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22話 斎賀理人
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「うちに泊まるか?」
「え!?」
突然の一言に思わず声を荒げる。
「ここからだとそんなに遠くはない。来るといい」
「え、いやでも……!?」
「ほら、タクシ―までなくなっちまうぞ」
動揺する私を置いて、斎賀さんが手をあげてタクシ―を止める。このまま乗り込んでいいのかと一瞬足が止まったが、後ろから急かされてしまえば乗らざるを得ない。
ドアが閉まって斎賀さんが行先を告げる。
車は静かに目的地をへと走り始めた。
⇔
都内
(す、すごい……)
タクシーは都内でも高級住宅街にあるデザイナーズマンションの前で止まった。泊めてもらうお礼にタクシー代だけはと思い財布を取り出したが、斎賀さんに断れ、結局なんのお礼もできていない。開放感のある緑に包まれた広いエントランスホールを抜けて、途中の十七階のボタンを押した。ホテルのような真っ赤な絨毯が敷かれた廊下を進み、一番奥の角部屋の鍵を回す。
広い玄関口で靴を脱いでドアを開けると、広いリビングダイニングルームが広がる。
「悪い、片付いてなくて」
「どこがですか!」
何が片付いていないのかさっぱり分からない。
ブラウン基調のモダンな空間に、楕円形のガラステーブルと黒のレザーソファ。そして壁際には液晶テレビが掛けられている。奥にはまだドアがあって、おそらく寝室だろう。
(さすが仕事ができる大人は違う……)
圧倒的な自分との差に愕然とする。
将来、ハワイに行くためだったとはいえ六畳一間のワンルーム暮らし。今まで家に不満を覚えた事はなかったが、悠の自宅に引き続きこのクラスの家に踏み入ってしまうと、自宅に帰った時にとんでもない喪失感を覚えてしまいそうだ。
「先にシャワ―浴びてこい。服のサイズは合わないだろうが今日だけ我慢してくれ」
呆然としている間に、バスタオルと着替えを手渡される。
「いや、さすがに……」
上司とはいえ、男の人の家でシャワーはまずいのではないか。
するとそんな考えを見透かされたのか、斎賀さんがニヤッと口角を持ち上げる。 ぐっと体を引き寄せられて、唇が耳元に近づいた。
「期待に応えてやろうか?」
ぞくぞくと背筋が震えて、慌てて身体を離す。
「ば、馬鹿なこと言わないでください……!」
「そうだ。馬鹿なこと考えてないでさっさと入ってこい。仕事で疲れてるだろ」
早く行け、と背中を押されてバスルームに入る。
本当にいいのかと戸惑いながら服を脱いで、シャワーコックを捻った。
(なんでこんなことに……)
昨日とは形が違うとはいえ、二日続けて男性の家にお邪魔してしまっている。しかも別の相手だ。
いくら帰る手段がなかったとはいえ、かつての上司の自宅。しかもシャワ―を借りてしまった。
昨日、体調不良で倒れた悠とは訳が違う。これは本格的にまずいのではないかと焦り、心が落ち着かない。
(変な雰囲気になったらどうしよう)
恋人はいないと聞いているが、そういう問題ではない。
相手は尊敬するかつての上司だ。斎賀さんに限って過ちは犯さないと信じてはいるが、どうにも心が落ち着かない。
逆上せる前にバスルームを出た。
軽くタオルドライして洗面台の隣に置かれていたドライヤ―を借りる。服は案の定、ぶかぶかだった。
斎賀さんのルームウェアだろうか。スウェットのように少し大きくて、いつもシュッとした斎賀さんもこういう服を着るのかと少し意外だった。
「シャワ―ありがとうございました」
リビングに戻ってぺこりと頭を下げる。
こちらを見るや否や、斎賀さんは返事もせず目を見開いた。
「どうしたんですか?」
「あ―いや……思った以上に……」
口元を手で覆い隠して、視線を逸ら
す。顔は少し赤らんでいるように見えたが照明のせいかもしれない。どうしたのかと思い、きょとんと首を傾げる。
「……珈琲でも飲むか?」
気を紛らわせるように斎賀さんがキッチンに立った。
「ありがとうございます。頂きます」
ソファに座って待っていると、斎賀さんがテーブルまで運んでくれた。湯気が立ち上るマグカップを持って口付けるとほっと肩の力が抜ける。
(この味ってもしかして……)
「これって、TWC社の?」
「よく気づいたな」
斎賀さんが感心したように声を上げた。
「だって、私が勧めた銘柄ですから」
斎賀さんが赴任して間もないころ、初めて任せられたプロジェクトだった。
ホテル最上階レストランで出す珈琲の銘柄選定で、これだけは絶対に譲れないと推したのだ。
「お前があまりにも勧めてくるから、俺まで気に入ってな。確かにこれが一番美味い」
「そうですよね! 私もいろんな銘柄を試飲したのですが、やっぱりこれが一番です」
若干の予算オ―バ―だと上から怒られたが、最終的には斎賀さんが話を通してくれた。
おかげでレストランの珈琲が美味しいと評判になり、平日のランチでもカフェ目的の主婦で賑わっている。
「あのとき、初めてだったんです。自分の意見を通して貰えたのって」
新卒の頃は頭ごなしに叱られる毎日で、仕事が楽しいと思える日なんてほとんどなかった。
斎賀さんが上司になって初めて、目の前の世界が広がって楽しい毎日を送れるようになったのだ。
「本当にありがとうございました」
「俺は、お前のひたむきな努力に向き合っただけだよ。むしろ礼を言うのは俺の方だ」
「え?」
「お前がいてくれて本当に助かった。俺も誇らしいよ」
穏やかな笑みに、目頭の奥がじんと熱くなった。涙が零れ落ちそうになって隠すように俯く。
「あー……俺もシャワ―浴びてくるわ」
照れくさそうに斎賀さんが立ち上がる。良かった。今は顔を見られたくなかった。
しばらくするとシャワ―の音が聞こえてくる。妙にそわそわしてリビングを見渡してしまう。
悠とは真逆のインテリアだった。カ―テンの傍には観葉植物と暖かい色をした関節照明がある。
物は多いのにきっちり統一感があってごちゃごちゃしていない。まるでモデルル―ムのような部屋だった。
「朝倉」
「はい!」
いつの間にか斎賀さんが背後に立っていた。首にタオルを巻いて前髪から滴る雫を拭う。
胸元が広く開いたVネックに少しゆるいスラックス姿を着用して、普段のス―ツ姿からは想像もできないぐらいラフな格好だった。
けれど滴る雫から漂う色気に思わず目を逸らす。日中とは違う、大人の色気だ。
(これじゃあまるで……)
――上司というよりも、男の人だ。
当たり前のことなのだが、いつになく心が落ち着かない。仕事とは違う、プライベートの姿に鼓動がほんの少し乱れた。
「朝倉? どうした?」
斎賀さんが隣に腰掛けて、顔を覗き込んでくる。これが無意識なら余計に質が悪い。
「なんだ。いつもと違って見惚れたか?」
ニヤリと意地の悪い笑みを浮かべて、くすっと笑う。
「じ、自分で言わないでください!」
「悪い。反応が面白くて」
たぶん耳まで真っ赤だ。
紛らわせるようにマグカップに口をつけると、斎賀さんはじっとこちらを見つめる。
「あんまり見ないでください……」
「いや、可愛いくてついな」
「へ!?」
さっきからこの人は何を言っているんだ。どうも調子が狂う。けれど決して嫌な気持ちはなく、単純に恥ずかしくてどうすればいいか分からなかった。
「なあ、朝倉」
「はい?」
珈琲を飲み終えて、テーブルに置く。すると斎賀さんは真剣な表情で、真っ直ぐ私を見つめる。
「もし俺が……ハワイ支部に異動するって言ったらどうする?」
突然の質問に、一瞬頭が真っ白になった。
「斎賀さんが、ハワイに……?」
妙な胸騒ぎがした。これ以上は聞かない方がいい。
そんな気がしているのに、斎賀さんはその言葉を継げてしまう。
「ああ、話が回ってきた」
「そう……ですか……」
その一言に、思わず息をのむ。
――駄目だ。お祝いしないと。
そう思うのに、うまく言葉が出てこない。
自分が行けないから、悔しいんじゃない。
斎賀さんが。
斎賀さんが日本からいなくなってしまうかもしれない。自分が行けない事の悔しさよりも、その寂しさが勝っているのだ。
「朝倉、俺はお前を連れて行きたいと思ってる。ただし、仕事としてじゃない」
「え……?」
目が瞬く。俯いた顔を持ち上げると、熱を含んだその瞳に、自分の姿が映った。
「俺の恋人になってほしい」
「え!?」
突然の一言に思わず声を荒げる。
「ここからだとそんなに遠くはない。来るといい」
「え、いやでも……!?」
「ほら、タクシ―までなくなっちまうぞ」
動揺する私を置いて、斎賀さんが手をあげてタクシ―を止める。このまま乗り込んでいいのかと一瞬足が止まったが、後ろから急かされてしまえば乗らざるを得ない。
ドアが閉まって斎賀さんが行先を告げる。
車は静かに目的地をへと走り始めた。
⇔
都内
(す、すごい……)
タクシーは都内でも高級住宅街にあるデザイナーズマンションの前で止まった。泊めてもらうお礼にタクシー代だけはと思い財布を取り出したが、斎賀さんに断れ、結局なんのお礼もできていない。開放感のある緑に包まれた広いエントランスホールを抜けて、途中の十七階のボタンを押した。ホテルのような真っ赤な絨毯が敷かれた廊下を進み、一番奥の角部屋の鍵を回す。
広い玄関口で靴を脱いでドアを開けると、広いリビングダイニングルームが広がる。
「悪い、片付いてなくて」
「どこがですか!」
何が片付いていないのかさっぱり分からない。
ブラウン基調のモダンな空間に、楕円形のガラステーブルと黒のレザーソファ。そして壁際には液晶テレビが掛けられている。奥にはまだドアがあって、おそらく寝室だろう。
(さすが仕事ができる大人は違う……)
圧倒的な自分との差に愕然とする。
将来、ハワイに行くためだったとはいえ六畳一間のワンルーム暮らし。今まで家に不満を覚えた事はなかったが、悠の自宅に引き続きこのクラスの家に踏み入ってしまうと、自宅に帰った時にとんでもない喪失感を覚えてしまいそうだ。
「先にシャワ―浴びてこい。服のサイズは合わないだろうが今日だけ我慢してくれ」
呆然としている間に、バスタオルと着替えを手渡される。
「いや、さすがに……」
上司とはいえ、男の人の家でシャワーはまずいのではないか。
するとそんな考えを見透かされたのか、斎賀さんがニヤッと口角を持ち上げる。 ぐっと体を引き寄せられて、唇が耳元に近づいた。
「期待に応えてやろうか?」
ぞくぞくと背筋が震えて、慌てて身体を離す。
「ば、馬鹿なこと言わないでください……!」
「そうだ。馬鹿なこと考えてないでさっさと入ってこい。仕事で疲れてるだろ」
早く行け、と背中を押されてバスルームに入る。
本当にいいのかと戸惑いながら服を脱いで、シャワーコックを捻った。
(なんでこんなことに……)
昨日とは形が違うとはいえ、二日続けて男性の家にお邪魔してしまっている。しかも別の相手だ。
いくら帰る手段がなかったとはいえ、かつての上司の自宅。しかもシャワ―を借りてしまった。
昨日、体調不良で倒れた悠とは訳が違う。これは本格的にまずいのではないかと焦り、心が落ち着かない。
(変な雰囲気になったらどうしよう)
恋人はいないと聞いているが、そういう問題ではない。
相手は尊敬するかつての上司だ。斎賀さんに限って過ちは犯さないと信じてはいるが、どうにも心が落ち着かない。
逆上せる前にバスルームを出た。
軽くタオルドライして洗面台の隣に置かれていたドライヤ―を借りる。服は案の定、ぶかぶかだった。
斎賀さんのルームウェアだろうか。スウェットのように少し大きくて、いつもシュッとした斎賀さんもこういう服を着るのかと少し意外だった。
「シャワ―ありがとうございました」
リビングに戻ってぺこりと頭を下げる。
こちらを見るや否や、斎賀さんは返事もせず目を見開いた。
「どうしたんですか?」
「あ―いや……思った以上に……」
口元を手で覆い隠して、視線を逸ら
す。顔は少し赤らんでいるように見えたが照明のせいかもしれない。どうしたのかと思い、きょとんと首を傾げる。
「……珈琲でも飲むか?」
気を紛らわせるように斎賀さんがキッチンに立った。
「ありがとうございます。頂きます」
ソファに座って待っていると、斎賀さんがテーブルまで運んでくれた。湯気が立ち上るマグカップを持って口付けるとほっと肩の力が抜ける。
(この味ってもしかして……)
「これって、TWC社の?」
「よく気づいたな」
斎賀さんが感心したように声を上げた。
「だって、私が勧めた銘柄ですから」
斎賀さんが赴任して間もないころ、初めて任せられたプロジェクトだった。
ホテル最上階レストランで出す珈琲の銘柄選定で、これだけは絶対に譲れないと推したのだ。
「お前があまりにも勧めてくるから、俺まで気に入ってな。確かにこれが一番美味い」
「そうですよね! 私もいろんな銘柄を試飲したのですが、やっぱりこれが一番です」
若干の予算オ―バ―だと上から怒られたが、最終的には斎賀さんが話を通してくれた。
おかげでレストランの珈琲が美味しいと評判になり、平日のランチでもカフェ目的の主婦で賑わっている。
「あのとき、初めてだったんです。自分の意見を通して貰えたのって」
新卒の頃は頭ごなしに叱られる毎日で、仕事が楽しいと思える日なんてほとんどなかった。
斎賀さんが上司になって初めて、目の前の世界が広がって楽しい毎日を送れるようになったのだ。
「本当にありがとうございました」
「俺は、お前のひたむきな努力に向き合っただけだよ。むしろ礼を言うのは俺の方だ」
「え?」
「お前がいてくれて本当に助かった。俺も誇らしいよ」
穏やかな笑みに、目頭の奥がじんと熱くなった。涙が零れ落ちそうになって隠すように俯く。
「あー……俺もシャワ―浴びてくるわ」
照れくさそうに斎賀さんが立ち上がる。良かった。今は顔を見られたくなかった。
しばらくするとシャワ―の音が聞こえてくる。妙にそわそわしてリビングを見渡してしまう。
悠とは真逆のインテリアだった。カ―テンの傍には観葉植物と暖かい色をした関節照明がある。
物は多いのにきっちり統一感があってごちゃごちゃしていない。まるでモデルル―ムのような部屋だった。
「朝倉」
「はい!」
いつの間にか斎賀さんが背後に立っていた。首にタオルを巻いて前髪から滴る雫を拭う。
胸元が広く開いたVネックに少しゆるいスラックス姿を着用して、普段のス―ツ姿からは想像もできないぐらいラフな格好だった。
けれど滴る雫から漂う色気に思わず目を逸らす。日中とは違う、大人の色気だ。
(これじゃあまるで……)
――上司というよりも、男の人だ。
当たり前のことなのだが、いつになく心が落ち着かない。仕事とは違う、プライベートの姿に鼓動がほんの少し乱れた。
「朝倉? どうした?」
斎賀さんが隣に腰掛けて、顔を覗き込んでくる。これが無意識なら余計に質が悪い。
「なんだ。いつもと違って見惚れたか?」
ニヤリと意地の悪い笑みを浮かべて、くすっと笑う。
「じ、自分で言わないでください!」
「悪い。反応が面白くて」
たぶん耳まで真っ赤だ。
紛らわせるようにマグカップに口をつけると、斎賀さんはじっとこちらを見つめる。
「あんまり見ないでください……」
「いや、可愛いくてついな」
「へ!?」
さっきからこの人は何を言っているんだ。どうも調子が狂う。けれど決して嫌な気持ちはなく、単純に恥ずかしくてどうすればいいか分からなかった。
「なあ、朝倉」
「はい?」
珈琲を飲み終えて、テーブルに置く。すると斎賀さんは真剣な表情で、真っ直ぐ私を見つめる。
「もし俺が……ハワイ支部に異動するって言ったらどうする?」
突然の質問に、一瞬頭が真っ白になった。
「斎賀さんが、ハワイに……?」
妙な胸騒ぎがした。これ以上は聞かない方がいい。
そんな気がしているのに、斎賀さんはその言葉を継げてしまう。
「ああ、話が回ってきた」
「そう……ですか……」
その一言に、思わず息をのむ。
――駄目だ。お祝いしないと。
そう思うのに、うまく言葉が出てこない。
自分が行けないから、悔しいんじゃない。
斎賀さんが。
斎賀さんが日本からいなくなってしまうかもしれない。自分が行けない事の悔しさよりも、その寂しさが勝っているのだ。
「朝倉、俺はお前を連れて行きたいと思ってる。ただし、仕事としてじゃない」
「え……?」
目が瞬く。俯いた顔を持ち上げると、熱を含んだその瞳に、自分の姿が映った。
「俺の恋人になってほしい」
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