猿の内政官 ~天下統一のお助けのお助け~

橋本洋一

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出世欲

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 半兵衛さんの作戦はおおむね成功と言って良かった。高天神城を囲む武田の兵に奇襲を何度も仕掛ける戦法は着実に消耗させていった。
 しかし――流石に戦国最強と呼ばれる武田家。少しの間に対策を取られてしまった。昼夜問わずの奇襲に対して、高矢倉を組んでこちらの兵の動きを読むようになる。加えて高天神城を無理攻めすることはなく、兵糧攻めに切り替えたのだ。
 いくら堅城とはいえ、兵糧が尽きてしまえば篭城などできない。なんとかして兵糧を運び入れる必要があるのだけど、大殿と徳川さまは対処できずに居た。
 高天神城には一ヶ月ほどの備蓄があるとはいえ、はたしてどうなるか……

「すまない。雲之介殿。少し話はできぬか?」

 膠着状態が続く中、今日の兵糧の管理が終わり、あてがわれた部屋で志乃への手紙を書いていると島が僕に話しかけてきた。
 珍しいと思いつつ「なんだい?」と言って筆を置く。

「これまであなたは地味でありながら、比類なき活躍をしてきたと俺は思う。四万の大軍の軍備と兵糧の管理をたった一人でこなしているのだから」
「ああ。慣れだよ慣れ。昔からこういうことばかりしてきたから」

 なんてことはない。一人どれだけ渡せば不平不満はでないのか。矢などの消耗品は日にどれだけ使うのか。計算すれば簡単に割り出せる。

「慣れとはいえ、ここまで管理が行き届いているのは素晴らしいことだ。手放しに褒めておく」
「ありがとう。それで、本題は何かな?」

 人は無条件で人を褒めない。
 島は居ずまいを正して、僕に言う。

「あなたは、城主を目指さないのか?」

 その言葉に僕は何も言えなかった。
 あまりに予想外の言葉だったからだ。

「どうして兵糧の管理の管理が城主の話になる?」
「あなたのような人が上に立てば、民を飢えさすことはなくなる」

 島は真っ直ぐ僕を見つめて、真っ直ぐな言葉で僕に言う。
 やましさなどなく、自分の思っていることを言っているような口ぶりだった。

「以前、出世に興味がないと言っていたが、雲之介殿には上に立つ資質がある」
「資質があっても資格はないよ」
「何を言う? あなたの主君、羽柴さまは農民の出だぞ? それが北近江の大名だ」
「そりゃそうだけど。秀吉と僕じゃあ器が違うよ」

 島は首を横に振った。

「どうして己の可能性を狭める? 欲はないのか?」
「ないことはないけど、出世欲はないね」
「ならば何故、武士になった?」

 僕は「昔、秀吉に拾われたんだ」と自分の過去を話す。

「秀吉と大殿への恩のために生きてるんだ」
「…………」
「まあ恩返しのために天下統一のお助けのお助けしている感じかな」

 軽く笑うと島は「それは違う」とまたもや首を振った。

「雲之介殿。あなたは自分のために生きるべきだ。もしくは志乃さんやご子息たちのために生きるべきだ。そのために出世しなければいけない」
「今の暮らしで十分幸せだよ」
「満足してはいかん。人は常に上を向いて歩まねばならぬのだ」

 ここでようやく、僕は説教されているらしいと気づいた。

「出世のために生きよとは言わん。しかしそれを念頭に置いてもらいたい」
「どうしてだい?」
「雪之丞のことだ」

 急に雪之丞くんのことを言われて僕はハッとした。

「雪之丞は明らかに出世を望んでいる。しかし仕えている主に出世する気が無いと知ればどうすると思う?」
「……まさか、僕から離れるってことか?」
「ありえるだろう? 雲之介殿のように忠誠心のあり欲のない人間ならそれはないがな。普通の人間は見込みなしと思えば離れるものだ」

 雪之丞くんに限って、そんなことはないが……しかし偉くなりたいみたいなことを言っていた気がする。

「俺があなたの家臣にならない理由もそれだ」

 島がはっきりと言い切った。

「魅力を感じない。あなたに仕えるのなら、羽柴さまに仕えるほうが出世の芽がある」
「ならなんでそうしない? 僕が一言言えば、推挙することもできる」
「……そこがあなたのずるいところだ。命を助けられて、客将として禄をもらっている以上、あなたから離れられない。さらに言えば、ほっとけない」

 ほっとけない? まるで志乃みたいだなと軽く笑う。

「だからこそ俺はここに居るし、こうして分を弁えない説教などをしている。本当はこんなこと言いたくないのだ」
「気持ちはよく分かった。うん、そうだな。僕は――」

 ここで少しは考えようかなと言おうとしたときに部屋の外から「雨竜さま」と小姓の声がした。

「うん? なんだい?」
「大殿がお呼びです。至急、部屋に来るようにと」

 何か問題でも起きたのだろうか?
 それとも武田家に動きがあったのか?

「分かった。すぐに向かう」

 僕は立ち上がって、それから島に言う。

「今日言われたことは、真剣に考えるよ」
「……雨竜殿」
「僕は、一人で生きているわけじゃない。よくよく分かったよ」

 本心からの言葉だったけど、思い知らされることになるのは、遠くなかった。



 大殿がいらっしゃる部屋に向かうと、大殿だけではなく、秀吉、徳川さま、酒井さま、半兵衛さん、そして側近の堀秀政が居た。

「遅いぞ雲之介」

 大殿に叱責される。どうやら僕が一番最後だったらしい。

「申し訳ございません」
「まあいい。話を進めるぞ」

 大殿は床に広げた地図を指差す。急いで僕も半兵衛さんの隣に座る。

「皆で考えよう。武田は高天神城を包囲している。奇襲で消耗させたが未だに軍を維持している。信玄は病を持っているがいつ死ぬか分からない。高天神城の兵糧はもうすぐ尽きる。高天神城は落とされてはいかん。かといって野戦は避けたい。さてどうする?」

 大殿の言葉に徳川さまは「四万の軍勢で一気呵成に攻めるのは、愚策ですか?」と訊ねる。

「いくら戦国最強とはいえ、物見の報告では二万弱とされています。勝てるはずです」
「いや。信玄を甘く見るな。二倍の兵力でも押し返されてしまう」

 大殿の言葉はもっともだ。武田信玄は一代で甲斐、信濃、駿河を手中に入れている天下の名将なのだから。

「今までどおりの戦では、敵は消耗しますが壊滅はできません」

 冷静に言う秀政。そしてこう続けた。

「なんとしても兵糧を運び入れる必要がありますが、武田信玄は油断無き名将。難しいと言えるでしょう」
「分かっておる……猿、半兵衛、雲之介。何か案はないか?」

 そう言われても何も浮かばない。
 だから僕は逆に半兵衛さんに聞いた。

「もし半兵衛さんが信玄の立場だったら、どうする?」
「はあ? あたしが信玄だったら?」
「ああ。彼を知り己を知れば百戦危うからずだろう? 信玄の考えを知るには、信玄の立場になって考えるのはどうだ?」
「なんであたしなのよ」
「だって、この場で一番賢いじゃないか」

 その言葉に秀吉が「おい雲之介!」と叱った。
 しまった。大殿と徳川さまが居た。
 秀政が物凄い顔で僕を見ている。

「申し訳ございません……」

 頭を下げると大殿は「ふはは。この正直者め」と高笑いした。
 徳川さまは「あはは……」と呆れて笑った。

「……あたしが信玄なら、大殿と徳川さまを引きずり出して、野戦に持っていくわね」

 半兵衛さんが頬に手を置いて考え出す。

「そのためにどうするか……高天神城の兵糧が尽きそうなことは知らない……焦っている……」
「ふむ。それなら野戦に持っていきそうな手を信玄は考えるのではないか?」

 秀吉の言うとおりだ。

「そうねえ。武士にとって屈辱的で、無視できない行動を取るのなら、高天神城攻めをやめて西進するわね」

 徳川さまは「確かにそれなら出るしかない……」と頷いた。

「ならばどうやって信玄を討ち取る? 素直に出て行けば野戦で――」

 そのとき、大殿は何かを思いついたのか、僕に訊ねる。

「雲之介。柵を作る木材はあるか?」
「え、ええ。浜松城に少しだけ……」
「もっと集められるか?」
「急には難しいです。三日か五日はかかります」

 大殿は地図を指差す。

「この周辺――三方ヶ原に柵を築き、付城を作る。ここに誘いこみ、信玄を討ち取る!」

 興奮しているのか、片言になっているが、みんな何となく分かった。

「雲之介、鉄砲はどのくらいあるか!」
「千五百丁あります」
「火薬と弾丸は!?」
「一日撃ち続けても十分なほどに」

 大殿は秀吉に命じた。

「猿、お前の軍勢で築城せよ! 武田の輩を袋叩きできるように!」
「ははっ。かしこまりました!」
「徳川殿にも協力してもらうぞ!」

 しかしここで秀政が「信玄が西進しなかったらどういたしますか?」と訊ねる。

「このまま高天神城を攻め立てたり、退却した場合は?」
「で、あるか。それならば、西進を誰かに進言させればいい。確か後継者の勝頼が従軍していたな――」

 木材と火薬と弾丸の移送、及び兵の配置に兵糧の管理。やらねばならないことが山ほどある。
 でもやりがいを同時に感じていた。
 そして確信する。
 この戦は歴史に刻まれると――
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