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19話 休息
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愕然とする私に、ソファでひらひらと手を振るこの男を、こんなにも憎たらしく見えたことはない。
「騙したのね……」
「立ちくらみがしたのは本当だよ」
悪びれる素振りもない様子で口元を持ち上げる。一体どこから演技だったのだろうか。もしかしてパーティーの時からすべて計算済みだってのではないかとさえ思えてくる。
(ここで取り乱したら思うツボだ)
怒りをぶつける前に、妙な冷静さが身について一呼吸置く。
「私、一人でも帰れますので」
嫌みったらしく敬語を交えて、愛想笑いを浮かべる。終電はとっくに終わっている。だがここは駅にほど近い場所。つまりタクシーがある。
「タクシーなら諦めた方がいいよ。この時間は駅前にも待機してないから」
「え!?」
見透かされている。確かにこの閑静な住宅街なら頻繁にタクシーが行き来していることも考えにくい。
「それに――」
悠が近づいて頬に手を伸ばした。
「ここまで来て、帰してあげるわけないでしょ?」
(この男はっ……!)
指先が触れる直前に交わして、一歩身を引く。
「お生憎様、別に女の子扱いされる年齢でもないしいざとなれば携帯で――」
ひらひらと悠が手をふる。何を持っているのかと思えば、その手には私のスマホが握られていた。
「残念だけど諦めて。社長命令」
至極楽しそうな笑みを浮かべる悠にぐっと拳を握りしめる。権力を振りかざされてしまえば打つ手なし、逃げ道なし。さすがに我が身ひとつでここから飛び出す度胸はない。
「この悪ガキ……」
思わず本音が漏れる。だが悠は気にする素振りも見せず、むしろ褒め言葉だと言ってぎゅっと抱きしめられる。
無理やり引きはがそうとするが、ビクともしない。
「離して」
思わずため息がでる。争うのもバカらしくなって降参すると悠の手はあっさり離れていった。
(なんなのよ、もう)
疲れてソファに腰掛ける。ふかふかのソファに横になったらすぐに眠気が襲ってきそうだ。
「あんた……本当にこの家に住んでるの?」
「そうだよ」
「生活感ゼロなんだけど」
「寝るだけの場所だしそんなものだよ」
悠が隣に腰を下ろすと、ソファが深く沈んだ。
(寝るだけの場所ねえ……)
確かに言葉通りの部屋だ。だがそれが異常で仕方がない。いくら忙しいとはいえ、趣味嗜好品のひとつもないこの部屋はあまりにも殺風景だ。
(昔はプラモデルとかも好きだったはずなんだけど)
よくクラスのガキ大将におもちゃを取られて泣いていたことを思い出す。その度に私が奪い返していたものだ。今にして思えば、自分もとんだガキ大将だったかもしれない。
(その悠が、今やこんなところに住んでるなんてねえ……)
ソファの先のガラス窓には、都内の夜景が広がっている。煌めくその景色は、眠らない不夜の街だ。
(綺麗だけど、どこか悲しい)
ひどく静かだった。さっきまであれほど騒がしかったにも関わらず悠が何も話しかけてこない。
それはそれで恐ろしい。バレないように横目で悠に視線を向ける。
(あ……)
寂しげな瞳だった。それはさっきまでとは別人で、どこか憂いを帯びていた。
わずかな隙間から垣間見える一瞬の刹那。その表情は、自分もよく知るものだった。
(この東京で、悠は何を失ったのだろう)
地方からたどり着いた者なら誰もが失うものがある。この交差する人混みの中で、忘れゆく感情がある。成功と引き替えに、失う過去がある。
「どうしたの、見惚れちゃった?」
視線に気づいた悠が、にこりと微笑んだ。そこに先ほどの瞳はない。
「馬鹿言わないで」
逃げるように顔を逸らす。すると少しの沈黙の後、悠がぐらりと体重を傾けて、膝に頭を乗せてきた。
「ちょっとだけ膝貸してくれる?」
声色に少し疲労が混ざっていた。やはり体調が悪いのは本当らしい。
甘えるように見上げるその姿は、捨てられた子犬のようだった。
(ったく、仕方ないなあ……)
なにも言わずにぽんぽんと頭を撫でる。強ばっていた緊張が解けたのか肩の力が抜けていくのが分かった。
「きもちいい……」
ふいに漏れる悠の言葉に手が泊まる。一瞬、鼓動が早くなった。
幼子をあやすように頭を撫でる。細い髪が手からこぼれ落ちる。茶色に染めても相変わらず綺麗な髪だ。心地よさに瞼を伏せて身体の力が抜けていくのが分かった。このまま寝させてあげるのもいいかもしれない。せめて掛け布団があればと寝室らしきドアに視線を向けるが、この状況では取りにいけない。
「悠、寝るならベッドの方がーー」
「やだ。このままがいい……」
身体を反転させて、ぎゅっと腰に腕がからみつく。
これは逃げきれないなと諦めてしばらくはこのままでいるしかない。
撫でる手を止めると催促するように、もぞもぞと身体を動かす。苦笑して再び手を動かすと、またまどろみに沈んでいく。
(……可愛いかもしれない)
立場が変わったとはいえ、年下は年下。
あの頃では考えられないことだけれど、こういうのも悪くない。
「ちーちゃん……」
「ん? なに?」
穏やかな寝息が聞こえる。どうやら寝言だったらしい。一体どんな夢を見ているのかと思ったが、緩んだ口元を見ればなんでも良くなった。
これは朝まで起きないだろうなと覚悟しながら、ほっと安心して息を吐き出したときだった。
「好きだよ……ちーちゃん……」
ぼそりとか細い声で紡がれた言葉に、ほんの一瞬、息が止まった。
胸の内に自分でも分からない、塊のようなものが渦巻いて離れない。
もしも。
もしも本気で同じことを言われてしまえば、私はなんて答えるのだろう。
悠の気持ちを知った上で誤魔化そうとする私は、なんてひどい女なのだろう。
答えが見つからない。
恋愛なんて二度とするつもりなんてないのだ。
自分の人生さえ満足に進んでいないのに、そこにもう一人加わるなんて考えられない。ましてはその人が自分の人生の中心になってしまうなど持っての他だ。
悠だからじゃない、悠じゃなくても同じだ。
なのにーー。
(……一人で生きていくって、決めたはずなのに)
ここにきて、自分が分からなくなる。
何が正しくて何が間違っているのか。
全部自分で選択してきたはずなのに、不安になる夜がある。
変化が恐ろしくてたまらない。自分が信じてきたものが変わってしまうのが。
だから私は――。
(もう誰にも、振り回されたくないのよ)
たとえそれが、大切な幼馴染みであったとしても――。
「騙したのね……」
「立ちくらみがしたのは本当だよ」
悪びれる素振りもない様子で口元を持ち上げる。一体どこから演技だったのだろうか。もしかしてパーティーの時からすべて計算済みだってのではないかとさえ思えてくる。
(ここで取り乱したら思うツボだ)
怒りをぶつける前に、妙な冷静さが身について一呼吸置く。
「私、一人でも帰れますので」
嫌みったらしく敬語を交えて、愛想笑いを浮かべる。終電はとっくに終わっている。だがここは駅にほど近い場所。つまりタクシーがある。
「タクシーなら諦めた方がいいよ。この時間は駅前にも待機してないから」
「え!?」
見透かされている。確かにこの閑静な住宅街なら頻繁にタクシーが行き来していることも考えにくい。
「それに――」
悠が近づいて頬に手を伸ばした。
「ここまで来て、帰してあげるわけないでしょ?」
(この男はっ……!)
指先が触れる直前に交わして、一歩身を引く。
「お生憎様、別に女の子扱いされる年齢でもないしいざとなれば携帯で――」
ひらひらと悠が手をふる。何を持っているのかと思えば、その手には私のスマホが握られていた。
「残念だけど諦めて。社長命令」
至極楽しそうな笑みを浮かべる悠にぐっと拳を握りしめる。権力を振りかざされてしまえば打つ手なし、逃げ道なし。さすがに我が身ひとつでここから飛び出す度胸はない。
「この悪ガキ……」
思わず本音が漏れる。だが悠は気にする素振りも見せず、むしろ褒め言葉だと言ってぎゅっと抱きしめられる。
無理やり引きはがそうとするが、ビクともしない。
「離して」
思わずため息がでる。争うのもバカらしくなって降参すると悠の手はあっさり離れていった。
(なんなのよ、もう)
疲れてソファに腰掛ける。ふかふかのソファに横になったらすぐに眠気が襲ってきそうだ。
「あんた……本当にこの家に住んでるの?」
「そうだよ」
「生活感ゼロなんだけど」
「寝るだけの場所だしそんなものだよ」
悠が隣に腰を下ろすと、ソファが深く沈んだ。
(寝るだけの場所ねえ……)
確かに言葉通りの部屋だ。だがそれが異常で仕方がない。いくら忙しいとはいえ、趣味嗜好品のひとつもないこの部屋はあまりにも殺風景だ。
(昔はプラモデルとかも好きだったはずなんだけど)
よくクラスのガキ大将におもちゃを取られて泣いていたことを思い出す。その度に私が奪い返していたものだ。今にして思えば、自分もとんだガキ大将だったかもしれない。
(その悠が、今やこんなところに住んでるなんてねえ……)
ソファの先のガラス窓には、都内の夜景が広がっている。煌めくその景色は、眠らない不夜の街だ。
(綺麗だけど、どこか悲しい)
ひどく静かだった。さっきまであれほど騒がしかったにも関わらず悠が何も話しかけてこない。
それはそれで恐ろしい。バレないように横目で悠に視線を向ける。
(あ……)
寂しげな瞳だった。それはさっきまでとは別人で、どこか憂いを帯びていた。
わずかな隙間から垣間見える一瞬の刹那。その表情は、自分もよく知るものだった。
(この東京で、悠は何を失ったのだろう)
地方からたどり着いた者なら誰もが失うものがある。この交差する人混みの中で、忘れゆく感情がある。成功と引き替えに、失う過去がある。
「どうしたの、見惚れちゃった?」
視線に気づいた悠が、にこりと微笑んだ。そこに先ほどの瞳はない。
「馬鹿言わないで」
逃げるように顔を逸らす。すると少しの沈黙の後、悠がぐらりと体重を傾けて、膝に頭を乗せてきた。
「ちょっとだけ膝貸してくれる?」
声色に少し疲労が混ざっていた。やはり体調が悪いのは本当らしい。
甘えるように見上げるその姿は、捨てられた子犬のようだった。
(ったく、仕方ないなあ……)
なにも言わずにぽんぽんと頭を撫でる。強ばっていた緊張が解けたのか肩の力が抜けていくのが分かった。
「きもちいい……」
ふいに漏れる悠の言葉に手が泊まる。一瞬、鼓動が早くなった。
幼子をあやすように頭を撫でる。細い髪が手からこぼれ落ちる。茶色に染めても相変わらず綺麗な髪だ。心地よさに瞼を伏せて身体の力が抜けていくのが分かった。このまま寝させてあげるのもいいかもしれない。せめて掛け布団があればと寝室らしきドアに視線を向けるが、この状況では取りにいけない。
「悠、寝るならベッドの方がーー」
「やだ。このままがいい……」
身体を反転させて、ぎゅっと腰に腕がからみつく。
これは逃げきれないなと諦めてしばらくはこのままでいるしかない。
撫でる手を止めると催促するように、もぞもぞと身体を動かす。苦笑して再び手を動かすと、またまどろみに沈んでいく。
(……可愛いかもしれない)
立場が変わったとはいえ、年下は年下。
あの頃では考えられないことだけれど、こういうのも悪くない。
「ちーちゃん……」
「ん? なに?」
穏やかな寝息が聞こえる。どうやら寝言だったらしい。一体どんな夢を見ているのかと思ったが、緩んだ口元を見ればなんでも良くなった。
これは朝まで起きないだろうなと覚悟しながら、ほっと安心して息を吐き出したときだった。
「好きだよ……ちーちゃん……」
ぼそりとか細い声で紡がれた言葉に、ほんの一瞬、息が止まった。
胸の内に自分でも分からない、塊のようなものが渦巻いて離れない。
もしも。
もしも本気で同じことを言われてしまえば、私はなんて答えるのだろう。
悠の気持ちを知った上で誤魔化そうとする私は、なんてひどい女なのだろう。
答えが見つからない。
恋愛なんて二度とするつもりなんてないのだ。
自分の人生さえ満足に進んでいないのに、そこにもう一人加わるなんて考えられない。ましてはその人が自分の人生の中心になってしまうなど持っての他だ。
悠だからじゃない、悠じゃなくても同じだ。
なのにーー。
(……一人で生きていくって、決めたはずなのに)
ここにきて、自分が分からなくなる。
何が正しくて何が間違っているのか。
全部自分で選択してきたはずなのに、不安になる夜がある。
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