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∞番外篇【平和な時代と、物干し台】
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──『お相撲の行司役』という大任を果たした母は、洗濯物を干すために家の箱庭の囲いの中に設けられた物干し台へと向かった。ディオアンブラ家の『物干し台』は、父が去年造ったものである。
母からの提案で家の箱庭の中に豚を飼うことにした父が、「……豚が庭の洗濯物にイタズラしないように」という理由で、横幅約7.5メートル×奥行約5.5メートル×高さ約2.5メートルの『二階建て物干し台(命名:母)』を建設した。
より厳密に言うと二階建てではなく、建物で言えば『屋上』に当たる部分が木製の太い手摺で囲われており、その中が物干し用のスペースとなっている。
物干し台の長側面側に設けられた『階段』には、その途中に傾斜を緩くする為の『踊り場』があり、屋上へ続く階段の出入り口には子豚の侵入を防ぐ為の『柵』が、父の手により後から追加で設置された。物干し台の一階部分には『扉付きの物置き』まである。
父は『モノ造り』とか『工夫』とか『改造』とかいった言葉が異様に好きな人である。
物干し台の原材料は、ディオアンブラ村の丘の周辺にごろごろある巨岩から切り出した『石材』と、森から運んできた『木材』。それと、近くの村の鍛冶屋から毛皮と交換で購《あがな》った『長い釘』である。
それらを『斧と金槌と鉄杭』を使って加工した父は、実家のログハウスを一人で造った時と同じく『設計図なし』で二階建て物干し台を造り上げた。
バカか、もしくは天才の所業と言えよう。
実際の使用者である母の安全のために、物干し台の各所に設けられた頑丈な手摺や、ギシギシ言わないように頑丈に造られた階段などの『木製部分』は、光沢のいい『総漆塗り』である。この漆も、森に自生するウルシの木から父がコツコツ集めたものだ。
父は『コツコツ』という言葉も異様に好きな人である。
「──今日もいいお天気!」
『二階建て物干し台』の屋上にて背伸びをしながら、32歳の母はそう独りごちた。
洗濯物を干し終えた母は、物干し台の屋上の一角に父が設けた木製ベンチに腰掛け、ポットに入れて持ってきたお茶を飲んでいる。洗濯物を干した後の物干し台の屋上での『ティータイム』は、忙しい毎日を送る母にとって数少ない息抜きの時間である。
物干し台の屋上から庭を見下ろしてみると、庭の中心に描かれた大きな円の中ではまだエミルが泣いている。エミルの涙と洟水で顔をグシャグシャに濡らしたアゾロが、自分の腹の上で泣きじゃくる弟を「どうどう……」と必死でなだめていた。
エミルは、地面に仰向けに寝っ転がったアゾロの腹の上に跨ったままで泣いているので、アゾロは降りかかってくる弟の涙と洟水をかわす術がない。「お……おおぅ」とか言いながら、アゾロはエミルが垂れ流す洟水を顔面に受け続けている。
物干し台屋上の手摺にもたれかかって、その様子を眺めながら母はつぶやいた。
「……男の子が泣けるのは『平和な証拠』かもね」
母は、少しだけ『戦乱の時代』を経験している。
母が少女だった頃は、『男の子が泣く余裕』など無い時代だった。
別に男の子が泣いたっていい、と母は思う。
女だって、たまには泣きたくなることもあるのだから。
『平和な時代』というのはただ戦争をしていないという状態のことではなく、その時代を生きる人々の『心の余裕』のことだと、母は心の中だけでそう思っている。
おっとりとした性格の母は、そのことをうまく言語化できない。
だから、母は普段おっとりと「平和が一番!」くらいにしか言わない。
母は、『平和な時代』に生まれた我が子達を物干し台の屋上から眺めている。
顔面に降りかかる弟の涙と洟水に溺れそうになったアゾロが、エミルを抱いたままで自分の上体を起こした。地面の上に座ったままアゾロは、泣き止まないエミルの頭をなでたり、ちいさな体を抱きしめたりしながらエミルを落ち着かせようとするが、5歳の弟はなかなか泣き止まない。顔についたエミルの洟水を衣服の肩口で拭ったアゾロは、空を見上げて途方に暮れた顔をしている。
「……そろそろ、助けてやりますか」
そう言って母は、お茶の入ったポットとカップを籐製の洗濯籠の中に入れて、腰掛けていた木製ベンチの上から立ち上がった。
そして母は、弟を泣き止ませることができずに途方に暮れている娘と、涙と洟水で水分を失い続けている息子の二人に、ポットに残したお茶を飲ませる為に、二階建て物干し台の屋上から降りていった。
To Be Continued.
⇒Next Episode.
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──『お相撲の行司役』という大任を果たした母は、洗濯物を干すために家の箱庭の囲いの中に設けられた物干し台へと向かった。ディオアンブラ家の『物干し台』は、父が去年造ったものである。
母からの提案で家の箱庭の中に豚を飼うことにした父が、「……豚が庭の洗濯物にイタズラしないように」という理由で、横幅約7.5メートル×奥行約5.5メートル×高さ約2.5メートルの『二階建て物干し台(命名:母)』を建設した。
より厳密に言うと二階建てではなく、建物で言えば『屋上』に当たる部分が木製の太い手摺で囲われており、その中が物干し用のスペースとなっている。
物干し台の長側面側に設けられた『階段』には、その途中に傾斜を緩くする為の『踊り場』があり、屋上へ続く階段の出入り口には子豚の侵入を防ぐ為の『柵』が、父の手により後から追加で設置された。物干し台の一階部分には『扉付きの物置き』まである。
父は『モノ造り』とか『工夫』とか『改造』とかいった言葉が異様に好きな人である。
物干し台の原材料は、ディオアンブラ村の丘の周辺にごろごろある巨岩から切り出した『石材』と、森から運んできた『木材』。それと、近くの村の鍛冶屋から毛皮と交換で購《あがな》った『長い釘』である。
それらを『斧と金槌と鉄杭』を使って加工した父は、実家のログハウスを一人で造った時と同じく『設計図なし』で二階建て物干し台を造り上げた。
バカか、もしくは天才の所業と言えよう。
実際の使用者である母の安全のために、物干し台の各所に設けられた頑丈な手摺や、ギシギシ言わないように頑丈に造られた階段などの『木製部分』は、光沢のいい『総漆塗り』である。この漆も、森に自生するウルシの木から父がコツコツ集めたものだ。
父は『コツコツ』という言葉も異様に好きな人である。
「──今日もいいお天気!」
『二階建て物干し台』の屋上にて背伸びをしながら、32歳の母はそう独りごちた。
洗濯物を干し終えた母は、物干し台の屋上の一角に父が設けた木製ベンチに腰掛け、ポットに入れて持ってきたお茶を飲んでいる。洗濯物を干した後の物干し台の屋上での『ティータイム』は、忙しい毎日を送る母にとって数少ない息抜きの時間である。
物干し台の屋上から庭を見下ろしてみると、庭の中心に描かれた大きな円の中ではまだエミルが泣いている。エミルの涙と洟水で顔をグシャグシャに濡らしたアゾロが、自分の腹の上で泣きじゃくる弟を「どうどう……」と必死でなだめていた。
エミルは、地面に仰向けに寝っ転がったアゾロの腹の上に跨ったままで泣いているので、アゾロは降りかかってくる弟の涙と洟水をかわす術がない。「お……おおぅ」とか言いながら、アゾロはエミルが垂れ流す洟水を顔面に受け続けている。
物干し台屋上の手摺にもたれかかって、その様子を眺めながら母はつぶやいた。
「……男の子が泣けるのは『平和な証拠』かもね」
母は、少しだけ『戦乱の時代』を経験している。
母が少女だった頃は、『男の子が泣く余裕』など無い時代だった。
別に男の子が泣いたっていい、と母は思う。
女だって、たまには泣きたくなることもあるのだから。
『平和な時代』というのはただ戦争をしていないという状態のことではなく、その時代を生きる人々の『心の余裕』のことだと、母は心の中だけでそう思っている。
おっとりとした性格の母は、そのことをうまく言語化できない。
だから、母は普段おっとりと「平和が一番!」くらいにしか言わない。
母は、『平和な時代』に生まれた我が子達を物干し台の屋上から眺めている。
顔面に降りかかる弟の涙と洟水に溺れそうになったアゾロが、エミルを抱いたままで自分の上体を起こした。地面の上に座ったままアゾロは、泣き止まないエミルの頭をなでたり、ちいさな体を抱きしめたりしながらエミルを落ち着かせようとするが、5歳の弟はなかなか泣き止まない。顔についたエミルの洟水を衣服の肩口で拭ったアゾロは、空を見上げて途方に暮れた顔をしている。
「……そろそろ、助けてやりますか」
そう言って母は、お茶の入ったポットとカップを籐製の洗濯籠の中に入れて、腰掛けていた木製ベンチの上から立ち上がった。
そして母は、弟を泣き止ませることができずに途方に暮れている娘と、涙と洟水で水分を失い続けている息子の二人に、ポットに残したお茶を飲ませる為に、二階建て物干し台の屋上から降りていった。
To Be Continued.
⇒Next Episode.
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