玉響の夢~小千の朝倉宮の伝承~伊予国朝倉小千郡の伝説

刹那玻璃

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第1章

大山積神(おおやまつみのかみ)のおわす島より

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 斉明天皇さいめいてんのう斉明天皇7年1月14日(西暦661年2月18日)。
 この日に熟田津にきたつを降り、宮に入ったと言われるが、この説は熟田津というのはどこの津か? ……どの港が熟田津か? という説が未だにある。

 一つは有名な、伊予国の道後のある地域の港……現在の愛媛県松山市三津えひめけんまつやましみつ地域。
 三津の湊に船を付け、輿で移動して石湯行宮いわゆのかりみや跡だと言われる、道後の南の久米地域の久米官衙遺跡くめかんがいせきの辺りに落ち着いたという説。
 ここからだと歩いては無理だが、輿を使えば道後の湯に何回も通うことができる。

 これは有力な説なのだが、私はあえて、この説を否定したい。

 何故なら、大山積神おおやまつみのかみを祀る現在の大山祇神社おおやまづみじんじゃのある大三島の周辺は島が多い上に、波は荒くうねることで有名で、船の運航の難所として知られ、三大渦潮のひとつもある。
ちなみに三大渦潮は、有名な鳴門海峡、そしてしまなみ海道で知られる来島海峡くるしまかいきょう、そしてのちに平家滅亡の地になった壇ノ浦で知られる関門海峡かんもんかいきょうである。
 後世、しまなみ海峡周辺は村上水軍が支配した地域だが、一瞬でも気を抜けば船はぶつかり、難破する。
 そんな危険な旅を、金品を受け取り、案内する水軍で、ケチったり攻撃してくる場合は容赦なく仕返しをするのである。
こちらも命がけだ。何が悪いと水軍の者は豪語するだろう。

そして今回、老齢の姫天皇ひめのすめらみことや皇太子などの重要人物を、危険に晒すわけにはいかないはずである。
 それに、大伯皇女おおくのひめみこを出産したばかりの大田皇女おおたのひめみこに寒い船の上で過ごさせることはできないだろう。

 そこで私が探したのは、ある地図と小さな伝承。
 ここから私は、話を語っていこうと思う。



 大山祇神社……公式に残されている創建は推古天皇すいこてんのう2年(西暦594年)とされている。
 しかし、それより昔の祭祀の跡や、全国でも世界的にも珍しい一人角力(ひとりずもう)という、一人の力士が精霊と三回取り組みをして、精霊が2勝すれば豊作と言う伝統行事が残されている。
 この角力の力士は、見えない精霊とどう戦うか、そして負ける時投げ飛ばされるところもどうすれば良いのかと日々考えながら練習をしているのだと言う。
 残して欲しい無形文化財である。
 当時は創建されて70年ほどしか歴史はないが、それ以前から御島(みしま)とも呼ばれていたという……祀られる神は大山積神。
 大山積神は、伊邪那岐命いざなきのみこと伊邪那美命いざなみのみことの子供で、5人の子供がいる。
 天孫降臨てんそんこうりんの際に、天孫の瓊瓊杵命ににぎのみことが見初め、大山積神が嫁がせた木花咲耶姫命このはなさくやひめのみこととその姉の磐長姫命いわながひめのみこと木花知流姫命このはなちるひめのみこと、そして、ヤマタノオロチ退治で有名な須佐之男命すさのおのみことの妻になる奇稲田姫命くしなだひめのみことの父母、足名椎あしなづち手名椎てなづち夫妻である。
 大山積神は元々山の神だが、この地に創建されたのは、小千命おちのみこと(もしくは乎千命)が、この地に手ずから楠を植えたとされているからである。
 小千命は小千氏の先祖とされ、大山積神を勧進し、祀ったと言われている。
 その小千氏……船に乗るなつの夫の守興は、小千家の嫡子である。



 大山積神の元に参り、その後銅鏡……国宝である禽獣葡萄鏡きんじゅうぶどうきょうを奉納した姫天皇方を、急かせるようにそのまま九州に船出させるというのは、季節もまだ春も遠く、波風は海に慣れない貴族に辛いだけだろう。
 普通なら、休みを取ってもらうことが良いと思うはずである。
 その為、まずは船を降り、身体をいたわってもらうことを考える。

 それに現代では、愛媛の県庁所在地は松山市だが、当時国司を置いていたのが現代の今治市。
 後の聖武天皇が国々に置いたという国分寺は、今治市にある。
 そして『源氏物語』でも有名な伊予の湯を、何故『道の後ろ』と書いて道後と言うかと言うと、道前と呼ばれる地域は今の今治地域だったからである。
 備前、備中、備後と同じで、まずは近い道前に船を留め、降りると険しい崖がある海沿いを通らず、南西の平地に降り、そのまま西に山道があり、進んでいくと山を回る形で道後に向かうのだ。



 ところで、船は何故かまっすぐ西に向かわず、どこに連れて行かれるのか……と不安に思っていた人々は、守興の指示により大山積神の島からゆっくりと移動し、上陸した。

「ここは?」

 姉の大田皇女おおたのひめみこは産後の肥立ちが余り良くなく、ぐったりとしていて会うのを禁じられている鸕野讚良皇女うののさららのひめみこはキャンキャンと叫ぶ。

「どこよ? ここは! 私たちは伊予の湯に行くのよ! お祖父様の伊予温湯宮いよのゆのみやがあるのだから! お前は私たちを……」
「静かにせよ!」

 孫娘をたしなめ、姫天皇はゆっくりと近づく。

「守興……吾子あこよ。どこに行くと言うのだ?」
「姫天皇さま……この季節、風は強く波は荒いものです。それに船旅は寒く、お辛かったかと思います。ですので、この地にしばらく滞在されて体力を取り戻すことをお勧め致したいと思っております」
「どう言うことよ!」
「黙らぬか! 鸕野讚良!……吾子? 吾(わ)だけでなく、大田や大伯(おおく)もおるのだ。大丈夫か?」
「ご安心くださいませ。姫天皇さま。これからご案内いたしますのは、姫天皇さま方が安心して滞在していただけるように、準備させていただいております」

 守興は深々と頭を下げる。
 そして、いくつもの輿を仕立てると、ゆっくりと移動していったのだった。



 その地は崖のようになっている海沿いではなく、小千氏の治める朝倉宮のある、現在の今治市朝倉……旧越智郡朝倉村とその周囲の越智郡玉川町、今治市。
 守興とその妻なつの故郷でもある地だった。
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