ホムンクルス

ふみ

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 まぶたを貫く光。目を開ければ光の洪水に痛みを覚えた。
 視界に映ったのは一面の白。天井もカーテンも布団も真っ白。それと消毒液の匂い。背中に感じる柔らかさも相まって、すぐに病院だとわかった。
 どうしてここにいるのだろう。なぜ眠っていたのか。思い出そうとするも、まるで闇の中をさまように頭の中に何もない。誰かの手が何かをつかもうと足掻くだけ。
 誰かって誰だろう。もちろん自分のことだ。自分って私? 俺? 僕? あたし? そもそも性別すらもわからない。
 ふと隣から話し声が聞こえてきた。それをきっかけに音が流れ込んでくる。コソコソと話すお隣さん。せわしなくナースコールや足音が聞こえる廊下。
 そこには確かに誰かがいるのだろう。わかっていても、その誰かに心当たりはない。
 そして自分が誰なのかも思い出せなかった。
 ここが病院であることや、入院しているという状況はすぐにわかった。しかしその先は見えない。どうしてという疑問にも、なぜという謎にも答えられない。
 その不思議な感覚はすぐに不安へと形を変えた。この手に伝わる鼓動は何という名前なのだろう。どういう人だったのだろう。自分の証をどこに忘れてきたのだろう。
 目に映るものから情報を得ようとしても、見えるのは相変わらず白だけ。ベッドの頭部に角度が付いているのか、一応自分の体は見える。布団に隠れていなければの話だけれど。
 体に触れてみれば何かわかるだろうか。腕に力を込める。点滴のチューブが刺さる右手が浮くも、まるで重りが付いているかのようにうまく動かせない。奥歯を噛みしめ、時間をかけることでようやくお腹の上に腕を乗せられた。
 指だけ動かせば、さらさらとした服の触感。その下でほんのり膨らんだ胸は女性特有のもの。いや、太って胸が出ているだけかもしれない。
 それなら次は……這うように動かした手が、なだらか股間を滑っていった。
「ない、か」
 無意識に出た少し低い女性の声。さらなる手掛かりを求め、痛みに耐えながら気だるい体に触れていく。病院着の下、ところどころに包帯が巻かれ、触れるだけでも痛みが走った。
 とりあえず手で触れられる範囲は全て触った。ふと思い出したように右足を動かしたものの、力を入れてもビクともしない。
 右足を失ってしまったという嫌な想像をしたものの、よく見れば右足のある位置で掛け布団が膨らんでいる。骨折でありますようにとつい祈ってしまった。
「今のは……」
 ちらりと視界の端に映った茶色い何か。首の痛みに顔をしかめながら目を向ける。ベッド横の床頭台だ。薄いピンクのトートバッグが倒れ、中身が飛び出している。私の物だろうか。
「失礼しま……えっ?」
 突然カーテンが開き、驚きに満ちた声が響いた。ゆっくりと顔を向ければ、見知らぬ女の子がカーテンを開いたまま固まっている。
 太ももまで届くパーカーが重いのか、身動き一つしない。目を見開き、餌を求める鯉のようにパクパクと口を動かすだけ。知り合いだろうか。
「えっと、大丈夫?」
 女の子はあっという間に距離を詰めてきた。ベッド脇に立ち、こちらをじっと見ている。茶色がかった髪に包まれた幼い顔は今にも泣きだしそう。
 とりあえず声を掛けるとして、あいさつよりも先に聞いた方がいいのだろうか。
「どなた、ですか」
 女の子の潤んだ瞳から光が消えた。肩に掛からない程度のボブへアが左右に忙しく動き、見えない何かを探している。
「ほんとに、ほんとに何も覚えてないの?」
 深く頷いた。
「あたしのことも?」
 女の子が指さした幼い顔。宝石のような瞳やかわいらしい口元にも覚えはなかった。
「ごめんなさい。わかりません」
「……謝らないで。そうだ、先生呼んでくるね」
 女の子は踵を返しカーテンの外へ。小さくはためくカーテンをじっと見つめてしまった。妹だろうか。せめて名前くらい聞けば良かった。
 後悔していると女の子はすぐに戻ってきた。傍らに白衣の男性と看護師を連れている。
 すぐにあれこれと聞かれて体の具合よりも、頭の方を心配された。そしてそのままベッドごと運ばれて精密検査へ。何も起きてすぐにしなくても……そう胸の中で何度も呟き、病室に帰ってくる頃には淡い光は橙色に変わっていた。
「きっつ」
 看護師が去った後で口から疲れが漏れた。ばたばたと部屋の外が騒がしい。腕すらまともに動かせず、カーテンを開けることもできない中で微かに食べ物の匂いがする。もう夕ご飯なのだろうか。
 お腹を意識した途端に空腹の虫が目を覚ました。お腹が減った。何か食べたい。とはいえ、角度のついたベッドで横になっているだけで、ご飯は運ばれてくるのだろうか。少し心配になってきた。
「やっほー。夕ご飯持ってきたよ」
 あの女の子の声だ。カーテンが開き、女の子が乳白色のお盆を抱えて姿を現した。目が合うと、にっこりと微笑んでサイドテーブルを寄せて配膳してくれた。
 視線を下に移すと、プラスチックの食器に入った半透明の液体とヨーグルトだけ。これが夕食? そんなまさか。
「二日も眠っていたから、まずは重湯からだって」
 女の子が立て掛けてあったパイプ椅子を広げた。
「重湯って知ってる? あたしも知らなかったんだけどさ、お粥の上澄み液のことなんだって。おいしいのかな」
 子どものような愛くるしい笑み。低身長とせわしないしぐさも相まって、より幼く見えてしまう。
 そんな見た目のせいか、顎の下にある傷跡がやけに目立つ。右耳の下から喉にかけて、小指ほどの長さの傷跡。今になって気付いてしまったけれど、愛玩的なかわいらしさとのギャップから目を離せなかった。
「どうしたの?」
 パイプ椅子に腰を下ろした女の子と目が合う。
「あ、えっと」
 言葉が詰まる。どうしていいかわからずに、くすんだ重湯に映る影に視線を落とした。ちらちらと女の子に目を配ると、女の子が首をかしげた後ですぐに手を鳴らした。
「そういえば名前教えてなかったよね。チナツ。タカヤマチナツっていうの」
「チナツタカヤマチナツ?」
「いやいやいや」
 彼女が顔の前で右手を振った。
「名字がタカヤマで、名前がチナツってこと。こう書くんだけど覚えてない、よね」
 彼女がボールペンを取りだし、自身の手の甲に書いた、高山千夏たかやまちなつという丸みを帯びた文字。一字一字かみしめるように目をやるも、覚えはなかった。
「もしかして自分の名前も覚えてないの?」
 ぎこちなく頷いた。
「はる姉は、シラサワハルカだよ」
 千夏さんの手の甲に、白沢遥しらさわはるかという名前が加わった。
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