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第6章 灼熱の地

灼熱の地Ⅰ

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 廊下の壁に備えられた蝋燭の僅かな明かりがけが灯る中、ミユの部屋の前へと向かう。
 今はアレクが見張りをしている筈だ。
 会議室へ向かう分かれ道を通り過ぎ、フレアの部屋の前まで来ると、もうミユの部屋の前に居るアレクの姿が見えていた。腕を組み、壁に寄り掛かり、今にも眠ってしまいそうだ。

「アレク、交代の時間」

「……あ?」

 彼は瞼を開け、ちらりと此方を見る。体勢を立て直すと伸びをし、肩をぐるぐると回し始めた。

「変な事は起きなかった?」

「あぁ。ミユもぐっすり眠ってるみてーだし、異常はねーだろ」

 良かった。ほっと息を吐き出した。笑みも漏れる。
 アレクは頭を掻き、長い前髪を靡かせる。

「オマエもあんま思い詰めんなよ。いざって時に動けなくなるからな」

 通り掛けに俺の肩を叩き、アレクは欠伸をしながら去っていった。気怠そうな足音と、蝋燭に照らされる束ねられた薄茶の長い髪が鮮明に残る。
 影は今、何を考え、どう行動しているのだろう。考え始めれば不安だけが膨らんでいく。
 窓の外は白み始め、太陽が顔を出す。それと共に、計り知れない心の闇も取り払われるようだ。
 アレクとフレアが朝食を持って現れたのは、その三時間ほど後だった。

 朝食も終わり、またミユの部屋の前で警備に勤しむ。腕を組み、壁に背中を預け――未明に見たアレクの姿とそう変わらないだろう。
 ミユの頭痛はようやく治まったようだ。朝食の時も笑顔が絶えなかったし、安心して良いだろう。
 そのせいか、段々と眠くなってきてしまった。コクリコクリと居眠りをしては、はっと目を覚ます。

「クラウ、ちょっと休んだ方が良いよ」

 突然の声に驚き、振り向いてみると、苦笑いをするフレアが居た。

「そんなに心配なら、あたしが見てるから」

「うん、そうさせてもらう」

 体勢を直し、小さな欠伸をする。僅かに溢れた涙を左手で擦り、自室へと向かった。
 それから休息し、目を覚ますまではあまり覚えていない。ベッドから体を起こすと、テーブルの上には湯気の立ち上るペスカトーレと海藻サラダが置かれていたのだった。
 
 一息つき、再びミユの部屋へと向かう。その途中で、何やら笛の音が聞こえてきたのだ。聞き慣れない笛の音――
 それはどうやらミユの部屋から鳴っているらしい。
 ドーレーミーファーソー――と、俺でも分かる音階の音――恐らくロングトーン練習だろう。一瞬、家族の顔が過ったが、もう会えはしないと首を横に振った。
 ミユの顔が早く見たい。自分でも歩く足が速くなっていくのが分かる。
 ドアの前に着くと息を整え、ドアノブを回していた。

「ミユ」

「ひゃっ!」

 しまった、ノックするのを忘れていた。
 それにしても、ミユも驚き過ぎだとは思う。楽器を今にも落としそうな程に肩を震わせていた。
 俺がショックを受けたことに気付いたらしく、彼女は小動物のように首を傾げる。

「どうしたの?」

「部屋に居たらさ、笛の音が聞こえてきたから」

 部屋に居たというのは嘘になってしまうか。あまり変わらないから、良い事にしよう。
 朝も確認したが、もう一度確かめておこう。

「体調はもう良くなった?」

「うん。頭痛も無くなったよ」

「良かった」

 胸を撫で下ろすと同時に、顔が緩む。
 ミユの傾げた首が、更に傾いた。
 何を不思議に思っているのだろう。

「ん?」

「何しに来たの?」

「えっ? うーん……」

 こんなにも直球に疑問を投げかけられるとは思っていなかった。
 俺もストレートに返してしまっていいのだろうか。一瞬迷ったが、言う事にした。

「ミユの顔が見たくなったから。それじゃ、ダメかな」

「へっ!?」
 
 ミユの顔が一気に薔薇色に染まる。
 そういえば、ミユの部屋で二人きりになるのは初めてだったな、と気付く。
 しまった、と思う間も無く、彼女は楽器をテーブルの上へと移動させた。此方を再び向いても、目を合わせようとしない。

「私、喉乾いちゃった。会議室にジュースあるかなぁ」

「えっ? うん、あると思うよ。アレクとフレアもそこに居るかもしれなけど」

 嫌な予感しかしない。

「私、行ってくるね~」

「えっ? お、俺も行くよ」

 確実に俺を避けている。
 胸が抉られたかのようにずきりと痛む。
 足早に部屋を出ていくミユを慌てて追った。
 こんな時、何を話していいかが分からない。横に並ぶでもなく、物理的な距離も心の距離も縮まらない。
 何をやっているんだ、俺、と自分自身に苛立ちを感じる。
 そうこうしている間にも、会議室へと到着してしまった。
 ミユが扉を押し開けると、柔らかな紅茶の香りが漂ってきた。

「オマエら、どーしたんだ?」

 アレクとフレアは指定席に座り、ティーカップを持っていた。その香りは二人によるものだと判断出来る。

「私、ジュース飲みたくなっちゃって」

 ミユが答えると、二人はちらりと此方を見て小さく笑う。

「何味が良い?」

「う~ん……オレンジ!」

「分かった、持ってくるね。座って待ってて」

 フレアはにこやかに笑うと、部屋から颯爽と去っていった。
 ミユの「あっ……」と呟く声が聞こえた気がした。
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