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プロローグ
彼女との出逢い
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日が沈むにつれ辺りが赤く染めあがるいつもの帰り道、たくさんの人が行き交う並木道で僕は一人の女の子に出会った。
学校を終えると部活に参加する訳でもなく、電車が到着する時間までの暇潰しとして教室に居座る。
目の前に勉強ができる環境があるのにも関わらず毎日外から差し込む光だけで僕は本を読んでいる。いつも教室に残っているのは僕だけだっだ。外から差し込む光が赤くなり始めると、僕は読んでいたページに栞を挟んで鞄にしまい帰路につく。
一人でいつものように電車を待つため駅へと向かっていた。ただ、今日はいつもと違った天候が珍しく顔を出していた。
コンクリートに大粒の雫が降りつけ、歩道に植えられたイチョウの葉が宙を舞っていた。
すれ違う人たちはみんな傘をさしていた。雨に打たれないよう、強風に負けないよう、左右に傘を揺らしながら時には周りの傘にも気を配り、いかに自分が濡れなくて済むのかを模索しているように見えた。
僕の瞳に映っていた女の子もそれは同じことだった。
ただ、女の子はいかに雨に濡れなくて済むのかを模索するのではなく、いかにスカートがめくり上がらないようにするかを考えているように見えた。
傘が風に流されそうになる度、女の子は困った表情を傘の隙間からチラリと見せた。
そして、女の子が一番気にかけていることが起きてしまった。今日一日の中で一番という程の風が吹いた時、女の子は傘を持っていかれないように傘を閉じた。傘を閉じたまでは良かったが、スカートの方は残念ながら間に合わなかった。
腰のあたりまで伸びた美しく艶のある黒髪が風になびき、雨に濡れた服にあたる風で身体が震えながらも、大きく見開かれた瞳は辺りを見渡していた。
「あっ。大丈夫……?」
気づけば女の子の元へ駆け寄っていた。何故かさっきからその女の子のことしか僕の瞳には映っていなかった。
結局傘の骨も折れてしまい、スカートまでもが翻り恥ずかしい思いを女の子はしていた。それは女の子の顔を見ればすぐに分かった。女の子の頬はリンゴのように真っ赤に染まっていた。
「はい、心遣いありがとうございます。私は大丈夫……大丈夫です」
何か気にかけていることがあるのか、女の子は一瞬の間を空けて答えた。
僕は女の子が胸に閉まったことを聞こうとはしなかった。女の子が何を言いたかったのかはすぐに分かったからだ。
その女の子を見ていて僕はふと懐かしさを感じた。初めて会ったにしては、その女の子の顔が記憶の片隅に保存されているように思えた。
「いえいえ、何もなかったようで良かったです。……あれ、僕たち以前にどこかでお会いしたことありませんか?」
僕はつい口に出していた。相手はいきなりそんなことを訊かれれば迷惑だろうが、僕は保存されている記憶を紐解きたかった。
「いえ、たぶん初めてお会いするかと思います……」
女の子は返事に困っていたのか、最後の方は上手く聞き取れなかった。
そんな数少ない言葉のやり取りが、僕と女の子との出逢いだった。
女の子の折れた傘を見ながら僕は「そうですか……。それにしても今のは凄い風でしたね。傘の骨折れてませんか?」
僕は折れていることに気づきながらも、女の子ともう少し話がしたかったので、気づいていない振りをした。
女の子は傘を見つめて言った。
「あ……ダメです、折れちゃってます。でも……それよりも……それよりも、パ、パンツ見えていませんでしたか?」
あえて訊かなかったことを女の子は自分から僕に尋ねてきた。
ここで答えに戸惑いを見せるのは女の子に悪いと思い話を逸らそうとした。
「そっか、折れちゃったか。僕のも今ので折れちゃったんだ。……うん、大丈夫だよ。……みんなもさっきは自分のことで精一杯で周りなんて見えてないはずだから」
「そうですか……。あぁ、もう恥ずかしいなぁ。傘も折れちゃうし、パンツも見られちゃうし……」
ん、僕はちゃんと否定したよな、と内心思った。
「大丈夫、見えてないよ。たぶん……」
「もう、たぶんって何よ。ホントは見えたんでしょ?」
女の子は僕の口から本当のことを聞きたいのか、僕の瞳の奥を見つめて寒さに震える声で問いかけた。
見つめられながら耳に入ってきたその声は僕の鼓動を早めた。初めて経験するシュチュエーションは僕の過去の記憶を全て押し出し、一生頭から離れない程に新しい記憶として焼きついた。
「大丈夫、うん、大丈夫だよ。見えてないから」
そうは言いつつも、本当は見えていた。ただ、僕は女の子のことを思って口には出さなかった。
さらに強まる雨や風に僕たちは耐えきれず近くの喫茶店に駆け込んだ。
喫茶店の中は僕たちと同じ境遇の人たちで溢れかえってた。入口の傘立てには骨の折れた雨具が散乱していた。
お店の人が気を利かせてくれたのか、夏の季節に暖房が効いていた。さすがに人が多かったためか珈琲のサービスまではなかったが、雨宿りをするほとんどの人たちは喫茶店にお金を落としていった。
「寒かったね。そうだ、僕たちも何か頼まない?」
「うん、身体冷えてるから、温かい飲み物がいいなぁ」
「じゃあ、決まりだね。すみませーん」
僕は店員さんを呼んだ。座れる席は無かったが、立ったまま飲み物を飲んでいる人たちもいた為、僕たちも立ったまま飲み物をいただこうと考えていた。
「はい」
店員さんは人混みを掻き分けて小走りで来てくれた。
「すみません、珈琲を二つ頼めますか? できれば甘めで」
「かしこまりました」
店員さんは再び小走りでカウンターへ戻って行った。
「ねぇ、さっきどこかで会ったことないって言ってたよね。私もね、あなたと逢ったのは今日が初めてじゃない気がしてるの」
女の子は僕の袖を掴んで澄んだ声で言った。寒さに震えていた時の声とは違い、頭に残る程美しく澄んだ周りをも飲み込む綺麗な声に、僕は引き込まれていた。
「もしかしたら、どこかで会っていたのかも知れないね」
少しの間話しをしていると、店員さんが珈琲を運んできてくれた。それを見た近くに座っていた老夫婦が僕たちの方を向いて手招きしていた。
「君たちここに座ったらいいよ」
「いいんですか? ありがとうございます」
「それじゃあ、私たちは失礼するとしようかね」
老夫婦は席を僕たちに譲った後カウンターの中へと入っていった。
老夫婦に感謝をしながら、運命を感じた僕たちは珈琲を飲みながら、たくさんの人たちがいる中で笑いあった。周りからの視線が一瞬にして集まった気がしたが、何一つ気にならなかった。
珈琲を飲み干した僕は折れた傘のことを考えていた。
「ねぇ、傘の骨折れちゃったけど、これからどうするの?」
「うん、そうだね。どうしようかなぁ?」
「良かったら僕の家に来る? 雨には濡れるけど、電車に乗ったらすぐに着くくらい近い家だから」
初めて会ったかも知れない女の子にそう言うにはかなりの勇気が必要だったが、パンツを見てしまった僕にしてあげられることは女の子の体調が悪くならないように家にあげることだった。
「え、いいのお邪魔しても? 私が家に行ったら誤解されない?」
「うん、そこは大丈夫だよ。何か言われたら彼女ってことにしとくから」
「全然大丈夫じゃないよぉ。でも……私が彼女ってことでいいの。好きな人いるんじゃないの? 無理にそんなこと言う必要ないんだよ」
「いいよ。だって、僕好きな人いないから。……でも、気になる人はいるかな。ただ、その人が僕のことをどう思っているか分からないけどね」
「それだと、ホントに私がお邪魔しちゃってもいいのか分からないよ」
「気にしないで。だって……。ううん、何でもないや」
「じゃあ、お言葉に甘えさせてもらうね。私の家、ここからだと遠いの」
「そうとなれば駅に急がないとね、今ネットで見たんだけど普段通り運行してるみたいだから」
「うん」
僕は珈琲のお代を店員さんに手渡し、駅に向かって走り出した。
喫茶店から出ると雨が小降りになっていた。小降りになったのを見たのか、たくさんの人たちが再び並木道を行き交い始めていた。
たくさんの人たちに呑み込まれないよう僕は女の子の手を握った。女の子の手を握って走っている僕たちのことを周りから見れば彼氏、彼女に見られてもおかしくなかった。
繋いだ手と手は幾度となく離れそうになった。たくさんの人波に呑まれ手が離れそうになる度、僕は女の子の手を強く握り直し、手と手が離れないように気をつけた。
人波を抜け、無事駅のホームへと僕たちは辿り着いた。券売機で二人分の切符を買い、二番線ホームで電車を待っていた。
二番線ホームで電車を待っていると、ふと女の子が話しかけてきた。
女の子の濡れた美しく長い黒髪は一層輝きを増していた。そして、濡れた服も、濡れた肌も、女の子の可愛さを一層際立たせていた。女の子に話しかけられた時、僕の中で一瞬時が止まった。そう、見惚れていたのだ。そんな時に急に話しかけられれて困惑しない訳がなかった。
「ねぇ、聞いてる? ねえってば」
女の子は僕の肩に手を乗せて前後に揺すった。僕の中で止まっていた時が再び進み始めた。
「あ、あぁ、聞いてるよ」
「じゃあ、私が何を言ったのか言ってみて」
「えっ、えっと……」
「ほら、聞いてなかったじゃない。何考えてたの? もしかして……雨に濡れた女の人に見惚れてたの? そうよね、雨に濡れて服が透けてるもんね。そっか、男の子だもんね」
「そ……そんなことないよ」
僕は全力で否定した。だって僕が見惚れていたのは服が雨に濡れてボディラインが透けて見える女の人なんかじゃなくて……
「違うんだ。僕が……僕が見惚れていたのは……」
「じゃあ、何に見惚れてたの?」
「ただ、君が……君が可愛いなぁって思って見惚れてたんだ」
女の子はキョトンとしていた。まるで初めて自分のことを可愛いと人に言ってもらえたように見えた。僕の瞳が女の子を見ていたのは懐かしさからなのか、それとも一目惚れだったのか、それは良く分からなかったが、自分が見てきた中で一番可愛い女の子だった。
「えっ……それってホント?」
「うん、ホントだよ」
「じゃあ、さっきの話しの続き聞いてもいい?」
「何の話し?」
僕がそう聞くと、女の子は顔をリンゴのように真っ赤に染めて言った。
「さっきね、気になる人がいるって言ってたよね。気になる人ってどんな人なの。私よりも可愛い人なの?」
「もう、分かってるんなら聞くなよな。気になる人は僕のすぐ隣にいるよ」
「隣……?」
女の子は辺りをキョロキョロ見渡していた。そして、何かに気づいたのか僕の瞳を見つめた。僕たちの周りに人はいなかった。そう、女の子は気づいたのだ。それが自分のことを言われていることに。
「もしかして……私……?」
「そうだよ。もう、言わないつもりだったのになぁ」
僕は女の子から瞳を逸らした。瞳を直視できなかった。遠くのホームを見て何とか鼓動の早まりを収めようとした。
「そっかぁ……私なんだね。……でも、ホントに私なんかでいいの? 初めて会ったのかも知れないんだよ」
「いいも何も好きになっちゃったんだから仕方ないじゃないか。だって、今だって僕の鼓動が君に聞こえないか気にしてるんだよ」
「……じゃあ、私の鼓動が早くなってるのも聞こえる? 私もね、会った時からずっと気になってるんだよ」
…………
僕は答えに戸惑った。
そして、自分の表情を気にしていた。
僕はよく周りから感情が面に表れていると言われる。鏡があれば今すぐにでも自分の表情を確認しに飛び込みたい。
だって、今の僕は絶対に笑いを堪えている顔をしていると思う。口元が緩んで口角が上がっているだろう。
でも、遠くを見つめていたはずの瞳は、女の子の瞳を捉えていた。
瞳を捉えた時、女の子が手を握ってきた。
反射的に手を引こうとした時
「ほら、分かりにくいかも知れないけど、私の鼓動早くなってるの分かるでしょ。私は分かるよ、君の鼓動が早くなってるの。……嬉しいなぁ。だって、今まで家族以外に可愛いって言われたことなかったの」
「ホント? 少なくても僕の中の君は世界で一番可愛いよ。だから……」
そう言いかけた時、聞き慣れた音楽が流れてきた。
そして、僕が女の子に伝えたかった思いを拒むかのように続けてアナウンスが流れた。
間も無く二番線ホームに電車が参ります。
妨げれられた言葉は、そのあと口には出せなかった。会話の流れの中で思ったことをそのまま話す、それが僕の悪い癖だった。さっきは言おうとしたのは会話の流れの中で、恥ずかしいながらもやっと口に出せそうだった言葉だった。
口に出せないまま、僕は女の子と電車に乗り込んだ。
「あったかいねぇ」
女の子は僕に変に気を遣わせないよう、そう話しかけてきた。
「うん、あったかいね。さっきまで寒かったもんね。風邪ひかないようにしないと」
「そうだね。風邪ひかないようにしないと。あ、家には誰かいるの?」
「うん、お母さんがいるよ」
「ちゃんとお礼言わないと……」
「いいよ、そんなに気を遣わなくても」
「そうなのかな?」
「うん、僕が家に来るって誘ったんだから。それに家まで遠いんでしょ。これ以上寒いところにいると風邪ひいちゃうよ」
「優しいんだね、君は。……ありがとね」
出逢ってから一時間も経っていない僕と女の子。でも、確かに僕たちはお互いのことを好きになっていた。あの一瞬の出来事は僕たちの運命の歯車を、新たな青春の歯車を動かし始めた。
そして、僕たちは恋人になった。
僕たちは高校を卒業したあと幸せな結婚生活を送れるはずだった……
これは一瞬の出来事から始まった、僕、水沢春人と女の子、花咲心乃の物語。
春人くん、君に逢ったのは君が言ったとおり初めてじゃないんだよ。
でもね、私と君が恋人になっても、反対する人が多いと思うんだ。
それでも、私は君と一緒にいたいな。
君とならどんなことでも乗り越えていけるよね……
学校を終えると部活に参加する訳でもなく、電車が到着する時間までの暇潰しとして教室に居座る。
目の前に勉強ができる環境があるのにも関わらず毎日外から差し込む光だけで僕は本を読んでいる。いつも教室に残っているのは僕だけだっだ。外から差し込む光が赤くなり始めると、僕は読んでいたページに栞を挟んで鞄にしまい帰路につく。
一人でいつものように電車を待つため駅へと向かっていた。ただ、今日はいつもと違った天候が珍しく顔を出していた。
コンクリートに大粒の雫が降りつけ、歩道に植えられたイチョウの葉が宙を舞っていた。
すれ違う人たちはみんな傘をさしていた。雨に打たれないよう、強風に負けないよう、左右に傘を揺らしながら時には周りの傘にも気を配り、いかに自分が濡れなくて済むのかを模索しているように見えた。
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ただ、女の子はいかに雨に濡れなくて済むのかを模索するのではなく、いかにスカートがめくり上がらないようにするかを考えているように見えた。
傘が風に流されそうになる度、女の子は困った表情を傘の隙間からチラリと見せた。
そして、女の子が一番気にかけていることが起きてしまった。今日一日の中で一番という程の風が吹いた時、女の子は傘を持っていかれないように傘を閉じた。傘を閉じたまでは良かったが、スカートの方は残念ながら間に合わなかった。
腰のあたりまで伸びた美しく艶のある黒髪が風になびき、雨に濡れた服にあたる風で身体が震えながらも、大きく見開かれた瞳は辺りを見渡していた。
「あっ。大丈夫……?」
気づけば女の子の元へ駆け寄っていた。何故かさっきからその女の子のことしか僕の瞳には映っていなかった。
結局傘の骨も折れてしまい、スカートまでもが翻り恥ずかしい思いを女の子はしていた。それは女の子の顔を見ればすぐに分かった。女の子の頬はリンゴのように真っ赤に染まっていた。
「はい、心遣いありがとうございます。私は大丈夫……大丈夫です」
何か気にかけていることがあるのか、女の子は一瞬の間を空けて答えた。
僕は女の子が胸に閉まったことを聞こうとはしなかった。女の子が何を言いたかったのかはすぐに分かったからだ。
その女の子を見ていて僕はふと懐かしさを感じた。初めて会ったにしては、その女の子の顔が記憶の片隅に保存されているように思えた。
「いえいえ、何もなかったようで良かったです。……あれ、僕たち以前にどこかでお会いしたことありませんか?」
僕はつい口に出していた。相手はいきなりそんなことを訊かれれば迷惑だろうが、僕は保存されている記憶を紐解きたかった。
「いえ、たぶん初めてお会いするかと思います……」
女の子は返事に困っていたのか、最後の方は上手く聞き取れなかった。
そんな数少ない言葉のやり取りが、僕と女の子との出逢いだった。
女の子の折れた傘を見ながら僕は「そうですか……。それにしても今のは凄い風でしたね。傘の骨折れてませんか?」
僕は折れていることに気づきながらも、女の子ともう少し話がしたかったので、気づいていない振りをした。
女の子は傘を見つめて言った。
「あ……ダメです、折れちゃってます。でも……それよりも……それよりも、パ、パンツ見えていませんでしたか?」
あえて訊かなかったことを女の子は自分から僕に尋ねてきた。
ここで答えに戸惑いを見せるのは女の子に悪いと思い話を逸らそうとした。
「そっか、折れちゃったか。僕のも今ので折れちゃったんだ。……うん、大丈夫だよ。……みんなもさっきは自分のことで精一杯で周りなんて見えてないはずだから」
「そうですか……。あぁ、もう恥ずかしいなぁ。傘も折れちゃうし、パンツも見られちゃうし……」
ん、僕はちゃんと否定したよな、と内心思った。
「大丈夫、見えてないよ。たぶん……」
「もう、たぶんって何よ。ホントは見えたんでしょ?」
女の子は僕の口から本当のことを聞きたいのか、僕の瞳の奥を見つめて寒さに震える声で問いかけた。
見つめられながら耳に入ってきたその声は僕の鼓動を早めた。初めて経験するシュチュエーションは僕の過去の記憶を全て押し出し、一生頭から離れない程に新しい記憶として焼きついた。
「大丈夫、うん、大丈夫だよ。見えてないから」
そうは言いつつも、本当は見えていた。ただ、僕は女の子のことを思って口には出さなかった。
さらに強まる雨や風に僕たちは耐えきれず近くの喫茶店に駆け込んだ。
喫茶店の中は僕たちと同じ境遇の人たちで溢れかえってた。入口の傘立てには骨の折れた雨具が散乱していた。
お店の人が気を利かせてくれたのか、夏の季節に暖房が効いていた。さすがに人が多かったためか珈琲のサービスまではなかったが、雨宿りをするほとんどの人たちは喫茶店にお金を落としていった。
「寒かったね。そうだ、僕たちも何か頼まない?」
「うん、身体冷えてるから、温かい飲み物がいいなぁ」
「じゃあ、決まりだね。すみませーん」
僕は店員さんを呼んだ。座れる席は無かったが、立ったまま飲み物を飲んでいる人たちもいた為、僕たちも立ったまま飲み物をいただこうと考えていた。
「はい」
店員さんは人混みを掻き分けて小走りで来てくれた。
「すみません、珈琲を二つ頼めますか? できれば甘めで」
「かしこまりました」
店員さんは再び小走りでカウンターへ戻って行った。
「ねぇ、さっきどこかで会ったことないって言ってたよね。私もね、あなたと逢ったのは今日が初めてじゃない気がしてるの」
女の子は僕の袖を掴んで澄んだ声で言った。寒さに震えていた時の声とは違い、頭に残る程美しく澄んだ周りをも飲み込む綺麗な声に、僕は引き込まれていた。
「もしかしたら、どこかで会っていたのかも知れないね」
少しの間話しをしていると、店員さんが珈琲を運んできてくれた。それを見た近くに座っていた老夫婦が僕たちの方を向いて手招きしていた。
「君たちここに座ったらいいよ」
「いいんですか? ありがとうございます」
「それじゃあ、私たちは失礼するとしようかね」
老夫婦は席を僕たちに譲った後カウンターの中へと入っていった。
老夫婦に感謝をしながら、運命を感じた僕たちは珈琲を飲みながら、たくさんの人たちがいる中で笑いあった。周りからの視線が一瞬にして集まった気がしたが、何一つ気にならなかった。
珈琲を飲み干した僕は折れた傘のことを考えていた。
「ねぇ、傘の骨折れちゃったけど、これからどうするの?」
「うん、そうだね。どうしようかなぁ?」
「良かったら僕の家に来る? 雨には濡れるけど、電車に乗ったらすぐに着くくらい近い家だから」
初めて会ったかも知れない女の子にそう言うにはかなりの勇気が必要だったが、パンツを見てしまった僕にしてあげられることは女の子の体調が悪くならないように家にあげることだった。
「え、いいのお邪魔しても? 私が家に行ったら誤解されない?」
「うん、そこは大丈夫だよ。何か言われたら彼女ってことにしとくから」
「全然大丈夫じゃないよぉ。でも……私が彼女ってことでいいの。好きな人いるんじゃないの? 無理にそんなこと言う必要ないんだよ」
「いいよ。だって、僕好きな人いないから。……でも、気になる人はいるかな。ただ、その人が僕のことをどう思っているか分からないけどね」
「それだと、ホントに私がお邪魔しちゃってもいいのか分からないよ」
「気にしないで。だって……。ううん、何でもないや」
「じゃあ、お言葉に甘えさせてもらうね。私の家、ここからだと遠いの」
「そうとなれば駅に急がないとね、今ネットで見たんだけど普段通り運行してるみたいだから」
「うん」
僕は珈琲のお代を店員さんに手渡し、駅に向かって走り出した。
喫茶店から出ると雨が小降りになっていた。小降りになったのを見たのか、たくさんの人たちが再び並木道を行き交い始めていた。
たくさんの人たちに呑み込まれないよう僕は女の子の手を握った。女の子の手を握って走っている僕たちのことを周りから見れば彼氏、彼女に見られてもおかしくなかった。
繋いだ手と手は幾度となく離れそうになった。たくさんの人波に呑まれ手が離れそうになる度、僕は女の子の手を強く握り直し、手と手が離れないように気をつけた。
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「ねぇ、聞いてる? ねえってば」
女の子は僕の肩に手を乗せて前後に揺すった。僕の中で止まっていた時が再び進み始めた。
「あ、あぁ、聞いてるよ」
「じゃあ、私が何を言ったのか言ってみて」
「えっ、えっと……」
「ほら、聞いてなかったじゃない。何考えてたの? もしかして……雨に濡れた女の人に見惚れてたの? そうよね、雨に濡れて服が透けてるもんね。そっか、男の子だもんね」
「そ……そんなことないよ」
僕は全力で否定した。だって僕が見惚れていたのは服が雨に濡れてボディラインが透けて見える女の人なんかじゃなくて……
「違うんだ。僕が……僕が見惚れていたのは……」
「じゃあ、何に見惚れてたの?」
「ただ、君が……君が可愛いなぁって思って見惚れてたんだ」
女の子はキョトンとしていた。まるで初めて自分のことを可愛いと人に言ってもらえたように見えた。僕の瞳が女の子を見ていたのは懐かしさからなのか、それとも一目惚れだったのか、それは良く分からなかったが、自分が見てきた中で一番可愛い女の子だった。
「えっ……それってホント?」
「うん、ホントだよ」
「じゃあ、さっきの話しの続き聞いてもいい?」
「何の話し?」
僕がそう聞くと、女の子は顔をリンゴのように真っ赤に染めて言った。
「さっきね、気になる人がいるって言ってたよね。気になる人ってどんな人なの。私よりも可愛い人なの?」
「もう、分かってるんなら聞くなよな。気になる人は僕のすぐ隣にいるよ」
「隣……?」
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「そうだよ。もう、言わないつもりだったのになぁ」
僕は女の子から瞳を逸らした。瞳を直視できなかった。遠くのホームを見て何とか鼓動の早まりを収めようとした。
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…………
僕は答えに戸惑った。
そして、自分の表情を気にしていた。
僕はよく周りから感情が面に表れていると言われる。鏡があれば今すぐにでも自分の表情を確認しに飛び込みたい。
だって、今の僕は絶対に笑いを堪えている顔をしていると思う。口元が緩んで口角が上がっているだろう。
でも、遠くを見つめていたはずの瞳は、女の子の瞳を捉えていた。
瞳を捉えた時、女の子が手を握ってきた。
反射的に手を引こうとした時
「ほら、分かりにくいかも知れないけど、私の鼓動早くなってるの分かるでしょ。私は分かるよ、君の鼓動が早くなってるの。……嬉しいなぁ。だって、今まで家族以外に可愛いって言われたことなかったの」
「ホント? 少なくても僕の中の君は世界で一番可愛いよ。だから……」
そう言いかけた時、聞き慣れた音楽が流れてきた。
そして、僕が女の子に伝えたかった思いを拒むかのように続けてアナウンスが流れた。
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「ちゃんとお礼言わないと……」
「いいよ、そんなに気を遣わなくても」
「そうなのかな?」
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そして、僕たちは恋人になった。
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