その執事は、十三番目の愛を叫ぶ

れおぽん

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第24話「貴方を想っていたからこそ」

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 大聖堂の重厚な扉が軋み、開かれた。

 数千の視線が一点に集中する。
 引きずられるようにして入ってきたのは、薄汚れた囚人服の男だった。
 手足には鎖。顔は土と血に塗れ、足取りは覚束ない。

 衛兵たちが彼を乱暴に祭壇の前へ放り出す。
 彼は床に崩れ落ち、額を冷たい石畳に押し付けたまま動かない。
 その姿は、煌びやかな儀式の場にはあまりに不潔で、異質だった。

 周囲からは嫌悪の囁きが漏れる。
 だが、私は祭壇の階段を降りた。
 絹のドレスが衣擦れの音を立てる。
 私は彼の目の前で足を止め、その背中を見下ろした。

「……顔を上げなさい」

 私の声に、彼の肩が僅かに震えた。
 彼はゆっくりと、躊躇いながら顔を上げた。
 その瞳は、地下牢で会った時と同じく、死んだ魚のように濁っていた。

「……何の、御用でしょうか」

 彼は掠れた声で、それでも使用人としての口調を崩さずに問うた。

「処刑の言い渡しですか。それとも……幸せな『レティシア様』の慈悲を見せつけるためでございますか」

 彼はまだ、私がシステムを受け入れた「レティシア」だと思っている。おそらく余計なことを牢の番が伝えたのだろう。
 諦めと絶望が、彼を礼儀正しい抜け殻にしていた。

「……謝りたかったの」

 彼は動かない

「私は間違っていたわ。感情を殺し、心を透明にして、ただの機能になること。それが、この理不尽な世界で生き残るための、唯一の正解だと思っていた」

 私は、床に這いつくばる彼に語りかける。
 周囲の貴族たちが「殿下、離れてください!」「穢れますぞ!」と叫ぶが、今の私には羽虫の羽音ほどにも聞こえない。

「痛覚を遮断すれば、誰に何をされても平気だった。……そうすれば、貴方も傷つかなくて済むと思ったの」

「……?」

 彼の濁った瞳に、微かなさざ波が立った。

「私が怒れば、貴方も怒る。私が泣けば、貴方はもっと泣く。だから私が何も感じない人形になれば、貴方は怒る必要もなくなる。……貴方を守るためには、私が『私』を消すのが一番だと思った」

 それは、私なりの合理的な優しさだった。
 私のために傷つき、自分の手を傷つける彼を見たくなかったから、私は自分の心を凍らせたのだ。

「……なんと」

 低い、震える声が聞こえた。
 彼は顔を歪め、床に置いた拳を強く握りしめた。
 爪が食い込み、血が滲む。

「なんと……残酷なことを仰るのですか」

 彼は叫ばなかった。
 けれど、その絞り出すような声は、どんな絶叫よりも痛切に響いた。
 涙を流しているようにも見える。彼は、最も慕うものの痛みが自分に原因があるとわかり、怒りと悲しみが混濁している。

「使用人の私が……貴女様を守るべき私が、あろうことか貴女様が『自分を殺す理由』になっていたと言うのですか」

 彼は床に額を擦り付けるようにして、慟哭した。

「違います……! 私が怒っていたのは、貴女様を苦しめる世界が許せなかったからだ。私が泣いていたのは、貴女様が人間として扱われないことが悔しかったからだ!」

 彼は涙で濡れた顔を上げた。
 そこにはもう、虚無はない。
 あるのは、主君を想うあまりに張り裂けそうな、忠義と情熱の瞳だ。

「貴女様を想っていたからこそ……私は心を燃やしていたのです。それなのに、その私のために貴女様が心を凍らせてしまっては……私は、何のために……っ」

 彼の言葉が、私胸に突き刺さる。
 
 ああ、そうだ。
 彼は一度たりとも、自分のために怒ったことはなかった。
 いつだって、私(主)のために、代弁者として戦ってくれていたのだ。

「……そうね。貴方の言う通りだわ」

 私は彼を見つめ、初めて能面ではない、心からの苦笑を浮かべた。

「私は馬鹿だった。貴方を守るつもりが、一番貴方を傷つけていた」

 私は床に散らばる羊皮紙の残骸――「レティシア」という名前の欠片を視線で示した。

「だから、破り捨てたわ。あんな名前も、人形としての人生も」

「……破り、捨てた?」

 彼は床に散らばる紙片を見て、目を見開いた。
 そして、信じられないものを見るように私を見上げた。


「私は、レティシアではない。……貴方が知らない女になど、なるつもりはないわ」


 私の言葉を聞いた瞬間、彼の表情が一変した。
 絶望の色が消え、強烈な光が戻ってくる。
 それはさながら、主君の帰還を知った騎士の顔だった。

「……いけません、殿下」

 彼は涙を拭い、居住まいを正した。
 鎖に繋がれたままでありながら、その姿勢は王城の誰よりも気高い。

「そのようなことをすれば、貴女様はこの国全てを敵に回すことになります。平穏な道は閉ざされ、茨の道となるでしょう」

「構わないわ。貴方がいるなら」

 私が答えると、彼は一瞬だけ言葉を詰まらせ、それから深く、深く頭を下げた。

「……ご一緒させていただけるのですか。」

「離れていいと言った覚えはないのだけれど」

 彼は顔をあげ、喜びとも申し訳なさとも取れない顔で言った。



 「申し訳…ありませんでした。」


 たった一言。
 けれどそこには、万感の想いが込められていた。

「この命尽きるまで、貴女様のお心のままに。……地獄の底まで、お供いたします」

 彼はゆっくりと立ち上がった。
 薄汚れた囚人服。血に濡れた包帯。
 けれど今の彼は、煌びやかなタキシードを着た皇配よりも、遥かに頼もしく見えた。

 周囲の数千人の参列者、困惑する皇配、青ざめる宰相。
 それらすべてが背景へと退く。
 この広い大聖堂には今、私と彼、二人しかいないかのようだった。

「……さて」

 私は彼から視線を外し、祭壇の上にいる呆然とした男たちの方へ向き直った。

「中断していた儀式の……本当の続きを始めましょうか」
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