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12話 娘
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駒沢シェフが目を丸くする。悠を引き剥がそうとするが背後からしっかり腰を抱かれてビクともしない。
「これはこれは……リーガルガーデンホテル専任シェフの駒沢と申します」
驚いた様子で手を差し出すと、悠がスッと握手を返した。駒沢シェフが不思議そうに私を見つめる。
そりゃそうだ。いくら合併したとはいえ、私と悠の組み合わせはどう考えても不自然だろう。
「実は今日から相模の秘書を勤めております」
話を広げると面倒だ。なるべく穏便に済ませようと、にこりと笑顔を浮かべる。
スーツの内ポケットから名刺を取り出して駒沢シェフに渡した。
「驚いたよ。君はてっきりハワイへ行くのだとばかり……」
「あはは……」
乾いた笑みを浮かべると、駒沢シェフは困惑するように黙り込んだ。
気まずい空気が流れる。この男のせいで行けなくなったとはとてもじゃないがこの場で言えない。
なんて答えようかと視線が泳いでいると、先に悠が口を開いた。
「海外赴任の前に秘書としてこの業界を間近に経験しておくのも大事かと」
「なるほど。そのようなお考えでしたか」
(え!?)
緊迫していた空気が一気に柔らかくなった。それと同時に、私は目を丸くして悠を見つめる。
「是非、朝倉さんと私で考えたメニューを相模社長にも召し上がっていただきたいですね」
「そ、そうですね」
「近いうちにお伺いします」
「では私はこれで」
遠ざかっていく駒沢シェフの背中を眺めながら、がっくりとうなだれる。
「ねえ、さっきの話なんだけど、いずれ向こうに行かせてくれるってこと?」
「さあ、どうだろうね?」
「ちょっと、そういう大事なことは先に話を――」
「相模社長、ご無沙汰しております」
するとまた他の招待客が悠に声をかける。
「これはこれは……加賀美社長、ご無沙汰しております」
――もう! 大事な話だったのに!
焦る気持ちを抑えて深呼吸する。これは仕事だ。秘書としてしっかり挨拶しなければと頭を切り替える。
「おや、社長もとうとう美人秘書をお付きに?」
「朝倉と申します。よろしくお願い致します」
すかさず名刺を取り出して微笑みかけると、相手は不思議そうに首をかしげる。
「君……どこかで会ったことないかな」
「へ?」
いきなりなにを言い出すのだ。もしかしてまた有澤ロイヤルの取引先だったのではないかと頭の記憶を辿っていく。
だが思い出せない。相手は社長。そんな人を思い出せないなんてありえないのだが、先ほどの件もある。
「加賀美社長、きっと他の美人と勘違いされてるんですよ」
すると悠が助け舟を出してくれた。ほっと息をついたのも束の間、相手は渋い表情をしたままじっと私を見つめる。
「もしかして、"前原"君の愛娘さんじゃないか?」
嬉々として放たれたその台詞に、私の背筋が一気に凍りついた。
「いえ、別人かと……」
そう絞り出すのが精一杯だった。冷や汗が止まらない。
「君が小さい頃会ったことがあるはずなんだけどな。ほら、君達家族がハワイ旅行へ行く時に」
「人違いですよ。彼女はハワイどころか海外にさえ行ったことありませんから」
「え? そうなの?」
「そうだよね、朝倉」
「はい……」
悠の言葉にこくこくと頷く。
話が頭に入ってこない。何も言えずただ俯くことしかできなかった。
加賀美と呼ばれた人は悠と軽く話したあと、会釈してまた別の誰かの元へと向かって言った。
「あの人って……」
「VIRA株式会社の社長だよ」
VIRA――大手旅行会社だ。世間とは狭い、まさかこんなところでそんな重役と会うことになるとは思いもしなかった。 幼い頃だったせいか私には記憶はなかったが、あの人の言ったことはおそらく事実なのだろう。
ふと昔の記憶が蘇る。その瞬間、どこか意識が遠くなって周囲の喧騒がなにも聞こえなくなった。
白い光の中で見慣れた影が振り向いた。顔はない、だがそのシルエットだけで誰かは分かってしまう。
ふと手を伸ばす。だがその手は届かず、そのまま――。
(なにを今更……!)
ハッと我に返って顔をあげた。
いけない、仕事中だった。ほんの一瞬のことだったが、慌てて悠に視線を向ける。
すると悠は少し驚いたように目を見開いた後、またいつもの笑みを浮かべた。
「お腹減ったでしょ? 美味しいものでも食べようよ」
気遣っているのはすぐに分かった。悠に心の奥底を覗かれてしまったようでふいに視線を逸らす。
恥ずかしい。仮にも秘書という立場で雇い主に迷惑をかけてしまっている。
けれど、どこかその言葉に救われてふと呼吸が軽くなった。
⇔
相模リゾート 社長室
千秋を退勤させたあと、社長室は今日はじめての静寂に包まれていた。
「なぜ社長が彼女を採用したのか分かりました」
「ん?」
書類整理をしながら珍しく嬉々とした様子で笹桐が呟いた。
「彼女がVIRAの重役、前原孝様の愛娘だったからですね」
軽い口調で紡がれたその言葉に、悠は眉間にしわを寄せる。
「しかし、苗字が――」
「笹桐」
聞いたこともないぐらい低い声に、静まり返った部屋は一気に緊張感に包まれた。
「それ、ちーちゃんの前では絶対に言うなよ」
さっきまでニコニコと笑っていた姿とは想像もつかない表情で、悠が笹桐を睨みつけた。
笹桐がごくりと唾を吞む。ぞくりと背筋が震えあがって、深々と頭を下げた。
(あの女は一体なんなんだ……)
「これはこれは……リーガルガーデンホテル専任シェフの駒沢と申します」
驚いた様子で手を差し出すと、悠がスッと握手を返した。駒沢シェフが不思議そうに私を見つめる。
そりゃそうだ。いくら合併したとはいえ、私と悠の組み合わせはどう考えても不自然だろう。
「実は今日から相模の秘書を勤めております」
話を広げると面倒だ。なるべく穏便に済ませようと、にこりと笑顔を浮かべる。
スーツの内ポケットから名刺を取り出して駒沢シェフに渡した。
「驚いたよ。君はてっきりハワイへ行くのだとばかり……」
「あはは……」
乾いた笑みを浮かべると、駒沢シェフは困惑するように黙り込んだ。
気まずい空気が流れる。この男のせいで行けなくなったとはとてもじゃないがこの場で言えない。
なんて答えようかと視線が泳いでいると、先に悠が口を開いた。
「海外赴任の前に秘書としてこの業界を間近に経験しておくのも大事かと」
「なるほど。そのようなお考えでしたか」
(え!?)
緊迫していた空気が一気に柔らかくなった。それと同時に、私は目を丸くして悠を見つめる。
「是非、朝倉さんと私で考えたメニューを相模社長にも召し上がっていただきたいですね」
「そ、そうですね」
「近いうちにお伺いします」
「では私はこれで」
遠ざかっていく駒沢シェフの背中を眺めながら、がっくりとうなだれる。
「ねえ、さっきの話なんだけど、いずれ向こうに行かせてくれるってこと?」
「さあ、どうだろうね?」
「ちょっと、そういう大事なことは先に話を――」
「相模社長、ご無沙汰しております」
するとまた他の招待客が悠に声をかける。
「これはこれは……加賀美社長、ご無沙汰しております」
――もう! 大事な話だったのに!
焦る気持ちを抑えて深呼吸する。これは仕事だ。秘書としてしっかり挨拶しなければと頭を切り替える。
「おや、社長もとうとう美人秘書をお付きに?」
「朝倉と申します。よろしくお願い致します」
すかさず名刺を取り出して微笑みかけると、相手は不思議そうに首をかしげる。
「君……どこかで会ったことないかな」
「へ?」
いきなりなにを言い出すのだ。もしかしてまた有澤ロイヤルの取引先だったのではないかと頭の記憶を辿っていく。
だが思い出せない。相手は社長。そんな人を思い出せないなんてありえないのだが、先ほどの件もある。
「加賀美社長、きっと他の美人と勘違いされてるんですよ」
すると悠が助け舟を出してくれた。ほっと息をついたのも束の間、相手は渋い表情をしたままじっと私を見つめる。
「もしかして、"前原"君の愛娘さんじゃないか?」
嬉々として放たれたその台詞に、私の背筋が一気に凍りついた。
「いえ、別人かと……」
そう絞り出すのが精一杯だった。冷や汗が止まらない。
「君が小さい頃会ったことがあるはずなんだけどな。ほら、君達家族がハワイ旅行へ行く時に」
「人違いですよ。彼女はハワイどころか海外にさえ行ったことありませんから」
「え? そうなの?」
「そうだよね、朝倉」
「はい……」
悠の言葉にこくこくと頷く。
話が頭に入ってこない。何も言えずただ俯くことしかできなかった。
加賀美と呼ばれた人は悠と軽く話したあと、会釈してまた別の誰かの元へと向かって言った。
「あの人って……」
「VIRA株式会社の社長だよ」
VIRA――大手旅行会社だ。世間とは狭い、まさかこんなところでそんな重役と会うことになるとは思いもしなかった。 幼い頃だったせいか私には記憶はなかったが、あの人の言ったことはおそらく事実なのだろう。
ふと昔の記憶が蘇る。その瞬間、どこか意識が遠くなって周囲の喧騒がなにも聞こえなくなった。
白い光の中で見慣れた影が振り向いた。顔はない、だがそのシルエットだけで誰かは分かってしまう。
ふと手を伸ばす。だがその手は届かず、そのまま――。
(なにを今更……!)
ハッと我に返って顔をあげた。
いけない、仕事中だった。ほんの一瞬のことだったが、慌てて悠に視線を向ける。
すると悠は少し驚いたように目を見開いた後、またいつもの笑みを浮かべた。
「お腹減ったでしょ? 美味しいものでも食べようよ」
気遣っているのはすぐに分かった。悠に心の奥底を覗かれてしまったようでふいに視線を逸らす。
恥ずかしい。仮にも秘書という立場で雇い主に迷惑をかけてしまっている。
けれど、どこかその言葉に救われてふと呼吸が軽くなった。
⇔
相模リゾート 社長室
千秋を退勤させたあと、社長室は今日はじめての静寂に包まれていた。
「なぜ社長が彼女を採用したのか分かりました」
「ん?」
書類整理をしながら珍しく嬉々とした様子で笹桐が呟いた。
「彼女がVIRAの重役、前原孝様の愛娘だったからですね」
軽い口調で紡がれたその言葉に、悠は眉間にしわを寄せる。
「しかし、苗字が――」
「笹桐」
聞いたこともないぐらい低い声に、静まり返った部屋は一気に緊張感に包まれた。
「それ、ちーちゃんの前では絶対に言うなよ」
さっきまでニコニコと笑っていた姿とは想像もつかない表情で、悠が笹桐を睨みつけた。
笹桐がごくりと唾を吞む。ぞくりと背筋が震えあがって、深々と頭を下げた。
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