婚約破棄のショックよりも「本日のメインディッシュ」が気になりますわ

萩月

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ガタガタと揺れ続けた馬車が止まり、重厚な扉が開かれた。


そこには、王都の華やかさとは無縁の、灰色の石造りの巨大な城がそびえ立っていた。


ハルバード辺境伯邸。北の最果てを守る「盾」と称されるその場所は、吹き付ける風さえも刃物のように鋭い。


「……着いたぞ。ここが今日から貴殿の職場、そして家となる場所だ」


ヴィンセントが馬車を降り、カナメアに手を貸す。


その周囲には、主人の帰還を待っていた使用人たちが整列していたが、誰もが一様に顔を強張らせていた。


「お、お帰りなさいませ、閣下! して、その……お連れのお方は?」


執事らしき老人が、ボロボロのドレスを着て、腰に大量のスパイスをぶら下げたカナメアを見て、震えながら問いかける。


「私の客だ。……いや、ハルバード領の食の未来を担う、重要人物だ。丁重にもてなせ」


「しょ、食の未来……? はっ、承知いたしました!」


使用人たちの戸惑いを余所に、ヴィンセントはカナメアを促して城の中へと入っていく。


城内は外見以上に冷え冷えとしていたが、カナメアの鼻はすでに「ある変化」を敏感に察知していた。


「……ヴィンセント様、このお城、不思議な香りがしますわね。冷たい空気の中に、微かに『発酵した果実』と『焦がした砂糖』、それに……上質な『熟成肉』の香りが混ざっているわ」


「……貴殿の鼻は、やはり化け物じみているな」


ヴィンセントは一瞬足を止めたが、すぐに周囲を警戒するように見回し、声を潜めた。


「カナメア殿、貴殿には特別に見せてやろう。……私が誰にも教えず、一人でコツコツと続けてきた『聖域』をな」


「聖域……? 武器庫か何かですの?」


「ついてこい」


ヴィンセントは広間へ向かうふりをして、隠し扉のような小さな脇道へとカナメアを誘導した。


薄暗い階段を降り、地下深くへと進む。そこには、厳重な鍵がかけられた鉄の扉があった。


ヴィンセントが懐から取り出した特製の鍵を差し込み、扉が開かれる。


その瞬間、カナメアの視界を埋め尽くしたのは、天国と見紛うばかりの光景だった。


「……っ! な、何ですの、ここは……!?」


そこは、広大な地下貯蔵庫だった。


天井からは数百、数千という数の自家製ハムやソーセージが吊り下げられ、壁一面の棚には、ラベルのない謎の瓶詰めが整然と並んでいる。


さらに奥には、最新の魔導具による温度管理システムが備わった、巨大なチーズの熟成棚まであった。


「……私の趣味だ。戦場にいる間も、頭の中では次に作る保存食の配合を考えていた」


ヴィンセントは、少し照れたように頬を掻きながら、自慢の貯蔵庫を指差した。


「『死神』などと呼ばれている男が、実は夜な夜な一人で果実を煮詰めたり、肉にスパイスを揉み込んだりしているなどと知られたら、軍の士気に関わるからな。家臣たちにも秘密にしている」


「……ヴィンセント様、あなた、最高に狂っていますわ!」


カナメアは狂喜乱舞し、吊るされたハムの一つに駆け寄った。


「見て、このカビの付き具合! 完璧な湿度管理ですわ! それにこの瓶詰め……もしや、北限の幻のキノコ『雪の女王』のオイル漬けではありませんか?」


「ああ。去年の冬、吹雪の中を三日三晩探し回って採取したものだ。あれの香りを逃さないために、特製の香油を自作してな……」


「素晴らしい! その情熱があれば、魔王だって倒せますわ! 早く、早く試食させてください! この城に来て本当によかった!」


「待て、カナメア殿。落ち着け。まずは手を洗ってからだ」


ヴィンセントは、嬉しそうに目を輝かせるカナメアを見て、自分でも気づかないうちに深い笑みを浮かべていた。


王都では「不気味」「大食らい」と蔑まれてきた二人の変人が、地下深くの秘密基地で、世界で一番贅沢な共犯関係を結んだ瞬間だった。


「さあ、今夜は宴だ。私の秘蔵の熟成肉と、貴殿のソースを合わせるぞ。……婚約破棄などという下らない出来事は、この肉の旨味で完全に上書きしてやる」


「ええ! 王子の顔なんて、もうパンの屑ほども覚えていませんわ!」


カナメアの絶叫に近い歓喜の声が、石造りの地下室に心地よく反響した。
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