待ち合わせはモリスで

翼 翔太

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忘れればいい

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 最近京は『モリス』以外にも行くところがある。もみじさんの家だ。学校が終わると一時間から一時間半ほどおじゃまして、刺しゅうを教えてもらっている。ほうかちゃんはフランス刺しゅうを、京はビーズ刺しゅうをしている。ちょうど今、ミモザという黄色くて丸い花のブレスレットをつくっているところだ。
「あんまりまん丸にしようとしなくてだいじょうぶよお。そのほうがお花っぽくなるし」
 そんな風にもみじさんから言ってもらえてから、肩の力を抜いて手を動かせるようになった。
「わたし、刺しゅうって平面だけかと思ってました」
 京はもみじさんに言った。するとほうかちゃんも「あたしも」とうなずいた。もみじさんも最初はそう思っていたそうだ。
「立体刺しゅうの展示を見たことがあってね。とってもすごかったわ。キノコや小人も刺しゅうでつくられててねえ。とってもかわいくて、すてきだったの」
「えーっ、すごいっ。見てみたいね、京ちゃん」
「うん、そうだねっ」
 そんな風に話しながら手を動かしていると、おじいさんが声をかけてきた。
「五時半だぞ」
「あ、帰らなきゃ」
 片づけをすませると、京はもみじさんに教えてもらったお礼を言って、おじいさんといっしょに家に帰る。
「京ちゃん、ばいばーい」
「おじいさん、よろしくね」
 京はおじいさんに家まで送ってもらう。ほうかちゃんはまだお父さんとお母さんが帰ってこないので、もうしばらくいる。
 もみじさんが言うところによると、おじいさんは少し人見知りなところがあり、最初はぶっきらぼうな印象を受けるが、なかよくなってくるとやさしくなるらしい。そういえばもみじさんの家に遊びに行った一、二回は京一人で家に帰ったが、最近はおじいさんがいっしょに帰ってくれる。もみじさんがたのんでくれたのかと思っていたが、どうやらおじいさんが「おれたちの子どものころより、あぶなくなっているからな」と言って、自分から京を送ってくれているらしい。
 おじいさんとぽつりぽつりとおしゃべりをしているうちに、家の前に着いた。
「それじゃあな」
「はい。ありがとうございました。さよなら」
 おじいさんはちょっとだけ笑みを浮かべてから帰った。
 京はばんごはんを食べながら、もみじさんから聞いた立体刺しゅうのことを話した。お母さんも興味津々で、「どんな風にするのか、調べてみようかしら」と言っていた。
最近はいろんなことができたり知れたりして楽しい。京はそんな風に思いながらばんごはんを食べた。

 今日は日曜日で、大きなホームセンターにきている。お父さんが「次のキャンプにむけていろいろ買い足したいんだよ」と言ったためだ。お父さんは展示されているテントなどを見ると「うわ、もう新しいの出てる」とつぶやいていた。
 京はお母さんといっしょに、店内をぐるりと一周することにした。キャンプ用品に夢中になったお父さんは、しばらくその場を動かないからだ。
「なにか必要なものある?」
「ううん、だいじょうぶ」
 京はお母さんの問いに首を横にふった。
「あ、お母さん。ペットコーナー行きたい」
 京はホームセンターにくると必ずペットコーナーに行く。前の家はペットが飼えなかったので、犬やねこなどと会えるのはホームセンターくらいだったからだ。
 京とお母さんはペットコーナーにむかった。メダカや熱帯魚などの小さな魚がいる水そうから見る。犬やねこがいるところに移動しようとしたとき、見覚えのある姿があった。和久井だ。
なぜここに、と思ったが前の家のあたりからでも、このホームセンターが一番大きいことを思い出した。
 京は思わずお母さんの服のすそをつかんで立ち止まった。お母さんは「京?」と首をかしげている。
 心臓がばくばくと音を立て、周りの音が聞こえづらくなっていく。にげたいのに体がいうことをきかない。
 目が合ったらどうしよう。気づかれたらどうしよう。
 頭の中に苦しかったころの記憶が勝手に頭の中で再生されていく。
せっかくまたビーズづくりが楽しめるようになったのに。みんなでいろんな手芸ができるようになったのに。またつくれなくなるのはいやだ。
にげたい、にげたいのに足が動かない。目がじんわりと熱くなっていく。
和久井はガラスごしに小犬を見ていて、こちらに気づく様子はない。気のせいかもしれないが、教室にいたときより表情がやわらかいように感じる。そのとき、和久井のもとに一人の男性が近づいてきた。
「いつまでこんなところにいるんだ、早くこい。まったくお前は要領が悪い。いい加減にまともな人間になってもらわないと困る」
「ごめんなさい、父さん……」
 和久井から表情が消え、うつむいたままお父さんらしき男性について行った。お店の放送にまぎれて「帰ったら塾の復習だ。すべて正解するまで、ほかのことをするのは許さん」と言われているのが聞こえる。和久井の返事は聞こえなかった。
 まるで今までの不安や苦しさがうそのように消えていく。教室にいて京のことを悪く言っているときの、楽しそうで自分の強さを見せびらかしている和久井からは、想像もつかない大人しさだった。
 和久井が大人に従って、とぼとぼ歩いていく背中を見ていると、心の中がざわざわしてきた。けれど京は心がざわつく理由がわからなかった。
「京、ねえ、どうしたの?」
 お母さんの呼びかけに京は「なんにもない」と返事をした。

 数日経っても、京の心は晴れないままだった。
「京ちゃん、どうしたの?」
 ほうかちゃんに声をかけられ京は、はっとした。今はもみじさんの家で刺しゅうをしている。どうやら作業の手がとまっていたらしい。
京は和久井のことを話した。すると先に口を開いたのは、ほうかちゃんだった。
「なーんかそのお父さん、いやな感じ」
「そうねえ、ずいぶんときつい言い方ねえ」
 もみじさんもほうかちゃんの言葉にうなずいた。
「なんか、その姿を見ちゃって心がぐるぐるしてるというか、もやもやしてるっていうか」
「もやもや? どうして?」
 ほうかちゃんの言葉に京は答えられなかった。
「ずっと考えてるんだけど、わからなくって」
もみじさんが作業の手をとめて言った。
「それはね、きっとその男の子が強いと思ってたのに、そんなことなかったからじゃないかしら。しかもお父さんからそんな厳しい言い方をされて、傷ついているんだろうなっていうのもわかるから。その子はお父さんから毎日そんな風に言われて苦しくて、学校では暴れてるのかもねえ」
 するとほうかちゃんはもみじさんに考えを述べた。
「だからって京ちゃんを傷つけていいわけじゃないと思う」
「それはもちろんそうよ。人を傷つけていい理由なんてこの世にはないわ。でもその子もその子なりに、苦しい思いをしていたみたいね。だから京ちゃんは自分がどうすればいいか、わからなくなったんじゃないかしら?」
「うん。……そうかも」
 もみじさんの言葉を聴いて京はすとんと納得した。
「じゃあ、どうすればいいんですか?」
 京はもみじさんに尋ねた。するともみじさんはやさしいほほえみを浮かべたまま答えてくれた。
「ぜーんぶ忘れるのよ。されたことも、その子のことも」
「えっ? 忘れてあげるんですか? 京ちゃんは苦しんだのに」
 京よりも先にほうかちゃんが、もみじさんの言葉に反応した。もみじさんはそんなほうかちゃんの言葉に首を横にふる。
「相手のために忘れて『あげる』んじゃないの。京ちゃんの『心のために』忘れるのよ」
「どういうことですか?」
 京はもみじさんの言葉のちがいが、いまいちよくわからなかった。するともみじさんはきちんと説明してくれた。
「人っていうのはね、一度心が傷つくと苦しさや悲しさで、がんじがらめになってしまうの。まるでくさりで動けないようにしばられたようにね。それはね、とてもつらいことなの。そして心の傷もどんどん深くなっていく。下手をすればこの世を去ってもその苦しみが残ることもある。ワタシはね、京ちゃんにそんな風になってほしくないわ」
 もみじさんは京の手をとり、包むようにぎゅっとにぎった。
「だからその子のことなんて、忘れてしまいなさいな。そしてお友達と楽しいことしたり、いろんなものを見たりして、いーっぱい笑顔でいましょ」
 もみじさんの手はとても温かい。その温もりはじわじわと京の中に伝わってきているような気がした。
「もちろん、すぐに忘れるなんて難しいと思うわ。それでも、囚われてはだめよ。京ちゃんがこれから手に入れるはずの幸せが、苦しみのせいで消えてしまうから。ワタシはね、京ちゃんが幸せで笑顔なのが一番うれしいわ。……ああ、そうだ」
 もみじさんはゆっくりと立ち上がり、別の部屋に行ってしまった。少しして「うんうん、あると思ったのよ」と言いながら居間にもどってきた。
「京ちゃん、これ。あげるわ」
 そう言ってもみじさんが差し出したのは、黄色い花が刺しゅうされた布だった。どうやらコップの下に置くコースターのようだ。
「その花はフクジュソウっていってね。花言葉は『幸せを招く』とか『永久の幸福』っていうの。もしも悲しみや苦しみに囚われそうになったら、このコースターを見て花言葉を思い出して。ワタシたちみーんな、京ちゃんの幸せを願っているんだから」
 もみじさんからコースターを受けとる。刺しゅうは細かく、明るい黄色が心を元気にしてくれるように感じた。
もみじさんも、ほうかちゃんも、京のそばにいてくれる。京の幸せを願ってくれる。京はひとりではないのだ。
 ふとホームセンターのときの和久井を思い出す。和久井には幸せを願ってくれる人がいないのかもしれない。なんて悲しいのだろう。そう考えると和久井のことがかわいそうに思えてきた。
幸せになろう。前の学校のことなど忘れて、今の楽しい時間を過ごそう。きっとそれが、自分自身のためだから。
 京はもみじさんの言葉にうなずいた。するととなりにいたほうかちゃんが勢いよく抱きついてきた。
「あたしもいるんだからねーっ」
「えへへ、ありがとう」
 そのときおじいさんが「よっこいしょ」と言いながら立ち上がった。
「じゃあそんな幸せのために、今からマフィンでもつくるか。二人とも、持って帰りなさい」
「「わあいっ」」
 京とほうかちゃんは喜びの声を上げた。
「あらあら、間に合います?」
「どうやらホットケーキミックスでつくれるらしくってな。三十分ほどでできるんだとか」
「あら、それなら間に合いそう。楽しみね」
 もみじさんの言葉に京とほうかちゃんは、力強くうなずいた。
 作業を再開してしばらくすると、マフィンが焼ける香りがしてきた。
「あたし、もしも幸せににおいがあったら、こういう感じだと思うんだよね」
「たしかにそうかも」
 京とほうかちゃんは顔を見合わせて笑った。京の心はあっという間に、楽しい気持ちとマフィンのことでいっぱいになった。


 終わり
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みんなの感想(1件)

いりえ。
2024.09.07 いりえ。

心あたたまるお話で毎回癒やされていました。
和久井くんの心ない言葉のせいでトラウマを背負ってしまって、それを払拭したくてもがく京ちゃんの描写が読んでてとてもツラかったですし、応援したくもありました。
手を差し伸べてくれたほうかちゃんは優しさも含め、好きなモノを好きだと貫く強さも併せ持っていたと思います。それを京ちゃんが影響を受けたというか、勇気をもらって苦手だったビーズ手芸に再チャレンジできたのがホッとさせてくれましたね。
なんとなくですが、お母さんはそんな京ちゃんの心境をよく理解していたように感じます。
転校した経緯もあり気を遣っていたのは確かでしょうけど、親御さんの心境としてはとてもハラハラしていたんでしょうか。親目線としても仲の良い友達ができて安心していたと思います。
ラストの和久井くんの描写は、自分も京ちゃんのようにモヤモヤしました。
言いたいことを言ってケンカになったもみじさんとは対称的で、とても印象に残っています。
今日もモリスで手芸に花を咲かせているのでしょうか。もしくは新しい楽しい場所でしょうか。
好きなことを健やかに楽しむにはどうしたら良いのか、それをこの物語は教えてくれた気がします。
面白かったです。ここまでお読みいただきありがとうございました。

解除

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