お見通しですわ。婚約破棄、承りましたわ。

萩月

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領都の朝は、本来であればのんびりとしたものだった。
鶏が鳴き、人々が欠伸をしながら広場に集まり、世間話を三十分ほど楽しんでから仕事に取り掛かる。
それがこの領地の「普通」だった。

だが、広場の中央に真っ赤なドレスを纏ったキサキが仁王立ちした瞬間、その平穏は終わりを告げた。

「皆様、おはようございます。現在、午前七時。貴重な朝のゴールデンタイムを、なぜ意味のない井戸端会議に費やしているのですか?」

キサキの声は、鈴を転がすような美声ながらも、氷のように冷たく響いた。
集まっていた領民たちは、突然現れた美しい公爵令嬢に目を丸くする。

「お、お嬢様? 世間話は、村の和を保つのに大事なことでして……」

一人の農夫が恐る恐る答えると、キサキは即座に扇をピシャリと閉じた。

「『和』という曖昧な言葉で、一日の生産性を十パーセント低下させている自覚はありますか? 計算によれば、貴方たちがここで喋っている時間を農作業に回せば、今年の収穫量は一・二倍になります。それはつまり、冬に食べられる肉の量が増えるということですわよ」

「肉……増えるのか?」

「ええ。ですが、ただ闇雲に働けばいいというものではありません。今から、効率的な『歩行ルート』と『作業動線』の講習を行います。全員、一列に並びなさい。並ぶ時間は十秒以内です!」

キサキの威圧感に押され、領民たちはドタバタと列を作った。
彼女は手に持った長い指示棒で、地面に描かれた地図を指し示した。

「まず、市場へ向かうルートです。皆様は最短距離ではなく、歩きやすい平坦な道を選んでいますね? ですが、勾配三度の坂道をショートカットすれば、往復で三百歩の節約になります。一生で見れば、三ヶ月分の時間を歩行から取り戻せますわ」

「さ、三ヶ月!?」

「そうです。次にパン屋の店主、こちらへ。貴方はパンを並べる際、右から左へ置いていますが、利き手が右なら左から右へ流す方が、肩の筋肉の疲労が四パーセント軽減されます。明日から逆になさい」

「は、はあ……やってみますだ」

キサキの指導は、もはや狂気的なまでの細かさだった。
洗濯物の干し方、クワの握り位置、さらには「挨拶の簡略化」まで。
「おはようございます、今日もいい天気ですね」という挨拶を、「お早う、快晴です」に縮めるだけで、村全体で一日合計二時間の時間が浮くと力説したのである。

数日後。
領地を視察していたバーンズ執務官は、自分の目を疑った。

「な、なんだこれは……。皆、動きが速い……!」

広場を行き交う人々は、まるで何かに追われているかのように最短ルートを競歩並みの速さで歩いている。
パン屋では店主が残像が見えるほどの速度で生地をこね、農家たちは軍隊のような規律で一糸乱れぬ動きを見せていた。

「バーンズ、驚くのは早いですわ。見てなさい、これが『最適化』された領民の姿です」

キサキが誇らしげに胸を張る。
そこへ、一人の少年が全速力で駆けてきて、キサキの前でピタリと止まった。

「お嬢様! 言われた通り、家から広場までのルートを直線に直したら、三分早くなりました! 余った時間で算数の勉強ができます!」

「よろしい。その三分を投資に回しなさい。将来、貴方の知性は我が領地の財産となりますわ」

キサキは満足げに少年の頭を撫でた(所要時間二秒)。
バーンズは震えながら呟いた。

「お嬢様……確かに生産性は上がっています。報告によれば、物流の回転率が一点五倍になりました。ですが、皆の顔が、どことなく『効率の獣』に見えるのですが……」

「気のせいです。人間、暇な時間があるから余計な悩みが生じるのです。分刻みのスケジュールで動いていれば、悩みなど入る隙間もありませんわ。……ああ、バーンズ、無駄話で十五秒失いました。次の視察先、養鶏場へ向かいます。鶏の産卵リズムも、私の計算で二十パーセント加速させますわよ」

「鶏の産卵まで制御するおつもりですか……!?」

キサキは答えず、風を切るような速さで歩き出した。
彼女の通った後には、一秒の無駄も許されない「超高速社会」が形成されていく。

かつての「悪役令嬢」は、今や「効率の女神」として、領民たちの生活を根底から加速させていた。

「ふふ、いいわ。この調子なら、来月には領内の全ての時計を五分早めても、誰も文句を言わないでしょうね。……さあ、世界を巻いていきましょう!」

キサキの瞳には、音速で発展する領地の未来が、はっきりと映っていた。
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