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第一章

第4話 憂鬱なお茶会

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「出張?」

 アルフレッドから悲しい知らせを受けたのは、ある日の夕食の席でのことだった。

「うん。来週の頭から五日間、ダズリー地方に」
「ダズリー地方って、オズボーン侯爵家の領地でしょう? どうしてお兄様が?」
「この間の一件でオズボーン家の取り潰しが決まっただろう? 侯爵家の領地は王家が管理することになったんだけど、視察を任された殿下が僕にも同行してくれって」
「殿下は相変わらずお兄様が大好きなのね」

 王国の第一王位継承者ユリウス・リヒト・アディンセルとアルフレッドは、幼馴染の間柄だ。清廉潔白、頭脳明晰と評判の王太子だが、気心の知れたアルフレッドを何かと振り回している印象が強い。

 次期国王からの覚えがめでたいのは結構なことだが、五日も大好きな兄の顔が見れないなんて、と心の中で嘆く。

「殿下の本音は四六時中気を張るのが嫌だから気楽な話し相手が欲しいってところだと思うけどね。それで、マリィ。僕が王都を離れている間、オートレッド夫人が屋敷に来ないかって申し出てくれているんだ」
「え」

 濁点がつきそうなマリアヴェルの『え』に、アルフレッドが顔を曇らせた。

「嫌かい?」
「嫌ではないわ。嫌ではないけど……」

 アッシュフォード夫妻の友人であるオートレッド侯爵夫人はおっとりとした優しい貴婦人で、昔からアルフレッドとマリアヴェルを可愛いがってくれている。

 両親が亡くなってから侯爵邸に顔を出す機会は減っていたので、夫人と会えるのは嬉しい。嬉しいのだけれど、オートレッド侯爵家の姉弟がマリアヴェルは苦手なのだ。

「最近は王都もなにかと物騒だし、夫人の好意に甘えてくれると僕も安心できるんだけどな」

 捨てられた子犬のようなアルフレッドの表情。断って欲しいだなんて、とても口にできない。

「……お兄様がそれで仕事に集中できるなら、構わないわ」

 あっさり絆されてしまったマリアヴェルは、そう答えるのだった。


◆◆◆◇◆◇◆◆◆


 オートレッド侯爵は貿易商を営む実業家の一面があり、一年の大半を海上か外国で過ごしている。織物で生計を立てるラトクリフ家にとってオートレッド家は大口の顧客であり、商家の一人娘エイミーは幼い頃から侯爵家の機嫌を損ねてはいけないと教え込まれていた。

 だからこの日も、侯爵家の令嬢――リナーダからの提案を無茶苦茶だと思いつつ、断ることができずにいた。

「それって、マリアヴェルを騙す……ってこと?」

 侯爵邸に招かれる機会の多かったエイミーにとって、リナーダは幼馴染だ。そして、社交界の有名人――マリアヴェル・アッシュフォードとも面識があった。オートレッド家とアッシュフォード家は家族ぐるみの付き合いをしていて、エイミーは何度か侯爵邸でマリアヴェルと顔を合わせたことがある。

 マリアヴェルにまつわるリナーダの頼み事は、エイミーにとって眉をひそめてしまうものだった。

「人聞きの悪いことを言わないでちょうだいな。これは善意よ。あの子ったらまた破談になったでしょう? いい機会ではなくて?」

 マリアヴェルが四人目の婚約者と破談になったのは、ゴシップ紙でとっくに知っていた。

「悪評の絶えない子だけど、マリアヴェルって噂ほど悪い子じゃないでしょう? 浮気ばかりされて捨てられているのが可哀想で見ていられないの。あの子にとってもいい話だわ」
「でも……」

 エイミーが渋ると、リナーダはあからさまに不機嫌な顔になった。

「なによ、私の言うことが聞けないの?」

 居丈高な言葉の裏には、父に頼んでラトクリフ家との取引を反故ほごにしてもいいのよ、という意味が込められている。リナーダが昔から使う脅し文句だった。

 人の好い父は騙されやすく、商売上手とは言い難い。侯爵家の不興を買い、本当に今後の商談に支障を来たしてしまったら――。

 その可能性があるというだけで、結局エイミーはリナーダに逆らえないのだ。


◆◆◆◇◆◇◆◆◆


 オートレッド侯爵邸で開かれたお茶会は、間の悪さからマリアヴェルにとって息が詰まるものとなっていた。

「それでね、婚約指輪はお店もデザインも全部私の好きにしていいと仰ってくださったの。ジェフリーは私のお願いをなんだって聞いてくれるわ。やっぱりいい女は縁談にも恵まれているのね。結婚なんてまだ先でいいと思っていたけれど、すぐにでも式を挙げたいくらいだわ」

 薬指を飾る金の指輪を見せつけながら、婚約者の懐の深さを自慢げに語るのはオートレッド侯爵家の令嬢――リナーダだ。豊かな赤髪に金の猫目をした彼女は、十八歳という年齢にそぐわない色香を漂わせた美女。

 リナーダは結婚への理想が高く、名家の令嬢でありながら婚約者がいない珍しい女性だった。そんな彼女がようやくお眼鏡に適う紳士に出逢い、婚約を発表したのは先月のこと。

 そんなだから、マリアヴェルは彼女の婚約自慢を延々と聞かされる状況に陥っていた。

「マリアヴェルの婚約者はどんな指輪でプロポーズしてくれたのかしら?」

 ――ロバート様との縁談は二週間前に破談になったし、正式なプロポーズはされていなかったわ、と答える前に。

「あぁ、ごめんなさい? とっくに破談になったんだったわね」

 華やかに結い上げられた髪をいじりながら、リナーダが意地悪く笑んだ。しかし、破談という単語はマリアヴェルにとっては吉報を意味する。嫌味でもなんでもない。

「ええ。ロバート様は女性を見る目がなかったみたい」

 あっけらかんとして答えると、リナーダはつまらなそうに鼻を鳴らした。マリアヴェルは、この場にいるもう一人の少女へと水を向ける。質素なドレスに身を包んだ黒髪の少女――エイミー・ラトクリフ。会うのは子供の頃以来だけれど、当時彼女から聞いた話は覚えている。

「エイミーは確か、幼馴染の方と婚約していたわよね? 今も婚約は続いているの?」
「平民同士の色恋沙汰なんて、面白い話にならないでしょう」

 頰を染めたエイミーが口を開く前にリナーダが割って入った。こうして三人で会するのは数年ぶりのことだが、相も変わらずリナーダはエイミーに厳しいみたいだ。エイミーが大人しいからといって思い通りにしたがるのは、子供の頃によく見た光景。

 リナーダの婚約者自慢はまだまだ続いた。

 ジェフリーはヒューストン伯爵家の嫡男で、と家柄を語り、顔は派手さにかけるが性格は実直で浮気なんて絶対にしないだとか、財務省の文官で上司からの覚えもめでたい彼は出世頭で――などなど。

 時計の針が半周ほどしたところで、流石にマリアヴェルは口を挟んだ。

「ねぇリナーダ。ジェフリー様の素晴らしさはよくわかったから、そろそろ話題を変えない? この時期の侯爵邸の薔薇園は素晴らしかった覚えがあるの。また見に行きたいわ」
「私は嫌。屋敷の庭なんて見飽きてるもの」
「エイミーはどう?」 
「エイミーは空気の読めないマリアヴェルと違って、私に付き合ってくれるわよね?」

 答えたのはリナーダだ。またもエイミーの意思をないがしろにするので、辟易へきえきとしてしまう。

 エイミーはやんわりと微笑んでいた。眼鏡の奥のつぶらな瞳は一人で抜けてもいいよと言っているが、リナーダの相手を彼女一人に押し付けるわけにもいかない。この場を逃げ出すのは諦めて、マリアヴェルはティーカップを持ち上げる。それからたっぷり一時間、お茶会は続くのだった。
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