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「ん、オッケー了解。それで、大黒さんは部活見学?」
問い質すまでもなく真意を汲み取った岸は、くろゆりのことをごく当たり前に苗字呼びに切り替えた。
「ここって何部なの?」
「見ての通り、演劇部だよ」
大仰に両手を広げて示した岸には申し訳ないけれど、どこをどう見ても体育館裏の用具倉庫にしか見えない。
事実として元々が用具倉庫だったのだから、外観だけを初めて目にした人に演劇部らしさなんて欠片も見当たらないだろう。
「わあ演劇部っ、朱乃ちゃん演劇部だったの? 役者にも挑戦するアイドルだねっ」
「違うし、まずそもそもアイドルじゃないから」
「そうそう、イッチーはいまは衣装担当だよ」
くろゆりの戯れ言にぞんざいな態度でため息を返すあたしの姿がどう映ったのか、岸は軽い調子であっさりと演劇部内でのあたしの担当を口にしてしまう。
別に隠す必要なんてないのだけれど、くろゆりの疑問にすんなり答えてしまうのがなぜだか釈然としないのだ。
部内でのあたしの担当が知れたところで何一つとして問題なんてない。いじわるをしたいわけじゃない。それなのに、訊ねられたことに素直に応えるのがなぜだか嫌だった。あたしのことを、ほんのわずかであろうとも知られてしまうことに抵抗を感じるのだ。
そんなあたしの心境など露程も知らない岸がいった通り、あたしは衣装制作を主な仕事としていた。要するに裏方であり、舞台上で演技を行う役者、つまりキャストではなかった。
「イッチーが入部してきたときはさ、稀代の大女優伝説の幕開けだって興奮したんだけどね。どうよ? あのオーディションで書類選考抜けるくらいにはかわいい顔してんだし、そろそろキャストやる決心付いたでしょ?」
本気なのか冗談なのか判然としない調子でぶっきらぼうに言い放つ。
それが岸の癖だとわかってはいるものの、叩き付けられているみたいに感じてしまい少しだけ首をすくめてしまう。
良くも悪くも思ったことをすぐに口にするし、思っていないことは口にしない。裏表がないといえば聞こえは良いけれど、要するに場の空気をまるっきり読もうとしていないだけともいえる。
だけど、かわいい顔してると岸が口にした以上、それは紛れもない本心であって間違っても嫌味や皮肉ではない。あたしの知っている岸はそういう子だった。
「うん、ほんとそう。朱乃ちゃんすっごくかわいいよね」
壊れた振り子人形みたいに何度も頷いてくろゆりが岸に向かって同意を示す。
同じことを口にされても、相手がくろゆりだと思うとなぜだか素直に受け止められない。知られることも嫌だけど、知った風な態度を取られることも嫌だった。だってあたしは、テレビ画面越しに観ていた時以上のくろゆりのことを何も知らないのだから。
「キャストは……、無理よ……」
「ふーむ。まいったなあ……」
何の気なしといった感じでキャストを打診してきた岸に、俯きながら首を振って返す。
肩をすくめた岸が雑な調子で頭を掻きながらため息を漏らして見せるけれど、こればっかりはどうしようもない。
あたしは、演技をすることが嫌なわけではない。――無理、なのだ。
「……朱乃ちゃん?」
視線を落としたあたしに声をかけてきたくろゆりの言葉を遮るように、
「えっ、おいあれ、くろゆりじゃねえかっ?」
「うっそ、マジかよ。うわっ、本物だ……」
「おい待てよ……、ここにいるってことは演劇部に入るのか……?」
遅れてやって来た男子部員たちの声が背後からわらわらと響いてきた。
あたしたち、主にくろゆりの姿を目にするなりあっさりと圧倒されて立ちすくみ、遠巻きにこちらを眺めながら耳打ちを始める。
「で、大黒さん。ここに来たってことは部活見学ってことでオッケー?」
「ううん、入る。よろしくお願いします」
岸の問い掛けに対して事も無げに二つ返事で入部の意思を即答したくろゆりに、驚きを隠しきれずにうっかり視線を上げてしまう。
待ち構えていたみたいに視線の先で微笑みを浮かべられたのだが、
「おい、入るってよっ。あの最終選考の演技回、見たかよ?」
「おおっ、見た見た、あれすごかったよな……」
「こんなママゴトみたいな部活に、あのくろゆりが入ってくるのかよっ」
ただ微笑んでいるくろゆりの真意が読み取れず改めて視線を逸らしたあたしを尻目に、背後で男子部員たちが興奮気味に歓声を上げた。
「おいこら、ママゴトっていったの誰だ? さっさと入れ、会議始めるぞ」
大盛り上がりで肩を叩き合っている男子たちを窘めるみたいに睨み付け、倉庫の扉を開け放ちながら岸が顎を振って促す。
ぞろぞろと倉庫の中に吸い込まれていく男子たちの後ろに、いつの間にか一年生たちもやって来ていた。
すでに事の経緯を把握している様子で、
「うわ、くろゆりだ……」
「すげえ……、本物だ……」
「めちゃくちゃ可愛いっ」
などと、遠慮がちに横目でチラチラと盗み見ながら足早にあたしたちの前を通り抜けていく。
「入部するとなったからには届の提出とか手続きがあるんだけど、ひとまず改めて、ようこそ我らが演劇部へ。部長に代わって歓迎するよ大黒さん」しきりに眼鏡に触れながら歓迎の言葉を述べた岸が、一つ咳払いをしてから続ける。「それにしても、ずいぶんテレビで観てたときと雰囲気が違うけど――、あ、こういうことって聞いてもオッケー?」
「いいよ。でも、そんなに違うかな?」
「うん、ぜんぜん違うね」
ミーハーなことに興味を示さないはずの岸でさえも、あの最終選考の特番を観ていたとは驚きだった。やはりあのオーディションの影響力の凄さを今更ながら改めて思い知ってしまう。
そして、あたしが感じていたくろゆりの雰囲気に対する違和感は、たった今ここが初対面であるはずの岸でさえ感じ取っているみたいだった。
「ツン……ドラ? だったっけ? ああ思い出した、ツンダルのくろゆり。あの見るからに全てを達観してるみたいな冷め切って怠そうな態度、わたしは好きだったけどね」
「んー、頑張って怠そうに見えないようにしてたつもりだったんだけどね。怠かったのは本当だけど」
相手が日本中の話題をさらったアイドルを辞退した有名人であろうと、まったく物怖じせずに対等に接する岸に向かって、くろゆりは口の端を持ち上げて曖昧な笑みを浮かべていた。
隣から盗み見たその横顔は、あたしに向けられているものとはあきらかに違って、薄く貼り付けた別のなにかみたいに見えた。
問い質すまでもなく真意を汲み取った岸は、くろゆりのことをごく当たり前に苗字呼びに切り替えた。
「ここって何部なの?」
「見ての通り、演劇部だよ」
大仰に両手を広げて示した岸には申し訳ないけれど、どこをどう見ても体育館裏の用具倉庫にしか見えない。
事実として元々が用具倉庫だったのだから、外観だけを初めて目にした人に演劇部らしさなんて欠片も見当たらないだろう。
「わあ演劇部っ、朱乃ちゃん演劇部だったの? 役者にも挑戦するアイドルだねっ」
「違うし、まずそもそもアイドルじゃないから」
「そうそう、イッチーはいまは衣装担当だよ」
くろゆりの戯れ言にぞんざいな態度でため息を返すあたしの姿がどう映ったのか、岸は軽い調子であっさりと演劇部内でのあたしの担当を口にしてしまう。
別に隠す必要なんてないのだけれど、くろゆりの疑問にすんなり答えてしまうのがなぜだか釈然としないのだ。
部内でのあたしの担当が知れたところで何一つとして問題なんてない。いじわるをしたいわけじゃない。それなのに、訊ねられたことに素直に応えるのがなぜだか嫌だった。あたしのことを、ほんのわずかであろうとも知られてしまうことに抵抗を感じるのだ。
そんなあたしの心境など露程も知らない岸がいった通り、あたしは衣装制作を主な仕事としていた。要するに裏方であり、舞台上で演技を行う役者、つまりキャストではなかった。
「イッチーが入部してきたときはさ、稀代の大女優伝説の幕開けだって興奮したんだけどね。どうよ? あのオーディションで書類選考抜けるくらいにはかわいい顔してんだし、そろそろキャストやる決心付いたでしょ?」
本気なのか冗談なのか判然としない調子でぶっきらぼうに言い放つ。
それが岸の癖だとわかってはいるものの、叩き付けられているみたいに感じてしまい少しだけ首をすくめてしまう。
良くも悪くも思ったことをすぐに口にするし、思っていないことは口にしない。裏表がないといえば聞こえは良いけれど、要するに場の空気をまるっきり読もうとしていないだけともいえる。
だけど、かわいい顔してると岸が口にした以上、それは紛れもない本心であって間違っても嫌味や皮肉ではない。あたしの知っている岸はそういう子だった。
「うん、ほんとそう。朱乃ちゃんすっごくかわいいよね」
壊れた振り子人形みたいに何度も頷いてくろゆりが岸に向かって同意を示す。
同じことを口にされても、相手がくろゆりだと思うとなぜだか素直に受け止められない。知られることも嫌だけど、知った風な態度を取られることも嫌だった。だってあたしは、テレビ画面越しに観ていた時以上のくろゆりのことを何も知らないのだから。
「キャストは……、無理よ……」
「ふーむ。まいったなあ……」
何の気なしといった感じでキャストを打診してきた岸に、俯きながら首を振って返す。
肩をすくめた岸が雑な調子で頭を掻きながらため息を漏らして見せるけれど、こればっかりはどうしようもない。
あたしは、演技をすることが嫌なわけではない。――無理、なのだ。
「……朱乃ちゃん?」
視線を落としたあたしに声をかけてきたくろゆりの言葉を遮るように、
「えっ、おいあれ、くろゆりじゃねえかっ?」
「うっそ、マジかよ。うわっ、本物だ……」
「おい待てよ……、ここにいるってことは演劇部に入るのか……?」
遅れてやって来た男子部員たちの声が背後からわらわらと響いてきた。
あたしたち、主にくろゆりの姿を目にするなりあっさりと圧倒されて立ちすくみ、遠巻きにこちらを眺めながら耳打ちを始める。
「で、大黒さん。ここに来たってことは部活見学ってことでオッケー?」
「ううん、入る。よろしくお願いします」
岸の問い掛けに対して事も無げに二つ返事で入部の意思を即答したくろゆりに、驚きを隠しきれずにうっかり視線を上げてしまう。
待ち構えていたみたいに視線の先で微笑みを浮かべられたのだが、
「おい、入るってよっ。あの最終選考の演技回、見たかよ?」
「おおっ、見た見た、あれすごかったよな……」
「こんなママゴトみたいな部活に、あのくろゆりが入ってくるのかよっ」
ただ微笑んでいるくろゆりの真意が読み取れず改めて視線を逸らしたあたしを尻目に、背後で男子部員たちが興奮気味に歓声を上げた。
「おいこら、ママゴトっていったの誰だ? さっさと入れ、会議始めるぞ」
大盛り上がりで肩を叩き合っている男子たちを窘めるみたいに睨み付け、倉庫の扉を開け放ちながら岸が顎を振って促す。
ぞろぞろと倉庫の中に吸い込まれていく男子たちの後ろに、いつの間にか一年生たちもやって来ていた。
すでに事の経緯を把握している様子で、
「うわ、くろゆりだ……」
「すげえ……、本物だ……」
「めちゃくちゃ可愛いっ」
などと、遠慮がちに横目でチラチラと盗み見ながら足早にあたしたちの前を通り抜けていく。
「入部するとなったからには届の提出とか手続きがあるんだけど、ひとまず改めて、ようこそ我らが演劇部へ。部長に代わって歓迎するよ大黒さん」しきりに眼鏡に触れながら歓迎の言葉を述べた岸が、一つ咳払いをしてから続ける。「それにしても、ずいぶんテレビで観てたときと雰囲気が違うけど――、あ、こういうことって聞いてもオッケー?」
「いいよ。でも、そんなに違うかな?」
「うん、ぜんぜん違うね」
ミーハーなことに興味を示さないはずの岸でさえも、あの最終選考の特番を観ていたとは驚きだった。やはりあのオーディションの影響力の凄さを今更ながら改めて思い知ってしまう。
そして、あたしが感じていたくろゆりの雰囲気に対する違和感は、たった今ここが初対面であるはずの岸でさえ感じ取っているみたいだった。
「ツン……ドラ? だったっけ? ああ思い出した、ツンダルのくろゆり。あの見るからに全てを達観してるみたいな冷め切って怠そうな態度、わたしは好きだったけどね」
「んー、頑張って怠そうに見えないようにしてたつもりだったんだけどね。怠かったのは本当だけど」
相手が日本中の話題をさらったアイドルを辞退した有名人であろうと、まったく物怖じせずに対等に接する岸に向かって、くろゆりは口の端を持ち上げて曖昧な笑みを浮かべていた。
隣から盗み見たその横顔は、あたしに向けられているものとはあきらかに違って、薄く貼り付けた別のなにかみたいに見えた。
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