寧な手つきで包装を解いたゾフィーは、中身を見た瞬間、翡翠色の瞳をぱっと輝かせた。
「これ、すごく綺麗!結婚式の時につけるわ!」
「えぇ!?やめてくれよ。もっといいやつがあるだろ。」
「あら、兄さん。私ぐらい美人だとなんでも着こなせるのよ。」
えっへんと胸を張る妹。彼女は村でも評判の美人で気が強く、やや気の弱いユリウスはいつも圧倒されていた。
そんな兄妹のやりとりを聞いていた母が鍋を抱えて台所からやってきた。
「あら、素敵な髪飾りじゃない。それなら今仕立てているウエディングドレスとも合うわ。」
母の言葉に、ゾフィーは勝ち誇ったように兄へと笑いかける。
ユリウスは肩をすくめて、ため息混じりにつぶやいた。
「勝手にしろ。」
「勝手にするわ。ありがとう、兄さん。」
昔から変わらない兄妹のやりとりに、両親も目を細め、静かに笑みを交わした。
こうして、穏やかな日々は流れ、林檎の収穫もひと段落し――ゾフィーの結婚式の日が刻々と近づいてきた。
小さな集落での結婚式は、家族だけでなく村中が総出で準備に取りかかった。
母は早朝から仕立て屋に通い、ゾフィーのウェディングドレスの最終仕上げに立ち会った。
白いレースで縁取られたそのドレスは、少し背筋を伸ばしたゾフィーに驚くほどよく似合っていた。
「ユリウスをいじめてた餓鬼大将に、殴り込みをかけて泣かせてたお転婆娘が、こんな立派になって……!」
大人の女性へと歩み始めた娘の姿に、母はハンカチでそっと目元を押さえた。
父はというと、親族への挨拶や、式の進行確認に奔走していた。
村の広場に設けられた簡素ながらも温かみのある式場――その設営にも自ら加わり、テーブルを並べ、椅子を整え、用意された旗や花飾りのチェックにも余念がなかった。
村の人々も祝いの席に喜んで協力し、広場には花の香りと笑い声が満ちていた。
子どもたちは風船を追いかけ、大人たちは祝いの歌の練習を口ずさみながら手を動かしていた。
ユリウスもまた、兄としての役目を果たそうと、できる限りのことをした。
朝早くからトラックを走らせて花屋へ向かい、装飾用の花束を運び込む。
ユリウスの拙い依頼で花屋の娘が選んでくれたのは、山で採れた野草と野花を組み合わせた素朴な花束。
ゾフィーらしい飾らない美しさがあった。
夜はヤーコプの前で祝辞の練習。
「もっと声を張れ!」「笑え、笑え!怖いぞ!」「ロボットか!」などと言われながら、何度も言葉を噛みしめて繰り返した。
不器用でも、真心が伝わればそれでいいと信じていた。
当のゾフィーはというと、結婚式が近づいているにもかかわらず落ち着いた様子で、むしろ兄の身だしなみにまで口を出してきた。
「兄さん、髪ちゃんと整えておきなさいよ。ちゃんとすれば私に似て、案外かっこいいんだから。」
「私に似てじゃない。お前が僕に似ているんだ。」
「あはは!」
慌ただしくも充実した準備の日々は、あっという間に過ぎ去っていき、気づけば、結婚式の前夜となっていた。
母が腕によりをかけた料理が並び、父は特別に用意していたワインの栓を抜いた。
お互いグラスを傾ける手つきはぎこちなく、それだけで、今日という日がいかに特別かが伝わってくる。
ゾフィーは照れくさそうにしながらも、終始笑顔を絶やさなかった。
幸せそうなその表情に、ユリウスは胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じた。
言葉にすることはなかったが、ユリウスにとってゾフィーは宝物のような存在だった。
今よりもずっと気の弱かった少年時代。
村の子どもたちにからかわれていたユリウスをかばい、「兄さんを虐めないで!」と相手の顎に頭突きを喰らわせた頼もしすぎる妹。
ゾフィーはどんな時でもユリウスの味方だった。
そんな妹が明日からこの家を出て、新しい家庭を築いていく。
その事実に、寂しさがなかったと言えば嘘になる。
けれど、兄として精一杯、祝福してやりたい、ユリウスは心から思った。
そして──
村中が待ちに待った、結婚式の日が訪れた。
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