背守り

佐藤たま

文字の大きさ
3 / 4

仕事と育児と就職活動のシングルマザーさん

しおりを挟む
 ねねに幼稚園に行かないのかとも聞けずにいた。これ以上サボっていたら行けるものも行けなくなってしまうんじゃないかと不安になる。

 そんな時携帯の着信音が鳴ったので、いったん作業中の手を止める。

「七海ちゃん、どうしてるかなと思って…。ねねちゃん、幼稚園辞めるのかなって噂聞いたから電話したの。今から少し行ってもいい?」
 ねねと同じ幼稚園に通う奏くんのママのサチさんからだった。

 区役所からは連絡はないのでハローワークに通うのが日課となりつつある。
 子どもを預ける場所もなく何をしたらいいのかと悩みながら、リモート作業の仕事を探して始めていたところだった。
 ほどなくして、ドアをノックする音がした。

「ひさしぶり、七海ちゃんから連絡ないから、そっとしておいたほうがいいのかと思ってた」

 畳の部屋のテーブルは内職の材料が大量に載っているのを見たサチさんは、キッチンのテーブル席に腰掛ける。
「シール貼り始めたんだ?」
「そう、とりあえず就職先探しながらやれるから」

「ねねちゃん、どうするの?」
 畳の部屋でテレビを見ているねねを見て、小さな声でサチさんは言った。

「区役所で聞いてきたんだけど、保育園は空いていないんだって、だから幼稚園通うしかないのかなって」

 冷蔵庫の麦茶とおせんべいを出す。

 大量の小物にひたすらシールを貼り続ける作業は、最初は真っ直ぐ貼るのに苦労したけれど、今は効率よく貼れるようになってきた。ただ、それだけでは2人で暮らしていけるわけではない。

 軽バンで配達なら、助手席にねねを乗せていられるかなとも考えたけど、
 このままずっと幼稚園に復帰しないままでいいわけではない。

「何を始めるにしても、送り迎えなんかは私がやるから、9時5時の所に勤めても大丈夫だからね」
 まっすぐに私を見るサチさんの目には同情などは感じられなくて、単なる友情の言葉に涙が出そうだ。

「ありがとう、ねねも退屈し始めてるからそろそろ幼稚園行くと言い出すと思うんだ」
 ねねは敏感だから、サチさんの来訪に何かを感じてるはず。テレビを観てるけど、こちらを意識してるみたいだ。
 
「おーい、ねねちゃん」
 サチさんは、おせんべいを持った手をヒラヒラさせながら、私のほうを見て目配せしてから、ねねを呼んだ。
「ねねちゃん、奏が明日の朝迎えにきたいと言ってるけど、幼稚園行く?」
 
 行きたいとも行きたくないとも見える表情は、彼女の気持ちのままなのだろう。
 小さくても彼女なりに色々なパターンを思い描いていると思う。
 周りの子は、おもらしのことを冷やかしたりするのだろうか? 
 案外、他の子もおもらしなんてしてたりしていて、気にすることでもないのだろうか? 
 親子して思いあぐねているだろうふたりに、サチさんは言葉を続けた。

「行ってみて嫌だったら辞めちゃえばいいし、いいか悪いかは行ってみないとわからないんじゃない?」

 そう言い放ち、サチさんはおせんべいをぱりんと噛んだ。
 その割れる音は、私の頭のなかでもぱりんと響いた。

 すると、ぱりん…その音を合図に、ねねは突然話しはじめた。

「私、幼稚園行ってもいいのかな? 行ったらいけないのかと思ってた」

 どうして、そんなふうな思考回路になったんだろう? ねねの言っている意味がわからない。
「行ってもいいに決まってるじゃない。どうして行っちゃいけないとか思ったの?」
「お母さんが行きなさいって言わないから、行かないほうがいいのかなと思ってた」
「え?」
「ねね、そんなこと思ってたんだ? 幼稚園行っていいんだよ? お母さんはねねが行きたくなさそうだなと思って、幼稚園に行きたいと言うまで待とうと思ってた」

「おふたりさんは、もう少し思っていることをお互いに口にしないといけないようね」

「そうと決まれば、明日からは奏とおばさんが、ねねちゃんの送り迎えをします。七海さんは仕事を探してきてください。ねねちゃん、それでも大丈夫?」
「うん、私、奏くんと行く」

「わかった? じゃあ明日からはまた早起きしないとだね」
「まきばの牛さんヨーグルト食べる」

「えっ、今?」
「うん!」
「ヨーグルト、ヨーグルト、まきばの牛さんヨーグルト」

 ねねの調子のはずれた謎の歌が響き、サチさんも笑ってる。ミカン先生にこっそり連絡しよう。


 サチさんのおかげでねねが幼稚園復帰してからは、履歴書を送ったり、単発のバイトを入れてみたり、夜は内職でシールを貼るなどとやることは尽きない。

 単発仕事を終えて家に着く。手を洗って部屋に入ると壁の時計がカチカチ鳴らす音だけが響いている。
     
「17時半まで2時間あるから、ねねのいない間に、シール貼れるだけ貼っちゃおう」
 
 黙々と作業を続ける中、テレビもつけずに集中していた。
 半分剥がしたシールの支点を決めて、そこからは遅すぎず早すぎず一定のスピードで一気に貼りきる。
「職人技だな」
 自画自賛してみるが、本当に技術はなかなか上達したと思う。

 手を止め、壁の時計を見ると、17時20分になっていた。ねねがサチさんに連れられて帰ってくる時間だ。

 自然と顔がほころびる。

 時計って時計自身は、何も変わらず正確に時を刻んでいるだけだけれど、人間側の感情次第で、好かれたり嫌われたりするんだなと発見する。
 ある時は予定通りことが進んでいないと、イライラして時計に八つ当たりしたり、仕事が単純で飽き飽きするような時は、いつまで経っても時間が進まずぼやかれる。
 さらには勝手に寝坊しておいて、人間様に文句を言われる始末。
 だけど、今の時計は違う。
 幸せな時だ。
 もうすぐねねに会える時間だからだ。

 カチカチ…カチカチ

 時を刻む規則正しい音がのはずなのに、少しせっかちな音に聞こえたりもする。

 「ただいま、お母さん」
 

 
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

初夜に暴言を吐いた夫は後悔し続ける──10年後の償い【完結保証】

星森 永羽(ほしもりとわ)
恋愛
王命により、辺境伯ロキアのもとへ嫁いだのは、金髪翠眼の美しき公爵令嬢スフィア。 だが、初夜に彼が告げたのは、愛も権限も与えないという冷酷な宣言だった。噂に踊らされ、彼女を「穢れた花嫁」と罵ったロキア。 しかし、わずか一日でスフィアは姿を消し、教会から届いたのは婚姻無効と慰謝料請求の書状──。 王と公爵の怒りを買ったロキアは、爵位も領地も名誉も奪われ、ただの補佐官として生きることに。 そして十年後、運命のいたずらか、彼は被災地で再びスフィアと出会う。 地位も捨て、娘を抱えて生きる彼女の姿に、ロキアの胸に去来するのは、悔恨と赦しを乞う想い──。 ⚠️本作はAIの生成した文章を一部に使用しています。

愛人を選んだ夫を捨てたら、元婚約者の公爵に捕まりました

由香
恋愛
伯爵夫人リュシエンヌは、夫が公然と愛人を囲う結婚生活を送っていた。 尽くしても感謝されず、妻としての役割だけを求められる日々。 けれど彼女は、泣きわめくことも縋ることもなく、静かに離婚を選ぶ。 そうして“捨てられた妻”になったはずの彼女の前に現れたのは、かつて婚約していた元婚約者――冷静沈着で有能な公爵セドリックだった。 再会とともに始まるのは、彼女の価値を正しく理解し、決して手放さない男による溺愛の日々。 一方、彼女を失った元夫は、妻が担っていたすべてを失い、社会的にも転落していく。 “尽くすだけの妻”から、“選ばれ、守られる女性”へ。 静かに離婚しただけなのに、 なぜか元婚約者の公爵に捕まりました。

つまらない妃と呼ばれた日

柴田はつみ
恋愛
公爵令嬢リーシャは政略結婚で王妃に迎えられる。だが国王レオニスの隣には、幼馴染のセレスが“当然”のように立っていた。祝宴の夜、リーシャは国王が「つまらない妃だ」と語る声を聞いてしまい、心を閉ざす。 舞踏会で差し出された手を取らず、王弟アドリアンの助けで踊ったことで、噂は一気に燃え上がる――「王妃は王弟と」「国王の本命は幼馴染」と。 さらに宰相は儀礼と世論を操り、王妃を孤立させる策略を進める。監視の影、届かない贈り物、すり替えられた言葉、そして“白薔薇の香”が事件現場に残る冤罪の罠。 リーシャは微笑を鎧に「今日から、王の隣に立たない」と決めるが、距離を取るほど誤解は確定し、王宮は二人を引き裂いていく。 ――つまらない妃とは、いったい誰が作ったのか。真実が露わになった時、失われた“隣”は戻るのか。

私のドレスを奪った異母妹に、もう大事なものは奪わせない

文野多咲
恋愛
優月(ゆづき)が自宅屋敷に帰ると、異母妹が優月のウェディングドレスを試着していた。その日縫い上がったばかりで、優月もまだ袖を通していなかった。 使用人たちが「まるで、異母妹のためにあつらえたドレスのよう」と褒め称えており、優月の婚約者まで「異母妹の方が似合う」と褒めている。 優月が異母妹に「どうして勝手に着たの?」と訊けば「ちょっと着てみただけよ」と言う。 婚約者は「異母妹なんだから、ちょっとくらいいじゃないか」と言う。 「ちょっとじゃないわ。私はドレスを盗られたも同じよ!」と言えば、父の後妻は「悪気があったわけじゃないのに、心が狭い」と優月の頬をぶった。 優月は父親に婚約解消を願い出た。婚約者は父親が決めた相手で、優月にはもう彼を信頼できない。 父親に事情を説明すると、「大げさだなあ」と取り合わず、「優月は異母妹に嫉妬しているだけだ、婚約者には異母妹を褒めないように言っておく」と言われる。 嫉妬じゃないのに、どうしてわかってくれないの? 優月は父親をも信頼できなくなる。 婚約者は優月を手に入れるために、優月を襲おうとした。絶体絶命の優月の前に現れたのは、叔父だった。

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

遡ったのは君だけじゃない。離縁状を置いて出ていった妻ーー始まりは、そこからだった。

沼野 花
恋愛
私は、夫にも子供にも選ばれなかった。 その事実だけを抱え、離縁を突きつけ、家を出た。 そこで待っていたのは、最悪の出来事―― けれど同時に、人生の扉がひらく瞬間でもあった。 夫は愛人と共に好きに生きればいい。 今さら「本当に愛していたのは君だ」と言われても、裏切ったあなたを許すことはできない。 でも、子供たちの心だけは、必ず取り戻す。 妻にも母にもなれなかった伯爵夫人イネス。 過去を悔いながらも、愛を手に入れることを決めた彼女が辿り着いた先には――

〈完結〉遅効性の毒

ごろごろみかん。
ファンタジー
「結婚されても、私は傍にいます。彼が、望むなら」 悲恋に酔う彼女に私は笑った。 そんなに私の立場が欲しいなら譲ってあげる。

【完結】20年後の真実

ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
公爵令息のマリウスがが婚約者タチアナに婚約破棄を言い渡した。 マリウスは子爵令嬢のゾフィーとの恋に溺れ、婚約者を蔑ろにしていた。 それから20年。 マリウスはゾフィーと結婚し、タチアナは伯爵夫人となっていた。 そして、娘の恋愛を機にマリウスは婚約破棄騒動の真実を知る。 おじさんが昔を思い出しながらもだもだするだけのお話です。 全4話書き上げ済み。

処理中です...