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「……ヴィンセント様、とおっしゃいましたっけ。こんなギトギトした場所で、辺境伯様が一体何を?」
カナメアは、口の端に付いたソースを無造作に指で拭いながら問いかけた。
目の前に座る男は、戦場での武勲から『鉄血の死神』とまで噂されるヴィンセント・ハルバードだ。
しかし、今の彼から漂うのは殺気ではなく、スパイスと焦がし醤油の入り混じった、極めて家庭的な香りであった。
「私はこの界隈の常連だ。辺境の戦場では、洗練された宮廷料理など望むべくもない。結果、行き着いたのがこうした『生きるための力』に満ちた料理だったというわけだ」
ヴィンセントはそう言うと、手元にある大きなビールジョッキを煽った。
「それよりカナメア殿、貴殿の方こそ。公爵家を飛び出して、これからどうするつもりだ? 行き場はあるのか」
「行き場ならありますわ。私の胃袋が求めるすべての場所が、私の目的地です」
カナメアは胸を張り、王家の金貨が入った財布をぽんと叩いた。
「とりあえず今夜はこの近くの宿に泊まり、明日の朝一番で『幻の白トリュフパン』を求めて西の市場へ向かいます。その後は、港町へ行って獲れたての巨大イカを踊り食いする予定ですわ」
「……食うことしか考えていないのか、貴殿は」
「失礼な。食べることは生きること、そして学ぶこと。私はこれから、世界中の味をこの舌に刻み込む『美食の巡礼者』になるのです。婚約者という肩書きに縛られていた頃にはできなかった、壮大な冒険ですわ!」
カナメアの瞳は、未来への希望(と食欲)でキラキラと輝いている。
ヴィンセントはその眩しさに思わず目を細めたが、すぐに現実的な指摘をした。
「世間知らずの令嬢が、その程度の資金でいつまで持つ。盗賊に襲われるか、粗悪な店で食あたりを起こすのが関の山だろう」
「食あたり? 私の胃壁をなめないでください。幼少期から、父が毒殺を恐れて私に少しずつ毒を摂取させていたおかげで、私の内臓は鋼鉄のように鍛えられているのですわ。腐りかけの肉くらい、最高のスパイスですわよ!」
「それは……なんとも凄まじい教育を受けてきたのだな。だが、護衛もなしに旅をするのは感心しない」
ヴィンセントは、皿に残ったガーリックライスを最後の一粒まで丁寧に食べ終えると、真剣な面持ちでカナメアに向き直った。
「カナメア殿。一つ、提案がある」
「……何かしら。まさか、私の肉を横取りしようという魂胆では?」
「そんな真似はしない。……私の領地、ハルバード辺境伯領に来ないか」
カナメアの動きが止まった。
「ハルバード領……。確か、王都からは馬車で一週間はかかる、魔物が徘徊する北の果てでしたわね?」
「左様。だが、そこには王都の連中が知らない『真の美味』が眠っている」
ヴィンセントは、誘惑するような低い声で言葉を続けた。
「零下数十度で凍らせて熟成させた氷結肉、地脈の熱で蒸し上げる天然の火山野菜、そして雪解け水で育った伝説の銀鮭……。どれも、この王都まで運ぶうちに鮮度が落ちてしまう、現地でしか味わえない至高の食材だ」
カナメアの喉が、ゴクリと鳴った。
ヴィンセントの語る食材のラインナップは、彼女の好奇心を刺激するのに十分すぎるものだった。
「……興味深いお話ですわね。ですが、なぜ私を? 辺境伯様にとって、私のような『婚約破棄された問題児』を連れ帰るメリットはないはずです」
「メリットならある。私は、私の領地の食材を最高に美味く食うための『専門家』を探していた」
ヴィンセントは少し照れくさそうに視線を逸らしたが、すぐに決然と言った。
「貴殿のあの食べっぷり、そして食材への深い理解。あれを見せつけられて、放っておく手はない。私の館で、専属の美食アドバイザーとして働いてほしいのだ。給料は出すし、三食のメニューはすべて貴殿が決定して構わない」
「……三食、すべて?」
「ああ。食材の調達に関しても、私の騎士団を自由に使っていい。魔物の肉が食いたいと言えば、一頭丸ごと狩ってこよう」
カナメアの頭の中で、壮大な調理計画が爆走し始めた。
魔物の肉のステーキ。伝説の銀鮭の塩焼き。
それは、公爵家という温室にいた頃には、名前すら聞いたことのない未知の領域だった。
「……ヴィンセント様、一つ条件がありますわ」
「何だ。言ってみろ」
「私は、嫌いなものは食べません。そして、調理法に妥協は一切いたしませんわよ?」
カナメアが勝ち誇ったように笑うと、ヴィンセントもまた、その強面の顔に初めて柔らかな笑みを浮かべた。
「望むところだ。……決まりだな」
こうして、婚約破棄からわずか数時間後。
美食令嬢カナメアは、王都のゴミゴミした社交界を捨て、未知なる味覚の宝庫・辺境へと旅立つ決意を固めたのである。
「親父さん! お会計! あと、明日からの長旅のために、この肉をもう三枚焼いて包んでおいてちょうだい!」
カナメアの元気な声が、夜の小路に響き渡った。
カナメアは、口の端に付いたソースを無造作に指で拭いながら問いかけた。
目の前に座る男は、戦場での武勲から『鉄血の死神』とまで噂されるヴィンセント・ハルバードだ。
しかし、今の彼から漂うのは殺気ではなく、スパイスと焦がし醤油の入り混じった、極めて家庭的な香りであった。
「私はこの界隈の常連だ。辺境の戦場では、洗練された宮廷料理など望むべくもない。結果、行き着いたのがこうした『生きるための力』に満ちた料理だったというわけだ」
ヴィンセントはそう言うと、手元にある大きなビールジョッキを煽った。
「それよりカナメア殿、貴殿の方こそ。公爵家を飛び出して、これからどうするつもりだ? 行き場はあるのか」
「行き場ならありますわ。私の胃袋が求めるすべての場所が、私の目的地です」
カナメアは胸を張り、王家の金貨が入った財布をぽんと叩いた。
「とりあえず今夜はこの近くの宿に泊まり、明日の朝一番で『幻の白トリュフパン』を求めて西の市場へ向かいます。その後は、港町へ行って獲れたての巨大イカを踊り食いする予定ですわ」
「……食うことしか考えていないのか、貴殿は」
「失礼な。食べることは生きること、そして学ぶこと。私はこれから、世界中の味をこの舌に刻み込む『美食の巡礼者』になるのです。婚約者という肩書きに縛られていた頃にはできなかった、壮大な冒険ですわ!」
カナメアの瞳は、未来への希望(と食欲)でキラキラと輝いている。
ヴィンセントはその眩しさに思わず目を細めたが、すぐに現実的な指摘をした。
「世間知らずの令嬢が、その程度の資金でいつまで持つ。盗賊に襲われるか、粗悪な店で食あたりを起こすのが関の山だろう」
「食あたり? 私の胃壁をなめないでください。幼少期から、父が毒殺を恐れて私に少しずつ毒を摂取させていたおかげで、私の内臓は鋼鉄のように鍛えられているのですわ。腐りかけの肉くらい、最高のスパイスですわよ!」
「それは……なんとも凄まじい教育を受けてきたのだな。だが、護衛もなしに旅をするのは感心しない」
ヴィンセントは、皿に残ったガーリックライスを最後の一粒まで丁寧に食べ終えると、真剣な面持ちでカナメアに向き直った。
「カナメア殿。一つ、提案がある」
「……何かしら。まさか、私の肉を横取りしようという魂胆では?」
「そんな真似はしない。……私の領地、ハルバード辺境伯領に来ないか」
カナメアの動きが止まった。
「ハルバード領……。確か、王都からは馬車で一週間はかかる、魔物が徘徊する北の果てでしたわね?」
「左様。だが、そこには王都の連中が知らない『真の美味』が眠っている」
ヴィンセントは、誘惑するような低い声で言葉を続けた。
「零下数十度で凍らせて熟成させた氷結肉、地脈の熱で蒸し上げる天然の火山野菜、そして雪解け水で育った伝説の銀鮭……。どれも、この王都まで運ぶうちに鮮度が落ちてしまう、現地でしか味わえない至高の食材だ」
カナメアの喉が、ゴクリと鳴った。
ヴィンセントの語る食材のラインナップは、彼女の好奇心を刺激するのに十分すぎるものだった。
「……興味深いお話ですわね。ですが、なぜ私を? 辺境伯様にとって、私のような『婚約破棄された問題児』を連れ帰るメリットはないはずです」
「メリットならある。私は、私の領地の食材を最高に美味く食うための『専門家』を探していた」
ヴィンセントは少し照れくさそうに視線を逸らしたが、すぐに決然と言った。
「貴殿のあの食べっぷり、そして食材への深い理解。あれを見せつけられて、放っておく手はない。私の館で、専属の美食アドバイザーとして働いてほしいのだ。給料は出すし、三食のメニューはすべて貴殿が決定して構わない」
「……三食、すべて?」
「ああ。食材の調達に関しても、私の騎士団を自由に使っていい。魔物の肉が食いたいと言えば、一頭丸ごと狩ってこよう」
カナメアの頭の中で、壮大な調理計画が爆走し始めた。
魔物の肉のステーキ。伝説の銀鮭の塩焼き。
それは、公爵家という温室にいた頃には、名前すら聞いたことのない未知の領域だった。
「……ヴィンセント様、一つ条件がありますわ」
「何だ。言ってみろ」
「私は、嫌いなものは食べません。そして、調理法に妥協は一切いたしませんわよ?」
カナメアが勝ち誇ったように笑うと、ヴィンセントもまた、その強面の顔に初めて柔らかな笑みを浮かべた。
「望むところだ。……決まりだな」
こうして、婚約破棄からわずか数時間後。
美食令嬢カナメアは、王都のゴミゴミした社交界を捨て、未知なる味覚の宝庫・辺境へと旅立つ決意を固めたのである。
「親父さん! お会計! あと、明日からの長旅のために、この肉をもう三枚焼いて包んでおいてちょうだい!」
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