年下幼馴染から逃げられない

南ひかり

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13話 連絡

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 薄暗い闇が、心を覆った。
 どれだけ逃げようとしてもそれはいつまでも纏わりついて離れなくて。
 この地獄から解放される日は永遠に来ないのだろうと、頭の片隅から消えてなくならない。
 さざ波の音が聞こえる。遠い空には見渡す限りの青空が広がって、鳥が羽ばたいていく。
 ――ああ。早く逃げないと。
 あの楽園へ。あのオアシスへ。
 そうすればきっと、全て終わるはずだから。
 だから私は――。


「っ――」
 薄っすらと瞼が開く。気付けば目尻に涙が滲んでいて、静かに頬を伝った。
(嫌な夢を見ていた気がする……)
 どんな夢だったか思い出せない。けれどあの”光景”で思い浮かぶ夢はただひとつだ。
(いつまで、引きずってるんだか)
 我ながら馬鹿馬鹿しい。振り切るようにベッドから抜け出してリビングへ向かう。
 設定したアラームより一時間も早い。本当はまだ眠っていたかったけれど、また夢の続きを見てしまいそうで怖かった。
 冷蔵庫から牛乳を取り出してコップに注ぐ。そのまま目を覚ますようにぐいっと一気に飲み干してソファに腰掛けた。
 いつもはすぐにテレビをつけていたが、今日はつける気にならない。昨日の慌ただしい一日のせいだろうか、今はとにかく静かな場所で心を休めたかった。
 ――今日も仕事だ。行きたくない。
 こんなにも憂鬱な朝は久しぶりだ。それこそ仕事で大失敗した翌日のような朝だ。まあ、あながち間違ってはいないのだが。
 昨夜のパーティーのことを思い出すと自分の無能っぷりに嫌気がさす。そりゃ笹桐さんが自分に敵対心を抱くのも当然だ。
(でも私だって……)
 ここで働きたくて働いてるわけじゃない。いわばこれは強制なのだ。会社に裏切られ、取引の道具に使われた人質。
 かつての幼馴染に夢を絶たれ、働きたくもない場所で働かされられ、誰が真摯に打ち込めるというのだ。
 もうなにもかも滅茶苦茶だ。全部辞めてしまいたい。
 何を迷うことがある、とっとと辞めてハワイに行ってしまえ。周りなんて関係ない。行けばなんとかなる。

(……そう思えたら、どれだけ楽だろうか)

 結局、私は自分の弱さに負けた。ただそれだけだ。

(何もしなければ無難な人生を送ることはできる。けど、それ以上のものは何も得られない)

 人生はハイリスク、ハイリターン。
 だが一歩踏み出さなければ人生は始まらない。 
 中学の担任が卒業式に残した言葉だ。そんなことは誰でも分かっている。
 だが、分かっていたとしても踏み出せないものもある。
 複雑だ。なにもかも、複雑なのだ。
 何が複雑かなんて分からない。それがただ、自分の被害妄想だということも分かっている。
 踏み出せば、案外人生はなんとかなるということも。

(私は、何に囚われているのだろう……)

 どさりとソファに倒れ込むと、ちょうど携帯のアラームが鳴った。もうこんな時間かと思ってアラームを止める。
 すると昨日眠ってしまった後に、一件の通知が入っていた。

(嘘!?)
 
 思わず携帯が手から滑り落ちそうになり、慌てて内容を確認する。


『お疲れ。初日はどうだった?

 困ったことがあればいつでも言えよ』


 相手は斎賀さんだった。
 プライベートではあまり連絡を取ることはなったのに、心配して送ってきてくれたのだろう。
 一気に目が覚めてソファから飛びあがると、頭の中で返事を考える。

(ありがとうございます、頑張ります。だけじゃ失礼よね? うーん……)

 散々悩んで結局、

『ありがとうございます。なんとかやっていけそうです。
 
斎賀さんに教わったことを忘れず頑張ります』

と、なんともそっけない返事を送ってしまった。

(こ、これでよかったかな……? ちょっと冷たい?)

 するとすぐに既読がついた。

『おはよう朝倉。

それならよかったよ。

今週の土曜、空いてたら食事でもどうだ?

仕事の話を聞かせてくれ』


「へっ!?」


 まさかそんな返事が返ってくるとは思わず、その場で固まってしまう。
(土日休みでいいんだよね……?)
 特に予定もいれていない。それに万が一、仕事だったとしても夜なら食事ぐらい行けるだろう。
「せっかくだし……」
 出勤初日で心が折れかけていたのもあるだろう。なんとなく斎賀さんに会いたくて仕方なかった。
 私は大丈夫ですよ、と返すとすぐに返事が返ってきた。


『イタリアン好きだったよな。

 美味い店探しておくから、仕事頑張れよ』


 ふっと笑みが漏れる。さっきまでの憂鬱が嘘のようだ。
 ありがとうございます、楽しみにしていますと返した頃にはすでに家を出る時間ギリギリになっていて、
 私は急いで支度を整えた。

(土曜日、楽しみだな)







相模リゾート 社長室

「おはようございます」

 社長室に入ると、すでに笹桐さんの姿があった。しかし返事はなく、黙々と書類を整理している。
(負けるか)

「おはようございます」
「うるさい。聞こえている」

 返事は返ってきたが、こちらを気にする素振りもない。それどころか朝から不機嫌そうに眉をひそめて淡々と仕事をこなしていく。

「笹桐さん、私も手伝います」
「君に任せる仕事はない」
「それでもやります。これを営業部まで持って行けばいいんですよね」
「おい朝倉!」
「すぐに戻ります」

 営業部宛てに振り分けられたファイルを持って、にこりと微笑んだ。
 こんなところで言い争っている場合ではない。たとえ笹桐さんが自分のことをよく思っていなくても、昨日みたいな醜態は晒したくはないのだ。
 ――今は、できるだけのことをやるしかない。
 目の奥からせり上がってきそうな涙をぐっと堪えて、私は急ぎ足で営業部のあるフロアへと向かった。





「おはよう笹桐。ちーちゃんは?」
 千秋と入れ替わるように、ちょうど悠が社長室へと入ってきた。
 笹桐は手を止めて一礼すると、すぐに温かい珈琲を淹れる準備に取り掛かる。

「営業部に資料を届けに行きました」
「熱心だなあ。鞄も置き去りのままだし」

ソファにはチャックも開いたままの鞄が無造作に置き去りにされていた。
相川らずそそっかしいな、と悠がくすくすと笑う。バッグハンガーにかけておこうと思い鞄を持ち上げると、するりと中から携帯が滑り落ちてきた。

「おっと」

床に落ちる寸前で手を伸ばし、なんとか落下は回避する。
一応壊れていないか悠が画面を開くと、ちょうど携帯がブルブルと震えて一件の通知が表示された。


『じゃあ、また土曜日にな』

 液晶に表示された名前に悠の手が止まる。
 しばらしくじっと画面を見つめた後、ニヤリと意地の悪い笑みを浮かべて携帯を鞄に戻した。


「ふーん、土曜日ねえ……」
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