新月の光

恵あかり

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第二部 紅陽(完結)

11 月下

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 東雨は何度目かの同じ夢を見た。
 自分は真っ暗な中に一つの明かりを見つめている。
 湿った空気に満ちた、夜の森。赤々と揺れるのは大きな篝火だ。耳の中に轟々と音を立てて、男の狂気じみた声が響いている。木々の向こうで白い影が揺れ、遠ざかるのが見えた。
 自分はゆっくりと歩みを進める。うずくまって、笑いとも、鳴き声ともしれない声を上げる黒い人影に近づいて行く。いや、その黒い人影が近づいてくるのか。どちらでも良い。
 手の中に、しっかりとその存在感を示す、重たい短刀。
 柄に手をかけ、引き抜く。
 ふっと匂う、土の香り。ゆらゆらと篝火が刀身に映り、脈打つように輝く。
 腕を高く掲げ、息を止め、その背中に……
 悲鳴を上げて、東雨は飛び起きた。
 全身にぐっしょりと汗をかいている。冷たい厨房の隅で、自分の息がわずかに白く煙ったようだった。思わず両手を見る。手のひらも手の甲も指の間も手首も。そして、ほっとして腕を下ろす。
 体はしっかりと覚えている。ぶつっと響いた。肉を断つ感触。人の皮膚はこれほど厚く、強いものなのだと、初めて知った。
 東雨は胸が落ち着くのを待ってから、そっと懐の中に手を差し入れる。自らの熱で温んだ一振りの短刀。夢の中で握り締めていた感触を、今再び直接その手で味わう。
 両手で抱き、背を丸め、震える。
 何度その夢にさいなまれても、彼は一度として後悔した事は無い。この罪は、自分のものだ。まるでそれだけが、唯一の持ち物であるかのように、刀とともに自身を抱きしめた。
 汗が引き、体が冷える。あっという間に凍えてしまう。
 屋敷は静まっている。東雨は苦しそうに煙抜きから空を見る。
 今夜は満月だ。
 満月の夜は、宝順の元に行かねばならない。
 東雨は立ち上がった。長く座り込んでいた体が痛む。と、はらりと肩から布が滑り落ちた。月明かりにかざす。それは玲陽の長袍である。薄紅色の、甘い香りがする。
 東雨の目元が、抑えきれない動揺で歪んだ。
 うたた寝をしていた自分に、そっと玲陽がかけてくれたのだろう。
 光理様、ごめんなさい……行かなくてはならないんです。
 東雨は長袍を羽織ると、勝手口から外へ出た。

 宮中の北側、五亨庵から最も離れたあたりに、近衛隊の練兵所がある。広い敷地内には、普段であれば、兵士たちが散り、それぞれに鍛錬に励むのだが、今は様相が一変していた。日も暮れ、東の空に浮かんだ満月の明かりを頼りに、多くの近衛兵がひたすら荷物の運搬と分別にあたっている。
 それを指揮しているのは、右近衛隊副長の遜蓮章である。
 冬の寒さに弱い蓮章はしっかりと厚着をし、髪も布で覆って備えながら、練兵場の入り口に立っていた。宮中のあちらこちらから、次々と木材が運び込まれてくる。
 蓮章は、それを用途別に分類する指揮をとっていた。
「床板と垂木は向こうだ」
 と、指示を出す。
 運んできた兵士たちが、そのまま荷車を押して奥へと進んでいく。木材が運ばれた先では、さらに斧で小分けにする。薪として使える状態で、荒縄でくくられ、山と積まれていく。
 蓮章のそばに、ひとりの近衛が馬を寄せてきた。
 湖馬である。
「梨花様、ただいま五亨庵より戻りました」
 五亨庵の名を聞いて、蓮章は不機嫌そうに眉根を寄せた。
 ご苦労だった、と形式的にだけ答える。湖馬は馬を降り、蓮章の仕事ぶりを眺めた。見慣れた練兵場は、完全に材木置き場と化していた。
「これは全部、壊した邸宅なんですね」
 と、湖馬は感心している。
「誰かさんのおかげでな」
 蓮章は不機嫌を隠さない。湖馬は苦笑いした。
「歌仙様らしいですね。持ち主もなく、放置されていた家をつぶして薪にするなんて」
「おかげで余計な仕事が増えた」
「でも、これで薪不足も少しは落ち着くでしょう? それに、荒れ放題だった屋敷がなくなるから、宮中の外観も良くなります。副産物の薪も手に入って、良いことずくめです」
 湖馬はいたって呑気だ。
「だとしても、どうして俺たちがやることになる?」
 蓮章はまだぶつぶつ言う。
「それは仕方がないです。歌仙様と仙水様は一蓮托生ですから」
 やれやれと蓮章は一瞬気を抜きかけたが、目の前を過ぎる荷車に朱色を見つけて呼び止めた。
「それは違う。漆や松脂を使ったものは屋内では燃やせない。野営用にするから西側に持っていけ」
 と、指示を出す。
 兵士たちは、蓮章に負けず劣らず、やれやれと言う顔である。
「五亨庵が言い出したのだから、涼景の隊がやるのが妥当であろうと。左近衛がくだらんことを言うから」
「陛下が認めてしまったんですから仕方がないですよ。それに、こういう斬新な計画、いかにも歌仙様らしいです」
 湖馬はにっこり笑った。蓮章はちらりと横目で見て、
「そんなにこの計画が気に入ったなら、お前も参加しろ」
 と、蓮章が職権の濫用に走る。湖馬は慌てて手を振った。
「遠慮します! 俺、今日一日ずっと五亨庵だったんですよ。報告に来ただけで……」
「それなら、明日は日の出と一緒に出仕しろ」
 蓮章がまた無茶を言う。湖馬は肩をすくめた。
 このようなことは、近衛隊の業務ではない。
 民間から人夫か大工を雇うのがすじだ。しかし、突然のことであり、また、彼らに支払うだけの予算もないと言う理由で、急遽右近衛隊が借り出されたわけだ。
 犀星のやることはいつもそうだ、と蓮章は呆れている。いくら宮仕とはいえ、慈善事業で徹夜作業を命じていては、隊の士気にもかかわる。
「梨花様、あれ!」
 湖馬が驚いた声を上げた。
 横倒しの太い柱が、丸太の上を転がされて運ばれてきた。蓮章ががっくりと肩を落とす。
「現場で切って、朱市に運べと言ったのに……」
 解体現場には、指示は出しているのだが、時々このような間違いが起きる。
 暁隊と違い、近衛は決まった仕事をこなすのは任務である。場所や対象が違っていても、警護する基本は変わらない。そのため、応用力に欠ける。また、言われた事はできるが、自分の頭で考えることをしない者が多い。暁隊は逆に自分勝手すぎて困る。その中間は無いものかと蓮章は常に頭が痛い。
「あれどうするんですか?」
 湖馬は呆然として眺めている。
 この種の廃材はあまりにも丈夫で、簡単に加工することはできない。
 再利用も可能だが、今回はすべて薪にせよと言う命令である。
「どうするもこうするも、やることは一緒だ」
 蓮章は柱を運搬していた十数名に歩み寄った。
 「止めろ。その場でいいから、のこぎりで切れ。四等分だ。切ったら車に乗せて、朱市へ運べ」
 近衛たちはぎょっとして顔を見合わせ、絶望的な顔をする。
「朱市って…… 宮中の反対側じゃないですか!」
「運ぶだけでいい。あとは暁隊の連中がぶっ壊してくれる」
 何か納得したような顔で、兵士はうなずき、声を掛け合って作業の準備をする。
「こんな時に、涼はどこに行っている……?」
 と、蓮章の苛立ちの矛先は涼景に向く。
「仙水様なら……」
 と、湖馬が言った。
「左近衛の詰所です。呼び出されたんですよ」
「左だと?」
 蓮章は今夜一番の嫌な顔した。
 宮中の勢力は、右と左に分かれている。
 右相の流れを組む右近衛と暁隊、左相の流れを組むのが左近衛と連番隊だ。
 それを核として、それぞれの官吏たちが、右と左に別れるのが通例である。
 これは決して反目することが目的なのではなく、それぞれの立場から様々な意見を吸い上げ、多様な考え方を取り入れるための政治的構造だ。
 だが、現場では、やはり反目している、と言う表現がふさわしかった。
 右近衛隊の隊長である涼景が、左近衛隊の詰所に呼ばれたというのは、不穏な空気以外の何物でもない。
 また面倒なことが起きるぞ。
 と、蓮章は必死に今後の予定を組み変えた。
 忙しい最中だって言うのに、次から次へと…
 蓮章のような中間管理の立場にあるものは、常に上と下の間で板挟みである。
 白髪が増える、と蓮章はつぶやいた。
 どうせ染めるのだからいいじゃないか、と湖馬は思ったが、命が惜しいので黙っている。
 とりあえずは目の前のことだ。蓮章は切り替えて、要領よく木材をさばく仕事に専念した。

 天輝殿は、常時配置される禁中の警備を司る禁軍と、月毎に持ち回る左右の近衛隊によって警備される。
 月が南の高い位置にかかるころ、備拓と交代するため、夏史が引き継ぎの兵を連れて天輝殿の門に現れた。
 夏史は部下を先行させると、備拓の前で深く礼をした。
 備拓は落ち着いて頷いた。齢四十にとどく貫禄のある備拓の立ち居振る舞いは、篝火に浮かび上がる天輝殿の広い階にふさわしく、堂々としていた。
 夏史は備拓が不在だった午後の動きを報告し、明日の予定を確認した。その間に、備拓と共に前半の夜警にあたっていた兵たちが戻ってくる。隊列をつくり、無言で備拓の後ろに整列する様は、よく訓練された近衛の動きとして美しかった。
「備拓様」
 夏史は帯に下げていた布袋を外すと、備拓に差し出した。
「これは?」
 受け取り、備拓が尋ねる。夏史は少し顔を上げて、
「右近衛隊長より、お渡しするようにと預かってまいりました。中は存じあげません」
「そうか」
 備拓はその場で袋を開いた。
 薄い竹簡に、短く文字が書き付けられていた。
「これを、燕仙水が、私に?」
 備拓はもう一度、夏史に確かめた。
「はい」
 と、夏史は静かに答えた。
「あいわかった」
 篝火の火に揺らめく備拓の表情が、わずかに曇る。
「では、あとを頼む」
「御意」
 夏史は頭を下げたまま、備拓を見送った。
 その姿を、備拓は馬上で一度だけ振り返る。そして、もう一度、竹簡に目を向けた。
 満月の光が照らし出すその文は、今夜、西の矢倉に来るように、との指示だった。
 何を考えている?
 備拓はさまざまに想像を巡らせた。
 天輝殿を離れ、少し行くと、備拓は突然、隊を止めた。馬を降り、兵の一人に手綱を預ける。
 明るい月夜に、馬は目立ちすぎる。
 兵たちには詰所に戻るよう伝え、自分はひとり、徒歩で中央区を横切った。
 ことの真実はまだ見えないが、知られずに動いた方が良いことだけは、備拓にも察しがつく。
 かつて、英仁のもとで副長を務めていた時から、その才覚は際立っていた。もともとは近衛ではなく、戦における実戦をになった正規軍の出身である。大怪我をして前線に立てなくなった備拓を、英仁が指南役として登用したのがはじまりだった。
 周囲は何かと、備拓が英仁を妬んでいると噂していたが、実のところは真逆であった。妬むどころか、備拓はよく英仁を支え、その信任も厚かった。
 しかし、表向きにはあえて、憎まれ役を買っていた。そうすることで、周囲の不満を自分にあつめ、逆に英仁には理解ある指導者として光をあてたのである。それは、当人たちにしかわかり得ぬことであった。
 隠密行動など、何年ぶりだろう。
 備拓は昔の勘を頼りに息をひそめ、足音を消して、暗がりを選んで矢倉を目指した。
 三年前、北方民族の襲来の折り、宮中内部で暴動が起こったことがある。
 戦時下で住む土地を奪われた民や商人などが集結し、西門から宮中に侵入したのだ。
 通常であれば考えられない惨事であった。その背景には、いくつもの偶然と策略が重なっていた。
 第一に、警備の薄さがあった。本来であれば、白虎門は右近衛隊が管轄する。しかし、当時、右近衛隊の隊長であった燕涼景は、正規軍の大将として北方の前線に出ており、参謀の遜蓮章もまた、それに従軍して不在だった。右近衛隊の指揮権は一時的に左近衛隊長の英仁に委譲されていたが、緊急の事態であり、掌握が遅れた。
 また、内部から手引きした者もあった。戦時の混乱に乗じて宝順帝を廃し、自らの即位を狙った第一親王・周紡の差金であった。
 白虎門近くの矢倉を拠点とし、民や周紡の私兵を相手に、近衛隊の陣頭に立ったのが英仁であった。
 できる限り民の犠牲を少なく抑えようと計ったが、結果として戦いは長引き、隙をつかれて命を落とした。
 英仁の死は、決断の甘さが招いた事故であった。
 備拓はすぐに隊をまとめ、実力行使でその場を鎮圧した。
 都の混乱の知らせを受けてとって返した正規軍により、周紡は討たれ、謀反は失敗に終わった。だが、備拓はその後、あらぬ疑いと心無い噂にさらされることになった。
 それでもよい、と備拓は思っている。
 自分一人が嫌われるだけで、他の者たちの心がひとつになるのなら、安いものだ。
 涼景が皆の信頼を一身に集めるならば、備拓は反対に、孤独の中で支配力を示す指揮官であった。
 道中の篝火のひとつで、備拓はそっと竹簡を燃やした。
 防風林の間を抜ければ、件の矢倉が見えてくる。英仁が亡くなってからは、立ち入ることのなかった場所である。当時を思い出すと、自然と歩みが遅くなった。
 夜陰に紛れて、備拓は矢倉の戸を開けた。
 見上げれば、隙間から差し込む月光がぼんやりと板壁と梯子とを照らしていた。
「仙水どの?」
 小さく声をかけた。
 ぎしり、と天井の板が鳴った。月明かりで切り取られた見張り台の上から、人影がこちらを見下ろすのが見えた。
「備拓様?」
 低い声が答えた。
「今、上がる」
 言って、備拓は慎重に梯子を登った。
 見張り台の上では、隅で文官風の装束の男が眠り込んでいた。
 備拓は足元を気にしながら、距離をとって涼景と向き合った。
 南天に満月が輝く夜、静謐な林に囲まれた矢倉の廃墟に、左右の近衛隊隊長が対面する。
 この貴重な場面、ただ一人の目撃者であるはずの緑権はぐっすりと眠り込んでいた。それはそれで幸いだったのかもしれない。目覚めたところで、この状況に慌てふためくだけだろう。
「さて、どうしたものか」
 備拓はうっすらと笑みを浮かべた。気まずそうに、涼景も小さく頷いた。
「一応、お尋ねしますが」
 と、涼景は遠慮がちに、
「どうして、備拓様がここへ?」
「うむ。『燕涼景』どのに呼ばれてな。英仁様の死について真実を知っている、と」
「なるほど。その真実とやら、私が知りたいくらいです」
「時として忠義は、目を曇らせ、憎む相手を求めるのだろうな」
「そういうことですか」
 涼景は得心した。そして、極めて穏やかに、
「私の口を封じるため、あなたが刀を抜く……」
「そして返り討ちに合い、わしは殺される……」
「そして私は、私情であなたを殺めた罪を負う、と」
 全ては、夏史の誤解から生じた茶番。しかしそれは、単なる戯れと笑い飛ばすにはあまりに切なく、痛ましかった。
 備拓は深く、息を吐いた。
「さて、どうしたものかな、暁どの?」
「このような静かな夜に、剣戟とは無粋」
 涼景は微笑した。
「月見でもいたしましょう」
 言って、空を仰ぐ。
 涼景の頬を、月光が静かに照らしている。備拓は目を細めた。若く精悍なその雰囲気は、かつての英仁の面影と重なる。
「暁どの。そなたは、気をつけなされよ」
「それは?」
「どのような強者とて、全てをひとりで担うことはできぬゆえ」
 言いながら、涼景と並んで月を見る。
「あの方は私たちに弱みを見せなかった。英仁様が亡くなられた時、私には他に、できたことがあったのではないかと、今でも悔いている」
 涼景はじっと老兵を見た。その言葉には嘘偽りはないと感じる。備拓は今でも、英仁の死を悼み、その思いに寄り添おうとしているようだった。
 備拓は穏やかに笑った。
「そなたとここで斬り結ぶことはできぬが、一度、手合わせ願えればと思っている」
「それも一興」
 涼景はうなずいた。
 その時、煙が立ち上るように、備拓の背後に闇が生まれた。夜の暗さとは明らかに違う、すべての光を吸い込む黒だ。
 涼景は思わず飛び退いた。
「仙水どの? いかがなされた……っ!」
 驚いた備拓の口に、黒い闇が渦巻いて潜り込んだ。涼景の脳裏に、歌仙での激闘が鮮烈に蘇る。
 傀儡だ!
 がくっと膝をついた備拓が、肩を震わせた。
 涼景の身体は反射的に大太刀に手をかけた。だが、柄を握っただけで、抜くことはできなかった。ここで抜けば、本当に後戻りができなくなる。
 左右の近衛隊隊長が決闘沙汰など起こしては、宮中全体を巻き込む騒動となる。
 だが、備拓はもはや、人ではない。
 ぐらりと揺れて、備拓は体を起こした。震えながら、剣を抜く。よく手入れされた透き通るような刃が月明かりに白く輝いた。
 備拓の目は、虚ろに開かれ、何も見てはいない。
 傀儡は、自分の気持ちに共感する者に取り憑くという。英仁の魂が本当に傀儡として残されていたのならば、備拓を選んでもおかしくはなかった。
 まさか、夏史はそこまで知って、ここへ?
 だとすれば、夏史の裏には、傀儡の道理に通じた者がいる可能性が高い。
 だが、そのことを深く考えている暇はなかった。
 涼景は一歩下がった。床がきしむ。下手に動き回れば、床板が崩れかねない。じりじりと距離をとったが、その間合いは備拓の飛び込みで一気に詰まる。
 涼景の目の前で、剣の先が空を斬った。風圧を肌で感じてのけぞる。なおも追って振り下ろされる追撃を、かろうじて交わしながら、涼景は必死に考えた。
 正面からぶつかっても、力では敵わない相手である。逆にその攻撃を弾けば、反動で備拓の腕が破壊される。床や壁に当たるだけでも傷つく恐れがある。唯一の方法は、自分に引きつけ、空振りでを狙うことだった。それは、まさに命懸けの、ぎりぎりの攻防となる。
 犀遠との戦いで、傀儡憑きを無傷で抑えることがどれだけ難しいか、涼景は思い知っていた。しかも、今は自分しかいない。
 どうしたら……
 涼景の目に、明らかな焦りと動揺が浮かんだ。
 この状況を打ち破れない!
 涼景の目が、わずかに震えていた。

 真夜中だというのに、朱雀門は珍しく開かれていた。
 東雨は不思議そうに兵士たちの動きを見守った。そして、納得した。
 不要な建物の解体工事が、急ぎ進められているのだ。
 たしか、若様が命令を出したんだっけ……
 東雨は素早く門の端をすり抜け、朱市の東側を足早に過ぎていく。いつもなら静かな朱市は、宮中のあちこちから集められた巨大な木材が乱雑に置かれ、それに群がるように、暁隊の兵士がのこぎりや斧で細かく砕いていた。
 まるで、獲物に群がる蟻みたい。
 東雨は、宝順ならばそんなことを考えるだろう、と思いながら、横目で見た。
 生真面目そうな黒色の甲冑は、右近衛隊の衛士だ。対する暁隊は、基本はえんじ色の革鎧姿だが、中には鎧を煩わしがって、印となる色布を腕や首に結んだだけの者もいる。右近衛も暁隊も、同じ涼景という一人の人間を大将にしているが、その性格はあまりに対極だった。
 お堅い近衛と、乱暴な暁。
 東雨の中ではそんな認識だ。
 こんな真夜中に一人で宮中を歩く姿は見られたくなかった。東雨は長袍を目深にかぶり、顔を隠しながら先を急ぐ。
 と、行く手に見知った人物を見つけて警戒する。
 あれは……左近衛隊長?
 東雨は咄嗟に、近くの木の影に潜んだ。
 こんな真夜中に一人で朱市を歩くなんて……
 と、自分のことは棚に上げて怪しむ。
 東雨は直感的にあとをつけた。
 左近衛隊長は、広い朱市を横切り、奥まった道へ入っていく。明らかに人目を避けている。東雨は音もなく追った。
 どこへいく?
 この道の先には、今は誰も近づかない古い矢倉がある。先代の左近衛隊長が暗殺された、見張り塔だ。
 後をつけて、東雨は矢倉のすぐそばまで来ていた。木の間に隠れ、様子を伺う。
 気味が悪い……
 左近衛隊長は、素早く入り口の奥に姿を消した。ギィと軋む木の音がした。
 東雨は茂みの中にしゃがみ込んだまま、しばらくじっとしていた。
 誰かと密会するにしても、老朽化が進んでいる危険な場所を選ぶだろうか?
 気になることが多かった。
 遠くで、暁隊の作業する声や音がかすかに聞こえているほかは、風もない静かな夜だ。満月だけはいやに明るく、視界は開けていた。
 東雨は矢倉を見上げた。
 強い風が吹けば倒れるのではないか、という危ない角度に傾き、土台となる柱にもひびが入っている。
 ギシッとまた、軋みが聞こえた。入り口を見たが、変わりはない。
 何だろう?
 東雨は注意深く矢倉の輪郭を目で追う。その視線は、最上階の開かれた見張り台の上で止まった。
 東雨の位置からは、見張り台の奥までは見えないが、ちらりと今、確かに人影が動いた。
 一瞬のことだったが、東雨にはそれが涼景だということがはっきりとわかった。しかも、それを追うように左近衛隊長の姿も確認できた。隊長の握った剣が、月光を弾いて眩く光った。
 ふたりが戦っている!
 東雨の心拍が急に高まる。
 真夜中、荒廃した楼閣の上で、右と左の近衛隊長が戦っている!
 これはどう考えても、異常事態である。
 東雨は焦った。
 どうにかしなきゃ……って、何をどうすれば……っ!
 自問自答を繰り返す間にも、幾度も、金属の衝突音が冷たい空気を伝わってくる。
 涼景が負けるとは思えなかったが、勝てば済む、とも考えられなかった。
 宮中で人傷沙汰を起こせば、いかに涼景とて咎めなし、とはいかない。しかも、相手が左近衛隊長となればなおさらだ。
 涼景の、破滅。
 東雨はゾッとして、全身が震えた。
 涼景がいなくなれば、自分は正体を暴かれずに済む。
 ……見殺しにすればいいだろう……?
 そう、心の底深くから、何かが首をもたげてきた。
 だが、鋭い閃きが、それを引き裂いた。
 違う、もう、殺しちゃだめなんだ!
 東雨はまなじりを決した。だが、助けるにも、自分に何ができるだろうか。
 ……そうだ!
 東雨は茂みから飛び出した。
 朱市に向かって走りながら、髪をほどき、顔の半分を隠すように長袍の襟を引き寄せ、左手で押さえる。
 懐に入れてある短刀を引き出し、右手でしっかりと握った。
 暁隊の作業の輪に駆け込む時には、まるで必死に助けを求める少女の装いである。
「お願い!」
 東雨は高く叫んだ。
 その声は喧騒にかき消されそうになったが、近くにいた隊士の一人が気づいて振り返ってくれた。それに続いて、手を止めた何人かが東雨を見た。
「なんだ、あんた?」
 東雨は右手に握った短刀を、隊士の前に突き出した。
「それ……暁様の懐刀じゃないか!」
 それが、涼景のものであることは、一目見れば明らかだった。次第と東雨の周りに、好奇心いっぱいの隊士たちが集まってくる。
 東雨は怯えた目でそれを見回し、涙を浮かべて、切なく叫んだ。
「お願い、助けて! 涼景様が危ないの!」

 薙ぎ払われた一撃を避けて、涼景は床を転がった。
 素早く立ち上がろうとして踏んだ床板が抜け、体勢を崩す。そこに備拓の剣が真上から振り下ろされた。涼景は無心で太刀を抜き、峰で受けた。そのまま備拓の剣を滑らせ、力を削いでやり過ごす。
 備拓が姿勢を崩して倒れかけた上に覆いかぶさり、背後から床に押さえつけた。完全に備拓の身体に体重を乗せたが、易々と跳ね飛ばされた。危うく台の上から転落しそうになり、涼景は柵に取りすがって這い上がった。
 立ち上がる間もなく、備拓がその腹を蹴り上げた。まるで大鎚で殴られたような衝撃に、意識は一瞬遠のいた。必死に立ち上がった涼景の胸を目掛け、備拓の剣がまっすぐに突き出された。
 その時、どすん、という衝撃が、大地から伝わってきた。備拓も涼景もよろめき、剣筋がそれる。
 地震か?
 涼景は片手を付いて、身体を支えた。備拓を振り返る。すぐにでもこちらに向かおうと、身体をねじって剣を構えている。
 だが、続けざまに、衝撃が矢倉を揺らし、足元が自由にならない。揺れは一撃ごとに大きくなり、矢倉は激しく揺さぶられる。
 ……何が起きている?
 涼景の疑問に答えるように、突然、大声が響いた。
「暁様! 生きてますか!」
 涼景は耳を疑った。自分を呼んだ声は、はるか地上から飛んできた。
 また、激しい衝撃が襲い、見張り台が大きく傾いた。
「あぶない!」
 涼景は咄嗟に緑権の元に走る。その足元が急傾斜となって、壁のようにせり上がる。
 悲鳴をあげて転がり落ちてきた緑権の帯を片手で捕まえ、反対の手で床の端を掴んだ。
 手から離れた大太刀が、崩れる破片と共に落ちていくのが見えた。
「くっ!」
 涼景は声をあげて、手に力を込め、緑権をぶら下げたまま、どうにか持ち堪えた。矢倉は天井からばらばらと瓦が落ち、崩壊の一途をたどっている。
 素早く視界を回して備拓を探す。少し先の板の間に、備拓の身体が挟まっていた。
「備拓様!」
 気を失っているのか、動く気配はなかった。月明かりが備拓を照らし出す。と、その口から、勢いよく黒い風が吹き出した。
 傀儡が抜けた?
 涼景の目には、黒い風が矢倉の壁を突き抜けていように見えた。
 掴んでいた床板が、涼景と緑権の重みに耐えかねて、音を立てて剥がれ始める。
 まずい!
 涼景の目が震えた。
 そこにまた、容赦のない衝撃が走って、ついに、矢倉の支柱が砕けた。
 乾いた柱がバリバリと裂けていく音と共に、支えの板が弾け、涼景は宙に浮いた。ありえない角度に世界が回転する。月が、足元に見えた。
 死ぬ!
 どうすることもできない浮遊感と、絶望で、涼景は目を閉じることもできず、矢倉の瓦礫と共に地面めがけて落下した。
「せーの!」
 何人もの声と、枝が軋む音とが重なって、背中が大きな力に受け止められた。弾んで、今度は硬い地面に投げ出される。体が転がり、木の幹に衝突してようやく止まる。
「……っ!」
 涼景は呻いた。何が起きたかわからなかった。
「よっし! うまくいった!」
 陽気な声が響き、歓声までが聞こえてくる。暁隊の面々は手を打って笑った。
 矢倉の周りの木々の枝に縄をかけ、それを引いて横倒しにして重ね、落ちてきた涼景を受け止めたのだ。
 涼景と緑権の体は一度枝の上で跳ね、それから地面に転がった。
「う……っ!」
 涼景はしびれる体でうめいた。
「生きてますかい?」
 差し出された無骨な手を、涼景は握った。力は入らなかったが、相手の剛力に引き起こされ、どうにか座る。
 周囲を見回し、涼景は愕然とした。
 三十名ほどの暁隊の隊員が、笑顔で取り囲んでいた。
 矢倉は柱が打ち壊され、見事に崩壊している。隊員の何人かが、大型の斧や解体用の大木槌などにもたれて、にやにやしながらこちらを見ていた。
 背中の傷みに耐えて後ろを見ると、自分を受け止めた数本の木が、根っこからひっくり返っていた。
「隊長、こいつ、どうしましょう?」
 二人の隊士が、気を失った備拓を両脇から抱えて引きずってくる。気を失っているだけで、息はあった。目立った外傷もない。
「……左衛房に返しとけ。丁重にな」
 涼景は自分でも情けないほど、掠れた声で言った。
 へい、と、軽く答えて、備拓を抱えた隊士たちが横を過ぎていく。涼景はそれを見送り、深く息を吐くと、改めて隊士たちを見上げた。
「おまえら、どうして……」
 一際大柄な男が、涼景の前にしゃがみ込んで、無遠慮に顔を近づけた。
「あんたが危ないって、知らせてくれた人がいたんだ。あとは、まぁ、やれることをやっただけさ」
「……知らせた?」
「ああ」
 隊士の顔にはみな、興味ありげな笑いが浮かんでいる。どうやら、作戦がうまくいったことを喜んでいるだけではなさそうだ。
「隊長、いつの間にあんなの、食ってたんですか?」
「……え?」
 涼景は意味がわからず、首を傾げた。
「黒髪で、白い肌で、薄紅の袍を羽織った、若い女の子ですよ!」
 身に覚えがない。
「その少女が、知らせたと?」
「ええ。『涼景様を助けて!』って、そりゃもう、必死で……可愛かったよなぁ!」
「ありゃ、間違いなく、ぞっこん惚れてますぜ」
 大口を開けて笑い合う隊士を、涼景は呆然と見た。
「……いや、本当に知らない相手だと……」
「またまた!」
 大柄な男が、にやっと笑う。
「誤魔化したってダメですぜ。なんせ、あんたの懐刀を持ってたんだから、間違いない」
 ……懐刀……だと?
 涼景は目を見張った。
「ほら! 心当たりある顔だ!」
 と、男が意地悪く笑った。
「刀を渡すほど惚れたか! あんたがそんな純情見せるとはなぁ」
 と、大笑いする。
 暁隊にとって、左近衛隊隊長と右近衛隊隊長の緊迫した場面を解決したことなど、どうでも良い。涼景の恋愛模様に首を突っ込めたことのほうが、意味がある。
 なおも盛り上がる隊員たちの声を遠くに聞きながら、涼景は知らず知らずに手を握りしめていた。 
 そのやりとりを、東雨はこっそりと木の陰から見つめていた。
 これで、よかったんだよな……
 それは、涼景に対しての言葉だったのか、自分自身に対しての確認だったのか、東雨にもわからなかった。
 その存在すら忘れられていた緑権がようやく目を覚まし、寝ぼけまなこできょろきょろとする。 
 一瞬、東雨と緑権の目が合った。
 気づかれる!
 東雨は身を翻した。
 天輝殿へ。今宵、皇帝の元へ向かわなければならない。
 
 やったことの始末はつけろ。
 涼景は、暁隊に矢倉の解体と木材の運搬を指示すると、自分は急ぎ、天輝殿へ向かった。
 いつもなら、隊長が仕事を押し付けて逃げた、と文句を言う隊士も、今はなぜか下卑た笑みを浮かべて、しっかりやれよ、と見送ってくれた。
 涼景は言い訳をしても面倒だ、とそれを見逃し、夜の宮中を走った。
 人目を気にせず、大通りを突っ切って、天輝殿へと先回りする。
 近づくと、正面門から少し離れ、木柵の陰に身を潜めた。
 胸が、鳴っていた。明らかに何かを期待し、同時に、どうすべきか迷った。
 涼景は月を見た。
 東雨が、満月の夜に宝順と密会していることは、とっくに掴んでいた。
 すでに、東雨は天輝殿に入っただろうか。それとも、向かっている最中か……
 どちらにせよ、ふたりきりで話をするには、今夜しかない。
 急いだ方がいい。
 東雨の侍童という立場は、彼の年齢では不釣り合いである。
 しかも、東雨が犀星に傾きつつあることに、宝順が気付いていないわけがない。
 このままでは、切り捨てられる。
 そうなる前に、どうしても東雨を救いたかった。
 どんな関係性であれ、その成長を見守ってきたのだ。涼景にも情が湧く。
 東雨の正体について、犀星に話そうとしたこともあったが、取り合ってはもらえなかった。犀星は、東雨の密使としての行動を知りながら、それを決して認めない姿勢を崩さない。涼景に、説得は難しかった。
 東雨の正体を明らかにしてしまえば、それで、彼の任務は失敗となる。宝順は全ての始末として、東雨を殺すだろう。
 自分の身辺を宝順に握られたとしても、犀星は東雨を手元に置いておくつもりだ。
 言い出したら、頑固な奴だから。
 犀星の気質は理解していた。
 ならば、涼景にできることは、東雨をこちらに引き込むことだけだ。
 勝算はある、と涼景は踏んでいる。
 東雨はもともと、素直な性格である。心根は優しく、争いを好まない。幼い頃から知っている涼景には、それがよくわかっている。
 そんな東雨は、犀星に懐いた。
 それは、初めは演技だったかもしれない。だが、犀星の人を惹きつける魅力と、東雨の性格を合わせれば、自然と惹かれ合うことは予測できた。
 そして、確かにそれは現実になった。
 ただ、涼景が思うよりも、宝順による東雨の支配は強く、その呪縛から受け出すことは容易ではなかった。
 影絵のような景色の中で、小さく素早く、人影が動いた。
 涼景はとっさに駆け出した。足音を潜めたが、冷えた雪が音を立てた。人影がこちらに気付いて、振り返った。
 月光の下で、東雨の姿がはっきりと見えた。
 涼景は、思わず目を奪われた。
 いつも高く結っている髪を下ろし、目深に袍を羽織った姿は、純粋に美しかった。
 こりゃ、あいつらが誤解してもおかしくないな。
 涼景は、隊士たちの顔を思い出した。
 東雨も、涼景だと気付いて、じっと見つめたままだ。
 前にも、こうして睨み合ったことがあった。
 あの時、涼景の心には余裕がなく、思わず手を出してしまったが、あれ以来、ずっと後悔している。
 つとめて、心を落ち着かせた。
 東雨は無表情で、ただ、こちらを見るだけだ。
 沈黙が苦しかった。
 矢倉での礼を言うべきか、それとも、こんな時間にうろついていることを、とがめるべきか。
 いつもなら、即断できる涼景だが、なぜか、東雨を前にすると、調子が狂う。長く沈黙を引きずってしまう。
 そのうちに、東雨が小さく顎を引き、天輝殿へ向き直った。
「待て!」
 小さく鋭く、涼景は発した。
 そのあとに続ける言葉はなかった。
 東雨はかすかに振り返った。
「何? また、乱暴する気?」
 ぞくっと、涼景は鳥肌が立った。
 普段の東雨と別人の、空々しく冷たい声だ。
「俺に構うな」
 侍童としてではなく、密使としての言葉だった。
 涼景は心を決めた。
「もう、やめろ、東雨」
 はっきりと言う。
「おまえは、自由になれ」
 その一言に、東雨は袍の裾をなびかせ、しっかりと涼景に向き直った。
「自由?」
 東雨の声が笑っていた。
「そんなもの、どこにもない」
「だったら、これから見つければいい」
 涼景は食い下がった。
「俺が力になるから……」
「ふざけるな」
 歴戦の経験を持つ涼景さえ、思わず口をつぐむ迫力が、東雨にはあった。
「余計な手出しはごめんだ」
 涼景は耳を疑う。東雨の口調は、聞き慣れたものとは程遠い。
「俺はもう誰の指図もけない。これ以上、好きにされてたまるか」
 もう十分に苦しい。
 そんな本音が感じられた。
「おまえ、俺と同じだな」
 涼景は、知らず知らずのうちに、そんなことを言った。
「何でもかんでもひとりで背負いやがって。自惚れるのもいい加減にしろ」
「そういうあんたも自惚れているだろ。人の人生、どうにかできるなんて思い上がりだ」
 涼景が眉間に深く皺を刻んだ。
「ここで俺を斬るか?」
 それは、挑発と言うにはあまりに曖昧な問いかけだった。
 東雨は、歪んだ笑みを浮かべた。
「できない。あんたには何もできない。ただ、見ていることしか」
 東雨の言葉は涼景ではなく、自分自身を追い詰めているかのようだ。
 涼景は声を高くした。
「なぜわからない? おまえは利用されているだけだ」
「だから?」
「東雨」
「だったらどうだっていうんだ? 俺にはこうして生きる他に道はない。あんただって似たようなものだろ」
 吐き捨てた東雨の言葉に、涼景は動じなかった。ただ、互いに視線を外すことはない。
「東雨、俺はおまえをずっと見てきた。このままでは、遅かれ早かれ、もたなくなる」
「知るか。俺は、ずっと俺のままだ」
「強がるな。何もかも台無しにする前に、考え直せ」
 東雨はそれを、笑い飛ばした。
「東雨……気付いているのだろう?」
 涼景が低く言った。
「これ以上、抱え続けることはやめろ。壊れるぞ」
「…………」
「おまえから、星に話せ」
 東雨の目に映る月の光が、ゆらゆらと光った。
「おまえの言葉なら、あいつだって……」
「……よかった」
 東雨のつぶやきに、涼景は口を閉じた。
 睨みつけるように、東雨は上目で涼景を見た。
「助けなきゃ、よかった」
 ああ、違う!
 と、涼景は思った。
 こんなふうに、東雨を追い詰めたかったわけではなかった。
 ああ、違う!
 と、東雨は思った。
 自分の心が捻じ曲がってしまう。
 ふたりの想いは空回り、白々しい月の光が嘲笑うようにあたりを煌々と照らし出す。
 東雨は逃げるように、涼景に背を向けた。
 どこかでまだ、何かを期待している自分を感じながら。

 月が傾く。そして、少しずつ、夜空が朝を迎える色を見せるころ、蓮章は丸太のひとつに腰掛けて、一晩の成果を眺めた。明け方までの短時間、近衛に休息を与え、蓮章はひとり、激戦の跡に残っていた。
 演武場にうず高く積まれた薪の山は、どこか誇らしげに太陽を待っていた。
「結局、あいつ、戻ってこなかった」
 白い息とともに、呟く。
 左近衛と何があった?
 不安が蓮章の心をかき乱す。
 こういう時こそ、そばにいるのが俺の役目だろうに!
 涼景のことも手足の凍えも忘れるように、がむしゃらに作業に没頭したが、今になって虚無感が押し寄せてくる。
「なんで……おまえはいつもそうやって……ひとりで全部……」
 色褪せた蓮章の唇から、声が漏れる。それはまるで涙のように、乾いた土にこぼれ落ちた。
 夜明け前の空気は、あまりに冷たい。
「涼……」
「なんだ?」
 ビクッとして、蓮章は振り返った。
 疲れ切った顔をした涼景が立っていた。見開いた蓮章の目元に、ちらりと涙の気配があって、それから怒りとも苛立ちともしれない感情が溢れてくる。
「なにしてやがった!」
「幽霊退治」
「バカ言え!」
「本当だ」
「ふざけ……」
 と、蓮章は立ち上がりかけて、足に力が入らず、崩れる。
「おい、大丈夫か?」
 涼景がやれやれ、と背中を支えてやる。蓮章は上目遣いに涼景を睨んだ。その仕草には色気すらある。
「悪かった」
 涼景は並んで丸太に腰かけると、
「ああ、そうだ」
 と、思い出したように、
「三年前に英仁が死んだ矢倉、覚えてるか? あれも薪にしてくれって左近衛からの依頼だ」
 矢倉の解体? その用件で呼ばれたのか?
 蓮章の気持ちが、幾分か落ち着きを取り戻す。
「……そうか。じゃあ、午前中にでも解体班を……」
「いや、もう、暁がバラした」
「はぁ?」
「腐ってるから、質は良くないが……ちょうどいい。五亨庵に回す分にしておけ」
「そりゃ、いいな」
 散々振り回されたお返しだ、と言わんばかりに、二人は笑っていた。
「……なぁ、蓮」
「うん?」
 涼景は青白い顔をして、凍えた指先を擦り合わせている親友を見た。
「おまえ、俺が殺されたら、仇打ち、してくれるか?」
「……断る」
 蓮章は息を止めて、かすかに目を開いた。
「そんなこと……絶対」
「そうか」
「……死なさない」
 蓮章の目は真剣だ。
 涼景が、息を呑む番だった。
 蓮章にも、暁隊にも、そして、東雨にも。 
 生かされている。
 涼景は肩から力が抜けていくのを感じた。
 自分に、何ができる?
 守りたいものはあるというのに、なすべきことが不明瞭なままだ。
 焦燥が胸を焼く。
 ふと、蓮章の指の震えに目が止まる。
 せめて、今、できることがあるのなら。
 あいつなら、きっと、こうするよな……
 涼景はそっと、手を伸ばし、蓮章の指に触れた。暖かかった。
「余計に、冷たい」
 ぼそり、と蓮章はつぶやいたが、振り払うことはない。
 太陽の光が空を白く開いていくまで、ふたりは黙って薪を眺めて座っていた。
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