年下幼馴染から逃げられない

南ひかり

文字の大きさ
23 / 27

23話 二人の朝

しおりを挟む
「俺の恋人になってほしい」


「斎賀さん……?」

 吸い込まれてしまいそうな瞳に魅入られ、呼吸が止まった。
 思考が停止するとはこういうことを言うのだ。さきほどの比ではないほど頭が混乱し、目を見開くことしかできない。

「朝倉」

 硬直する私の頬に手が伸びて、びくっと震える。
 斎賀さんは一瞬躊躇したあと、壊れ物に触れるようにそっと優しく頬に触れた。

「ま、俺の気持ちには気づいてないと思ってたよ」

 苦笑する斎賀さんに、私はなんて返せばいいの分からない。
 そりゃあ周りの女性社員に比べて気にかけてもらっている自覚はあったが、それは同じ部署だからだと思いこんでいた。

「すみません……」
「謝らなくていい。俺も、今日言うつもりじゃなかったんだけどな」

 そうだ。電車さえ止まっていなければ、私が斎賀さんの自宅に泊まることすらなかったのだ。
 急速に動き始める時間にまだ頭が追いつかない。

「でも、今しかないと思った」

 ふっと口元に柔らかい笑みを浮かべて、ぽんぽんと頭を撫でられる。
 触れたところが熱い。見たこともない表情なのに、それでも彼は私のよく知る斎賀さんだ。

「その、本当なんですか……ハワイに異動って……」
「ああ。希望を出したからな」
「希望? どうして斎賀さんが?」

 斎賀さんから海外希望の話なんて聞いたことがない。むしろこのまま昇進を続け、本社の中でもさらに上の役職を目指せる人だ。

「お前を連れて行ってやりたかった」

 その一言に、なぜか胸が酷く痛んだ。

「仕事として連れて行ってやれないのは心苦しいが、お前の夢だったあそこに住ませてやることはできる。働きたいなら仕事は向こうで探せばいい」

 きっと、斎賀さんは本気だ。冗談でこんなことを言うような人じゃない。
 行きたい。
 ハワイに行きたい。
 仕事じゃなくてもいい、斎賀さんの言うとおり、地に足がつくなら向こうで仕事を探せばいい。
 ――行きたいはずだったのに。

「どうして………」
「ん?」
「どうして、そこまでして……」

 この人は、自分の人生を私に捧げようとしている。
 私なんかよりも努力家で、才能もあって、人望もある人なのに。
 望めばもっと、上にいける人なのに。

「言っただろ。お前が好きだからだ」

 その言葉に、見えない枷に囚われたような気がした。
 体が動かない。氷漬けになったようにその場に立ち尽くしていると、その腕がそっと背中に回って抱きしめられる。

「……俺は、お前に謝らなければならないことがある」
「謝る……?」
「お前が日本に残る決まった時……正直、俺はほっとしたんだ」
「え……?」

 苦痛の表情を浮かべる斎賀さんと視線が重なる。

「お前を手放したくなかった。けれどあの時、ひとりで泣いてるお前を見て……俺は最低な男だと気づいたよ」
 知らなかった。斎賀さんがそんな風に思っていたなんて。
 けれどショックというよりも動揺の方が大きく、瞳が揺らぐ。

「朝倉、俺はお前を幸せにしてやりたい」
「斎賀さん……」
「返事は今すぐじゃなくていい。だが考えておいてくれ」
「……はい」

 そっと息をするように言葉が漏れた。まだ何が起こっているのか理解ができなくて、正直半分上の空だった。
 けれど斎賀さんはそんな私を見て柔らかい笑みを浮かべると、そっと頭を撫でてくれた。




 
  暗闇の中、妙に目が覚めて眠れなかった。
 ベッドを借りて斎賀さんはリビングのソファで寝ている。
 家主を置いてひとり寝室など差し出がましいと言ったが、一緒にいたら何をするか分からないと部屋に押し込まれてしまった。
 何も映らない天井を、ぼうっと見つめる。なにかの夢を見ているような浮遊感が抜けなくて、一緒に魂まで飛んでいってしまいそうだった。
(斎賀さんが私を……)
 今でも信じられない。引く手数多の斎賀さんが、私にそんなことを言ってくれるなんて。
 あの人に想いを告げられて、断る女性などきっとこの世にはいないだろうと昔は他人事のように考えていたものだ。
 斎賀さんがいなくなってしまう。それは嫌だ。
あの人はいつだって私の尊敬する人であり、憧れだった。
 それに念願のハワイにも行ける。斎賀さんは私のために手を差し伸べてくれたのだ。
 ――けれど。
 同時に、悠の顔がちらつく。悠は決して許しはしないだろう。今の悠ならきっとどんな手を使ってでも私を止める。
(だから行けないの? それとも……)
 自分の中で、変なつっかかりを覚えた。その正体がなんなのか分からないまま、次第に意識が暗闇に飲まれていく。
 現実から目を背けるように、私は無理やり目を閉じた。





 翌日。
 カーテンから差し込む眩い光で目が覚めた。
 いつの間にか眠っていたらしいが、体はひどく重く疲れは取れていない。
 なんとか体を起こしてリビングへ向かうと、とっくに斎賀さんは起きていた。
「おはよ」
「おはようございます……」
 ちゃんと挨拶しなければと思うのに、声に力が入らない。
 こんなだらしない姿、幻滅させてしまうに決まっている。
 けれど斎賀さんは朝から声をあげて笑うと、こちらへ近づきぽんぽんと頭を撫でてくれた。
「顔洗ってこい。美味しい珈琲を淹れて待っててやる」
 昨夜のことには何も触れず、優しく背中を押された。気遣ってくれているのは一目瞭然だった。
 リビングに戻り、何事もなかったかのように穏やかな朝を過ごす。悠とはまた別の、居心地のいい大人の時間だった。
「そろそろ行くか」
「はい」
 スーツに着替えて二人で一緒に家を出る。
 歩幅を揃えてエントランスホールを抜けた瞬間、朝の爽やかな風がそっと木々を揺らした。
しおりを挟む
感想 4

あなたにおすすめの小説

Catch hold of your Love

天野斜己
恋愛
入社してからずっと片思いしていた男性(ひと)には、彼にお似合いの婚約者がいらっしゃる。あたしもそろそろ不毛な片思いから卒業して、親戚のオバサマの勧めるお見合いなんぞしてみようかな、うん、そうしよう。 決心して、お見合いに臨もうとしていた矢先。 当の上司から、よりにもよって職場で押し倒された。 なぜだ!? あの美しいオジョーサマは、どーするの!? ※2016年01月08日 完結済。

契約が終わったら静かにお引き取りくださいと言ったのはあなたなのに執着しないでください

紬あおい
恋愛
「あなたとは二年間の契約婚です。満了の際は静かにお引き取りください。」 そう言ったのはあなたです。 お言葉通り、今日私はここを出て行きます。 なのに、どうして離してくれないのですか!?

無表情いとこの隠れた欲望

春密まつり
恋愛
大学生で21歳の梓は、6歳年上のいとこの雪哉と一緒に暮らすことになった。 小さい頃よく遊んでくれたお兄さんは社会人になりかっこよく成長していて戸惑いがち。 緊張しながらも仲良く暮らせそうだと思った矢先、転んだ拍子にキスをしてしまう。 それから雪哉の態度が変わり――。

そんな目で見ないで。

春密まつり
恋愛
職場の廊下で呼び止められ、無口な後輩の司に告白をされた真子。 勢いのまま承諾するが、口数の少ない彼との距離がなかなか縮まらない。 そのくせ、キスをする時は情熱的だった。 司の知らない一面を知ることによって惹かれ始め、身体を重ねるが、司の熱のこもった視線に真子は混乱し、怖くなった。 それから身体を重ねることを拒否し続けるが――。 ▼2019年2月発行のオリジナルTL小説のWEB再録です。 ▼全8話の短編連載 ▼Rシーンが含まれる話には「*」マークをつけています。

社長の×××

恩田璃星
恋愛
真田葵26歳。 ある日突然異動が命じられた。 異動先である秘書課の課長天澤唯人が社長の愛人という噂は、社内では公然の秘密。 不倫が原因で辛い過去を持つ葵は、二人のただならぬ関係を確信し、課長に不倫を止めるよう説得する。 そんな葵に課長は 「社長との関係を止めさせたいなら、俺を誘惑してみて?」 と持ちかける。 決して結ばれることのない、同居人に想いを寄せる葵は、男の人を誘惑するどころかまともに付き合ったこともない。 果たして課長の不倫を止めることができるのか!? *他サイト掲載作品を、若干修正、公開しております*

初色に囲われた秘書は、蜜色の秘処を暴かれる

ささゆき細雪
恋愛
樹理にはかつてひとまわり年上の婚約者がいた。けれど樹理は彼ではなく彼についてくる母親違いの弟の方に恋をしていた。 だが、高校一年生のときにとつぜん幼い頃からの婚約を破棄され、兄弟と逢うこともなくなってしまう。 あれから十年、中小企業の社長をしている父親の秘書として結婚から逃げるように働いていた樹理のもとにあらわれたのは…… 幼馴染で初恋の彼が新社長になって、専属秘書にご指名ですか!? これは、両片想いでゆるふわオフィスラブなひしょひしょばなし。 ※ムーンライトノベルズで開催された「昼と夜の勝負服企画」参加作品です。他サイトにも掲載中。 「Grand Duo * グラン・デュオ ―シューベルトは初恋花嫁を諦めない―」で当て馬だった紡の弟が今回のヒーローです(未読でもぜんぜん問題ないです)。

【完結】 1年であなたを落としたいと婚約式で告げた結果

紬あおい
恋愛
婚約式の日に明かされた事実と約束。 1年の期限を設け、2人に訪れた結末は? いろいろ順番がおかしい2人の恋のお話。

エリート課長の脳内は想像の斜め上をいっていた

ピロ子
恋愛
飲み会に参加した後、酔い潰れていた私を押し倒していたのは社内の女子社員が憧れるエリート課長でした。 普段は冷静沈着な課長の脳内は、私には斜め上過ぎて理解不能です。 ※課長の脳内は変態です。 なとみさん主催、「#足フェチ祭り」参加作品です。完結しました。

処理中です...