元アイドルは現役アイドルに愛される

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31. ラップモンスター

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生放送の興奮が冷めやらぬ夜。


自宅に戻ったリオの瞳には、未だにスーツ姿の奏多の残像が焼き付いていた。
奏多と颯真がソファでくつろいでいる中、リオは決意する。


「……奏多さんのあのラップ、最高にカッコよかったです。僕も、あんな風に奏多さんをシビれさせてみたい……。よし、聴いてください」


「え、リオくん…?どうしたの」


戸惑う奏多と颯真をよそにリオは突然、リビングの真ん中で仁王立ちになった。

そして、スマホで適当なビートを流すと、自作だというリリックを口にし始めた。


「Yo、奏多、俺の太陽。愛の迷宮、まるで……大西洋! 君を独占、俺の情熱……爆発、ノンストップ……Hey!」


「…………」
「…………」


リビングに、深海のような沈黙が訪れた。

膝をリズムに乗せていた颯真は、完全に動きを止めて真顔で虚空を見つめている。

奏多は、口元を両手で覆い、肩を小刻みに震わせながら、必死に平然を装う。

リオのラップは、端的に言って壊滅的だった。

普段のダンスや歌のセンスがどこへ消えたのか、リズム感は行方不明、歌詞は昭和のラブソングでも使わないような死語のオンパレード。しかも、ドヤ顔だけは完璧。


「………どうですか? 奏多さん、僕の今の魂の叫び……」


期待に満ちた目で覗き込まれ、奏多は限界を迎えた。


「………っ……ふっ、……!…… ご、ごめん、リオくん、……『大西洋』って、……」


堪えきれず、奏多の口から乾いた苦笑いがこぼれ落ちる。それは悪気のない、純粋なあまりのギャップへの困惑から来る笑いだった。


「…………えっ」


リオの顔から、一気に血の気が引いていく。

一番かっこいいと思われたかった人に、本気で失笑されるという地獄。部屋の空気が冷え込んでいくのをリオは敏感に察知した。


「……わ、わかってますよ。僕にはセンスがないって言いたいんですよね。……もういいです。海に沈んできます、大西洋に!!」

「あ、リオくん! 待って、そういう意味じゃ――」


奏多の制止も虚しく、リオは自室へ逃げ込み、パタリ、とドアを閉めた。


静まり返ったリビングで、颯真がようやく深く、長いため息をついた。


「……奏多。君は偉い。よく、あの至近距離で『大西洋』を食らって、吹き出すまでに10秒も耐えた。俺は5秒で死ぬかと思ったよ。あのラップは……ある種の新兵器だね。共感しかない」

「颯真……笑いごとじゃないよ。リオくん、本当に傷ついちゃった……」


奏多は心底申し訳なさそうに眉を下げた。颯真は奏多の肩をポンと叩くと、いつものプロデューサー……ではなく、優しい兄の顔で微笑んだ。


「まあ、あの子も奏多にいいところを見せたかったんだろうな。……奏多。今は彼の恋人である君が、その壊滅的なラップも含めて愛してあげなきゃいけない時間なのかも。
……ほら、慰めに行ってあげて。扉の前で『大西洋より広い心で許して』って言えば、すぐ出てくるよ」

「……最後のは、言わない方がいい気がするけど。……行ってくるね」

奏多は意を決して、リオの部屋へと向かった。

扉の向こうからは、枕に顔を埋めて「死にたい……」と呻く、かっこつかない年下彼氏の声が漏れ聞こえていた。

奏多がリオの部屋のドアをそっとノックすると、中から「……入らないでください。僕は今、大西洋の底で貝になってるんです」と、絶望に満ちた声が返ってきた。


「リオくん、ごめんね。笑うつもりじゃなかったんだ。ただ、いつものかっこいいリオくんと、一生懸命なラップのギャップが……その、新鮮で」


奏多はドア越しに、語りかけるように言葉を紡いだ。しばらくの沈黙の後、ガチャリと鍵が開く。顔を真っ赤にし、前髪をぐしゃぐしゃにしたリオが、恨めしそうに顔を出した。


「……新鮮って、ダサかったってことですよね」

「そんなことないよ。リオくんが僕のためにあんなに熱くなってくれたのが、本当はすごく嬉しかったんだ」


奏多がふわりと微笑み、リオの頬にそっと手を添える。そのぼんやりとした、けれど体温を感じる優しさに触れ、リオの頑なな心は一瞬で溶けていった。


「……本当ですか? 嫌いになってないですか?」

「嫌いになるわけないじゃない。……むしろ、もっと好きになったかも」

「奏多さん……っ!!」


単純なリオは、その一言で完全に復活した。奏多に抱きつき、「次はもっと練習して、世界一のラッパーになります!」と宣言するリオ。奏多は「あはは……ほどほどにね」と、苦笑いしながらその背中を撫でた。


※※※※※※※


数日後。

颯真と奏多は、リビングでリオが出演しているバラエティ番組を眺めていた。

アイドルの意外な特技を披露するという内容。

「リオくん、何やるんだろう。やっぱりダンスとかかな」
「歌も上手いし、ダンスと歌の両方もありえる」

颯真が淹れたてのコーヒーを啜り、奏多も「そうだね」と微笑みながらカップを口にした。


その時、画面の中のリオが、司会者に「実は最近、ラップに目覚めまして」と自信満々に宣言した。嫌な予感がよぎる間もなく、ビートが鳴り響く。


『Yo、チェック、俺のHeart! 燃える情熱、まるで……マグマのStart!! 君に届け、このVibes、太平洋までブッ飛ばす……Yeah!』

「…………ッッ!!」
「…………ブッッ!!」

リビングに、二つの茶色い噴水があがった。
テレビの中では「おお~!」「斬新なリズムですね!」とスタジオが微妙な空気と共に盛り上がっている。
しかし、リビングの二人はそれどころではない。
奏多は口を押さえて激しくむせ込み、颯真はテーブルにこぼれたコーヒーを呆然と見つめながら、震える手でテレビを指差した。


「……奏多……。あいつ、大西洋から太平洋に……進出しやがったぞ……」
「……っ、……げほっ、……ん、んんっ……!!」


奏多はもはや言葉にならず、涙目で真っ赤になりながら、ソファに崩れ落ちた。

どうやらリオの「ラップの旅」はまだまだ続いていくようだった。
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