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【32話】不公平
街を歩く、二十六歳の女がいた。
長い黒髪に、茶色の瞳。
それなりに整った顔立ちをしている。
普通にしていれば、間違いなく美人の分類に入るだろう。
しかし彼女とすれ違った男性は、
「ひっ……」
小さく声を漏らして、顔を引きつらせていた。
泣きはらした目は真っ赤に充血していて、表情は怒りと悲しみでぐちゃぐちゃ。
への字に曲がった口元は大きく歪んでいる。
着ているドレスは、ほつれて汚れている。
そう、彼女は今普通ではなかったのだ。
そんな普通ではない女性の名前は、システィ・キシリアン侯爵令嬢――ジオルトの前妻だ。
名家であるキリシアン侯爵家に生まれたシスティは、両親に非常にかわいがられて育った。
いつも褒めてくれるし、おねだりすればなんでも買ってくれる。怒られたことは一度だってない。
自由奔放な環境で暮らしていたことが影響してか、システィは派手な女性に成長した。
趣味は散財。常に高価なブランド品を数多く身に着けて、着飾っていた。
そんなシスティは、十八歳のときに結婚した。
相手は、ジオルト・ドゥランシア公爵令息だ。
ジオルトは口数の少ない人物ではあったが、とんでもなく美形。
今まで見てきた男の中で、まず間違いなくダントツの容姿をしていた。
だからシスティは、この結婚を喜んでいた。
でもそれは、最初の一週間だけで終わる。
最高の容姿をしているジオルトは、最低につまらない男だった。
話しかけても返ってくるのは、心のこもっていない定型文のみ。
そこにはまるで感情がない。システィに興味を持っていないことが、すぐにわかった。
ジオルトは人間ではない。
美しい部品で作られているだけの、血の通っていない人形だ。
ジオルトとの夫婦生活は冷めきっていた。
人形と暮らしていても面白くもなんともない。そうなるのも当然だった。
(どうして私、こんな男と結婚したんだろ)
システィは毎日のように後悔していた。
一生このままなんて絶対にごめんだ。
だからシスティは、新たな恋を見つけることにした。
そして、出会った。
その相手は、リュシオ、という伯爵令息だ。
彼と一緒になるため、システィはジオルトと別れた。
双子の娘は置いていった。
嫌いな相手との間にできた子どもだ。愛情なんて欠片ほどもなかった。
ジオルトと別れたシスティは、すぐにリュシオと婚約した。
それからの日々は、ずっと幸せだった。
リュシオはシスティを気遣い、深く愛してくれた。元夫のジオルトとは大違いだ。
(きっとこれからも、こんな幸せな日々が続いていくんだわ!)
そう信じて疑わなかった――つい先ほどまでは。
リュシオの家を訪ねると、彼は知らない女と抱き合っていた。
しかも、
「僕はこの人と結婚するんだ。だから君との関係はもうおしまいだよ。今までありがとう」
そんなふざけたことを言ってきた。
「ふざけないでよ!!」
一方的に別れを告げられて、許せるはずがない。
逆上したシスティは手近なところに置かれていた果物ナイフを持って、リュシオへ向かっていった。
殺してやるつもりだった。
でも、失敗してしまった。
リュシオに投げ飛ばされ、そのままゴミを出すようにして屋敷から追い出されてしまった。
今は、その帰りだ。
システィは不幸のどん底にいた。
怒りと悲しみと憎しみ――どす黒い感情で心がいっぱいになっている。
そのとき、少し離れたところにいる家族連れがふいに目に入った。
「腹立つわね……!」
全員幸せそうな顔をしている。
今のシスティとまったくの正反対。
嘲笑されているような気がして、どうしよもなくイラついてしまう。その幸せを、ぐちゃぐちゃに壊してしまいたい。
「え、あれって……!」
システィはハッとした。
家族連れの父親の顔には、見覚えがある。
システィの元夫――ジオルトだ。
あの美しい容姿を間違えるはずがない。
ジオルトの近くには、妻と二人の娘がいる。
娘はそっくりな顔をしている双子だ。
年は七歳くらいだろうか。
あれはたぶん、システィの子だろう。
出産した時期とちょうど重なる。
(どうしてよ……どうしてあなただけが幸せになっているの!)
ジオルトへの怒りが湧きあがってくる。
ジオルトがもっと愛情を持って接してくれたのなら、システィだって彼のことを愛した。
新たな恋を求めて、リュシオと恋に落ちることだってなかった。
そうすればシスティがこんなにも、不幸になることはなかった。
つまりこうなったのは全部全部全部、ジオルトのせいだ。
それなのに加害者であるジオルトは、あんなにも幸せなそうにしている。
被害者であるシスティがこんなにも不幸なのに。こんなにも傷ついているのに。
「そんなの不公平よね?」
ジオルトにもシスティと同じだけの苦痛を味わせてやらなければならない。
そうでなければおかしい。理不尽だ。
「殺してやる……!」
システィはポケットに手を突っ込む。
そこには、リュシオを殺し損ねたナイフが入っていた。
(……待って)
動き出しそうになるシスティだったが、いったん止まる。
このままジオルトを殺したところで、痛みを感じるのは刺されてから死ぬまでのわずかな間だけ。
でも、それでは足りない。
システィの痛みはこんなものではない。
だから殺すのは、本人ではない。子どもの方だ。
そうすればジオルトは、深い心の傷を背負ったまま生きていくことになる。
心の傷は治せない。
一生苦しみ続ける。
そっちの方がいい。
それでやっと、システィの感じている痛みと釣り合いが取れる。
ジオルトが妻子に背を向けた。
これはチャンスだ。
今ならジオルトに邪魔をされることなく、子どもを殺せる。
「私と同じ絶望を与えてやるわ……!」
歪んだ笑みを浮かべたシスティは、足を動かし始めた。
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