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少女と母①

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その音は、間違いなく自身の背後から聞こえた。



ゆっくりと振り返る。

見ると少女が立ったまま固まっていた。


それは緑の長い髪に、緑の瞳。

水色ではないが、薄い青い服を着て腕には籠を掛けている。

長い髪は髪質なのか風が吹く度にふわふわと靡く。





そして目が合い暫くお互いを見合った。



沈黙が続いたが、しばらくすると少女の目はゆっくりと大きく見開かれていく。


同時に何故か顔がどんどん赤くなり、終いには凄い勢いでこっちまで近寄って、飛び上がった。





「変態っっ!!」



山々には少女の高く大きな声が響く。


足も見事に少年のお腹へとクリーンヒット。


飛び蹴りをくらった少年は、10m程宙に浮きぶっ飛んでいく。


そして、その大きな声と痛みと共に少年の意識は無くなった。





 ー本日二度目の目覚め。




だが、一度目とは全く違う。

身体には柔らかい感触、目が写すのは木目状の天井、そして嗅覚には木の香り。


痛みもなく、暗くもない。


ゆっくりと瞬きを繰り返し、ただ一方向だけを見つめる。


どんどん意識は覚醒する。



此処は何処だろうか


ーもう、あんな所に戻りたくない。




嫌な事ばかりを考えてしまう。

思い出すだけで身体が震えた。

自身の震える腕をもう片方の腕で抑えるが、その震えは止まらない。



止まれ、止まれ、、、



そして、大きく深呼吸を繰り返す。
汗も滝のように垂れてきている。




「起きたようだね!!」


身体は震えを忘れたようにその声と同時に飛び上がった。


バンッ、といきなり大きな音をたて、近寄ってきたのは先程の少女とは違い、40代位の姿をした女性。



見た目は少女と同じ緑の髪に緑の瞳。


何かを確かめるように自身を上から下まで見つめる。




「よかったよ~!主人の若い頃のもんぴったしじゃないかい!!」


「まぁ、着せた時に分かってたけどね?」




言い終えたその女性の頬はほんのり赤く染まっている。
そして恥じらいがあるのか目を合わせようとしない。

口はニヤニヤと笑っている。




…たったこの一声だけで、何故か
身体中には先程より凄まじい震えが走ったのは言うまでもない。



「ん?何固まっているんだい?」



女性は動かない少年を不思議に思ったのか脇腹に置いていた腕を解き、掌を少年の目の前でヒラヒラと左右に振る仕草を繰り返す。


「すいません、、大丈夫です、、、」



「そうかい、、?それなら安心したよ」


やっと言葉を口にした青年に安心したのか女性は軽く安堵のため息を漏らす。




「お前さん、どうしてあんな真っ裸で山にいたんだい?」


女性はそういえば、と思い出したかの様に問いかけた。

まぁ、当たり前の事だ


人がいないとはいえ裸で山を登るのは有り得ない。


自分がその光景を目にしていたのならただの変態にしか見えない。

なんで結構標高もある山に裸で自分はいたのだろうか。

急にそんな自分が恥ずかしくなってくる。



だが、その答えは自分でも分からない。





「すいません、分からないんです。ご迷惑お掛けしました、、。」


どうして本当に自分はあんな所にいたのだろう?

同時に、何も分からない事の不安が押し寄せてくる。


「そうかい、、大変だったんだね。」


そんな自分に気を遣ってくれたのだろうか、女性はこれ以上深く追求する事はしなかった。


「そういえば自己紹介がまだだったね、私の名前は翡翠≪ひすい≫だよ」


言い終えると翡翠はよろしく、と言うように少年へと腕を伸ばした。


少年も同じように腕を伸ばす。



「はい、僕は、、、」




だが、いくら考えても続きが出てこない。


翡翠さんも僕の続きの言葉を待っていてくれている。


でも、あれ?なんだっけ?
そういえば名前も何だっけ?僕は誰だ?

ワカラナイワカラナイワカラナイワカラナイワカラナイワカラナイワカラナイワカラナイ




しかも、どうやってここに来た?

どこから来た?




思考がぐるぐると回る。




ヤバイ、キモチワルイ




翡翠は中々答えない少年を察して問いかけた。


「…もしかしてあんた自身の事も分からないのかい?」



その言葉で少年の目は見開かれる。






あぁ、そうだ。
今更ながら気が付いた。


痛くて、暗いあの場所で目覚めた前の記憶が無い。




「はい、、、」



とても小さな返事。


その小さな声は震え、泣いているかの様だと翡翠は感じる。



「そうかい、、、」




翡翠はそれ以上何も言わず、ゆっくりと少年の腰に手を回し、もう片方の手で優しく背中を叩く。




そして氷のように冷たい青年の体をぎゅっと包んだ。



「直ぐに思いだすよ、大丈夫」


少年の少し乱れた呼吸が落ち着いたタイミングでそっと体を離す。



「…思い出すまでここにいなよ、きっとフレイも喜ぶだろうよ」



「だ、誰が喜ぶのよ!この変態っ!変質者!」



 少女は翡翠と同じ様にバンッと大きな音を立てていきなり入って来た。
間違いなく意識が飛ぶ前に見た子と瓜二つだ。


その顔は真っ赤に染まりあがっている。



「あんたさては盗み聞してただろ!そんな子に育てた覚えはないよ!!」


翡翠さんの大きな怒声。


この2人は親子なのだろう。

こんなにそっくりな他人は中々いないだろう。

主に大きな音をたてるとこと外見。


うっ


と威勢がよかった少女の口も母の怒声には勝てないのか完全に閉じてしまった。


図星のようだ。


だが、この少女もそれなりに空気を読んで今までこの部屋への入室を避けていたのだろう。


翡翠は諦めたようにホラっとその少女を自身の前へと突き出す。

挨拶しな、と少女に強要する。


「フレイよ、、、少しだけだからね!本当に少しよ!来月には学校も始まるんだからそれまでよ!」


少女も渋々声をあげた。


少年にはまだ納得していない、と少女の思いが痛いほど伝わってきた。


そしてそれだけ言うとこの小さな部屋から出て行ってしまった。


静まりかえった部屋にハァ、と翡翠の短い溜息が響いた。


「ごめんね、でもあんな事言ってるけどあんたが眠ってる間あの子凄く心配してたんだよ」





月日というのはあっという間だった。
あの時フレイに言われた一ヶ月。



僕はここを出て行かなければならないのだろうか。
我儘を言えるのであれば、もっと翡翠さんともフレイとも一緒にいたい。

だが、迷惑もかけられない。



「ちょっとシロイ!草抜き程度いつまで掛かってんの!?」


思い耽っている最中、いきなり背後から大きな声。

少年の体はビクッと大きく揺れた。


そうだ忘れていた。
今は畑の草抜きの途中だったのだ。
 

「フレイ!無理だよ、、君と違って僕は、、、」



それとシロイと呼ばれたのは僕の名前。
名前がないのは不便だと翡翠さんが付けてくれたのだ。


フレイは呆れた、というように大きく溜息を吐く。


そして両手を腰のあたりで広げ詠唱し始める。



「大地の草よ、眠れ、」


その言葉と共に畑に生い茂っていた草は灰になるかのように消えていく。


勿論畑の野菜は無事だ。



いつ見ても魔法というものは凄い。
何時間も掛かる草抜きを一瞬で終わらせてしまう。



そして詠唱を終えた途端にビシッとシロイへと指先を向けた。


「これくらい初歩の初歩!」

「ごめん…」



 「「ただいまー」」



いつも通り2人揃って家の扉を潜った。


帰路に着いたのは、夕日が沈み掛けた時間。

結局草抜きは3分の2はフレイが。


男児としていつも彼女に助けて貰う生活は凄く恥ずかしい。


頑張らねば。


翡翠さんの話によれば、何故か自身の魔力層は空っぽの状態で、記憶を失った原因も限界を超える魔力欠如によるものが原因ではないか、という事だった。

人は一度魔力欠如に陥ると数ヶ月は戻らない、もしくは何年たっても戻らない人もいるそうだ。


まぁ、魔法が使えなくても日常生活では支障がないので余り自分は気にしていないのだが。


「おかえりー、今日はナートルだよ、手を洗っておいで」

*簡単にいうとカレーです。


食卓から翡翠さんの声が響いた。





「「はーい」」


フレイは、余程空腹だったのだろう、全速力で洗い場まで駆けて行った。

短い廊下に1人取り残された自分。
そんなシロイに孤独が押し寄せる。



「家族か、、、」


翡翠さんにフレイ。

翡翠さんはいつも居候の自分を笑顔で出迎えてくれる。

そんな翡翠さんを本当の母親かの様に甘えてしまう愚かな自分。




「これ以上迷惑は掛けられない、か」




「いっただきまーす」


「「いただきます」」


勿論テンションが高い「いただきます」はフレイだ。



そんな彼女を2人は苦笑いで見る。
フレイの表情は1番食事をしている時が幸せそうだ。


そんな娘を見て翡翠さん呆れたと言うように溜息吐いた。

「こんな食欲だけの娘を嫁にもらってくれる相手はいるのかねぇ、、」


シロイにはその小さなぼやきがしっかりと聞こえた。




娘を心配する翡翠さんのこの気持ちはフレイに届くことはないだろう。

そんな娘を見て諦めた様に翡翠は2度目の溜息と共に、ナートルへと意識をうつした。



こんな2人を見ていると笑いがこみ上げてくる。


同時に少しの悲しみも。

娘を心配する表情、怒る表情も、見つめている表情。

フレイだけに向けられるそれら。
きっと他人に向けられる事はないだろう。


勿論赤の他人である僕も同様だ。



だが、そんな2人を何故か愛おしいと感じてしまう自分がいる。
まるで家族にでもなった気分。



そんな想像してはいけないのだろうが、現にこの家には父親が存在しない。


他人が踏み入っていい領域ではないため理由も聞かないし、立ち入らない。



だが、心配はする。

何かあった時、誰がこの2人を守るのだろうか。
 

うーん、と頭を悩ませていたら隣から「ご馳走さま!」と大きな声が響いた。いつもながら食べる速さは凄いと思う。


だが、今日は普段よりも慌ただしい。
何か急いでいる感じがする。



「翡翠さん、フレイがいつにも増して凄い速さでしたがこの後何かあるんですか?」



自分の目の前に座り、ナートルを食べている翡翠にそう問うとギョッとした様に恐ろしい顔を自分に向けた。

勿論恐ろしいとは霊的な意味ではない。
失礼極まりないのだが仕方ないものは仕方ない。
最早わざと驚かされている様な悪意を感じる。


その顔にビクッと体が揺れるのはもう条件反射になっている。


翡翠さんは椅子から凄い勢いで立ち上がり4段程のおる戸棚へと向かっていった。


そして下から上へと引き出しを開けては閉めてを繰り返す。

これでもない、これでもないと放り投げ出されるため床には紙の山が出来ている。


そして、1番上の段で目的の物を見つけたらしい。


あった、あったとこちらへ戻ってくる。


そして、呆けている自分の顔前へと突き出された。


「これ、あんたの入学書だよ」



「入学、、書、、?」

それを理解するのに少し時間がかかり、お互い無言で見つめ合った。

翡翠さんはいつも通りニコニコとした表情だ。

    
「ああ、そうだよ!メルディーナ魔術高等学園。フレイと同じ学校だよ」


イヤ。嫌。そんな事は聞いていない。
翡翠さんは、おかしくなってしまったのだろうか。

まず何故に学校?
自分はそんなお金もないし、魔法の才能もない。


「あの、、僕そんなお金ありませよ、、」



そう返答すると翡翠さんは不思議そうな顔でこちらを見た。
何もおかしな事はいっていないのだが。


「あんた何言ってるんだい?学校に通うのにお金は掛からないよ」


ん?お金がかからない?


「えっ、、、」


思わず声が漏れる。

そういえば自分でも不思議に思った。
記憶もないのに何故学校にお金がかかると思ったのだろうか。



ところが、翡翠さんはあっ、と閃いた様に言葉を付け加えた。



「そういえばあの日以前は学校に通うにもお金がかかったと聞くよ、今はどこの国でも高等科までは免除されるのさね。」


あの日から?
なんの話をしているのかシロイにはさっぱり分からない。



この時、シロイは自身の口を止める事は出来なかった。



「あの日ってなんですか?」




それは当然の事。
人に探究心があるのは当たり前の事で知らない事は知りたい、と思うのが普通だ。


そんな軽い探究心から聞いてしまった事を後々後悔するとも知らずに。



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