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「綺麗ね」
「薔薇がお好きですか?」
「どうかしら?」
花が好きかどうかはともかく、薔薇が好きかどうかなど考えたこともない。
「これをお切りしますか?」
庭師が艶やかな赤い花弁に指で触れて訊ねる。
エレナは唇に指を添えて黙り込んだ。薔薇か――、それも真っ赤な薔薇。あまり華やかな花は気が滅入ると思っていた所なのに、これは……。
悩んで、庭師を見つめる。
だが、ここで『もっと地味な花がいいの』と言ったらこの庭師は自分をどう思うだろう。ただでさえ馴れ馴れしい彼に同情でもされたら?
「……そうね、その薔薇を切って頂戴」
結局、エレナはそう見栄を張った。
不思議なことに、いざそう口にしてみると、その薔薇を部屋に飾るのもそう悪くない気がした。
庭師はニカッと笑って頷くと、帽子の位置を直してから腰にかけた鞄から鋏を取りだした。
それから、鋏を握るのとは反対の手で軽く薔薇を触る。
何とはなしに、エレナはその様子を見つめた。男の手はごつごつとして大きい。指は長く節くれ立っていて、短く切りそろえられた爪の先は土で汚れている。夫の指とは、まるで違うと思った。夫の指はもっと細く、白く、女をエスコートするためだけに存在しているとでもいわんばかりだ。
エレナは、この庭師の指こそ男の指だろうと思った。それは、はっきりと夫への当てつけに。
パチッと軽快な音を立てて男が薔薇を切る。エレナをそれを受け取ろうと手を出したが、庭師は「とんでもない」と首を横に振った。
「奥さまにこのままお渡しすると、お手が汚れます。茎の水切りなどをした後で使用人の方に渡して、部屋に飾るようにお伝えしますので!」
「……それなら、後で私が使用人を来させるわ」
ひとりで庭に出て、若い庭師に花を切ってもらっていたなど、下手にメイドに知られたらどんな噂を立てられるか分からない。エレナから信頼出来る人間に頼んだ方が良い。
エレナは出した手を引っ込めようとしたが、そこで、彼の視線が自分の指に刺さっていることに気付いた。
「……なに?」
不審に思って訊ねると、庭師は慌てた様子でまた頭を下げた。
「し、失礼しました! ……そのっ、美しい手だと思って」
美しい手? エレナは自分の指先に視線を落とした。
思いつきで庭に出て、そう長居をするつもりもなかったから、いまは手袋を付けていない。白く滑らかな手がむき出しになっていることに気付いて、エレナはハッと手を胸元に引き寄せた。
「そんな綺麗で、白い指を……、オレは見たことがなかったので……、つい!」
顔を下に向けている男は、エレナの様子に気付かずまだ言い訳に続けている。
――綺麗な、白い指……。
それはそうだろう。
彼の周りにいる女はみな庶民だろうし、水仕事で手も荒れているだろう。
エレナは手を荒らすことは勿論、畑仕事をして日に焼くことも無い。
これは子爵夫人である自分だからこそ保てる美しさ。エレナの身分そのものだ。
エレナは男の頭を見下してから、ふんと息を吐いた。
「失礼だと思うのなら、二度と家の女主人に対してそんな口を利かないことね。他の家なら、罰を与えられても文句は言えないわよ」
「も、申し訳ありません!」
「……あとで、使用人を寄越すわ」
エレナは冷たくそう言い捨てると、顎をそらして踵を返した。
肩を張り、いつも通り不機嫌そうな顔で使用人の前を通り抜ける。
そして部屋に戻って扉を閉めるなり、エレナはへなへなとその場に座り込んで手を握りしめた。
――綺麗と。
綺麗と言われた。綺麗と。
エレナは、ひとに自分の体を褒められたことがなかった。結婚前も、結婚してからも、誰かに「綺麗」と言われたことは一度もない。それが例え手でも――、指先であっても、エレナは嬉しかった。
長く走った後のように心臓が早鐘を打っている。目の奥が熱く、鼻がツンとしている。
それは、エレナが初めて感じる種類の喜びであり、高揚だった。
「薔薇がお好きですか?」
「どうかしら?」
花が好きかどうかはともかく、薔薇が好きかどうかなど考えたこともない。
「これをお切りしますか?」
庭師が艶やかな赤い花弁に指で触れて訊ねる。
エレナは唇に指を添えて黙り込んだ。薔薇か――、それも真っ赤な薔薇。あまり華やかな花は気が滅入ると思っていた所なのに、これは……。
悩んで、庭師を見つめる。
だが、ここで『もっと地味な花がいいの』と言ったらこの庭師は自分をどう思うだろう。ただでさえ馴れ馴れしい彼に同情でもされたら?
「……そうね、その薔薇を切って頂戴」
結局、エレナはそう見栄を張った。
不思議なことに、いざそう口にしてみると、その薔薇を部屋に飾るのもそう悪くない気がした。
庭師はニカッと笑って頷くと、帽子の位置を直してから腰にかけた鞄から鋏を取りだした。
それから、鋏を握るのとは反対の手で軽く薔薇を触る。
何とはなしに、エレナはその様子を見つめた。男の手はごつごつとして大きい。指は長く節くれ立っていて、短く切りそろえられた爪の先は土で汚れている。夫の指とは、まるで違うと思った。夫の指はもっと細く、白く、女をエスコートするためだけに存在しているとでもいわんばかりだ。
エレナは、この庭師の指こそ男の指だろうと思った。それは、はっきりと夫への当てつけに。
パチッと軽快な音を立てて男が薔薇を切る。エレナをそれを受け取ろうと手を出したが、庭師は「とんでもない」と首を横に振った。
「奥さまにこのままお渡しすると、お手が汚れます。茎の水切りなどをした後で使用人の方に渡して、部屋に飾るようにお伝えしますので!」
「……それなら、後で私が使用人を来させるわ」
ひとりで庭に出て、若い庭師に花を切ってもらっていたなど、下手にメイドに知られたらどんな噂を立てられるか分からない。エレナから信頼出来る人間に頼んだ方が良い。
エレナは出した手を引っ込めようとしたが、そこで、彼の視線が自分の指に刺さっていることに気付いた。
「……なに?」
不審に思って訊ねると、庭師は慌てた様子でまた頭を下げた。
「し、失礼しました! ……そのっ、美しい手だと思って」
美しい手? エレナは自分の指先に視線を落とした。
思いつきで庭に出て、そう長居をするつもりもなかったから、いまは手袋を付けていない。白く滑らかな手がむき出しになっていることに気付いて、エレナはハッと手を胸元に引き寄せた。
「そんな綺麗で、白い指を……、オレは見たことがなかったので……、つい!」
顔を下に向けている男は、エレナの様子に気付かずまだ言い訳に続けている。
――綺麗な、白い指……。
それはそうだろう。
彼の周りにいる女はみな庶民だろうし、水仕事で手も荒れているだろう。
エレナは手を荒らすことは勿論、畑仕事をして日に焼くことも無い。
これは子爵夫人である自分だからこそ保てる美しさ。エレナの身分そのものだ。
エレナは男の頭を見下してから、ふんと息を吐いた。
「失礼だと思うのなら、二度と家の女主人に対してそんな口を利かないことね。他の家なら、罰を与えられても文句は言えないわよ」
「も、申し訳ありません!」
「……あとで、使用人を寄越すわ」
エレナは冷たくそう言い捨てると、顎をそらして踵を返した。
肩を張り、いつも通り不機嫌そうな顔で使用人の前を通り抜ける。
そして部屋に戻って扉を閉めるなり、エレナはへなへなとその場に座り込んで手を握りしめた。
――綺麗と。
綺麗と言われた。綺麗と。
エレナは、ひとに自分の体を褒められたことがなかった。結婚前も、結婚してからも、誰かに「綺麗」と言われたことは一度もない。それが例え手でも――、指先であっても、エレナは嬉しかった。
長く走った後のように心臓が早鐘を打っている。目の奥が熱く、鼻がツンとしている。
それは、エレナが初めて感じる種類の喜びであり、高揚だった。
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