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役目と書状
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高天神城を武田家が攻めている。この報告を受けた大殿はすぐさま出陣した。もちろん僕たちも参戦する。城の留守居役に秀長さんが残り、秀吉、正勝、半兵衛さん、長政、そして僕が軍勢を率いて遠江の浜松城に入城した。
織田の兵、二万五千。徳川家の兵、一万五千。
合計四万の軍勢だった。
徳川家康さまとその家臣団がずらりと並び、そこに大殿、柴田さま、森さま、前田さまなどが正対している。
僕は末席で軍議に参加していた。とは言っても大した発言はできないけど。
「なるほど。勝利は望まず、敗北もしない戦か……」
秀吉が半兵衛さんの策を大殿に伝える。思案し出した大殿に対して徳川さまが「そのような戦、聞いたことがございません」とあまり賛成しかねる態度だった。
「武田家は確かに手強いが、それでも勝てぬわけではない!」
「臆したか、竹中半兵衛!」
徳川家家臣からは非難の声が上がる。
「それでも、あたしたちは待つしかないのよ。武田信玄には絶対に勝てないから」
「そんなこと、やってみないと――」
「一か八かの賭けに出るのは、まだ早いわ」
家臣の一人にぴしゃりと言う半兵衛さん。
僕は周りを見渡す。反対しているのは若い家臣たちだ。酒井さまや石川さま、そして本多さんは何も言わなかった。
「あたしたちにできるのは持久戦だけ。なるべく殺して相手の消耗を狙うしかない」
「持久戦だと? お前はさっきから待つとか言っておるが、何を待つというのか! 援軍でも来るとでも――」
「そうじゃないわよ」
徳川家家臣の言葉を遮って――半兵衛さんは言う。
「武田信玄の死よ。もう長く無いと思うわ」
ざわめく織田家と徳川家の家臣たち。
そうか。この前の評定で待つと言っていたのは、そのことか――
「……それはまことか? 竹中殿」
石川さまが厳しい目で半兵衛さんを睨む。嘘だったら承知しないぞと暗に示している。
「ええ。前年に行なわれた戦で、武田の兵は退いてしまった。もし攻め立てれば、確実に徳川家と織田家は滅んでいた。あなたたちもそう思うでしょう?」
誰も否定しなかった。そのとおりだと思っているからだ。
「攻めなかった理由は武田信玄の病気の悪化しか考えられないわ。それ以外に退く理由はない。一揆や謀反が起こったって情報もないしね」
「ならば聞くが、どのくらいで信玄は死ぬ?」
半兵衛さんは酒井さまの問いに答える。
「おそらくだけど、戦をし続ければ、半年以内には死ぬわ」
「何故そう言い切れる? 間者でも居るのか?」
確かに、人の死期ほど予測できないものはない。
余程の名医でもなければ――
もしくは情報を掴んだ間者でも居なければ――
「簡単に手の内を見せると思う? でもまあそこは自信があるわ」
らしくないなと思ってしまう。半兵衛さんなら策の説明をするはずだけど。
「……ま、当然だな。策士らしい」
しかし酒井さまが引いてくれてそれ以上は追及されなかった。
「それでは、信玄が死ぬまで戦を続けることで構わないな? 徳川殿」
「そうですな。兵糧などが心配ですが……」
「そこは問題ない。雲之介!」
突然、僕の名前が呼ばれた。一瞬、驚いたけど、すぐに立ち上がって「はい!」と返答した。
「お前に兵糧の管理を任す。決して飢えさすことのないようにせよ」
「承知いたしました」
僕が座り直すと家臣たちがざわめく。まあ陪臣の僕には身の丈以上の主命だと判断されたんだろう。
それだけ大殿に期待されているんだ。
頑張らねば。
「では具体的にどう攻め立てるかを話す。まず柴田が――」
「本多さん、お久しぶりです」
「おお、雲之介。元気そうで何よりだ」
まるで十年来の友人のように迎えてくれた本多さん。具足を脱いでいる姿を見るのは初めてだった。
急に部屋に訊ねたというのに、気さくに応じてくれてホッとした。相談したいこともあったからだ。
しかし一人ではなく、顔見知りではない武士も居た。
糸目で面長。頬に小さな十字傷。背丈はさほどない。深緑の着物を着ている。
「ああ。紹介しよう。服部殿だ」
僕は頭を下げて「お初にお目にかかります」と丁寧に挨拶した。
「雨竜雲之介秀昭と申します」
「……服部半蔵正成です。以後お見知りおきを」
まず思ったのは隙がないということだった。雑賀衆の蛍や小雀に会ったときと同じ感覚がした。武士というよりもその道の達人と評すれば的確だろう。
「そのように硬くなられるな。徳川と織田は味方なのだから」
存外優しく言ってくれた服部さん。知らず知らずに緊張していたのだろうか。
「それで、俺に何の用だ? まさか挨拶だけではあるまい」
「一つは挨拶だけど、もう一つは輸送隊の安全の確保をしてもらいたいんです」
本多さんは眉をひそめた。
「輸送隊? 確かに兵糧の運搬は大事だが、そこまで神経質にならないといけないのか?」
「もしも兵糧の輸送が無くなったら、僕たちは負けます」
そう。四万の軍勢を一年間戦わせるには四万石必要だ。しかし四万石を一気に運ぶのはあまり賢くはない。加えて兵糧だけではなく武具や火薬の輸送も必要だ。これらは武田家と戦うのに必要不可欠である。
「だから本多さんに輸送隊の護衛をしてもらいたいんです」
「何故俺なんだ? 織田家の人間に頼めばいいだろう?」
「柴田さまたちは直臣で、陪臣の僕が気安く頼める立場ではないんです。それに羽柴家のみんなは別の任務がある。それを大殿と徳川さまに相談したら、本多さんが適任だと」
本多さんは「殿が決めたことなら従う」と三河者らしい気骨のある返答をした。
「分かった。では護衛を引き受けよう。武田家と戦えないのは残念だがな」
「ありがとうございます」
お礼を言って頭を下げて、また上げようとした瞬間、服部さんの視線に気づく。
何かを思い出しているような目だった。
「……何かございますか?」
「うん? いや、どこかで見覚えがあるなと……」
「そういえば、服部殿は前にそのようなことを言ってたな」
本多さんが腕組みをして思い出している。
「確か清洲で同盟を結んだときだったな……」
「よくそんな昔のことを覚えていますね」
服部さんはしばらく何かを考えていたけど「思い出せないな」と諦めてしまう。
「ま、たいしたことではないだろう。すまないな」
「いえ。たいしたことでないのなら、構いません」
僕は「それでは御免」と言って退席しようとする。だけど服部さんが「雲之介殿は忍びの者は使わぬか?」と訊いてきた。
「忍びですか……家来には居ませんね」
「一筆書いておく。伊賀の里を訪ねてみるといい」
部屋にあった紙と筆で何やら書くと服部さんは僕に手渡した。
「忍びを一人雇えるように書いておいた。きっと役に立つ」
「ありがとうございます」
このときの書状が後に役立つことになる。
だけどこのときは思いもよらなかった。
あてがわれた部屋に戻ると一緒に来ていた雪之丞くんと島が待ち構えていたように僕に問う。
「雲之介さん、どんな主命が下ったんだ?」
「内容によっては力を貸さんでもない」
兵糧の輸送を任されたと話すと「あまり活躍できる主命ではないな」と雪之丞くんは落胆した。島も同様だった。
「何を言っているんだ。腹が減っては戦はできぬと言うだろう」
「そうだが……雲之介さんは出世に興味ないのか?」
雪之丞くんの言葉に「ないよ」とあっさりと答える。
「早く戦国乱世を終わらせれば、それで十分だよ」
二人は納得しなかったけど、こればっかりは譲れなかった。首級とか勲功とか、そんなつまらないものに夢中になるのは、僕の中ではおかしなことだった。
そうして夜が更けて、朝となり。
半兵衛さんの作戦が実行される――
織田の兵、二万五千。徳川家の兵、一万五千。
合計四万の軍勢だった。
徳川家康さまとその家臣団がずらりと並び、そこに大殿、柴田さま、森さま、前田さまなどが正対している。
僕は末席で軍議に参加していた。とは言っても大した発言はできないけど。
「なるほど。勝利は望まず、敗北もしない戦か……」
秀吉が半兵衛さんの策を大殿に伝える。思案し出した大殿に対して徳川さまが「そのような戦、聞いたことがございません」とあまり賛成しかねる態度だった。
「武田家は確かに手強いが、それでも勝てぬわけではない!」
「臆したか、竹中半兵衛!」
徳川家家臣からは非難の声が上がる。
「それでも、あたしたちは待つしかないのよ。武田信玄には絶対に勝てないから」
「そんなこと、やってみないと――」
「一か八かの賭けに出るのは、まだ早いわ」
家臣の一人にぴしゃりと言う半兵衛さん。
僕は周りを見渡す。反対しているのは若い家臣たちだ。酒井さまや石川さま、そして本多さんは何も言わなかった。
「あたしたちにできるのは持久戦だけ。なるべく殺して相手の消耗を狙うしかない」
「持久戦だと? お前はさっきから待つとか言っておるが、何を待つというのか! 援軍でも来るとでも――」
「そうじゃないわよ」
徳川家家臣の言葉を遮って――半兵衛さんは言う。
「武田信玄の死よ。もう長く無いと思うわ」
ざわめく織田家と徳川家の家臣たち。
そうか。この前の評定で待つと言っていたのは、そのことか――
「……それはまことか? 竹中殿」
石川さまが厳しい目で半兵衛さんを睨む。嘘だったら承知しないぞと暗に示している。
「ええ。前年に行なわれた戦で、武田の兵は退いてしまった。もし攻め立てれば、確実に徳川家と織田家は滅んでいた。あなたたちもそう思うでしょう?」
誰も否定しなかった。そのとおりだと思っているからだ。
「攻めなかった理由は武田信玄の病気の悪化しか考えられないわ。それ以外に退く理由はない。一揆や謀反が起こったって情報もないしね」
「ならば聞くが、どのくらいで信玄は死ぬ?」
半兵衛さんは酒井さまの問いに答える。
「おそらくだけど、戦をし続ければ、半年以内には死ぬわ」
「何故そう言い切れる? 間者でも居るのか?」
確かに、人の死期ほど予測できないものはない。
余程の名医でもなければ――
もしくは情報を掴んだ間者でも居なければ――
「簡単に手の内を見せると思う? でもまあそこは自信があるわ」
らしくないなと思ってしまう。半兵衛さんなら策の説明をするはずだけど。
「……ま、当然だな。策士らしい」
しかし酒井さまが引いてくれてそれ以上は追及されなかった。
「それでは、信玄が死ぬまで戦を続けることで構わないな? 徳川殿」
「そうですな。兵糧などが心配ですが……」
「そこは問題ない。雲之介!」
突然、僕の名前が呼ばれた。一瞬、驚いたけど、すぐに立ち上がって「はい!」と返答した。
「お前に兵糧の管理を任す。決して飢えさすことのないようにせよ」
「承知いたしました」
僕が座り直すと家臣たちがざわめく。まあ陪臣の僕には身の丈以上の主命だと判断されたんだろう。
それだけ大殿に期待されているんだ。
頑張らねば。
「では具体的にどう攻め立てるかを話す。まず柴田が――」
「本多さん、お久しぶりです」
「おお、雲之介。元気そうで何よりだ」
まるで十年来の友人のように迎えてくれた本多さん。具足を脱いでいる姿を見るのは初めてだった。
急に部屋に訊ねたというのに、気さくに応じてくれてホッとした。相談したいこともあったからだ。
しかし一人ではなく、顔見知りではない武士も居た。
糸目で面長。頬に小さな十字傷。背丈はさほどない。深緑の着物を着ている。
「ああ。紹介しよう。服部殿だ」
僕は頭を下げて「お初にお目にかかります」と丁寧に挨拶した。
「雨竜雲之介秀昭と申します」
「……服部半蔵正成です。以後お見知りおきを」
まず思ったのは隙がないということだった。雑賀衆の蛍や小雀に会ったときと同じ感覚がした。武士というよりもその道の達人と評すれば的確だろう。
「そのように硬くなられるな。徳川と織田は味方なのだから」
存外優しく言ってくれた服部さん。知らず知らずに緊張していたのだろうか。
「それで、俺に何の用だ? まさか挨拶だけではあるまい」
「一つは挨拶だけど、もう一つは輸送隊の安全の確保をしてもらいたいんです」
本多さんは眉をひそめた。
「輸送隊? 確かに兵糧の運搬は大事だが、そこまで神経質にならないといけないのか?」
「もしも兵糧の輸送が無くなったら、僕たちは負けます」
そう。四万の軍勢を一年間戦わせるには四万石必要だ。しかし四万石を一気に運ぶのはあまり賢くはない。加えて兵糧だけではなく武具や火薬の輸送も必要だ。これらは武田家と戦うのに必要不可欠である。
「だから本多さんに輸送隊の護衛をしてもらいたいんです」
「何故俺なんだ? 織田家の人間に頼めばいいだろう?」
「柴田さまたちは直臣で、陪臣の僕が気安く頼める立場ではないんです。それに羽柴家のみんなは別の任務がある。それを大殿と徳川さまに相談したら、本多さんが適任だと」
本多さんは「殿が決めたことなら従う」と三河者らしい気骨のある返答をした。
「分かった。では護衛を引き受けよう。武田家と戦えないのは残念だがな」
「ありがとうございます」
お礼を言って頭を下げて、また上げようとした瞬間、服部さんの視線に気づく。
何かを思い出しているような目だった。
「……何かございますか?」
「うん? いや、どこかで見覚えがあるなと……」
「そういえば、服部殿は前にそのようなことを言ってたな」
本多さんが腕組みをして思い出している。
「確か清洲で同盟を結んだときだったな……」
「よくそんな昔のことを覚えていますね」
服部さんはしばらく何かを考えていたけど「思い出せないな」と諦めてしまう。
「ま、たいしたことではないだろう。すまないな」
「いえ。たいしたことでないのなら、構いません」
僕は「それでは御免」と言って退席しようとする。だけど服部さんが「雲之介殿は忍びの者は使わぬか?」と訊いてきた。
「忍びですか……家来には居ませんね」
「一筆書いておく。伊賀の里を訪ねてみるといい」
部屋にあった紙と筆で何やら書くと服部さんは僕に手渡した。
「忍びを一人雇えるように書いておいた。きっと役に立つ」
「ありがとうございます」
このときの書状が後に役立つことになる。
だけどこのときは思いもよらなかった。
あてがわれた部屋に戻ると一緒に来ていた雪之丞くんと島が待ち構えていたように僕に問う。
「雲之介さん、どんな主命が下ったんだ?」
「内容によっては力を貸さんでもない」
兵糧の輸送を任されたと話すと「あまり活躍できる主命ではないな」と雪之丞くんは落胆した。島も同様だった。
「何を言っているんだ。腹が減っては戦はできぬと言うだろう」
「そうだが……雲之介さんは出世に興味ないのか?」
雪之丞くんの言葉に「ないよ」とあっさりと答える。
「早く戦国乱世を終わらせれば、それで十分だよ」
二人は納得しなかったけど、こればっかりは譲れなかった。首級とか勲功とか、そんなつまらないものに夢中になるのは、僕の中ではおかしなことだった。
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