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ハルバード領の辺境都市。その中央広場は、今や「食の祭典」の様相を呈していた。
領主ヴィンセントの肝いりで始まった、領内各地の珍味を集めた大市場。
その中心で、一際幸せそうなオーラを放ちながら、串に刺さった「霜降り雪猪の炭火焼き」に豪快にかぶりついている令嬢がいた。
「んんっ……! この、噛んだ瞬間に弾ける脂の甘み! そこに絡みつく辺境特製のピリ辛味噌! ヴィンセント様、これこそが北の大地の抱擁ですわ!」
「……抱擁かどうかは分からんが、貴殿がそれを口にするたびに、私の財布が軽くなることだけは確かだ」
隣に立つヴィンセントは、呆れ顔ながらもその瞳には柔らかな光を宿していた。
彼の片手には、カナメアが食べ歩きで買い込んだ、山のような包み紙が握られている。
二人の間に流れるのは、甘い空気……というよりは、香ばしいソースと肉汁の混ざり合った、極めて重厚な信頼関係だった。
だが、その幸福な「もぐもぐタイム」を切り裂くように、場違いなトランペットの音が鳴り響いた。
「道をあけよ! アステリア王国第一王子、ジュリアス殿下のお通りである!」
広場に集まっていた領民たちがざわつき、左右に分かれる。
そこへ現れたのは、豪華なマントを羽織り、白馬に乗ったジュリアス王子だった。
彼は視察という名目で、王都から一週間以上かけてこの地へやってきたのだ。……本音を言えば、王宮の味気ない食事に耐えかね、カナメアの周囲に漂う「美味の気配」を求めての逃避行である。
「……ふん、相変わらず品のない場所だ。……ん? あそこにいるのは」
ジュリアスは馬上で目を凝らした。
そこには、髪を振り乱し、口の周りに味噌を付けたまま、幸せそうに肉を咀嚼している元婚約者の姿があった。
「……カ、カナメア!? 貴様、そんな格好で何を……!」
ジュリアスは馬から飛び降りると、カナメアの前へ詰め寄った。
カナメアは、ゆっくりと咀嚼を終え、ゴクリと飲み込んでから、ようやく目の前の男を認識した。
「……あら。ええと、どなたでしたかしら。……ああ、思い出しました。王都で私のダイエットを邪魔していた、あの『食事の天敵』こと、ジュリアス様ではありませんか」
「天敵とは何だ! 私は王太子だぞ! それに今の貴様の挨拶は不敬だろう!」
「不敬も何も、私はもう婚約破棄された身。今はハルバード領の『一介の食客(物理)』に過ぎません。それより王子、そんなところで大声を出すと、私の繊細な味覚が乱れますわ」
カナメアは面倒そうに手を振ると、次のターゲットである「揚げたてチーズコロッケ」に手を伸ばした。
その無関心な態度に、ジュリアスの自尊心はズタズタに引き裂かれた。
「貴様……! 王都を追い出され、泣き暮らしているかと思えば、そんなに丸々と太って……! いや、むしろ血色が良くなっているではないか!」
「丸々とは失礼な。これは『健康的な美食の結果』ですわ。それに、見てくださいこの景色。右を向けば肉、左を向けば魚。王都の冷え切ったサラダだけの食卓とは、幸福の濃度が違いますの」
カナメアが勝ち誇ったように笑うと、背後からヴィンセントが静かに一歩踏み出した。
「……ジュリアス殿下。我が領への突然の来訪、歓迎いたします。……して、私の『大切なパートナー』に何か御用でしょうか」
ヴィンセントの「大切なパートナー」という言葉に、ジュリアスの顔が引きつった。
「……パートナーだと? ヴィンセント、貴様、正気か。この食い意地の張った、がさつな女を隣に置くというのか」
「ええ。彼女のおかげで、私の人生(の胃袋)はかつてないほど充実しております。……殿下こそ、王都にリリアーヌ嬢という『花のような』婚約者がいらっしゃるのでは?」
「それは……。……くっ、リリアーヌは確かに可憐だが、あいつが出す料理は青いのだ! 味がしないのだ! 私は……私は……!」
ジュリアスは言いかけて、自分の喉が激しく鳴ったことに気づき、真っ赤になった。
広場に漂う、香ばしい肉の香り。カナメアが幸せそうに食べている、あの黄金色のコロッケ。
王太子のプライドが、猛烈な空腹によって崩壊寸前だった。
「……カ、カナメア。その……なんだ。貴様も、私の顔を見て少しは懐かしくなっただろう? 特別に許してやる。そのコロッケの半分を、私に差し出せ。味見をしてやろう」
ジュリアスが傲慢に手を差し出した。
だが、カナメアの対応は冷酷だった。
「断りますわ」
「……なっ!?」
「これは、私が並んで買った最後の一組ですの。王子、今の私は口がいっぱいなので、お話は三日後くらいに伺います。……さあ、ヴィンセント様! 次はあちらの『大盛り魚介スープ』が完売しそうですわよ!」
「ああ。急ごう、カナメア殿」
二人はジュリアスを石ころのように無視して、賑やかな市場の奥へと消えていった。
「ま、待て! カナメア! 私を一人にするな! ……あ、おい! そのコロッケ、一口でいいから……!」
王宮の光を一身に浴びてきたはずの王子が、北風の吹く市場の真ん中で、虚しく手を伸ばしたまま立ち尽くす。
彼が味わったのは、再会の喜びではなく、生涯で最も惨めな「お預け」という名の屈辱だった。
(カナメア……。貴様、私を置いて、そんなに美味しそうに笑うなんて……許せない、許せないぞ……!)
ジュリアスの心の中で、歪んだ独占欲と、それ以上に強烈な「食欲」が炎を上げた。
領主ヴィンセントの肝いりで始まった、領内各地の珍味を集めた大市場。
その中心で、一際幸せそうなオーラを放ちながら、串に刺さった「霜降り雪猪の炭火焼き」に豪快にかぶりついている令嬢がいた。
「んんっ……! この、噛んだ瞬間に弾ける脂の甘み! そこに絡みつく辺境特製のピリ辛味噌! ヴィンセント様、これこそが北の大地の抱擁ですわ!」
「……抱擁かどうかは分からんが、貴殿がそれを口にするたびに、私の財布が軽くなることだけは確かだ」
隣に立つヴィンセントは、呆れ顔ながらもその瞳には柔らかな光を宿していた。
彼の片手には、カナメアが食べ歩きで買い込んだ、山のような包み紙が握られている。
二人の間に流れるのは、甘い空気……というよりは、香ばしいソースと肉汁の混ざり合った、極めて重厚な信頼関係だった。
だが、その幸福な「もぐもぐタイム」を切り裂くように、場違いなトランペットの音が鳴り響いた。
「道をあけよ! アステリア王国第一王子、ジュリアス殿下のお通りである!」
広場に集まっていた領民たちがざわつき、左右に分かれる。
そこへ現れたのは、豪華なマントを羽織り、白馬に乗ったジュリアス王子だった。
彼は視察という名目で、王都から一週間以上かけてこの地へやってきたのだ。……本音を言えば、王宮の味気ない食事に耐えかね、カナメアの周囲に漂う「美味の気配」を求めての逃避行である。
「……ふん、相変わらず品のない場所だ。……ん? あそこにいるのは」
ジュリアスは馬上で目を凝らした。
そこには、髪を振り乱し、口の周りに味噌を付けたまま、幸せそうに肉を咀嚼している元婚約者の姿があった。
「……カ、カナメア!? 貴様、そんな格好で何を……!」
ジュリアスは馬から飛び降りると、カナメアの前へ詰め寄った。
カナメアは、ゆっくりと咀嚼を終え、ゴクリと飲み込んでから、ようやく目の前の男を認識した。
「……あら。ええと、どなたでしたかしら。……ああ、思い出しました。王都で私のダイエットを邪魔していた、あの『食事の天敵』こと、ジュリアス様ではありませんか」
「天敵とは何だ! 私は王太子だぞ! それに今の貴様の挨拶は不敬だろう!」
「不敬も何も、私はもう婚約破棄された身。今はハルバード領の『一介の食客(物理)』に過ぎません。それより王子、そんなところで大声を出すと、私の繊細な味覚が乱れますわ」
カナメアは面倒そうに手を振ると、次のターゲットである「揚げたてチーズコロッケ」に手を伸ばした。
その無関心な態度に、ジュリアスの自尊心はズタズタに引き裂かれた。
「貴様……! 王都を追い出され、泣き暮らしているかと思えば、そんなに丸々と太って……! いや、むしろ血色が良くなっているではないか!」
「丸々とは失礼な。これは『健康的な美食の結果』ですわ。それに、見てくださいこの景色。右を向けば肉、左を向けば魚。王都の冷え切ったサラダだけの食卓とは、幸福の濃度が違いますの」
カナメアが勝ち誇ったように笑うと、背後からヴィンセントが静かに一歩踏み出した。
「……ジュリアス殿下。我が領への突然の来訪、歓迎いたします。……して、私の『大切なパートナー』に何か御用でしょうか」
ヴィンセントの「大切なパートナー」という言葉に、ジュリアスの顔が引きつった。
「……パートナーだと? ヴィンセント、貴様、正気か。この食い意地の張った、がさつな女を隣に置くというのか」
「ええ。彼女のおかげで、私の人生(の胃袋)はかつてないほど充実しております。……殿下こそ、王都にリリアーヌ嬢という『花のような』婚約者がいらっしゃるのでは?」
「それは……。……くっ、リリアーヌは確かに可憐だが、あいつが出す料理は青いのだ! 味がしないのだ! 私は……私は……!」
ジュリアスは言いかけて、自分の喉が激しく鳴ったことに気づき、真っ赤になった。
広場に漂う、香ばしい肉の香り。カナメアが幸せそうに食べている、あの黄金色のコロッケ。
王太子のプライドが、猛烈な空腹によって崩壊寸前だった。
「……カ、カナメア。その……なんだ。貴様も、私の顔を見て少しは懐かしくなっただろう? 特別に許してやる。そのコロッケの半分を、私に差し出せ。味見をしてやろう」
ジュリアスが傲慢に手を差し出した。
だが、カナメアの対応は冷酷だった。
「断りますわ」
「……なっ!?」
「これは、私が並んで買った最後の一組ですの。王子、今の私は口がいっぱいなので、お話は三日後くらいに伺います。……さあ、ヴィンセント様! 次はあちらの『大盛り魚介スープ』が完売しそうですわよ!」
「ああ。急ごう、カナメア殿」
二人はジュリアスを石ころのように無視して、賑やかな市場の奥へと消えていった。
「ま、待て! カナメア! 私を一人にするな! ……あ、おい! そのコロッケ、一口でいいから……!」
王宮の光を一身に浴びてきたはずの王子が、北風の吹く市場の真ん中で、虚しく手を伸ばしたまま立ち尽くす。
彼が味わったのは、再会の喜びではなく、生涯で最も惨めな「お預け」という名の屈辱だった。
(カナメア……。貴様、私を置いて、そんなに美味しそうに笑うなんて……許せない、許せないぞ……!)
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