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第二章

第12話 マリアヴェルの選択

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 屋敷に帰宅したマリアヴェルは、パーティドレスを着替える手間も惜しんで居間へと直行した。

「おかえり」

 ソファから立ち上がったアルフレッドが、穏やかな笑みをたたえて出迎えてくれる。

 ただいまと返す声は、自然と沈んだものになってしまった。別れ際の、アンネローゼの悲嘆に暮れた顔が脳裏から消えてくれない。振り切ってしまったけれど、その判断は正しかったのだろうか。

「……その様子だと、計画通りとはいかなかったみたいだね」
「お兄様、最初から結果をわかっていたでしょう?」
 
 予想がついていたから、カインの人柄を探れと忠告してきたに違いなかった。

 アルフレッドが淡い微笑みを浮かべる。肯定の証だ。

 カインに探りを入れることなく計画を実行していたらと考えたら、ぞっとした。

「カイン様の想い人がアンネ様だと、どうしてわかったの?」
「それは知らなかったけど。僕はただ、一方の言い分を鵜呑みにして物事を進めるのは早計だと思っただけだよ。解決の糸口が見つかると飛びつきたくなって、冷静さを欠くのは人の性だしね」

 耳に痛い見解だった。アンネローゼの言い分を信じ切ってしまったのは、彼女に好感を抱いたのもあるけれど。提案に乗ることでフローリアの問題も解決できると考えてしまったことが、大きな要因に思えた。

「助言をくれてありがとう、お兄様。取り返しのつかないことになるところだったわ」

 アルフレッドのおかげで最悪の事態は避けることができたが。これから、どうするべきなのだろう。

 親友の想い人との婚約を呑めないアンネローゼの気持ちはわかる。でも、カインがアンネローゼを愛しているのなら、マリアヴェルが介入するのは許されない。フローリアはアルフレッドとの契約結婚を進めて想いを断とうとしているようだけれど、兄にその気がないから現実になることはなく。

 考えても考えても、マリアヴェルにできることが思い浮かばない。

 事ここに至って、アルフレッドがなぜフローリアの噂を放置したのか、わかった気がした。アルフレッドがどこまで事情に精通しているのかは、わからない。だが、関わりを持てばこうなるから、フローリアと関わろうとしなかったのではないだろうか。そんな気がした。

 マリアヴェルも、義兄に習うべきなのかもしれない。

「アンネ様たちの問題に、これ以上関わるべきじゃないのかも……」

 当事者でないマリアヴェルが関わっても、余計に拗らせるだけな気がした。何もしないことこそが、最善なのではないだろうか。

 もしかすると、こうやってマリアヴェルに納得させるために、アルフレッドは僕を助けてくれてもいいんだよ、なんて言ったのかもしれない。

 しゅん、と肩を落としたマリアヴェルの頭を、アルフレッドがよしよし、と撫でてくれた。
 

◆◆◆◇◆◇◆◆◆


『アルバレス子爵家の次男坊、婚約者を捨て、アッシュフォード侯爵令嬢に乗り換えか』

 夜会でアッシュフォード侯爵令嬢と親密な様子をみせたカインに、アンネローゼが激怒した。

 信じ難い記事に、フローリアはため息を吐く。大衆紙をテーブルに置いたところで、応接間の扉が開いた。

 公爵家の使用人に案内されて入ってきたのは、数ヶ月振りに顔を合わせる友人――カイン・アルバレスだ。

「久しぶり」

 後ろ髪を引かれていそうな、申し訳なさそうな彼の表情に気づかなかった振りをして、フローリアは挨拶を返す。

「ご無沙汰しております、カイン」
 
 ソファに座るよう促すと、向かい合ったカインは瞳を翳らせた。

「事前の連絡もなしに、押し掛けてすまない。取り次いでもらえないかと思っていたんだが……応対してくれたこと、感謝する」

 フローリアは、今朝から出回っている大衆紙に視線を落とす。

「こんな記事が上がった後で追い返すほど、薄情な女ではありません」
「……すまない。今更どのツラを下げて目の前に現れたんだと思われるだろうが、アンネのことなら、君が誰よりも頼りになるから」

 出てくるのは謝罪ばかり。フローリアはカインに申し訳なく思ってはいても、怒りなんて抱いていないのに。

「やめてください。謝罪なんて求めていません。そんなことより、この記事はどういうことです?」
「アンネと侯爵令嬢が、結託してでっち上げたんだと思う。伯爵家の使用人がこっそり教えてくれたんだ。アンネが俺との縁談を穏便に解消する算段を立てているって」

 アンネローゼもアンネローゼだが、協力したマリアヴェルへの憤りで、フローリアは柳眉を逆立てた。あのアルフレッドの妹でありながら、浅はかにも程がある。

「アンネは、君が俺を愛していると言うが……。そうであるなら、君が俺の相談に快く乗ってくれたはずがない。彼女の思い違いだろう?」

 そうであって欲しくない。それが、カインにとっては楽だから。たぶん、そういうことなのだろう。

 なんて罪な人なのか。胸が苦しくて、泣きたくなる。どうしてわたくしにそんなことを言うの、と。詰りたくなる。渦巻く真っ黒な感情を呑み込んで、フローリアはこれまで通りに微笑む。

「もちろんよ。わたくしが二人の邪魔をしないよう距離を置いたことが、アンネの勘違いに繋がったのね。アンネに会って誤解を正します。だからカインは何も心配しないで」

 アンネローゼの考えを変えてみせると、自信ありげに微笑む。カインはまたも、申し訳なさそうに目を伏せた。

「すまない。俺が、君たちの友情に水を差してしまったから」

 アンネとの二人きりの時間が、もう少し欲しい。

 そんな相談をカインから受けたのは、婚約が決まってからどれくらい後のことだったか。よく覚えていないのは、その時の自分は最低な気分だったからだろうか。

「謝らないでと言ったでしょう? 気の利かないアンネが悪いの。カインの優しさに甘えて、わたくしとの時間ばかり優先するんですもの。不満を覚えるのは当然よ」
「だが……」
「心配しないで、カイン。わたくしがアンネにきちんと話します。だから――お願いよ、あの子を見限ったりしないでちょうだい」

 カインの想いをどこまでも踏み躙るアンネローゼに、愛想を尽かしたりしないで欲しかった。

「当たり前だ。アンネとの婚約は、俺自身が望んだことなんだから」

 その言葉に心の底から安堵できたのは、フローリアにとってたった一つの救いだった。
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