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第二章
第5話 両家の秘め事
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三十年近く前、祭事で用いる宝剣の紛失事件が起きた。本来であれば気づいた時点で国王に報告すべき事案だ。しかし、宝庫の管理を任されていたルディエール伯爵は、保身のために事態の隠蔽を謀った。紛失を誤魔化すため、国の金を使い、職人に本物とそっくりな模造品を作らせたのだ。横領に気づかれないよう、財務省の文官をそそのかして帳簿に偽装まで施す手の込みよう。
ところが、模造品が完成してから数日後、本物の宝剣が見つかる事態が発生した。王宮に存在する宝剣は二振り。偽物はすでに宝庫から持ち出され、祭事で用いるために厳重に保管されていた。すり替えることは難しいが、本物の宝剣を王宮から持ち出して処分する度胸は、伯爵にはなかった。
二本目の宝剣の存在に第三者が気づき、事が明るみになれば伯爵と文官は罪に問われる。追い詰められた伯爵は、シュタットノイン公爵を頼った。財務省の最高責任者である公爵もまた、国庫の管理を怠り、帳簿の改竄に気づかなかった責任を問われることになるからだ。
当時の公爵は、フローリアの祖父。自身が不味い立場に置かれたことを悟った公爵は、国王に白状する誠実さも、自ら事態を好転させる聡明さも備えてはいなかった。
公爵が縋った先は、王妃お気に入りの侍女――アリステラ・スタンフィールド。スタンフィールド公爵家の長女であり、後にアッシュフォード侯爵家に嫁いだアリステラは、王国一の才女と謳われる頭脳の持ち主。政治の世界に女性の居場所はない。それが世間の常識でありながら、アリステラは時に国王すらも助言を求める、特別な存在だった。
「母上は、偽物の宝剣は市井に出回っていたものを悪用を防ぐ名目で買ったことにすればいい、と助言した。これなら、手違いだったことにして偽物と本物を堂々と入れ替えられる。それから、横領したお金は剣を買い取るための必要な支出ということにもできる。帳簿にもそう記載できるから、計算も合う。そうして、伯爵と文官は左遷されはしたけど、騒動事態は表沙汰になる前になかったことになったんだ」
「お母様は王家の忠臣だったのに、隠蔽に協力したの?」
アルフレッドの昔語りは、マリアヴェルにとって少しショックなものだった。
義母のアリステラは冷然とした雰囲気を纏った美女で、とっつき難い印象を与える人だ。無表情で淡々と物事を口にするアリステラは淑女としては浮いていたが、その聡明さから国王夫妻に絶対の信頼を置かれていて、マリアヴェルにとって自慢の母だ。幼心にも誇らしく思っていたし、尊敬の念は成長してからも変わらなかったのに。
表情を曇らせたマリアヴェルに、アルフレッドはやんわりと言う。
「母上の王家への――というか、主人だった王妃様への忠誠心は疑いようのないものだけど、その時は公爵家に恩を売っておくのが得策だと判断したんだろうね」
政治のことは、マリアヴェルにはよくわからない。それでも綺麗事だけでは成り立たない、ということくらいは理解している。理解は及んでも、いざ事実として突きつけられると複雑な気持ちだった。
「モヤモヤするマリィの気持ちは、当然のものだよ。ただ……王宮は、正義感だけじゃ上手くいかないこともあるから……。難しいよね」
マリアヴェルの頭を軽く撫でてから、アルフレッドは話を戻した。
「抜け目のない母上だから、当時の証拠として公爵直筆の書面が残っている。公爵が母上に求めたことを自ら綴ったものだから、誤魔化しは効かない。先代のしでかしたこととはいえシュタットノイン家の失態であることに変わりはないし、墓場まで持っていって欲しい秘密だ。夫妻が娘の言い分を信じて僕に責任を取れと迫る事態は、現実には起こり得ないかな」
アルフレッドを非難して過去のやらかしを暴露されては堪らない、ということ。マリアヴェルはようやく腑に落ちた。
「フローリア様は、このことをご存知ないのね」
「次期公爵であるフローリア嬢の兄君ならともかく、彼女に話す必要性はないから、知らなくて当然だろうね。僕も爵位を継ぐまでは知らなかったし」
「噂は噂のままで終わるから、お兄様は記事に無関心だったの?」
「……まぁ、ね」
アルフレッドとフローリアの婚約が現実になることはなさそうで、ホッと胸を撫で下ろす。だが、すぐに懸念すべき問題に気づいた。
「……その内、新しい記事が上がるんじゃないかしら?」
フローリアがこの事実を知らない限り、強引な手段を控えることはしないだろう。
彼女は機が熟したら、と言っていた。時間の経過と共に世間は噂に興味を失っていく。熱を冷まさないためには、新たな燃料を投下する必要があるのだ。
マリアヴェルが気づくことに、アルフレッドが思い至れないはずはなく――彼は、当たり前のことのように頷いた。
「フローリア嬢が僕にこだわり続けるなら、可能性は高いね」
「わかっていて、どうして公爵家に抗議しないの?」
両家の関係性は持ちつ持たれつ。それなら、公爵にフローリアの所業を訴えれば事態の収拾がつくはず。
アルフレッドはかぶりを振った。
「抗議しても、シラを切られておしまいだよ。記事をでっち上げたのがフローリア嬢だって証拠はない。確かな証拠もなしにフローリア嬢を責めれば、公爵家と揉めるのは目に見えてる。労力に対して見返りはないし、僕が困らない限りは放置でいいかな」
他人事みたいな物言いに、マリアヴェルは唇を尖らせた。
「お兄様が好き勝手に噂されることになるのよ? 十分、困った状況だわ」
「噂はただの噂だよ。マリィが誰よりよく知っているだろう?」
「でも……」
二人が恋仲だと世間が誤解したままだなんて、マリアヴェルは嫌だ。アルフレッドとフローリアの交際が公然と囁やかれるなんて。
嫌だと訴えても、アルフレッドは迷惑がったりしない。きっと、困り顔をしながらもマリアヴェルの気持ちを尊重してくれると思う。アルフレッドはマリアヴェルの想いに応えてはくれないけれど、マリアヴェルのことは何よりも優先してくれるから。
でも――。
「……わたしと違って、お兄様の場合は放っておいても得がないわ」
結局、口にはできなかった。やり方は卑劣だが、フローリアの邪魔をする権利はたぶん、マリアヴェルにない。
せめてもの抵抗で、アルフレッドの気が変わらないだろうかとそれっぽい理屈を口にしてみる。
「だけど、損もないよ? わざわざ公爵家の愛娘を疑って夫妻の機嫌を損ねる必要があるとは、思えない。軋轢が生じて職場がひりつくのは遠慮したいしね。部署は違っても同じ王宮内だ。そもそもが、僕は忙しいから構っていられないよ」
領地の執務を自らこなす貴族は多くないらしいが、アルフレッドはそれすらも自分の仕事にしている。王宮では宰相補佐として。自宅では領主としての執務をこなすのだから、フローリアの相手までしている余裕がないと言われれば、マリアヴェルは引き下がるしかない。
説得は諦めるしかないが、どうしても気になることがあった。
「……お兄様がフローリア様に甘いのは、わたしの勘違いじゃないと思うわ」
数々の好意的な言動。面白がるような表情。甘めの対応。どこを取っても、そうとしか感じられなかった。
マリアヴェルの疑わしげな眼差しに、アルフレッドは困ったように眉根を寄せた。
「可愛い妹とほとんど歳の差のないご令嬢だからね。親切に振る舞うのは、紳士として当然だよ」
「その親切が仇で返されることになるのは、目に見えているのよ? お兄様がそこまでお人好しだったなんて、知らなかったわ」
「たまにはお人好しな妹を見習ってみるのも、悪くないかなって」
マリアヴェルは眉をひそめる。
「わたしはお人好しじゃないわ」
「マリィがお人好しに入らないなら、この世は悪人ばかりだね」
クスクスと笑うアルフレッドには、何を言っても響きそうにない。丸め込むのは不可能だから、マリアヴェルは紫苑の瞳をじっと見上げる。
「……本当に、フローリア様に特別な想いはない?」
わずかな心の揺れも見逃さないようにと、凝視する。きょとん、と瞬いた瞳が、温かな色を灯してマリアヴェルを見つめ返してきた。
「僕にとっての一番は、いつだってマリィだよ」
「わたしがお兄様の可愛い義妹《いもうと》だから?」
「そういうことだね」
「もう……っ!」
これが異性としてなら最高の口説き文句なのに。頬を膨らませながらも、アルフレッドがマリアヴェルを一番大切だと言ってくれるのなら、この件はこれで終わりにしよう。そう思ったのだが――。
「どうしても納得できないなら、マリィが僕を助けてくれてもいいんだよ?」
アルフレッドが、そんなことを言い出した。
「助けるも何も、お兄様ならわたしが何もしなくたって解決できるはずだわ」
「……そうだね。でも、僕にとってフローリア嬢の一件は解決すべき問題に入らないから。思うところがあるなら、マリィの好きにするといい」
「小姑みたくフローリア様に陰湿な嫌がらせをして、心を折ってもいい?」
真剣な面持ちで提案すると、アルフレッドは首を横に振った。
「君はそんなことしないよ」
「……わたしがフローリア様と揉めて、公爵家の不興を買ってしまったら?」
「そうなったら、僕が上手くやるよ」
にっこり微笑むアルフレッドが、話はこれで終わりだと言わんばかりに立ち上がった。見下ろしてくる紫苑の瞳が、マリアヴェルの返答を待っている。
「……いいわ。無精なお兄様に代わって、フローリア様の諦めがつくようわたしが働きかけるわ」
クスリと笑みをこぼしたアルフレッドが居間を出て行くのを見送って、マリアヴェルはため息を吐く。
「お兄様、フローリア様を相当気に入っているんじゃないかしら」
それっぽく聞こえる理屈をたくさん並べていたけれど。結局は、そういうことなんじゃないかと思う。
マリアヴェルよりフローリアを優先したように見えて、ショックは大きい。お願いすれば考え直してはもらえただろうが、駄々をこねなければマリアヴェルを優先してくれないという事実は、悲しかった。
「……拗ねていても仕方ないもの。お兄様が自由にしていいと言うなら、新しい記事が書かれる前にフローリア様を説得してしまいましょう」
これ以上、不愉快な噂を流れては堪らなかった。フローリアを諦めさせれば、万事解決だ。
マリアヴェルの一存で両家の秘め事を話すわけにはいかないから、どうにかしてフローリアの気を変えさせなくては。
まずはフローリア様の人柄を知ることからかしら、と算段を立て始めたマリアヴェルは、あれ、と思った。
「そういえば……どうしてお兄様は、困惑していたの?」
フローリアが交際を事実だと、両親に嘘をつくつもりでいる。そう話した時、アルフレッドは明らかに戸惑っていた。
アルフレッドは公爵家がアッシュフォードに強く出れないとわかっていたから、フローリアの好きにさせていた。だが、フローリアは公爵家の弱みを知らない可能性が高く、彼女個人が強引な手段を講じたって何もおかしくはない。それなのに、アルフレッドはどうして困惑していたのだろう。
「お兄様は、フローリア様がご存知だと思っていたのかしら? でも、わたしが知らなかったんだもの。フローリア様も立場は同じはずで……。うう、ん?」
いくら思考を巡らせても、違和感の答えは出なかった。
ところが、模造品が完成してから数日後、本物の宝剣が見つかる事態が発生した。王宮に存在する宝剣は二振り。偽物はすでに宝庫から持ち出され、祭事で用いるために厳重に保管されていた。すり替えることは難しいが、本物の宝剣を王宮から持ち出して処分する度胸は、伯爵にはなかった。
二本目の宝剣の存在に第三者が気づき、事が明るみになれば伯爵と文官は罪に問われる。追い詰められた伯爵は、シュタットノイン公爵を頼った。財務省の最高責任者である公爵もまた、国庫の管理を怠り、帳簿の改竄に気づかなかった責任を問われることになるからだ。
当時の公爵は、フローリアの祖父。自身が不味い立場に置かれたことを悟った公爵は、国王に白状する誠実さも、自ら事態を好転させる聡明さも備えてはいなかった。
公爵が縋った先は、王妃お気に入りの侍女――アリステラ・スタンフィールド。スタンフィールド公爵家の長女であり、後にアッシュフォード侯爵家に嫁いだアリステラは、王国一の才女と謳われる頭脳の持ち主。政治の世界に女性の居場所はない。それが世間の常識でありながら、アリステラは時に国王すらも助言を求める、特別な存在だった。
「母上は、偽物の宝剣は市井に出回っていたものを悪用を防ぐ名目で買ったことにすればいい、と助言した。これなら、手違いだったことにして偽物と本物を堂々と入れ替えられる。それから、横領したお金は剣を買い取るための必要な支出ということにもできる。帳簿にもそう記載できるから、計算も合う。そうして、伯爵と文官は左遷されはしたけど、騒動事態は表沙汰になる前になかったことになったんだ」
「お母様は王家の忠臣だったのに、隠蔽に協力したの?」
アルフレッドの昔語りは、マリアヴェルにとって少しショックなものだった。
義母のアリステラは冷然とした雰囲気を纏った美女で、とっつき難い印象を与える人だ。無表情で淡々と物事を口にするアリステラは淑女としては浮いていたが、その聡明さから国王夫妻に絶対の信頼を置かれていて、マリアヴェルにとって自慢の母だ。幼心にも誇らしく思っていたし、尊敬の念は成長してからも変わらなかったのに。
表情を曇らせたマリアヴェルに、アルフレッドはやんわりと言う。
「母上の王家への――というか、主人だった王妃様への忠誠心は疑いようのないものだけど、その時は公爵家に恩を売っておくのが得策だと判断したんだろうね」
政治のことは、マリアヴェルにはよくわからない。それでも綺麗事だけでは成り立たない、ということくらいは理解している。理解は及んでも、いざ事実として突きつけられると複雑な気持ちだった。
「モヤモヤするマリィの気持ちは、当然のものだよ。ただ……王宮は、正義感だけじゃ上手くいかないこともあるから……。難しいよね」
マリアヴェルの頭を軽く撫でてから、アルフレッドは話を戻した。
「抜け目のない母上だから、当時の証拠として公爵直筆の書面が残っている。公爵が母上に求めたことを自ら綴ったものだから、誤魔化しは効かない。先代のしでかしたこととはいえシュタットノイン家の失態であることに変わりはないし、墓場まで持っていって欲しい秘密だ。夫妻が娘の言い分を信じて僕に責任を取れと迫る事態は、現実には起こり得ないかな」
アルフレッドを非難して過去のやらかしを暴露されては堪らない、ということ。マリアヴェルはようやく腑に落ちた。
「フローリア様は、このことをご存知ないのね」
「次期公爵であるフローリア嬢の兄君ならともかく、彼女に話す必要性はないから、知らなくて当然だろうね。僕も爵位を継ぐまでは知らなかったし」
「噂は噂のままで終わるから、お兄様は記事に無関心だったの?」
「……まぁ、ね」
アルフレッドとフローリアの婚約が現実になることはなさそうで、ホッと胸を撫で下ろす。だが、すぐに懸念すべき問題に気づいた。
「……その内、新しい記事が上がるんじゃないかしら?」
フローリアがこの事実を知らない限り、強引な手段を控えることはしないだろう。
彼女は機が熟したら、と言っていた。時間の経過と共に世間は噂に興味を失っていく。熱を冷まさないためには、新たな燃料を投下する必要があるのだ。
マリアヴェルが気づくことに、アルフレッドが思い至れないはずはなく――彼は、当たり前のことのように頷いた。
「フローリア嬢が僕にこだわり続けるなら、可能性は高いね」
「わかっていて、どうして公爵家に抗議しないの?」
両家の関係性は持ちつ持たれつ。それなら、公爵にフローリアの所業を訴えれば事態の収拾がつくはず。
アルフレッドはかぶりを振った。
「抗議しても、シラを切られておしまいだよ。記事をでっち上げたのがフローリア嬢だって証拠はない。確かな証拠もなしにフローリア嬢を責めれば、公爵家と揉めるのは目に見えてる。労力に対して見返りはないし、僕が困らない限りは放置でいいかな」
他人事みたいな物言いに、マリアヴェルは唇を尖らせた。
「お兄様が好き勝手に噂されることになるのよ? 十分、困った状況だわ」
「噂はただの噂だよ。マリィが誰よりよく知っているだろう?」
「でも……」
二人が恋仲だと世間が誤解したままだなんて、マリアヴェルは嫌だ。アルフレッドとフローリアの交際が公然と囁やかれるなんて。
嫌だと訴えても、アルフレッドは迷惑がったりしない。きっと、困り顔をしながらもマリアヴェルの気持ちを尊重してくれると思う。アルフレッドはマリアヴェルの想いに応えてはくれないけれど、マリアヴェルのことは何よりも優先してくれるから。
でも――。
「……わたしと違って、お兄様の場合は放っておいても得がないわ」
結局、口にはできなかった。やり方は卑劣だが、フローリアの邪魔をする権利はたぶん、マリアヴェルにない。
せめてもの抵抗で、アルフレッドの気が変わらないだろうかとそれっぽい理屈を口にしてみる。
「だけど、損もないよ? わざわざ公爵家の愛娘を疑って夫妻の機嫌を損ねる必要があるとは、思えない。軋轢が生じて職場がひりつくのは遠慮したいしね。部署は違っても同じ王宮内だ。そもそもが、僕は忙しいから構っていられないよ」
領地の執務を自らこなす貴族は多くないらしいが、アルフレッドはそれすらも自分の仕事にしている。王宮では宰相補佐として。自宅では領主としての執務をこなすのだから、フローリアの相手までしている余裕がないと言われれば、マリアヴェルは引き下がるしかない。
説得は諦めるしかないが、どうしても気になることがあった。
「……お兄様がフローリア様に甘いのは、わたしの勘違いじゃないと思うわ」
数々の好意的な言動。面白がるような表情。甘めの対応。どこを取っても、そうとしか感じられなかった。
マリアヴェルの疑わしげな眼差しに、アルフレッドは困ったように眉根を寄せた。
「可愛い妹とほとんど歳の差のないご令嬢だからね。親切に振る舞うのは、紳士として当然だよ」
「その親切が仇で返されることになるのは、目に見えているのよ? お兄様がそこまでお人好しだったなんて、知らなかったわ」
「たまにはお人好しな妹を見習ってみるのも、悪くないかなって」
マリアヴェルは眉をひそめる。
「わたしはお人好しじゃないわ」
「マリィがお人好しに入らないなら、この世は悪人ばかりだね」
クスクスと笑うアルフレッドには、何を言っても響きそうにない。丸め込むのは不可能だから、マリアヴェルは紫苑の瞳をじっと見上げる。
「……本当に、フローリア様に特別な想いはない?」
わずかな心の揺れも見逃さないようにと、凝視する。きょとん、と瞬いた瞳が、温かな色を灯してマリアヴェルを見つめ返してきた。
「僕にとっての一番は、いつだってマリィだよ」
「わたしがお兄様の可愛い義妹《いもうと》だから?」
「そういうことだね」
「もう……っ!」
これが異性としてなら最高の口説き文句なのに。頬を膨らませながらも、アルフレッドがマリアヴェルを一番大切だと言ってくれるのなら、この件はこれで終わりにしよう。そう思ったのだが――。
「どうしても納得できないなら、マリィが僕を助けてくれてもいいんだよ?」
アルフレッドが、そんなことを言い出した。
「助けるも何も、お兄様ならわたしが何もしなくたって解決できるはずだわ」
「……そうだね。でも、僕にとってフローリア嬢の一件は解決すべき問題に入らないから。思うところがあるなら、マリィの好きにするといい」
「小姑みたくフローリア様に陰湿な嫌がらせをして、心を折ってもいい?」
真剣な面持ちで提案すると、アルフレッドは首を横に振った。
「君はそんなことしないよ」
「……わたしがフローリア様と揉めて、公爵家の不興を買ってしまったら?」
「そうなったら、僕が上手くやるよ」
にっこり微笑むアルフレッドが、話はこれで終わりだと言わんばかりに立ち上がった。見下ろしてくる紫苑の瞳が、マリアヴェルの返答を待っている。
「……いいわ。無精なお兄様に代わって、フローリア様の諦めがつくようわたしが働きかけるわ」
クスリと笑みをこぼしたアルフレッドが居間を出て行くのを見送って、マリアヴェルはため息を吐く。
「お兄様、フローリア様を相当気に入っているんじゃないかしら」
それっぽく聞こえる理屈をたくさん並べていたけれど。結局は、そういうことなんじゃないかと思う。
マリアヴェルよりフローリアを優先したように見えて、ショックは大きい。お願いすれば考え直してはもらえただろうが、駄々をこねなければマリアヴェルを優先してくれないという事実は、悲しかった。
「……拗ねていても仕方ないもの。お兄様が自由にしていいと言うなら、新しい記事が書かれる前にフローリア様を説得してしまいましょう」
これ以上、不愉快な噂を流れては堪らなかった。フローリアを諦めさせれば、万事解決だ。
マリアヴェルの一存で両家の秘め事を話すわけにはいかないから、どうにかしてフローリアの気を変えさせなくては。
まずはフローリア様の人柄を知ることからかしら、と算段を立て始めたマリアヴェルは、あれ、と思った。
「そういえば……どうしてお兄様は、困惑していたの?」
フローリアが交際を事実だと、両親に嘘をつくつもりでいる。そう話した時、アルフレッドは明らかに戸惑っていた。
アルフレッドは公爵家がアッシュフォードに強く出れないとわかっていたから、フローリアの好きにさせていた。だが、フローリアは公爵家の弱みを知らない可能性が高く、彼女個人が強引な手段を講じたって何もおかしくはない。それなのに、アルフレッドはどうして困惑していたのだろう。
「お兄様は、フローリア様がご存知だと思っていたのかしら? でも、わたしが知らなかったんだもの。フローリア様も立場は同じはずで……。うう、ん?」
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