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第11章
217話
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結婚式当日。
空は抜けるように青く澄みわたり、陽光は白い花々をやさしく照らしていた。
村中が笑いに包まれ、祝福の鐘が高らかに鳴り響く。
その音は青空に吸い込まれ、やがて遠くの山々へとこだましていった。
幸せそうな花嫁と花婿のもとには、参列者たちの歓声とともに花が投げられる。
ひらひらと舞い落ちる花びらは、まるで二人の門出を祝う祝福の精のようだった。
「……あのお転婆娘が結婚か…。時の流れを感じるな。」
ユリウスの隣で拍手を送りながら、ヤーコプがしみじみとつぶやく。
「本当だね」と相槌を打ちながら、ユリウスの脳裏には幼い頃の妹の姿が蘇っていた。
気が強くて喧嘩っ早く、いつも服を泥だらけにしていたゾフィー。
そんな彼女が今、純白のドレスを身にまとい、最愛の人に向かって穏やかに微笑んでいる。
そして、美しく結い上げられた髪には、ユリウスが贈った髪飾りが添えられていた。
少し気恥ずかしくもあるが、同時に、ユリウスの胸の奥からは誇らしさがこみあがっていた。
「だがしかし──村で一番の美人の心を射止めたのが、村で一番泣き虫だったティムとはな。いまだに信じられんよ。」
花婿のティムは、かつては泣き虫の坊やだった。
体も小さく、よく同年代の子どもたちにからかわれ、泣いてばかりいた。
そんな彼が恋したのは、誰にでも分け隔てなく優しいゾフィーだった。
ティムは幼い頃から何度もゾフィーに告白しては、「自分より弱い男には興味ないの」と言われ、毎回あっさりと振られていた。
だが、ティムは諦めなかった。
「強くなってゾフィーを守りたい。」
そう言って、周囲の反対を押し切り、町に降りたティムは軍に志願した。
過酷な訓練に耐え、やがて彼の体は見違えるほど逞しくなり、心も強くなった。
泣き虫坊やだったティムは変わった。
だがゾフィーへの一途な想いだけは変わらなかった。
大人なっても諦めず、何度も告白し続けるティムの姿に、頑なだったゾフィーの心も少しずつ揺らぎ始めた。
そして、半年前──彼女はついに首を縦に振ったのだ。
長年の片想いが実ったその瞬間を、ユリウスはその目で見届けた。
何度も自宅に足を運び、真剣に妹に想いを伝え続けたティム。
そのひたむきな姿を思い出しながら、ユリウスは少しだけ寂しさを感じつつも、心から祝福の拍手を送っていた。
いま、ティムとゾフィーは肩を並べて立っていた。
ティムの手はしっかりとゾフィーの手を握り、その目には誇りと感謝、そして深い愛情が宿っていた。
ゾフィーは、まるで春の日差しのように穏やかな笑顔を浮かべ、時折ティムを見上げながらうれしそうに微笑んでいる。
互いに見つめ合うその瞳には、不安も迷いもなく、未来だけが映っていた。
舞い落ちる花びらが風に乗って二人を包み込む。
祝福の鐘が再び鳴り響いた。
そして、村の誰もがこう思った──これほどに似合いのふたりはいない、と。
「妹に先越されちゃったな。お兄ちゃん。」
ニヤリと笑ったヤーコプが、肘でユリウスの脇腹をつつく。
「うるさいな。そういうお前はどうなんだよ?」
「俺? 俺はまあ……」
言いながら、ヤーコプは少し照れくさそうに鼻の下を指で擦る。
その仕草を見たユリウスは、まるで雷に打たれたかのように目を見開いた。
「嘘だろ、お前。親友の僕に何も告げずに……」
「まだそんなんじゃねーよ。ただ、ちょっと気になってる子がいるってだけで……」
語尾を濁しながら目をそらすヤーコプに、今度はユリウスがニヤリと笑い返した。
「……今度、詳しく聞かせろよ。親友。」
そう言いながら、今度はユリウスがヤーコプを肘で軽く突いた。
そんな二人のふざけ合いをよそに、会場が静まり返る。
厳かに、神父の祝福に満ちた声が広場に響き渡った。
「それでは──誓いのキスを。」
参列者たちが息をのむ中、ティムとゾフィーがゆっくりと顔を見合わせる。
ゾフィーがやさしく微笑むと、ティムの頬がほんのり赤く染まった。
それでも彼は一歩前へと進み、しっかりとゾフィーの両手を握りしめる。
「ずっと……この日を夢見てたよ。」
その小さな呟きに、ゾフィーは少しだけ驚いたように目を見開いたが、すぐに瞳を細め、穏やかに頷いた。
春のようにあたたかな風が、二人の間をやさしくすり抜けていく。
ティムがそっとゾフィーに顔を寄せる。
ゾフィーは目を閉じ、そっと唇を差し出すと、二人の唇が重なった。
その瞬間、どこからともなく拍手が湧き起こり、花びらが舞った。
鐘の音が再び空に響き渡り、まるで空までもが、二人の愛を祝福しているかのようだった。
ずっとこらえていたのだろう。ユリウスの両親の涙腺が、とうとう決壊した。 それにつられるように、ユリウスの目にも熱いものが滲み始めた、その時―――
山の奥深くで、何かがわずかに蠢いた。 誰の耳にも届かぬほどの小さな振動。 誰の目にも映らぬほど淡い煙。
そして次の瞬間――空が、鳴った。
最初は、誰もがそれを祝福の鐘の余韻か、誰かの歓声の続きだと思った。 だが、すぐに空気が震え、地面が低く唸りを上げ始める。
「……な、なんだ……?」
参列者たちが不安そうに顔を見合わせる中、空を引き裂くような轟音が広場を揺るがした。 振り返れば、島の中央にそびえる“ウーレア山”が。 島で最も大きく、古くから「眠れる神の山」と呼ばれてきたその火山の頂から、黒煙が立ち上っていた。
「……噴火だ!」
誰かの叫びと同時に、地鳴りが一層強まる。 さっきまで晴れ渡っていた空が一変し、火口から吹き上がる灰と煙が太陽を覆い隠していく。 やがて、空からは細かな灰が降り始めた。
「ゾフィー! ティム!」
ハッと我に返ったユリウスが、声を張り上げる。 花嫁衣装のまま呆然と立ち尽くすゾフィーを、ティムがしっかりと抱き寄せた。 その場にいた誰もが、ようやく異変の深刻さに気づき始めていた。
「みんな、落ち着け! 避難だ!」
ヤーコプの声が広場に響く。 地面が揺れるたびに、建物の屋根から瓦が落ち、噴火の轟音が人々の鼓膜を打ちつける。
「避難って、どこに逃げればいいのよ!?」
誰かが叫ぶ。 災害もなく、長く平和だったこの村には、緊急時の避難場所など決められていなかった。 戦争の影が近づいていると言われながらも、「どうせ何も起きやしない」と笑って過ごしてきたのだ。
「海だ! とにかく海へ急げ! 子どもと年寄りを先に!」
ユリウスとヤーコプが先頭に立って、人々を誘導し始める。 ついさっきまで祝福に満ちていた広場は、恐怖と混乱に塗り替えられ、舞い落ちていた花びらは、灰へと変わっていった。
「ユリウスさん! ゾフィーを頼みます!」
ティムは、軍人として町へ向かう決意を口にする。 火山の麓にある町では、すでに混乱が始まっているはずだ。 ゾフィーは必死に彼を引き止めようとするが、ティムの瞳は一点の迷いもなく静かだった。
「落ち着いたら……結婚式を、やり直そう。」 「──絶対よ。」
ティムは敬礼し、頼もしげに微笑んだ。 誰よりも引き留めたかったはずのゾフィーは、軍人の妻として、その背を凛と見送った。
「気をつけろよ、ティム。危なかったら、すぐに逃げろ。」
ユリウスの言葉に、ティムは力強く頷き、丘を駆け下りていった。
その背が見えなくなった瞬間、ゾフィーは顔を覆い、泣き崩れた。
「……行かないで……!」
「しっかりしろ、ゾフィー!」
ユリウスはゾフィーを、乱暴に抱き上げる。 そして再び火山を見上げたとき――火口から、真紅のマグマが噴き上がるのが見えた。
ひゅっと喉がなる。
「みんな急げ! マグマが迫ってくるぞ!!」
ユリウスの叫びが、再び広場を駆け抜ける。
群衆はパニックに陥りながらも、火山から遠ざかるように海岸を目指して走り出した。
その群れを、マグマは無慈悲に追いかける。
――それは、人間に失望した世界の意思だった。
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