快男児「紀ノ国屋文左衛門」青春伝

櫻井正

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快男児「紀ノ国屋文左衛門」青春伝

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   快男児 「紀伊國屋文左衛門」青春伝   

                     作 櫻井正


   第一章、幼年期


 江戸時代の豪商「紀伊國屋文左衛門」若き頃の物語である。

   人それぞれ運がある自分が選んだ運もあるが、自分が選んでいない運命もまたある。
    この物語を読んで運とは人生とは何かを考え、自分の人生の参考にして貰えたら幸いです。

「紀文」は和歌山県有田郡湯浅町別所にて、父親は山本文旦(二十四歳)と、母親は千代(二十二歳)との間に、次男として寛文九年(一六六九年)七月三日に誕生しました。

    文月(ふみづき七月)だったので、山本文吉(ぶんきち)と名付けられました。 

一家は廻船業を営み、紀州屋山本文旦商店といった。
    もっぱら船は祖父が運行し、父親の文旦は湯浅の店にいて客の注文取り、仕事の段取りや帳簿付けなどをしていた。
屋号は(山紀)で、五百石の弁財船の明心丸を持っていました。
    延宝一年(一六七三年)桜の花が咲やく頃、祖父の武兵衛(45歳)が湯浅の店ににやって来た。


「文旦よお前の息子、文吉もそろそろ教育せねばならねえな!」

「へいそうですね、文吉も来月から兄の長吉(七歳)が行く、湯浅の別所にある勝楽寺の寺子屋に、行かせようかと思っています」


    そこへ千代が、文吉を連れてやって来た。

「お父様千代です、ご無沙汰しております」

「お祖父様、文吉でございます」
「おお文吉か、いつ見ても可愛いいのう、それで幾つになったかのう?」

「はいおじい様、もうすぐ四つになります!」
    文吉は祖父に似ている、ために武兵衛は長男の長吉七歳より、次男の文吉をかわいがるのだ。

「そこで文旦よ、相談じゃがの」

「はいお父上、何で御座りましようか?」

「うん文吉を有田の広八幡神社へ、小僧見習いにと思うてのう」

「ええっ寺子屋じゃなくて、神社へですか?」
   
武兵衛は、額の汗を手ぬぐいでふきながら言う。

「神主の佐々木利兵衛は、関口新心流柔術の遣い手で、文吉に習わせたいと思うてのう!」

「商人は読み書きと、そろばんで充分ではありませんのか?」

「ははは、儂の跡を継いで船乗りに、なってもらいたいのじゃ」

「幼い文吉を柔術で、鍛えるのですか?」

「うむ我が山本家は、今の世は商人じゃが元は平家方の、五十嵐と云う武士だったじゃぞ」

「それは分かりますが、急に言われましても文吉だけを別にとは」 

   その二人のやりとりを、聞いていた文吉は言いました。

「お父さま私は、ぜひにも柔術を習いとうござります!」

「ウムそれで読み書きは、どうしますのですか?」 

「それは利兵衛の妻、お福さんが娘さんと一緒に、教育してくれるそうなのじゃ」

 そう聞いて、文旦も納得した。

 何分にも文吉は次男で上には長吉がいた、母千代も文吉の妹千歳や弟忠吉の世話で、もう手いっぱいだったので、その事については実はねがったり、かなったりでもあったし、それに廻船業だから船頭の跡継ぎも必要であったのだ。

 あくる日、祖父の山本武兵衛に連れられて、有田郡広川村の広八幡神社楼門前に来た。  

「うわいっ、でっかいな!」

「今日から小僧見習い住み込みになるが良く勉強するんだよ、それと人見知りせず社交的にな!」

「ハイわかりました、今日より此処で一生懸命に頑張ります」

「うん、しかし剣や柔は極めなくてもよい、なぜなら鉄砲には負けるからだ鍛えるだけでよい!」

「ハイ剣と柔を学んで、精神と身体を鍛える事にします。」

「言っておく文吉は武士ではない商売人の子供だ、上手くなるのはよいけれど名人と云われる程、極めなくともよいのだよ!」

「ハイ何事も商売の為にと、道を逸れずこれからも頑張ります

  ここで少し、広八幡神社について述べておこうと思う。

 この神社は現在は和歌山県有田郡広川町上中野にあるが、江戸時代は広川村であった。

 境内には(平安後期のもの)で明王院の護摩堂もあった。神社と寺院が習合されていた。現在は明治時代に神仏分離令があり護魔堂もなく、神社と寺は別々にある。

 神社の方は後の世で津波時に稲むらの火で、災害避難先として有名となった。

 現在とは少し異なるが、江戸時代の事と理解されたい。

 武兵衛は神主佐々木利兵衛に会い孫の文吉を預けると、船に乗るため湯浅に帰って行った。

 文吉はそれから神社の小僧見習いとして、勉強に修業にと勤しむのであった。(勉強と言っても親が子供に、教える程度であったが)

    ただ一方的に投げられては、受け身をするだけで、その日の稽古は終わるのであるが……。

「よし今日はこれまで、なかなか根性あるこれからも努力せよ、あっそうだ宮本武蔵の使っていた木刀を授ける!」

「はい師匠ありがとうございます大事にします、ふつつか者でございますが、これからも宜しくご教授をお願い致します」

「それと神社には、昔からの本が多くある、逸れをよく読んでものの道理を知ったら役にたつ歴史は繰り返す、昔も今も人のやることは良く似ているから研究せよ!」

「ご教授どうもありがとう御座います、本も読むようにして世の中の理(ことわり)を勉強します!」

「有無特に孫子の兵法は、この先ためになるから必ず読んで頭に入れるようになっ!」

「はい兵は詭道なり、敵を知り己を知れば百戦危うからずですか」

「そうじゃ(風林火山)も、心構えとして大事なことだ尚のこと励めよ!」

「はい逸れは言うなれば、速きこと風の如く、しずかなること林の如く、侵略すること火の如く、動かざること山の如しですね」

「そうだ風林火山はかつて、戦国武将の武田信玄の用いた旗印でもあったのだ!」

   此処で少し脱線します、孫子の兵法はナポレオンも愛読した有名な兵法書ですが、紀元前五百十年頃より呉の国で孫武が書き始めて未完成、四代目の孫である斉の国で孫瓶(ソンビン)が引き継ぎ書き加えて完成させたと云われています。

 礼をして終わる。宮司佐々木利兵衛も用事あり、神社に居ない日も多くあったが、そんな時には本を読み、また一人なので剣術の打ち込み稽古をするのであった。


「文吉よ、柔(やわら)の元は剣術にあるのだ、剣は一瞬あっという間に首が飛ぶ、感を鍛えよそして人(敵)を侮れば敗れる、相手を認めてその長所短所を探り、研究をすれば道は開けるのだ、宮本武蔵の言葉である心してかみ締めよ」

「はい一人稽古では主に、剣術をして感を高めたいと思います」

「うむ、よい心がけである此からも励めよ、術とは本来創意工夫をもって極める事であり、自らも研究を忘れるな常に考えろ、そして自らの技を会得すのだ!」

 「 お言葉噛み締め、鋭意努力精進していきたいと思います」

 「此より人に頼らず、整え鍛えし自分に頼るのじゃぞ、剣豪とて戦場では無名の者にやられ命を落とす事あるが、宮本武蔵は生きたのだ」

「はい常に油断せず、自らを高め剣術を鍛錬します!」

「敵は誰かを知り、その敵を研究し弱点を打つことだ!」

「武蔵のお教え有り難く、しかと胸に刻みます!」

    今日も神社内山手で、元気な文吉の声がこだまする。

「エイ、ヤア、トウ!」

   (剣には間合いがあり、剣の当たる間合い、当たらぬ間合いを覚えよと言っていたなぁ、けれど相手なしの独り打ち込み稽古で、どう間合いを探ったら良いのかなぁ?)

    ある日の事 宮司の佐々木利兵衛が、妻の福に呟くように言った。

「あの預かっている文吉だが、あの子は不思議な力を持っている」

「へえ逸れは、いったいどんな力でしょうか?」

「会うと何かしら真剣に、教えたくなるのだ不思議な事だなぁ?」

「そうですか私も自分の子でも無いのに、つい真剣になり教えてしまいますわ」


    第二章、少年時代


 石の上にも三年文吉も七歳になっていた、日々欠かさぬ鍛錬のせいか見るからに逞しくなったようだ。髪は後ろに束ねて目も鋭くなったから十歳にも見える。

 たまに武兵衛が鯨(くじら)の干し肉を下げて、神社に様子を見に来る。

「おお文吉はいるかの、武兵衛じゃ!」

「はい、なんでしようか?」

「今日から文吉改め文兵衛となる、長吉も長兵衛じゃその事は父親にも、勿論良解を得ている!」

「文兵衛ですか、わかりました」

「良い名前じゃ、よい名であるなあっそれと、今日は大柄の人形を作ってもって来た、儂が作った物じゃ稽古に使ってくれるかの?」

「その人形、どう使うのですか?」

「うん投げたり殴るなどして、実際的に技を試してみるのだよ心技一体だ身体で覚えよ!」

「はい分かりました、今日よりそれを稽古に使ってみます!」

「身に付けた技は一生ものだ、誰にも盗られまい……」

 言うだけ云うと目を細めて、満足げに帰っていくのであった。

 早速人形を木に吊るして、人形に棒を持たして、打ち込みの稽古をする打つと反発力で、本当に向かってくる様であった。

 闘いの間合いを実感するのには、もってこいであった。

 (道理の中に真理あり、技の中に極意在りか? 一生かかっても掴めないかもしれないなぁ……)

「文兵衛さん、おはよう」

    喜美代が挨拶する、横にいたまだあどけない美咲もつれて言う。

「文平ちゃん、おはようサン」


「あれれ、変えた名前もう知ってるの?」

「そうよっあたくし達は、早耳なのよ!」

 まあ女の子二人にはとても勝てないのです、幼い頃は女の子のほうが強いのかも知れない。

 (ぴいーっ)    青空に鳶が飛んでいました。

「ねえ文兵衛、隠れんぼしようか」

「うん、してもいいよジャンケンぽい、あいこでしよっう」

「はい! 喜美代さんが鬼だよ」

 喜美代は木に寄りかかって数える、一つ二つ三つ、十う、キョロキョロ美咲を見て目で合図する。

「どこかな? あっ見つけたわ」

 上手く隠れたつもりだが、すぐに捕まる。

 手を握って元の場所に、戻るのであるが(時に天に登った気持ちになる)喜美代は、ますます女の子ぽくなっていく姉妹揃って美人なのだ。美咲がしきりに文兵衛の袖を引っ張る。

「あのねぇ文平、護摩堂に変な人いるよ?」

 美咲が言ういつも人の居ない堂が開き、何かお経のような声が聞こえてくる。

「文兵衛、少し覗いてみようか?」

「ねぇ文平ちゃん、行こうよ!」

 三人は向かった。慌てたのか美咲が護摩堂の門前でつまずいた。

「あっ痛い!」
    
   すると御堂の扉が開いた。

「誰かね? そこに居るのは」

「はい私達は、ここの神社の子供で、御座います」

 三人は、口を揃えて答えた。

「そう言う、あなたこそ誰ですかいったい何者なのですか?」

 その人は白衣の上に黒い衣を着ていて、頭のおでこに黒い六角の箱を付け逸れを紐で括り、歯が一つの高下駄を履き腰には法螺貝を吊している、手には釈杖を携えたおかしな出で立ちであった。

「おお儂は、修験者の林長五郎と申す、業の修行者である!」

「修験者とは、お坊様では無いの?」

 髭を伸ばしているが二十歳ぐらいに見える、とても悪い人に見えないのである。

    人の出会いは大事である。人が運を持って来るのだ、人は嘘も言うし騙して悪魔のごとく囁き、悪い方に引きずり込もうと狙う者もいるので、気を付けるべしである。真面目で人が良いのは、邪悪な者にとってはカモに過ぎないのです。
    
    修験道は神道で、山岳信仰と仏教を習合せし真言密教だ、現在は紀州(和歌山県)の大峰山と、あと山形の出羽三山を聖地としている」

「では天狗や、仙人のたぐいなのでしょうか?」

「いや修験者は山伏と言われる山を駆け巡り叉は山に籠もり、飢えを堪え忍び修行する行者である」

「では山伏とは、仙人もしくは忍者ですか?」

「いや密教の修行者である、生と死の狭間に自分を追い込んで、呪文を唱えて行をしごまを焚く」

 美咲が文吉の、上着を少し引っ張る。

「かつて源義経が牛若丸と言われし折り、鞍馬寺の天狗と名乗りし者に術を習った、その義経に術を授けた者も、鞍馬の修験者であったと伝わっている」

「術ですか、では源義経も忍者だったのですか?」

「義経流という忍法も、残っているから忍者だったか知れんのう」

     この日は何故か、いつもよりもしつこく聞く。

「あのう下駄は普通歯が二枚ですよね、一枚歯の下駄は歩きにくくないのですか?」 
    
    すると機嫌がよく、応えてくれた。

「一枚歯の下駄は山伏下駄と呼ばれ、山歩きには特に便利なのだ!」

「では、私おじゃませぬよう行きます、又来ても宜しいですか?」

「おう!    いつ成りと遊びに来なされ少し儂も、武芸の手ほどきをして遣ろうゆえのうハハハ」

     話を聞くと、何故か幼い三人は急に怖くなってきて、足早にその場を立ち去った。


       第三章、  少年時代(小猿の友達)


 修験者とはお坊様か氏子なのか、まるでわからずであった。

 翌朝文兵衛は、いつものように剣術の一人稽古をしていた。

「ええっい、やあぁっ!」

 いつになく力込めて打つ、するとその木の上から何か落ちて来た。

 (ドドドッドサッ)

「キャアッ! 一体何なの」

 美咲の驚いた声、娘は読み書きの時間を知らせに来ていたのだ。

「美咲、大丈夫どうもない?」

 喜美代が、美咲を起こして聞く。

「姉さんあそこ、木の下で何か動いているよ」
        

 二人は木の下を覗き見た。

「あっ、かわいいお猿さんだ」

 美咲が木の下側、草むらの中を指差した。

「ほんとだ、まだ小さい小猿だね」

 文兵衛はその場に駆け寄り、両手で小猿を抱き上げる。

「ううむ反応無しや、気絶しているなあ」

「あのお猿さん、まだ生きているの?」

「うん少し怪我してる、小屋で手当てしようか」

「そうねでは物置小屋へ、行きましようか?」

  小猿を小屋に運ぶ、喜美代と美咲は土間に藁を敷き詰めた。

「ねえ喜美代さん、犬用の首輪あるかな?」

「えぇっとね、あっここにあったよ!」

  喜美代がヒモがついた犬用の赤い首輪を、見つけて来た。

「怪我してるから、逃げないように首に付けとこうかな?」

 文兵衛は小猿に、首輪を付けた。

「♪まずは薬を付けて、えぇとそれから布でグルグルとね♪」

 美咲が言いながら包帯を巻いている、猿の手爪も切っていた。

「治るまで、ヒモを柱に括ろう」

 文兵衛は気がついた猿に、餌をやるが娘らは怖いのか警戒し、あまり猿に近寄らない。

 あれから三日たった、傷も治り小猿も元気になっていた。

「文平ちゃん、外に母猿が来ているよ!」

「そうか傷も治ったことだし、もうそろそろ外へ離してやろうかな!」 

 子猿の首輪外し扉を開ける子猿は文兵衛の顔を見て、出ると一目散に母猿の元に駆けていった。

「小さい猿さん、元気になって良かったね!」

    
    喜美代が手を振る美咲も負けじと振る。二頭の猿は仲間のいる神社の森へときえた。

 今日も朝早くから、文兵衛の剣術稽古の声が聞こえる。それを見ている者がいた、気配を感じ文兵衛は後ろを振り返った。

「あっ、あなたは林長五郎様」

「精が出るのう、では木刀でいつものように、儂を思いきりに打ってきなさい!」
    
言われるまま上段に構え、一間摺り足でにじり寄ると即。

「えいっ、どうぉ、 いやあっ!」

 木刀打ち下ろす、ところが手刀で腕を叩かれ投げられたが、関口流の受け身して即立ち上がる受け身は得意だ。

「いててぇ先生参りました!    やはり強いですねぇ!」

「いつお主の先生に成りしか?    まだ弟子とは認めてないぞ」

「すみませんでも変わった術を、遣いますねぇ師匠は?」

「儂が仙台から甲斐の山々に修行していた時、老師に会い無刀取り秘技を伝えられた、それがこの大東流合気術なのじゃ!」

「それはなんと言う、お人でしたか?」

「はっきりとは覚えていないが、確か武田国継と言っていたように思うが、ううん待ってくれ思い出せばもう一度話す?」

   文兵衛は不思議な話なので、真剣に聞いていた。

「甲斐の国はというと、昔の戦国武将武田信玄のいた武田ですか?」

「武田氏は源氏の流れ、義経(よしつね)とも縁がある源義経は鞍馬八流と呼ばれる山伏兵法を、鞍馬寺で鬼一法眼から習って新たに義経(ぎけい)流の剣術、または義経流忍術の開祖となった」

  「では今に伝わる大東流合気術も、本来は義経流ですかね?」

「そうとも言えるが今は定かではない、一説では源義家以来継承されてきたと言われている、なので義経もその継承者の一人かも知れない、正しくは義経流とは言えないかも知れない今となっては、あくまでそれは推測に過ぎないのだ!」
   
   源義経は子供達も知る、有名人なので興味深い話であった。

「老師は儂に技だけ伝えて、知らぬ間に儂の前から消えるように、居なくなったでのう!」

「其れでは神か仙人にでも、会ったのでしょうか?」

「そう今も不思議に思う、修験道の奥は深い、念力・合気・呪術的な修業へて超能力を得るのだ!」

「ええっ! 超能力ですか?」

「そうであるが儂は自然の探求者でもある、科学と言うべきか薬草学・爆発物学・武器学の研究などする事多くあり、超能力を極める事は難しいと言うべきかのう?」

「超能力それは私にも、取得出来ますでしょうか?」

「かつて修験者や忍者にも、そんな特殊な能力持つ者がいたと云われている」

「具体的には、どのような能力でしょうか?」

「逸れは天眼通、天耳通などの神通力、忍者なれば千里眼だのう」

「へえ世の中には、そのような特殊な能力持った人々が、いたのですか」

    まだまだ不思議な話を聞きたかったけれど、言うと早々と呪文を唱えながら護摩堂へ去って行った。

「文平ちゃん、何処にいるの?」
    
    美咲が呼びに来た、周辺をキョロキョロして探している。

「あ喜美代さんは、どうしたのかな?」

 突然、後ろから腰を押された。

「おっととといけねぇやっ、これで今日は二回目だ!」

 ドテンとよろけて腰を打つ、何時もの事である。

「あららら弱いのね、お主の腕はこの程度なのか!」

    そう何時ものせりふ、まあ油断していたとしても情けない。

「うん喜美代さんいつも後ろから、急に押すからだよ!」

 自分でも情けなかった、文兵衛は照れ隠しに言った。不意を突かれると大の大人でも、幼児にも倒される事もあります。

「へへぇ、ドンマイドンマイ」

 文兵衛足を引きずり、顔赤らめ下向いて歩くのであった。

 その夜もなかなか眠れない、剣術や合気術の事が目にうかぶ何事も無我夢中になる性格なのだ。

 悶々としていたが、知らず知らずに寝ていた。

「いつの間にあっいけねえ、もうこんなに日が高い」

 慌てて起きる。木刀を持ちいつもの場所に行く。

 (キキキイ!) 声のする上を見た。

「あっこの前の猿だ、おい小吉よこっちへ来い!」

 手を差し伸べると近寄って来た、人なつこい可愛い猿だ。

「小吉よお前いいなぁ、何時も元気ハツラツだよなあ」

 小猿は嬉しいのか、飛び跳ねている最近の日課だ。

 それを見て文兵衛も真似し猿の様に跳ねる、今日木から木へと移動した猿には負けるが少しさまになってきたようにも思う疲れる一服していると、知らぬ間に猿は何処か行きいなくなる猿には挨拶は出来ぬが、まあ今の文兵衛には唯一猿は友達だ。

  (しかし良く来るなぁ余程僕を気に入ったのかな、けどかっこうの練習相手なる僕が師匠の稽古相手のように?)

    猿のまね勿論それなりの工夫もしている、例えば手甲を裏返して使用して枝で傷つける恐れある、手の内側を保護した事などですこれでスムーズに猿の真似が、出来るように成った。

 猿と入れ替わり、林長五郎師匠がやって来た。

 「こい文兵衛、儂が一つ揉んでやろう!」

「師匠お願いします、では行きますよヤアッ!」
        
   「本日はこれまでに、しておこうか!」

   皆さんは忍者映画を観て、内心嘘のように思われるか知れませんねえ当時の忍者ももう訓練を経て努力し、人並み以上動けたしても何ら不思議な事でもない。


    第四章     根来忍法(紀州流)


     忍者の事を書くと嘘みたいと思われるかもしれませんあの有名な豊臣秀吉でさえ、忍者説がありました(よく信長に猿面カンジャ)と言われていました。

   現在日本では忍者の事を書くと軽く見られますが、世界的には日本を知らない人でも、忍者と言うと知っていて、ニンジヤは今や世界共通語となりつつあります。

 (今日は、林長五郎師匠みえないなぁ?)

「文兵衛よ、何独り言をいってるのかね?」

「あっ、林長五郎先生!」

「そうだその木刀で、儂を思いきり打って見よ」

 言われるまま一間摺り足で、にじり寄り今日こそはと……。

「えいっ やあっ!」

 木刀打ち下ろす、ところが手刀で腕を叩かれそのまま投げられたが、受け身して立ち上がる。

「いてっ、林先生参りました!」

「うむ、いつお主の先生になったかのう?」

「先生何時も変わった術を、遣いますねどこで習いました?」

「儂が仙台から甲斐の山々に修行していた時、老師に会い無刀取り秘技を伝えられた、それがこの大東流合気術なのじゃ!」

「それはなんと言う、人でしたか?」

「おお前にも聞かれたの、おお思い出した武田国継と言っていた老師は儂に技を伝えて、知らぬ間に居なくなった!」

「ではやはり神か仙人に、会ったのでしょうか?」

「そう今も不思議に思う、修験道の奥は深い、念力・合気・呪術的な修業へて超能力を得るのだ」

「へえっ修験道と云うのは、奥が深いのですねぇ?」

「あれはきっと過去から時を超えて、私の前に技を伝えに現れたのだろうと思っている」

「えっ! それはやはり(仙人術)超能力ですか?」

「そうであるが儂は自然の探求者でもある、科学と言うべきか薬草学・爆発物学・武器学の研究などする事多くあり、仙人術である超能力を極める事は、難しいと言うべきかのう?」

 言うだけゆうと、なにやら呪文を唱えて護摩堂へ去る。

   またもやその夜は眠れなかった、剣術や大東流合気術が目にうかぶ興味深いので、何度も同じ事を聞いてしまうのだ。

 まあ寝しなに考え事すると、頭冴えて眠れなくなります。

 走馬灯のようにいろんな事が浮かぶのです、人の営みは同じ事の繰り返しなので、すぐるぐる回って元の位置。

 悶々としていたが、知らず知らず寝ていました。

「いつの間にあっいけねえ、もうこんなに日が高い遅刻だ」

 慌てて起きる。木刀を持っていつもの場所に行く。

 (キキイ) 声する木の上を見た。

「あっ小猿だ、遊んで欲しいのか!」

 文兵衛手を差し伸べると、するすると近寄って来た。

    小猿笑ったような気がする、嬉しいのかあちこち飛び跳ねる。

 見て文兵衛も真似し、前転や後転、そして横転、猿の様に跳ねる疲れたのか、知らぬ間に小猿は何処かいなくなっていた。

  (けれど、この小猿相手の遊びにて、猿飛の術を会得したのだ)

 小猿の代わりに、何時もの林長五郎先生が来た、毎日が同じ繰り返しなのかと錯覚する、昨日も一週間前も同じだ多分明日もそうであろうそう修業とは繰り返しなのだそして強くなる。

「文兵衛よこい儂が一つ、ひさびさに揉んでやろう故!」

「はい是非にも師匠お願いします  、 ヤアァッ!」

 「よし本日はこれまでだ、毎日同じように訓練すると少しましになったかの、小脳使って繰り返しやって覚えると強くなれるのだ?」

 同じ事言いさっさと護摩御堂へ帰っていく、文兵衛は不満足だけれども師匠に逆らえないし、文句も言えない。

    林長五朗叉は名取三十朗は仮の名前で、本当の名前は紀州藩の武士で藤林正武といった、後に紀州流忍術伝書(正忍記)名取三十朗の名前で書く、この本は後に新楠木(くすのき)流とも呼ばれる秘伝書である。

 昔伊賀の上忍であった藤林長門守(別名、百地三太夫)一党は織田信長が四万六千余りの軍で伊賀総攻めの下知した時伊賀は四千の兵で立ち向かった、それは天正九年(一五八一年)九月二十七日であったが、その時に情報を掴んだ藤林一党の大方は、紀州に落ちのびたらしいのです何も負ける戦に関わる必要は無い。 

    結局のところ上忍で伊賀に残ったのは服部(はっとり)一門であるが、この時元足利将軍家に仕えて伊賀にいなかったのが、幸いし戻った時すでに戦いは終わっていた。

    林長門守一族はこの時全滅した。百地(ももち)と藤林は同一とされているは紀州へ落ち延びたのだが、だから藤林正武は林長五郎と名乗ったかも知れないのです。

     壊滅したかも知れない伊賀忍者の、林一族郎党の その後の行方それを探す為藤林は、林長五郎と名乗って諸国を渡り歩いたらしいのです。そう一族と共に優れた術も消え無くなるのだ。

 前より織田信長の次男である伊勢の北畠(織田)信雄軍による伊賀攻めは天和三年(一六八三年)七月まで執拗続きました、伊賀攻め(天正伊賀の乱)の戦いで全滅に近く負けた最後まで残った者も命からがら紀州の雑賀もしくは根来地方に、落ちのびた伊賀忍者達である二度に渡る伊賀攻めであった残れば死であった。

    後の紀州流根来忍者とは、その時落ちのびた伊賀忍者の子孫であったのだ、だから雑賀一党は信長に逆らい続けたのかもしれない余談であるが雑賀一党は本願寺に味方した時には、火縄鉄砲三千丁は持っていたとされている。

   根来衆とは、根来寺の僧兵ではなかったかと、誰しも思われるが伊賀の乱の時寺を頼り生き延びた忍もいました。

    後豊臣秀吉の陸海十万攻撃で寺が焼け敵方となる雑賀衆も滅び、後で根来に住む忍者を根来衆、と言うようになった。

    豊臣秀吉の良いところは、軍門に下れば逸れを許す、武装解除はされたが雑賀党の一部は、許された雑賀衆も一枚岩ではなかった。

    根来寺は徹底好戦したので、秀吉に徹底的に排除され寺も大方焼かれました隆盛期に子院九十八僧坊二千七百を数え、寺領七十二万石と云われた新義真言宗総本山は滅びた。

   その後根来には、落ち延び散らばっていた、藤林一門(百地一党)伊賀忍者が、根来に住み着いたのである。

 後の伊賀は、本能寺の変で徳川家康が窮地になった時、伊賀越えを助けた服部半蔵正成一門が、伊賀忍者の主流となったのです半蔵自身忍者と言われるのを嫌い、侍といってましたが。

 それで紀州に藤林長門守一門が別の忍者集団を立ち上げ、新たに根来に組織したと云われている。
   根来忍者は探求心強く、新しい忍法を常に模索していましたそれで個々に忍法の研究開発をしている、泰平の世に他の忍者は研究怠る中も常に熱心でした。

 現在にいうなら科学者であり研究者である、小さな不思議な事を探求し利用して、忍術を開発(発明)し自らの技、術を高めるのだ。

   術は忍者の財産であり皆が苦労して会得したもので、各自の秘密だから上忍とて下忍者の術は、把握していないのであるどんなに優れた忍術も技術も、その人が居なくなれば消えてしまうものであるから、非常にもったいないがその技術の継承がないものもある。

   例えば以心伝心の術と、云って鷹とかその動物の今見ている物が見えたり、聞こえたりする術だ。

  それは 一つのテレパスかも知れませんねぇ、あの有名な北条早雲が雲という鷹を使った話は、今では伝説的な話です。

    明け七つ(午前四時)目が覚める外は暗く寒い、霧が少し濃かった。

 人の気配がしたので、誘われるように部屋を出た、寝ぼけまなこで奥の拝殿を見ると白い髭の老人が木刀を持ち、剣の稽古しているその動きから観ると、かなり手練れの使い手である。

   (あれっ長五郎先生の、知り合いかな?)

 手招きしているので拝殿の中に入ると、木刀を渡され対峙する。
   (ふうん練習試合でも、するのかな?)

 物も言わず打ってくる受ける打って出る、それもゆっくりした動作で形を教えているように。

 あれ木刀を置き素手にて向かってきた、文兵衛はとっさに木刀を上段から打ち下ろすが、両手で挟み合わせて止められた。

 (あっ無刀取り合気技だ、それでやっと気がつく、師匠が言っていた武田国継という仙人だと!)

 で夢中になって稽古したが急に疲れと眠気に襲われ倒れこむ。半刻(一時間)ほどしてから目が覚めるがその人はもういなかった、なのでぼやけ頭で稽古場に戻った。

(夢のような不思議な出来事だったなぁ、あれは現実だったのかそれとも夢幻だったのかな、定かで無いうつっであった?)


      第五章、    小猿との別れ


 餅食べてると、小猿が近寄って来たそれで餅をやる。

「腹膨れたし、どうだ小吉よ相撲でもするか?」

 小猿と相撲を取る。(今日はいっぺん合気技でも試すか。)

「えい、やあ、とおぅ!」

 先ずは関口流の技を試したが、あまり効果はなかった。

「あちゃぁ!」

 合気術を掛けてみたがいつもすばしっこくて、スルリと技を外される少しムキになってきた。

「ううん猿には合気は、効かねえのかな?」

 すると小猿は反撃して来て、文兵衛に覆い被さって来た。

    反動で後ろに倒れ掛けた時、頭の中で何かがはじけるその時猿の動きがゆっくりと見えたので、何時もより気合いが入る。

「とうりやぁ、きえぇぇい!」

 一瞬にして小猿は、後ろにぶっ飛んだ。

「あっ、しまった、これは少しやりすぎた!」

 見ると仰向けに泡吹いて痙攣している、小猿は気が付き文兵衛を睨みつける。

  (ううーんあの夢仙人の、おかげなのかな?)

 それから小猿は来ない、合気柔術を得たが小猿の親友を失ったのである。

 此処で合気について少し述べたいと思う。現在合気は二派あって一つは大東流合気術であるが、剣術との戦いが多い中負ければ即座に死ぬ為早く直線的に攻撃した。

 もう一つは柔らでの対戦で、円の動きを大事にし、ゆるりと相手をあしらうものである。どちらがよいとは言えないが、この頃は専ら大東流合気術であったのだ。

 文兵衛は何事でも、考えるより行動が先になるようであった。

 いつものように修験者の、林長五郎は練習相手に、文兵衛を訪ねて来て一汗かいた。

「今日はいつもより、技の切れが違うな、なかなか良くなったそれは猿のおかげかのう?」

「あれ師匠は、その事知っていたんですか?」

「あれだけ派手にしてたら、誰でも気がつくもんだよ! 今日は趣向変えて御堂に行き、修験道の勉強でもするかの?」 

「私も不思議に思っていました、ご教授をお願いします?」

   二人は連れだって、近くの護摩堂まで歩いて行った。 

「修験道は神道と山岳信仰、及び仏教と密接な関わりを持っているのだ、世の中には人智では測れない不思議な事があるでのう、そんな時神にすがるのである」

「はいではここの神社と同じく、神仏習合ですかねぇ?」

「特に紀州は、空海によって開かれた密教系、寺院の高野山もある事から、修験道は盛んである」

「それが根来忍者と、どう関係あるのですか?」

「空海より前に、大坂の葛城山に役の行者という仙人がいて、修験者や忍者の開祖と、いわれていて呪術も得意だったそうだが、役の行者以前にも忍者はいたが、特に優れた仙人であったので、弟子も多くいて以降は伊賀忍者の開祖ともされているので、根来とも関係があるのだ!」

「逸れは主に、呪いの術ですか?」

「呪術としているが実際は祈りの術で、運の動向もしくは読心術や先読みの術であったそうな?」

「フゥン運ですか? それは全くつかみ所の無いものですよねぇ」

「修験道では、宇宙(自然)を神と崇める、その動きに(予兆)よって予知し、今後の行動に生かす!」

「どこでどうゆうふうに、その予兆掴むのですか?」

「自然の中で滝に打たれたりして、自然の声を聴くのだ……」

「へえ自然が、語りかけてくるのでですか?」

「ウムそれは、感じるのだ神は自然そのものだから、自然より神の声を聞き答えを得るのです」

「滝に打たれ瞑想してですか、なら私にも出来ますかね?」

「修行してその才能に目覚めればなぁ? いつとは言え無い」

「昔の人は神は鬼とも、例えられますよね!」

「ウム見えぬものでのう、宇宙の果ては見えぬように……」

「ヘえっ自然は、宇宙ですか?」

「宇宙の運行により世の中や自分の運を占って、まずは兆しや予告めいたものを掴んだらしい」 
    
「その人(仙人)は本当に、実在したのでしようか?」

「今は伝説となっているが、現実に修験者も忍者もいるからいたのであろうな、我が根来忍者と伊賀忍者もしくは真田忍者は元祖は役行者としているが、本当は物部氏の活躍した時代からいたそうだが、えっぇと鷹巣一族だったかな山河一族だったかな?」

「忍者の歴史は、かなり古いのですねぇ?」

   聖徳太子がしのび(忍者)を用いたと、文に書き残しているので千年の歴史があると言えようか。

「そうじゃ、その時仙人術と忍術とに別れた、仙術は超能力で忍術は手品と同じで種が有るのだ!」

「では私の学んでいる忍術は、すべて種が有るのですか?」

「そうだ! それに体術を加えたものが忍法なのだ、種を知れば相手に容易勝てる可能性あるのだ」

「勝には敵を知れですね……では超能力の本はないのですか?」

「逸れは儂もいまだ見たことはない、仙術(超能力)は言わば神の力だ!」

 ごまを焚きながら続けて言う、顔つきは鬼のように赤い。

「この世の中には真理や道理があって、例えば札にも表と裏があるそして人にも善人と悪人がいる、なるべくなら悪人とは会いたくないが」

「はい解ります、まったく正反対のものですね?」

「それが一となって一対。善と悪もそうであるな! いかに正義と言っても弱ければ悪に負ける」

「はい、そのとおりですねぇ」

「真面目に自分は正しいと言っても、強くなくては悪人に滅ぼされるのだ、云わば弱肉強食なのだ」

「神にうったえても、どうにもならんやろ、私は正しいので助けてと」

「はい、それに人は騙す事もあるし、嘘をつき裏切る事もありますので、心を読めたらと思います」

「先ずは人の言う事を、真に受けず疑ってかかる、そして本心を探りつつ自分で確かめる事だのう」

「読心術はまだ無理なので、その人の口調や顔色を観て、判断をしたいと思います」

「ウム人は怖く、女の人でも毒を盛るは容易く、それで命を落とすことは、ざらにあるからのう!」

 ごまの火が舞い上がる、それに暑くて汗がにじむ。

「はい上の代官も、悪ければ農民が困りますよね、山賊もいるし」

「だから正義をいう前に、鍛えて強くなくてはならぬ! 解るかな」

「はい何とか、理解出来ました」

「ああと、言い忘れた! 忍法で薬の事も教えたが、それは一時的なもので、やはり日頃の食べ物に気をつけよ、食は薬と思っての」

「はい、小魚と野菜をとるようにします、ちなみに先生は何宗の宗教家なのでしょうか?」

「儂は修験道について、話をしているが経典を持つ真の宗教家ではない、またこの日の本には八百万もの、神々がいるのでなぁ個々に信じるものが神であり、何を信じるも個人の自由でその信じるものが、信じる人の神である修験道では自然または大宇宙が神である! 
    その神々より人知を超えた、超能力を授かると思ってるが、未だその神を実際に見たことはない!」

 振り返っては、じっと文兵衛の目を見て話す。

「食の効果は今後十年後に、出てくる……あっそれと修験道では宇宙には大いなる意識があって、私は仮に神とよぶが、その大いなる意識が人この世と人を作った!」

「では本当に神や悪魔は、存在するのでしょうか?」

「私も見た事は無い修験道を通じて探求しているが、今云える事は神や悪魔は各人の心の中に、有るのではないかと思ってる?」

「はい何とか理解しました、経典を持たぬ宗教で神社系ですか?」

「ウムそうだおぬしに、忍者のあざ名をやろう二代目猿飛佐助てある!」

「忍者仲間内の、名前ですね?」

「先代は真田十勇士として、活躍したとされているのだ! この名に負けずにのう忍者は死を恐れてはならぬ、身体は朽ちるとも魂は未来永劫であり、転生して幾度も蘇ると心得よ!」

「とても貴重教え、ために成りました有り難く思います!」

「敵と自分、体力技術力が同じなら後は覚悟の差(気力)で勝負は決まると心得よ、決して脳味噌の大きさではない逸れは超能力というべきものかも知れないな!」

「脳味噌が大きければ、頭が良く人として優れていると思いますがねぇ」

「わが現在の人より脳味噌が大きい人類がいたが、我々によって滅びているそれは我々には、隠れた超能力があったからである!」

 (ネアンデルタール人は我々ホモサピエンスより脳味噌が約千五百五十シイシイあり、その頃我々ホモサビエンスは千四百五十シイシイと小さかった現在は約千三百五十シイシイで更に小さくなっている、脳が大きいと優れている筈なのに何故滅んだのだろうか?)

 しゃべり過ぎて疲れたのか、また続きは今度と言って、哲学のような長い話は終わりました。
    ここで猿飛佐助と書いたが小説では甲賀忍者もしくは真田忍者とされているが、伊賀の忍法書(萬川集海)の中に記されてある十一人の忍者中、一人である木猿の本名が 上月佐助(こうずきさすけ)で、これが猿飛佐助のモデルであるとされている。

   それに伊賀甲賀は地域の里の名であり、元が同じであるなら分けるべきではないかも知れない、伊賀甲賀は忍びの里(科学者)術や科学も自然の一部より生まれ出たものである。


      第六章、    根来忍者(真田苔丸)


 小吉が来なくなってから、文兵衛はかなり落ち込んでいた。

「どうしたのかね文兵衛よ、今日は嫌におとなしいのではないか?」

 座り込み頭を抱えているのを見かねた、林長五郎が文兵衛に声をかけた。

「はい小猿の友達が来なくなりました、私が合気術を掛けたので……」

「そうか猿の稽古友達を、なくした為なのか?」

「はい……いいえ……今は犬や猫と追い駆けっこしたりして、気を紛らわせています」

「稽古相手ならば、わしの在所に真田苔(こけ)丸と云う若い者がいる、早速その者を呼んでやろうかな、年は若いが中々に利発で優秀な者じゃ!」

「そうですか、それではお言葉に甘えて、宜しくお願い申します」

「有無、忍びとて日頃の鍛錬努力なくては、凡人と成り下がるでな優秀な人のそばにいれば、別に教えて貰えなくとも、その人の考えやこつが移る事があるからな」

「御配慮、心から有り難く思います、ではよしなに!」

「ウム引き受けた、それと紙と筆を常に持ってなさい不思議と思った事、疑問に思う事などをそのままにせずに書き留めることで、後で解決出来る事があるが、書かねば直ぐ忘れるからだ!」

「はいでは早速、今日より用意します」

「よろしい明日にせずは、よい心掛けである其れでは益々精進しなされ!」

 翌日その苔丸が、神社にやって来た、少し目つきが鋭かった。

「文兵衛さんですか? 根来の真田苔丸といいます、でも真田忍者ではありませんよ昔の残党の生き残りかも知れませんがねぇ?」

「師匠が呼んでくれた人ですね、私は山本文兵衛といいます宜しくお願いします!」

 茶色の野良着をまとい、頭には鉢巻きをしている痩せ型の子だった。

「私こそ宜しく今年七歳に成りました、それで稽古の相手ですね?」

「ふうん同い年ですか、それであなたの得意技は何ですか?」

「いろいろ有り、特定は出来ませんので初めは見ていて下さいそして動きをまねしてください、上達が早く成りますので!」

   (ううん生意気な奴だなぁ、と思った)

    早速独りで、やり始めた。文兵衛はあっけにとられ、ただ見ているだけだった。しかしよく見ていると剣術でもなく、合気術でもない武道と言えるのかと、疑問が渦巻いたけれど云われるままに、その動作を真似して動いてみる。

「それは何という武術ですか?」

「武術じゃないよ忍術だ! さしずめ根来忍法てとこかな……」

「ふうん伊賀・甲賀なら知ってるが、根来忍者なぞ聞いた事無いなあ?」

 この頃根来忍者は、世に知られていなく、忍びの主流はもっぱら伊賀・甲賀で有り、根来忍者が有名になるのは徳川吉宗が、お庭番として採用してからである。

   根来衆と言うと根来寺の僧兵とよく勘違いされるが、根来寺とは一切関係はないのであります。

   あえていうなら雑賀一党とはつながりがあるかも知れない逸れは鉄砲に使う火薬とか雑賀衆は詳しいし、雑賀孫一(鈴木孫一)も当然であるが、忍者説があった。

   伊賀の敵となる信長ともよく戦ってましたしたしねぇ、その当時火縄鉄砲三千を所持していたのだ。

    紀州流の 根来一門の藤林は根来を盛り上げようと、自分達の子供は勿論事近辺の知り合いの子供にまで、幼児教育には熱心であったそうだ。

 文兵衛は師匠から借りた本を見ながら、相手の動きに注意し自らもやってみた。本には描ききれないものが実際的にはある。

   たとえば視力や聴覚などは、優れていると書いても、個人の能力であり真似はし難いのだ。しかしその才能は一つの超能力である。

 苔丸は音もたてず歩いたり弓を射抜いたり、塀を乗り越えたり手裏剣を投げたり、自分が里で覚えた事を余すことなく見せた。多方面にわたる忍法は素晴らしい


 話しを聞いたり遊んだりしている内に覚える、幼児が言葉覚える要に習うより、大人の真似して見ておぼえるのですが、基本が身に付いたら後は工夫して、独自の忍法を各自が開発するのである。

    忍の忍器と言うか色々な道具がある、どういう物でどう使うかなど聞く、作り方も習うそして独自の物も工夫し開発していく、兎に角忍者道具が多い集めが趣味か。

「苔丸よどうしたら、皆のように新しい術を考えられるのだろうかな?」

「えっ考えるのですが?    それは私にも難しい事ですよね!」

「そう考えると、途端に頭が停止したように出ませんよ、忍術とは種が有りよって自然のあらゆる物を、(動物も)利用し活用します」

    苔丸におかしな事を聞いたので、いまだきょとんとした顔をしている。

「その事師匠に聞くと逸れは思う事だと言われましたよ、思う事で空想や想像しひらめくのだと」

「考えるのでなくて思い空想することが、発明に繋がるのですかそれならば私にも出来そうですね」

   現在の発明はこの頃と違い、特許制度有り守られているまた無形財産権でも有りますが、盗む方は罪の意識など全く無いのです皆さんも発明したら、盗られぬように注意して下さい。

 苔丸は子供ゆえ、大人達に警戒されず、技を盗み取得出来た。文兵衛にとって良い教師となった。

    下忍の術は口伝や実際に直接やってみて、身体で覚えるしかなくそれは各自の秘密で、苦労して身に付けたので中々教えないのです。

  (普通は真似するなと怒られるが、苔丸は幼いのでつい油断するのです)

 師匠もたまに見にきては、気づくと一言二言いってそのまま帰る。それは修行で有りながら、毎日が遊びのような本当に楽しい日々であった。

    今日は手裏剣投げしようか、と言って丸い円盤を三十枚ほど持って来た、気の枝を鋸で切った簡単な物だ、見かけは本当に不細工である。

「まん丸でとても、手裏剣には見えないよ!」

「うん丸いと怪我しないしな、じゃあ試しにほってみな!」

   言われて文兵衛は、一枚投げてみた回転しながらよく飛ぶ。

「これは、思ってたよりも使えるなぁ!」

「では当たったらそれで負けだよ、そしてずるはなしだよ正直にねぇ!」

    少し離れてさながら忍者同士の実戦ごとく、投げ合うとけっこう面白い。

「よしそこだやったかな、どうだ苔丸当たったかなぁ?」

   見てみると枯れ木に服を巻き着けてある、変わり身の術だこれはやばいと即倒れた木に身を隠す。

「では今度は此方の番だ行くぞうっそりゃ!」

  苔丸は  高く飛び上がって投げて来た、すると円盤はカーブを描いて文兵衛に当たった。

「今日は勝負有りだね、では私の勝ちだ!」

   にっこりと笑う悔しいが自分の負けである、手裏剣がカープするとはな。

「苔丸どうしでそんなに、高く飛べるのかな不思議だなぁ?」

「私は日頃から山でうさぎを追いかけ仕留める、それで肉食して筋肉がつき高く飛べるようになったのだと思うよ!」

「私も鯨の肉ならば良く食べているのに、そんなに君のように飛べないが?」

    ある日真田苔丸の母親が病に伏せたので、急に根来の里に帰る事になった。 

「苔丸よ気をつけてなぁ! いろいろと教えてもらいおおきになぁ元気でなぁ」

「文兵衛さんも達者でなぁ、叉なあ本当に楽しかったよう!」

 そして根来忍法の医術(傷口縫い合わせるなど)の基本技術や、本に書いてない忍術技も取得した。

「どうです真似すると、覚えるのも早いでしょう!」

「うん君の言うとおりだったね、真似も一つの手段だね」

   技術や忍術はちょっとした事で方法が分かり、解決出来る事がありますが、逸れが現在では発明や発見と云われるものかも知れませんね、平和な江戸時代西洋に比べて、日本の技術は遅れました。

    開発出来ぬ者はスパイして盗もうとします、逸れを知って要るので隠そうとしたり真似をするなと自らの技術を守っていたのかな。

    発明はこの頃と違い、現在は特許制度で守られている。また無形財産権でも有りますが、盗む方としては現金や物と違って罪の意識は全く無いのです。

    この頃刀鍛冶の弟子が、刀の焼入れの際に使う水の温度を師匠にことわりなしに、桶の水に手を入れて確かめたら、師匠に両手を切断された、などの逸話が残っている。それは長年の苦労も一夜で無くすので、刀鍛治にとリ技術は飯の種なのです。

     開発しても特許制度 も利益もない、それで人々が閉鎖的な考えになったからかな。

    
     第七章、  故郷の湯浅に帰る


 延宝四年(一六七七年)霜月(しもづき十一月)、文兵衛は八歳になっていた。

「おおい武兵衛じゃぁ、文兵衛はいるか!」

 武兵衛の声が境内に響く、何か佐々木利兵衛夫妻と、話をしている福が娘に言った。

「喜美代、此処へ文兵衛を呼んで来て」

 稽古場にいた文兵衛に、喜美代が知らせに来た。早速武兵衛が待つ居間に顔出した。

「文兵衛よ、武兵衛だお前を迎えに来たんだ」

 美咲が突然、喜美代に抱き付いて。

「うわぁぁん!」

 突然泣き出した。見かねて母親の福が美咲をなだめたしなめさとすように言った。

「男の門出に、女の子は泣いたらあかん!」

「文平ちゃん、また来てよ……」

 泣き顔で、言うのである。

「うん、また顔見せに来るよ」

「ほんまに、指切りやで!」

 それで機嫌を直した美咲、喜美代は姉なのでこらえている。

「あっいけねえ、少し待ってくれますか用事を思い出した」

 文兵衛は少し、慌てている。

「何だね、その用事とは?」
    武兵衛は文兵衛に、にっこりと優しく聞きました。

「林長五郎先生に借りた本を、返えしに行きたいのですが」

「わかった早く行って来な、今まで世話になった礼を忘れずに言うのだよ!」

 武兵衛は手を振って、行けと合図する。

「はい、どうもすみませんでは、今から行きます」

 文兵衛本を持ち、駆け足で師匠のいる護摩堂へ行く。

「先生居ますか、弟子の文兵衛です!」

 そして護摩堂の扉を、ドンドンと叩く。

「おう、文兵衛か今日は何用だね?」

「林長五朗先生、いままで何かと有がとうございました」

 武兵衛、少し目を潤ませながら言った。

「どうしたのかね? 文兵衛」

「今日祖父が迎えに来まして、今から湯浅に帰ります」

 言ってこれまで、借りていた本を返す。

「ほういよいよ家に帰るのか、それは良かったね!」

「はい、今から祖父と一緒にね」

 とめどなぐあふれる涙をふく。

「今まで教えたのは基本だよ、此からは自分で研究工夫しなさい」

「林先生はここに、しばらく居ますか?」

「いや、儂も修行に出るそれと言い忘れたことがある、自然は神である自然の声を聴き、動きをよく見て感ずれば、次に自分はどうすべきか、商売・忍びの事も解るであろう! 修験道の教え成り」

「ハイ此より師匠の教えを、良く守り精進をし努力をいたします!」

「そうだ萬川集海(まんせんしゆううかい)を代わりにやろう藤林佐武次保武、著作の伊賀流忍法書だ」

 おもむろに書物を十巻、手渡された。この本は忍者の三大秘伝の一つで、後の二つは正忍伝と服部半三保長の書いた忍秘伝である、だが半蔵正成は武士になり忍者である事止めたがのう。

    忍秘伝は服部半蔵正成によって代々、服部家に受け継がれているが、本人いわく武士であって忍者でないと?。

「文兵衛よくれぐれも、忍者で有ることは伏せるのだよ!」

「はい心得ています、此より秘密にし封印します!」

    口は災いの元といわれているけれど、どうしてもつい言いたくなるのも人情である。

  (見ざる、言わざる、聞かざる。)

    これが自分を守る、三神の三猿であると心に決めていました。

   そして文兵衛は、護摩堂を出て武兵衛の元へと戻った。

    いよいよ  武兵衛と文兵衛の、二人は湯浅に帰るのである。

 喜美代と美咲は、いつまでも手を振っていた。人の世は出会いと別れがつきものである、あまり変化は好きでないが、自分は変わらなくても周りがどんどん変わっていくので戸惑いを受ける。

   父親との思いはあまりなかったし、なぜか会いたいとも、さほど思わなかったのである。されども文兵衛の心は晴れやかだった。

(久し振りに母にあまえられると)

 広川から別所への足は軽い、腰には武蔵の木刀を差している。

「あれれ、帰り道が違うのでは」

「これで良いのじゃ、今から有田の北港に行くのでなあ」


    第八章、   船乗りの修行


 武兵衛はおもむろに杖で、海の方向を指す。文兵衛は戸惑いながら聞く。

「あのう別所の家に帰るのでは」

「いや今はまだ勉強も身に入らんと思っての、家にはちゃんと、このことは言ってあるからのう」

 大声で言い、豪快に笑った。

「はい、それはとても私にとってありがたいのですが……」

「少し早めの、休みになるがね」

「それはとても、私は嬉しいのですが」

「すると文兵衛は、明心丸には乗りたくなかったのかね?」

「えっ、船に乗せてくれるのですか」

「うむ此より明心丸で、江戸へ行く文兵衛と航海の勉強にな!」

「うわい本当に、嬉しいなぁ」

 手を上に挙げて、万歳をする。

 船は湯浅の味噌や醤油、鰹節などを積んで北湊で待っていた。
    味噌・醤油は、有田の湯浅が日本での発祥の地である。

 二人はふ頭から足元に気をつけながら、明心丸に乗り込んだ。

「文兵衛、船酔いしないか」

「長五郎先生にもらった、丸薬持ってますから」

 文兵衛、薬を懐から出し飲む。

「それならば良いであろう、あっそれと言っておくが、武芸を少し習ったとて天狗になるな!」

「あのう意味が判りません、それはどうしてですか?」

「お前は商人の子供だ、斬った張ったより負けるが勝ちを! 心に留めておきなさいよ……世の中何があるか解らない、そして危険や危機わざわいはなるべくなら避けなければならないからの!」

「はい、ではそういたします」

 武兵衛は船の柁柄を持って、明心丸の操船をしていた。


 (ドドドン)船が左右に揺れた。

「なんだ、何かに当たったぞ」

「クジラだ、マツコウ鯨だ!」

 船の左舷を併走し潮を吹いた。

「二匹いるよ、親子鯨だね」

「騒ぐな、 鯨は子連れでいつもより特に、気が立っているでなあ」

「ではこのままゆっくりと、静かに船を進める事にしよう」

 二匹は親子仲良く、連れ立ってそのまま沖へと泳いでいった。

「ふう、何とか助かったの」

 何度も汗を拭う、それに鯨にもう一度ぶつけられたら、船は危なかったと思うのであった。

 マツコウ鯨は大きいものになると、十八メェトルにもなる。

 海は穏やかさを取り戻し、空には白いカゴメが飛んでいた。

 文兵衛はというと、何もかも珍しいのか、船内をうろうろしていてあれこれと水夫に聞いている。

「船底から、よく水が漏れないのですね」

 水夫は船大工も兼ねていた、答える為仕事の手を止める。

「板を合わせる時、面をカナズチで叩きその反発膨張力を、利用し隙間出ない様にしているんだ」

「木は水を含むと、膨らむから」

 文兵衛は真剣に、頷きながら聞いていた。

「どうだ凄い技術やろ、特に紀州安宅の衆は船作りでは超一流だ」

「ありがとう、覚えておきます」

 水夫達も船長の孫なのでいろいろ心よく教えてくれる、普通大事な事はめったに教えないのだが。

 文兵衛の興味は尽きない。帆の張り方やいろんな事を、水夫達に質問攻めにしている、頭が良いのか子供ゆえか覚えも早い、武兵衛はそれを見て。

「うむ、これはなかなかに有望だなぁ見込み有るぞっ!」

 腕を組み、独り言をいった。

 その夜、白浜町日置川の安宅の庄で、村の皆を呼んで食事をした。また鯨の件で大工に頼み、船を総点検した。

 安宅衆に今後の事を考え、文兵衛を照会したかったのだ。
    
    
山本文旦商店(山紀)の、明心丸は紀州廻船に属している、この頃幕府の方針で、千石船はまだ珍しく二百五十石や五百石の弁財船が主流であったのだ。

 明心丸は近海を注意して、安全第一で航海してきた。特に太平洋側の遠州灘では、黒潮の影響もあり漂流、難波する船が多くあり武兵衛は大ベテランで有名な船頭であった。

 いつもは瀬戸内海長州廻りの廻船で、江戸行きは安全を考えて極力控えてきたのだった。
   
   そう 江戸行きは危険だ船の舵が潰れたら、遠くまで流され二度と戻れなくなる。

 航海は続く白浜、串本、伊勢と陸沿いをへばりつくように進み、江戸にて積み荷を降ろした。波静かな時この近場航海は安全策であるが、風強き日は浅瀬の岩に座しようする危険も、有り神経を使い楽な航海方法ではありませんでした。

「さぁみんなこれで安全に一仕事終わった、そろそろ湯浅に帰るぞ!」

「へい、がってんでさあ」

 帆を張ると、潮風を受けて軽やかに波を切る。けれどもスピードは出せませんでした。

 帰りに太地に寄り、鯨の肉を仕入れて湯浅に着いた。近場乗り航海で往復十日の船旅である、天気にも恵まれた穏やかな航海だった。

「どうじゃった、この航海は?」

「はいとても楽しく、今後役に立ちそうに思います」

「ハハハッそれは良かった、では来年も文兵衛を連れて行ってやろうかの」

    頭を撫でてくれ、とても嬉しかった。

「それと最後に商いの基本を教えておこう、逸れは士魂商才である武士の魂を持って商いをする事だ」

「はい、よろしくお願いします」

「まずは自分の困った時が、商売儲けに繋がってくると心得よ!」

「それは、逆転の発想ですか?」

「そうだ! 人々の困った時逸れを助けることが、商人の儲けに繋がってくることが多い」

「はい、わかりました!」

「世の中を観て、今人々が何を欲するか察し、他人より先んじて逸れを与えるようにする事だろう」

「常日頃考えます、まず人々の思いあり願いあり、商売人はそれを見定め要求を叶える事ですね!」

    
「他の商売人よりも、先んじて行うことが大事だ! 知識より気構えで商売する事だろう……それと大衆に宣伝して、覚えてもらう事だなビックリさせて、名前を売り込んで商いを楽にする事だ!」

「はい、わかりました教え感謝します、また白浜の円月島を見たいですね、その時叉教え願います」

「その時叉教えよう、あっ言っておくが強欲は駄目じゃ、犯罪に走るか身を滅ぼす一因だ、嘘は言うな信用を無くす、で武士の魂だ」

「はい士魂商才ですね、御教訓肝に銘じます!」

「そうか、これからの世の中は武士の世から、金の世の中即ち商人の世の中に成るぞ、成功者の真似をし新しき物や成功者の新しい考え方を持ってこの先は存分に働けよ!     ワハッハッハ……」

 笑顔で応えるのである。この航海で武兵衛より、紀州の船乗り魂と商人の心いきを引き継ぐ、幼いながらも一段とたくましくなったようである。


    第九章、湯浅の寺子屋


 師走(しわす12月)文兵衛は湯浅別所にある、勝楽寺の寺子屋に通う事となりました。

 勝楽寺は浄土宗の寺で子供らは畳に自前の平机を持ち込み、幼い男女二十人ほどが勉強していた。

「ハイ文平ちゃん、久し振りだね元気にしてたの?」

「あれれ、美咲じゃないか!」

 文兵衛思ってもいなかった以外な事でなので戸惑う。

「喜美代姉さんも来てるよ、ほらあそこにいるよ」

 喜美代は手を大きく振り回しながら、にこやかに笑っている。

「ねぇ勉強はお母さんに、教えてもらえないの?」

「最近忙しくてね、それでねぇ私達は此処に出されたのよ」

 文兵衛をジロジロ見ていた、喜美代もこちらに笑顔で来た。

「文兵衛さん、変わったわねぇ」

 確かめる様に、ぐるっと一回りしながらじろじろ見る。

「よく見ると、おっさんよね!」

「ハハハ、よせやい褒めるのは」

 トンチンカンな返事、苦労のせいか少しひねて見えるのだが、本人にはわからないのである。

 (最近、喜美代も文平と言う)

 美咲が常に言うので、通ってしまったようだ。

「おい文平、お前生意気だな!」

 なぜか餓鬼大将の、権太からにらまれている。

「どこがですか、権太さま?」
    文兵衛、負けじと云う。

「なんやお前生意気やな、この俺に逆らうんか拳骨喰らわすぞ!」

 拳を振り上げるが、先生が注意しその場はおんびんに済んだ。

 案の定帰り道で五人の悪餓鬼が、文兵衛を待ち伏せしていた。

「おう文平だ、やってまえ!」

 皆でぐるっと取り囲む、手に棒切れを持った者もいる、棒先には釘が打ちつけられ危険であった。

 道は十地路面で、広く感じた。

 文平の頭で何かがはじけた。その動きがゆっくりと見えるのだ。

「このやろう、これでも食らえ」

 先ず前の棒切れ持った者が、上から思い切り打ち降ろす、当たれば当然だが血を見る事になる。

「ええい、とりゃあっ!」

 懐に入り手首押さえると、そのまま後ろに投げ飛ばした。

「うわわいっ、腰うったよう」

 転げて倒れると後ろの二人はそれとばかり、足を取りに来た。

 飛び上がって、背中に乗るとカエルの様に地面にへしゃいだ。

   「ワア文兵衛ちゃん、かっこいい!」

 そう美咲が言うと、すかさず喜美代が、横やりを入れた。

「当たり前よね、神社で武芸の修行してたんだもの!」

 文兵衛はあとで父母から、文句の出ないよう手加減をしたつもりだ、しかし技はあるが手足は鍛えてないので少しばかり痛んだ。

 翌日から早速板に縄を巻き、正拳打ちの練習して鍛えた。

 あれから悪餓鬼も少しおとなしくなった。文兵衛も勉強の遅れを取り戻そうと、熱心に励んむ幸い根来流記憶術などが役に立った。

 延宝五年(一六七八年)葉月(八月)、文兵衛は九歳になっていた。

 徳川四代将軍は、家綱の御世である。過ぎ去りし日はあっという間であり、それは振り返えってみれば、その人々の歴史となる。

 文兵衛は別所の実家で、夏休みなのでごろごろと昼寝していた、風が少しあったので蒸し暑くなく気持ち良かった。

 庭の木々にセミが鳴いている、少しうるさく感じた。

「武兵衛の爺ちゃんどうしたんだろう遅いね、帰る予定より三日たつ」

 隣で祖母が目を細めながら、編み物している。

「本当に遅いねえ、どうしたのかねえ文兵衛も待ってるのにね?」

「もう一度船に乗せたると、あれだけ言ってたのになあ」
  
      江戸の 取引先から飛脚が来た文旦が受け取る、手紙らしいそれを読んでいる。

       文旦が今まで読んでいた手紙を、無ぞさに突然落とす。

「あなた、どうなさいましたの?」

 青い顔した、文旦が口を開く、冷や汗かいて震えている。

「手紙ではおとうおとうの船が、時化で沈んだと連絡入った」

 もう明心丸は湯浅に帰って来ない。山紀の店は大痛手であった。

 今まで手堅く商って来た、どうしょうもなく、オロオロするばかりである、祖父山本武兵衛五十四歳没。

 家族は九人祖母の峰、文旦、千代、長兵衛、文兵衛、忠兵衛、千歳、吉兵衛、六兵衛である。

 子供らはまだ小さい、文旦は頭を痛める、やむえず湯浅北湊の店は閉めて土地は売却した。

 全てを別所の家にまとめる、一家は貧乏のどん底になった。

 幸い近くに醤油造りの、勤め先があったので作業員として働

 文兵衛も寺子屋が終わると、家の手助けをする、薪割りに風呂焚き子守リなど仕事は多くあった。

    文兵衛は小さかったので、外に出されず済んだのだ。子供ながら家の事情は解っていたので、出来る事は何でもした。

   祭りには夜店で餅を売ったリおにぎりを作って売ったりと、商売の真似事もしました。

 文兵衛は根っから楽天家で、一途な面もあるのだが、元々明るい性格であったのだ。

 精神的に大人に近づくが、子供の冒険心や、探険心は失ってはいない、少しばかりおっちょこちょいであるが。

    今日は寺子屋でばったり、神社の娘と合ったいきなり言う。

「今俺んちはとても貧乏だ、喜美代さん解ってくれる?」
    
       文兵衛ボサボサ頭を、手でぼりぼり掻きながら言った。

「ふうん嘘よ、昨日大きなうなぎを食べてたじゃないの?」

 無理もないこの頃、鰻の蒲焼きは店で食べると、一皿二百文(三千円)はしたらしい。

「あれはねぇおいらが、広川で鰻取りのあみ仕掛けて、それで取って来たんだよ!」

 文兵衛は工夫好きで、うなぎ取りの網籠も考え出していたのであった。

 細長い網筒の本体に、竹の蓋に尖った戻りを付けると鰻は最初入れてもあと竹の弾力で、入り口がすぼみ中より出れなくなるのです。

「じゃ私達にも、特別に鰻を取って来てよ!」

「うん、早速今晩神社に鰻を持っていくよ! 広川に鰻取りの籠を仕掛けてあるんだ」

「わぁ! 嬉しいな私達うなぎが大好きなの!」
    
久しぶりに神社に行くも、いいかなぁと思った。


   第十章、一人忍者修行をする。


 (長五朗師匠は工夫せよと言ってたな、そや藁地に敷き皮乗せたろ)

 早速試してみたら調子が良く硬い小枝やとげが、刺さらなくなった、また竹に皮を包帯のように膝まで、巻き付けて蛇に足を噛まれても、大丈夫なようにもした。

 手腕には年代物の中古品の手甲を買って取り付ける、本当の忍者のようであるが、それはあくまで蝮蛇(まむし)の対応策だ。

 (これで山道も安心だ、楽勝に歩けるな)

「よっしゃ明日から叉修行だ、気合い入れて行こう!」

 文兵衛は駆ける野原や山を、腰にはお茶が入ったひょうたんを、何時もぶら下げている、動くとのどが渇くのだ。

 川に入ってはうなぎや鯉、フナや鮎を取り、水辺で火を興してはその場にて食べた。

 池や沼では菱(ひし)の実を取って炊いて食べる、殻を石で割り妻用事でほじくり出して食べる、味はくりに似ていてとても美味しい。

 山や川の原で蝮蛇(まむし)も自前で作った竹細工で取り、町医者に売って小使いのたしにした。
    
噛まれた時に中和する中和薬剤も持っていますし、あと百足(ムカデ)に噛まれた時に使う薬も持っている。根来忍者はなぜか甲賀に比べて毒には詳しいのである。

   薬は甲賀忍者には負けるかも知れないのだが、まぁどの忍者の流派にも得意、不得意があるのです蛇やムカデは薬草でないしねえ。

 山では滝に打たれ、一人瞑想してあれこれ考える。現在では滝に打たれて何も考えずに、悦に入っている人もいるが、本来は加熱した頭を冷やしているのだ。

 また神社に立ち寄り、立ち木に向かって剣術の稽古もする自然の中で遊びながら働くのは、少年にとって実に楽しい時である。

 森にはやま桃や柿、栗など自生していておやつにもなった。

 神社の娘にやると大喜びだ、貧しかったが自由で生き生きした毎日であった。
毎日が冒険探検家気取りで、云わば原始人的な生活を、おくっていたのである。

 (何か忘れてる、そうだ忍術だ)

「忍者には、火薬が付き物だな」

 ひとり言いいながら、同じところをうろうろしている。

「そうだ! いつも探検に行っていたあの岩山の洞窟だ」

 手でよいしょする、文兵衛は思い込めば一直線なところがある。
    
    その洞窟はひょっとしたら、前方後円墳のような誰かの大昔の墓であったかも知れません。

   今は文兵衛の、秘密の隠れ家になっていました、そこに林長五郎師匠から貰った忍術書類を、まとめて隠していました。

  原本は残っている控えの書なのだが処分するつもりでした。

    文兵衛の来る前に誰か住んでいた気配があります、妙に生活感があるのです。

   明かりにする菜種油が於いていたり、食事用の茶碗や皿があったりしました、油皿に火を灯して見てみると低い机があり、その上には古い本がありました逸れを手にとって見る。

 (ううんと、義経流忍術書とある珍しい本だな、途中までしか書かれていないがなぁ)

   それから此処に来ては、その古書を読み剣の型や柔らの形を習得する他にも色々書いていた、逸れを貪るように読んだし実際試してもみた実に不思議な変わった内容の本だった。

 江戸時代は、主に黒色火薬であり木炭、硫黄、強石(?)を混ぜ合わせて作っていたが、根来忍法では綿に強化酸(?)をかけ、無煙火薬を作ると書いていたのだ。

 早速探検した洞窟に入って、岩からしたり落ちて動物の骨に穴をあけている液体を採集した。

「これで微塵隠れや、火遁の術も出来るな、そうだおいらは少年忍者だ!」

 だけど平和な時代、使う事はなくせいぜい熊よけぐらいだが山に入ると、狼もいるし安心していると命を落とす危険が、あちこちにある。

   そして忍者道具はあまり作らない、なるべくなら市販品で済ませる、忍者と悟らせない為である。

    今日も夢中で川辺で鰻をとる内、周りが薄暗くなってきた。

   近くで日本狼の遠吠えがする、この頃日本には狼はいた。

「ウオオ-ン、ウオオン」

「しまった、日本狼だやばいぞ!」

   日本狼は群れて襲ってくる習性がある。ガサガサガサッ。

     一匹の日本狼が前に、立ちふさがる牙をむいている。

「ウォォンッ、ガルルルッ!」

   丸棒を手に身構える文兵衛。背後にも二匹ほどいるようだ。

   突然後ろから襲ってきた、もうビックリして丸棒を無作為に振り回す。

「キューンイン」

   一匹の狼に当たったようだ。それを合図に三匹が一斉に猛烈に突進してきた。

    文兵衛はとっさに猿飛びの術で、草むらに飛び込むと同時に近くの岩陰に隠れた。

「ヒューン、ドドドッンバン!」

   閃光赤く、大きな炸裂音がする。

   すると火達磨になった狼が、足を引きずりながら逃げて行った。

   危機一髪であった。文兵衛は既に火薬完成し逸れを使ったのだ。

「ふう危なかった、相手が三匹で助かった!」

   狼の怪我は少ないだろう、火薬の爆発に驚いて、逃げて行ったのだろうと思った。

 延方八年(一六八十年)八月二十三日、徳川綱吉が、五代将軍についた。

 月日は夢のよう、矢のようにに過ぎて行く。

 天和元年(一六八一年)神無月(かんなづき十月)、文兵衛は十二歳になった。

 身の丈は五尺(約一メェトル五十センチ)前髪をたらし後ろを紐で結わえていた。
    
この頃白い紀州犬を飼っていて、何時も連れて走り廻っていた、自然に運動するので身体もなまらない足腰も鍛えられた。

   時折小猿を思い出す、もともと動物が好きなのである、この頃山のあちこちでまだ日本狼が、徘徊していて危険であったから、紀州犬は安全にも役立っていた。

 寺子屋は、もう卒業していた。


    第十一章、丁稚奉公へ


 ある日の朝、父親の文旦に部屋に来るようにと呼び出された。

「父上、何でございますか?」

「実はなあ、紀南の大商人である熊野屋は知っているかな」

「はい昔母上が、世話になっていたというお店ですね」

 出涸らしの、苦い茶を飲む。

「そうだ、ならば分かるだろう」

「はい父上、家の事情は十分に心得ています」

「では丁稚奉公に行ってくれるのか、若い時の苦労は買うてでもせよと昔の人は言っている!」

  とうとうこの日やって来た。奉公するにあたり忍術秘伝書や巻物は、処分し燃やしていました。忍術の事は封印して、商売の事に集中しなければならないと思った。

「はい分かりました! 明日にでも船に乗って、新宮へ出発します」

(少し不満もあった、それは長兵衛が何処へも行ってないからだ)

 文兵衛は意を決して、身支度し新宮の熊野屋に行く。

 紀州の新宮は徳川頼宣が駿府より転封時に、付け家老として田辺の安藤直次(三万八千八百石)と水野重央が(三万五千石)を与えられ支配せし土地であるが、それはあくまでも紀州藩内である。

 夕方に新宮湊近くの、熊野屋に着いた。

 熊野屋八右衛文は紀州の材木商で、杉や檜を江戸に出していました、当時紀州で一番の大店であった。

「えっごめん! 湯浅から奉公に参りました、山本文兵衛でございます」

「はい、山本文兵衛さん、えぇ聞いていますよ!」

 女将(おかみ)が出て来て奥に案内された。まずは店主に挨拶すると、次に担当する手代が来て、丁稚の仕事について、一からいろいろ教わった。
    
一年は見習い丁稚で、使い走り店の掃除、風呂炊きなど下働きが主だった。不平も云わずに夢中で何でもした。手代の言う事も良く聞き、早く覚えようと努力した。

 熊野屋の使いで、江戸の河村屋瑞賢の屋敷まで行く事があった。

 この頃河村屋は材木商では江戸一番の規模と実績を誇っていた。

「あの御免ください、熊野屋から使いで来ました、山本文兵衛と申します御主人はおられますか?」

「紀州の熊野屋さんですか、どうぞこちらでお待ちくださいませ」

 通うされた部屋は、西洋式の椅子やテエブルがあり、棚にはぎっしり本が置いてあった。ひとりの武士が椅子に座り、難しそうな本を読んでいた、年の頃は二十四歳ぐらいで目は鋭く痩せていた。

「あのう、あなた様はここの息子さんですか?」

 文兵衛を、横目で見て言った。

「儂は新井白石と申します、してあなた様はどちらさんですか?」

「私は熊野屋の丁稚で、山本文兵衛と申しますお邪魔してます!」

「はあそうですか、まだこの本読みかけでして、また後でね」

「はいこれは、気ずかずに誠に失礼しました」
    
陰と陽の出会いでした。新井白石は学者肌の人で、後に元禄バブルをつぶした、用人となります。

   この頃は河村瑞賢に、気に入られて娘婿にと思われていました。

「熊野屋さん主人は、今日戻られ無いとの、連絡入りました!」

「あっ私は手紙をお届けしただけで、用事は終わってます、此処に受け取りましたの、ハンコを貰えればけっこうですので!」

 早速ハンコを貰って、河村家を後にしたが新井白石は、つれなくてあの後から物も言わなかった。

   悪人千人善人千人である、自分にとって良い人と悪い人がいるカアドの表と裏のごとくです、逸れを見極める事が大事ですね悪い人に合えば悪い事を教えられます。

 天和二年(一六八二年)、文月(七月)文兵衛は十三歳になっていた。

「文兵衛ちょっと来ておくれ!」

 大声で、お内儀が呼んでいる。

「へい、何でございますか?」


    第十二章、娘の三輪


「曇って来たので、娘の美輪に傘届けてほしいの」

「あの北新地は、お花の師匠宅ですね?」

「そうだよう早く、雨降る前に行ってきな!」

「へい承知分かりました、すぐにも参ります!」

 北新地は町家が多く寺院と商店が混在している、その一角の水茶屋で若い娘がヤクザに絡まれている、直感でお嬢さんときずいた。

「キャ! 誰か助けて」

 男に手捕まれ、それを振り解こうと必至である。

「オイそこのおっさんよ、その娘さんの手を離しな」

「何だお前は、若造は引っ込んでろ!」

 ごろつき三人は取り囲む、めいめい懐から匕首(あいくち)を抜く。

「野郎共相手はたかが小僧一人だ、何ほどの事もあるまい殺れ」

「へい、がってんでさぁ!」

 文兵衛は傘で三人の匕首を打ち払い、合気技で投げ飛ばす。

「くそぉっ痛ってぇなあ、ばか力出しくさって覚えてろよ!」

 打ち身の腰をかばいながら、我先にと逃げて行った。この頃は関口流柔術と、根来流忍法の体術を使ったのであるが、よく効いた。

   どんな時代にも、狂った人々は居るものですが、やられた者はたまったものでは有りませんなあ。

 (あっ、少しえかっこやり過ぎたかなっ?)

「どなたか存じませんが助かりました、あのう失礼ですがお名前は?」
    
    美輪はお辞儀して、丁寧に御礼を言った。

 顔上げてよく見ると、その手には熊野屋の傘があった。

「お嬢様、お迎えに来ましたよ」

「えっ其れではあなた、店の手代さんでしたか?」

「いえ違いますよお嬢さん、私は丁稚の山本文兵衛と言います」

「けれど貴男、十七歳ぐらいに見えますよ!」

「ハイあの私は、まだ十三歳でございます」

「ふうんそうなの、でもあなたとてもお強いのですね!」

 じっとりと、汗が吹いて来た。

「はい、幼少より剣術と柔術で少しばかり、鍛えてますので」

「そう私も十三歳ですのよ、宜しくね文兵衛さん此からも頼みますね」

   口は災いの元と云うが、つい何気に文兵衛は言ったのです。

「へい分かりました、何時でも用事在れば私を呼んでくださいませ!」
    
    美輪は丁寧に御礼を言った、まだ危険があったので警護にと相合い傘で片寄せ合いながら、長い道のり店まで送って行ったそれを見ていた者が、親方に告げ口をした。

 翌日普段と変わらず、熊野屋は活況であった。

「おいでやす、毎度おおきに!」

 店内でひときわ大きな声がする、見ると文兵衛である。

「ホウ元気な、丁稚さんですな」

 年の頃六十五歳と見える、商人が振りかえりざま言った。

「御主人、何か御用有りますか」

 熊野屋の番頭が、御用聞きにやってきた。

「儂は江戸の河村瑞賢だ、この間注文した物揃いましたかな」

 文兵衛は熱い茶と水を出す、熱さの加減が解らないためだ。

 番頭は調簿をめくり観ている。

「へい整いまして今船積みしてます、摂津の安治川行きですね」

「そう先の丁稚(でっち)さん、呼んどくれ!」

文兵衛はかしこまり前に出る。

「ところで名前は何と云うの?」

「あのう山本文兵衛と言います」

 この商人の事は聞いている、憧れの人ゆえ少し声が震えている。

 河村瑞賢は三年前に長子政朝を亡くし、文兵衛にその思影を観ていた、可愛いと思ったのだ。此処でも何故かしら文兵衛を見て、教えたくなる何かが働いたのか?

「材木は相場の勉強大事だよ、物は米であれ野菜であれ絶えず値段は変動しているから、逸れを扱う商人は損しないように、常に気をつけ研究しなければならない!」

「それはいったいどのような、勉強でしょうか?」

「世の流れ見人の欲する物を察する事、それに需要と供給!」

「人々が欲しがる目に見えぬものを、想像し心で見よですかね?」

「新しい物新しい考え方を掴む事であるが、でも皆が知ったらそれは古くさくなり仕舞いかな?」

「おそれ入りました貴重なるご教示、ありがとう御座いました!」

「もし江戸に来る事あったら、私を尋ねなさいよ」

「はい、是非にもお尋ねします」

河村瑞賢に深々と頭を下げた。

 (江戸に、行ってみたいなあ)

 此処で文兵衛が憧れる河村瑞賢について、少し語ろう。

 元和四年(一六一八年)二月伊勢は度会郡東宮村百姓の長男として生まれ、幼名は七兵衛と云った。

 十三歳で江戸に出て十右衛門と改名し、土木作業員や車力の、仕事をしたが運は開けなかった。

 寛永十九年(一六四二年)二十五歳頃とうとう思い詰めて江戸から、上方へ行こうと決意した。

 東海道を小田原宿で一人の老翁と会い、今までの身の上話をするがその時翁(おきな)は言った。

「江戸で駄目ならと上方へ行ってもねえ、心機一転もう一度江戸でやり直してみたらどうだろう!」

「ありがたい! 早速戻ります」

 江戸に戻る途中で、品川まで来ると盆が過ぎたばかりで精霊に供え流された、瓜生や茄子が海に多量に浮いている、また浜辺にも無数に打ち上げられていた。

「よっしやっ、これだ!?」

 早速古桶を買い浮浪人に銭をやり、茄子や瓜生を拾い集めて塩漬けにし、土木人足や町人に売って大きな利益を得た。

 それから運が開けて土木人足業や材木商など手を広げ、幕府にも頼られる大実業家となった。

 海運の方にも力を入れて西回り航路や、東回り航路を開発するなど革新的な偉業を成し遂げた。余談であるが新井白石を、娘の婿にと思っていたのだが、武士の気ぐらい高く、だめだったようです。

 成功するには成功者を徹底して研究し、その真似をする事が近道であると武兵衛から教えられていた、憧れの人に直接話を聞けたのでその夜興奮して眠れなかった。

 この頃文兵衛は住み込みの丁稚なので、金は使わないでも日々の生活は何とかやっていけた。

 給与は無いに等しかったがたまに客からの駄賃あり、それをせっせと貯めていた。手代になればお嫁さんを貰っても、生活出来るほど有るとは聞いていた。

「文兵衛ちょっと、新地までお嬢さんを、お迎えに行っておくれ」

「へい、わかりましたお花の師匠ですね」

「そうだよ、早く行ってきな!」

 文兵衛は店の女御衆に、せかされて慌てて店を出る。

 前垂れを外して少し髪を整える、もう後ろには伸ばしていない、上に持ち上げて束ねているが、前髪は切ってない若衆髪で有る。

身の丈は五尺三寸(一メェトル六十センチ)になっていた。当時江戸町人の平均身長は、一メェトル五十七センチ前後であった。後ろ姿はもう大人であった。

 出身の湯浅は平家の落ち武者が多く、為に名前を変えてひっそりと暮らしてた。源氏の世だから。

 本当は五十嵐文兵衛だが、山本文兵衛となっている、まあそれはいいとして町人だから、在所より別所文兵衛が正解だと思うが。

 藍染の小袖に、三尺帯の着流し色白で整った顔だちをしている下駄を履き、新宮の街を歩くと年頃の町娘達が振り向き、騒ぐほどの男ぶりであった。 

   美輪が夢中になるのも当然だったかもしれない。あれから新宮のやくざも道を譲ってくれる、で半刻(一時間)ほど待った。

「あら文兵衛さん、ごめんね待った?」

 三輪は髪を丸髷に結い背は五尺二寸(一メェトル五十九センチ)であった。目は切れ長にて色白で細身、花柄の着物を羽織ってる、近辺では新宮小町と云われる、美人で評判の娘であった。

「いえお嬢さん、私それほど長くは待っていませんよ」

「じゃ、そこの茶店で団子でもどうかしら、勿論私が奢るわ!」

   この頃見習い小僧なので文兵衛懐寒く、一銭も持ってなかった。

「へいありがとうございます、喜んでごちそうに成ります!」

 美輪は、なぜか心弾み、何も無いのに楽しかった。

 水茶屋に寄り、そこの台座に腰掛ける、むしょうに喉が乾く。

「あのう、団子二皿とお茶を、ちょうだいね」

 店員は、復しょうし、言われたことを書き留めるとさがる。

 隣りの席に素浪人が来て、文兵衛の横に坐ろうとした時、刀の鞘が肩に当たった。

「無礼者おのれ町人の分際で!」

 浪人は妙に殺気だっている。

「おいら、何もしてませんが?」

「何だと反省無しか、うむ許せぬ無礼討ちにして呉れる!」

浪人はおもむろに、大刀を抜き上段に構えた。

 その様子をを始めからみていた周りの人々は、意外な成り行きに注目あっと息を呑む。

「きええい!」

 浪人は文兵衛に向かって、大刀を思い切り打ち下ろす。

「とりゃあっ!」

 声がした。皆は斬られたと思った、その刀を両手合わせで止めていた、刀は文兵衛頭上で受け止められたまま、かんぬきが入ったようにビクリとも動かない。

 すると素浪人の足ガタガタと震えだし、そのまま地面に膝をついた。

   文兵衛は刀をそのままひねって取りこみ人居ないか確認、刀を横に放り投げた、浪人は刀を拾うとすたこらサッサと逃げ出した。

 とっさに出た技は、これぞ大東流の合気柔術である、勿論忍の術は封印しているのである。

 文兵衛は何事も無かったように団子食べ、茶を飲んだ。

「では美輪さん、帰りますか」

「あのう、どこも怪我有りませんでしたか?」

 美輪は店員に、小銭を払った。

 逸れを見ていた人々は、口をあけ唖然としている、この頃特に有名な剣豪はいない、まったく平和な時代だったのだが見れば解る。

技は新陰流柳生石舟斎以来、途絶えいた真剣白刃取りの妙技であるが、文兵衛の使った技は、大東流の合気技である。技と云うより気合いに近い電光石火の動きだ。

 (少し調子に、のり過ぎたかな)

 なんとかその日も無難に、店まで送りとどけることが出来た。

 文兵衛は材木商の仕事も、覚えてそろそろ手代にしては、との声が店内から挙がっていた。小さい頃から何でもやりかけたら、夢中に成る性格で、覚えも早かった。

 問題は一人娘の美輪で、何かと文兵衛を呼び出しては私用を言い付け、身近に置こうしたのだ。

 文兵衛も後先考えていなかった面も、あったと思うがもう遅い。

 熊野屋八右衛門はこれをよしとせず、文兵衛を呼び出し言った。

    第十三章、三輪との別れ北山村へ


「最近熊野川の筏流しの手が少なくて、困っているのだがね……」

「へえ、それでどうしろと?」

「ご苦労だが、しばらく北山村まで行ってくれないか?」

「私が行って、役に立ちますか」

「いやいや少しの手助けで良いのじゃ、軽作業で楽な仕事だよ」

「はい旦那様がたってにと、云うのなら参りましよう」

「そうか有り難い、早速に明日にでもたのむぞ!」

 文兵衛には察しがついていた。

 隣りの部屋で事の成り行きを聞いていた美輪は、泣き崩れた。

 新宮より熊野川沿いの瀞峡街道を、三日掛けて北山村に着いた。

「あのうすみません、此処は熊野屋さんの事務所でしょうか?」

「へえ?    そんな店の事務所ここにはありませんなあ?」

「お得意様ですが、ここはうちの北山組だけですよ、まったくおかしいですなあ?」

    早速熊野屋からの紹介状を見せる、此処でやっと文兵衛は、店の意向を理解納得したようである。

   いつも武兵衛に云われていた事が蘇っていた。

  (人は自分とは違う人を侮るなよどんな者がいるかも知れない、外見で判断すると手痛い目に遭うぞ)

   悪人であっても、人は自分を正当化したがるものです、熊野屋では文兵衛の悪口が広まっていた。

 着の身着のまま来たので、とりあえず北山村で自分に出来る仕事の内容を聞き明日に備えた。

    「ええいっ命あったらどこでも生きられる、男一匹この先何とか成るやろ出たとこ勝負じゃ!」

   と独り言いってみたが胸が張り裂けそうだ、いったい何が悪かったのか、自分はどんな悪い事をしたのだろうかと思いが募る、三輪を思い出すと悲しくて、いとうしくて切なくて心は複雑でもう張り裂けそうであった。

 取りあえず今は飯の種が必要だ文兵衛は気を遣う客仕事よりも自然相手の、身体を使う仕事の方がが合っていたのである。

 仕事は川に木を降ろす時、馬で其処まで材木を運んだり、通り道の雑木を切ったり、商品の木材で筏を組んだりである。
    「空気は良いし、気持ちいいな」

 夏は盛りの葉月(はずき八月)蝉があちこちで鳴いている。

「嗚呼、もう十四歳になるなぁ」

 草上にごろ寝し空を観ていた。

 (ブキ、ガサガサ)と音がする突如、大きな猪(いのしし)が突進してきた。(ドドドッ)

 文兵衛はとっさに、近くの木の上に跳び上がる(ゴツン)木が大きく揺れる、猪は倒れて動かない。

 飯場近くであったので、何事起きたのかと皆が外へ出て来た。

「うわこりゃ、なんとどでかい大きな猪だな!」

 あれまだかすかに、息があった。

「おお前ひとりで、こいつをやったのか?」

「ウウン此奴が、勝手に木にぶつかりそのままお陀仏さ!!」

「有難てぇ、今夜は猪鍋だぞ」

 猪を飯場に持って行き、その夜は飯場で解体料理した、普通は二三日土に埋めて置くと、旨くなるが皆気が早く、早速猪鍋を囲んでどんちゃん騒ぎであった。

「これはうまい、こんな旨い牡丹鍋初めてや、文兵衛おおきによ」

   皆酒飲んで機嫌が良い、まだ若年者の文兵衛は一人思った。

 (俺は何をしに熊野屋に行ったのか、北山村で作業員に成る為か)

「オット隣りはよいかな? 儂は北川三次と申す者だが……」
    年の頃は三十五歳ぐらいで、筏流しのベテラン職人であった。

「へい、どうぞ空いていますよ」

「昼の身のこなしは見事だ、明日から筏流しを仕込んでやろう!」

「ハイそれは有り難い事で、ござります宜しく御願いします」

 今までの事を、詳しく話した。

「かわいそうに大方の事は聞いている、帰るのには路金がいるだろう、ならば儂が助けてやろう!」

「へい、それでは御言葉に甘えます、ご指導の程お願いします」

 地獄に仏だなと思った。翌日から三次の特訓があった。

 浅瀬で筏(いかだ)流しの竹棹の使い方や身体、足の運びなどを教わる、文兵衛は身軽なので、すぐにコツを覚えた。
    筏流しは普通筏を連結して、前と後ろに人が乗り、たくみに竿を操って運行する。

「少し上手くなったが、まだまだ気を抜くでないぞ!」

「あのう、何故でしょうか?」

「瀞八丁は景観良い、見惚れると手元狂い、岩にぶち当たるのだ」

「へい、竿差しに精一杯です!」

「少し慣れると事故が特に多くなるでのう、それであの世行きだ」

 文兵衛には有り難かった、丁稚の頃と違って給与も有り、帰る資金の目途もついてきた。しかし世の中にはいろいろと、その道の達人が要るものだなあと感心した。

 三次と組み仕事して、なまっていた身体も鍛え直された。それに古式泳法も教えて貰って、難しいとされる流れる川でも、泳げるようになったのは、海の男にとって今後何かと役に立ちそうに、思われるのである。

   古式泳法の練習の為、北山川を泳いでいると川の底に光っている物があります、何だろうと拾ってみると、えんどう豆粒の大きさもある砂金である、その近辺を掘ったらどんどん出てきた、とりあえず瓢箪の水筒を縦に割って、中に収納した。
    夏が過ぎ紅葉鮮やかなりし頃。

「おい文兵衛よ、お前そろそろだな!」

 ふと相棒の三次が、思い付いたように言う。

「はい私もそろそろ、湯浅に帰ろうかと思ってます」

「うんならば、明日は最後の筏流しに成るな!」

「早速片付け、皆に今までのお礼言います」

 想えば短かった、北山村であった。初めなんと不運なことかと嘆いていたが、ここの温かい人々に触れ合いすさんだ心も、次第に癒えていつもの明るかった自分を取り戻せました。

   夢中で仕事を覚え身体を動かしているうちに、恋の病も知らぬ間にどこかに飛んでいきました。とてもよい経験になったと思う。

「みなさん長い間お世話になりました、ありがとうございました」

 作業員の皆は、心よく応対してくれた感激した。

    今回の失恋失意の中、遠く離れた北山村からはるか湯浅の故郷を、懐かしく思う文兵衛であった。

 翌日熊野川を筏流しで新宮に下る、もちろんだが熊野屋に寄るつもりは全くない。着くとそのまま新宮の河口で船に乗った。


    第十四章、鯨(くじら)の浜太地へ


 慌てて乗った船は、太地止まりの荷物船で江戸へ戻ると云う。仕方なく太地で降り、上方行きの廻船を待つことにした。

 湊の近くで水茶屋があった。

「あのう、何か腹の足しになる物は、無いですかね?」
    思えば朝から何も食べていなかった、ひもじい顔をしている。

「賄いの茶粥なら有りますが。どういたしますか」

 若い看板娘がにっこりと聞く。

「それと何かおかずは、有りませんでしょうか」

「店は飯屋と違いますが、鯨の焼肉なら少し残ってますが」

 その焼き肉のいい匂いが、辺りに漂っているよけいに空きっ腹にこたえた。

「とにかく、それもらえますか」

 朝から何も口にしていない、冷たい茶粥は紀州の名物、先ず出されたものを掻込んで、腹を満たしてゆるりと一服していると、隣りの席に老人が腰を掛けた。

「あのもし、どうなすった?」

「へい旦那様、湯浅に行くところが、船が江戸に戻りました」

「うむ、それはお困りでしょう」

「この辺に知り合いも無く、旅籠もないので困っています」

 太地は山に囲まれ、歩いて行けぬ不案内では、迷い危険である。

「儂は太地の鯨方網元で、和田金右衛門と申す者だが、暫く我が屋敷にて次の船を待つが良い」

「はいとても助かります、よろしくお願いします」

 深々と頭を下げる、金右衛門は水茶屋の代金を払うと、山手の坂を歩いて行く。
    後について暫くすると、和田家の大きな屋敷が見えて来る、そして指を差して言う。

「あそこの、納屋で休むが良い」

「へい、御厄介に成ります」

 文兵衛は納屋の片隅で寝た。

 明くる日から和田家の、居候として庭の掃除や薪割りなど、懸命に下働きをした。

「文平さん、夕食いかがですか」

 末娘十歳の知佳が、にこにこしてお膳を持って来た。

 味噌汁と鯨の肉それに白米、うまそうな匂いがしている。

「へい、ご馳走に成ります」

「文平さんの好きな鯨の生姜焼きと、冷たいお粥も有りますよ」

(胸キュン、俺って惚れぽいの) 

 腹を満たし外に出空を見た、満天に星が煌めき美しかった。

 浜風が吹いている、身体が冷えるので、納屋に入り本を読む。

 鯨に関する本が多くあった、絵入り巻物もあり良くわかった。

 現物のモリや、刃刺しも置いて有って、それは素人にも理解しやすかった。

 特に注意されてなかったので手に取ると、俄か鯨取りになったような気がした。

 文兵衛は朝から薪割りをしている、スッと割れる調子が良い。

「文平さん、昼飯持ってきたよ」

「知佳さん、いつもありがとう」
    後にいた息子の和田直次郎、十二歳が近くに来て言った。

「文兵衛さん、一緒に食べよか」

「オウどうぞ、横に座りよし」

「友達になって、くれるかのぅ」

「オウ、短い間となるけどな」

「妹に聞いたのやが、おいらに柔術教えてくれるかのぅ」

「うん、ええよ何時でもきなよ」

 文兵衛はにこり笑う。

「うわ! じぁ明日から頼むで」

 食べると嬉しかったのか、小躍りして母屋に帰った。

 網元の子で友達がいなかった。

直次郎はあれから、ちょくちょく顔見せるようになった。文兵衛はいろんな人に会い話しをし、聞く事が楽しみであった。

「文兵衛さん、柔習いに来たよ」

「よし、関口流の投げ技やるぞ」

 どんどん技掛けて投げる、直次郎は倒れても向かって来た。

「直次郎さん、今日はこれぐらいにしておこうかのう」

 文兵衛は、身体の汗を拭った。

「へえ、おおきにさん」

 直次郎はまんぞくして、満面笑顔だった。

「次は直次郎さん、私に鯨の事教えてくれるかのう?」

「うん僕にわかることやったら何でも、聞いてくれたらええよ!」

 鯨漁は四月から九月にかけて休漁だ。その間には鰹漁など小物を取る、今は神無月(かんなづき十月)となる。

「そろそろ鯨の追い込み漁、出るからその時に見に行こうかな」

「よし、それじゃ逸れを楽しみに待ってるで」

「ほなそれまで舟用意しとく、段取りは任しといて」
    妹の知佳が夕食持って来た。 

「今日は三人で、仲良く食べようかの、多いと旨いから」

 丸顔の、愛嬌のある娘である。

 貞享元年(一六八四年)、太地の人口は四千七十一戸で千八百人。

「文兵衛さん今日太地の若い衆総出で、背美鯨を追うらしいぜ」

「うん、観てみたいものだな」

「じゃあ、今から舟出そか」

「そうやのう遠方から見るか」

「早よ行こらよ! 文兵衛さん」

「銛やアミ、太鼓も積んだか?」

「準備万端抜かり御座いません」

足どり軽く浜まで駆けて行く。

 文兵衛と直次郎は浜で平舟に乗る。共に半袖の上着で褌姿だ。

 前で文兵衛が銛を握り、後ろでは直次郎が櫓を漕いでいる。

「朝方背美鯨追って行った連中とそろそろ、会うても良いがのう」

「逃がして追うてるんやろ」

 銛の先を砥石で尖らす文兵衛。

「そうかなどんくさいな、皆何してるのかな?」

 突然直次郎は漕ぐ手を止める。

「今近くで鯨が潮噴いたで」

「あっ見えた、ええっとあれはゴンドウ鯨や!」

「よっしゃ、今から行ってこの銛で仕留めたろ!」
 文兵衛目を凝らし銛を構えた。

「待ってよう兄貴、今ついたら鯨が暴れて舟沈むよって」

「ちっこい平舟で一艘やしな、そうや太鼓叩いて浜辺に追うか!」

「やってみる価値は、あるかもわからんな?」

「ほな太鼓叩くで、鯨の頭抑えて浜辺へ誘導して呉れるかの」

「文兵衛さん指示してよう」

(ドンドコドン)思いさま叩く、何かお祭り気分で爽快だった。

 次第にゴンドウ鯨を浜へ追う。

 潜水した鯨の動きを示す渦が見えて、周りに泡も立っている。

「兄貴、上がって来るぞぉ!」

 黒い山が盛り上がって来た。平舟は左右に大きく揺れる。筏流しで鍛えた足を踏ん張り、鯨の背に全身の力込めて銛を突き刺す。
    (ドスン)手ごたえがあった。すかさず直次郎も銛を刺した。

「オイ、早いとこアミ被せよ!」

 二人は鯨の動き止める為アミを投げ入れる、暫くすると波が収まりポカッと鯨が浮いて来た、そしてかなり浜辺に近づいていた。鯨の心臓に銛を刺す。

「鯨を捕った、編みに縄付けろ」

 浜辺にいた子供に聞こえたのだろう、手を大きく振っている。

 泳ぎ上手なあまさんが編みに麻の縄付けて、浜の皆に合図した。

「ヨイショ、こらさあ、ドッコイサのせい!」

 女子供が縄を引っぱっる。それは運動会の綱引きのようだった。

 ようやく上げた鯨は(約六・四メェトル)ゴンドウ鯨としては、大物であった皆の顔がほころぶ。

 小鯨も二頭浜に乗り上げた、速くも大人衆に解体処理された。

 鯨方の船団が帰って来た。背美鯨を取り逃がしたらしい。

 変わりにマイルカ十五頭ほど水揚げして、浜は賑やかであった。

 多い少ないは言えない、皆命掛けの仕事と知っているからだ。

 またこの頃の年寄りとは、村の役員で若年寄りは少なかった。

 幕府でも老中若年寄りは、重役で中々になれぬ役職でもあった。

 若年寄り太地覚右衛門(網元)が挨拶に来た。若いが貫録あり筋肉隆々でちょん髷結っている。

「こたびの活躍聞きました、ご苦労様です今どこにお住まいで?」

「和田金右衛門宅で、厄介になっている山本文兵衛という者です」

「そうでしたか、何かお困りの事あれば、私に言って下さいね」

「おおきに、でもそう長くおれません、船くれば湯浅に帰ります」
    丁寧な挨拶にて文兵衛かしこまる、緊張して汗が吹いてきた。

「皆喜んでいました、ではこれにて失礼しますよまずは御礼方々」

 文兵衛は殺生した鯨の御霊を祀る祠で、両手を合わせ供養した。

   鯨はこの村にとって人々の命を繋ぐ糧であったのだ。牛の命も鯨の命も同じに尊いのである。人は命をいただいて生きているのだ。

 帰り道で直次郎が走って来た。

「沖に樽廻船の天神丸来たよ」

「本当か! これで帰れるなぁ」

「文兵衛さん名残惜しいな、このまま此処にいて呉れたらなぁ」

 和田金右衛門が挨拶に来た。

「儂はな文兵衛さんが、太地に居て貰えると嬉しいのやがなぁ」

「へい湯浅で母が待ってるので」

「まあ無理は言えん、叉来て下され喜んでお迎えしますので」

「へい、有り難く思います」

「ではこれにて失礼します、村の寄り合いに行きますので」
    金右衛門は、役場の方に向う。

 直次郎が手招きして待つ、文兵衛平は舟まで歩いて行った。

「文兵衛さん荷物と鯨の肉積んだよ、あっそれと銛もやな!」

「直次郎さんそれじゃ船まで、今から送って呉れるのか?」

 直次郎は平舟を漕いでいる、文兵衛の心は久しぶりに晴れ晴れしている。天神丸に着き声を掛けると、水夫が荷物を揚げて無事乗船した。逸れを確認すると船は帆を揚げ、大坂に向けて出航した。

   空は晴れて澄み渡り、全く気持ちの良い青空であった。


第十五章、帰り船チャイナ娘と


 直次郎遠くで懸命に手をふってる、青い海も穏やかであった。

 樽廻船は紀州廻船に属し天神丸は千石船で、船長の後藤長十朗は最新の航海技術者であった。

「若い衆、湯浅で降りますか?」

「あのその先の和歌浦漁港で、私を降ろして貰えますか」

「へえあんたさんは、漁師さんでしたのか?」

 初め湯浅と言っていたのが、急に変更したので不思議がる。

「いえ、少し事情有りましてね」

「いえねぇ、あなたの顔何処かで観たような、気がしましてねぇ」

「祖父は、明心丸の船長でした」

「あっそれで、その人が私の師匠です腕は良かったのですがねぇ」

「孫の、山本文兵衛と言います」

「そう嬉しい船旅に成りました」

「では操船を、教えて下さいね」

「何なりと私で良ければ聞いて下さいよ、私も武兵衛さんに教えて貰いましたのでね」
    それから船長直伝で最新の航海方法を聞いて覚えた。幼い頃の祖父の教えが蘇って来た。

「あの後藤さん、あの隅で体操してます女の子は誰ですか? 変わった服着てますねぇ」

「あの子は、一年前海で流されている時、助け出しましたチャイナの娘さんで、行くとこ無いと云うので此処に置いていますのや!」

 観ていると流れるような、動きです見惚れていますと。

「其処の若者、何あるか?」

   チャイナ娘と急に目が合った。

「はい、あまりに動きが綺麗なので、つい見とれていました!」

「少し私とカンフーで、汗かいてみるか、カンフーは武術アルよ」

「はい、お手柔らかにお教え御願いしますよ、それは何という武術でしょうか?」

「うんチャイナ(中国)の、太極神拳アルよ!」

    と言って色々な形を見せて、くれました足を地べたに着けたりヨガのように、捻ったりとカンフーは身体の柔らかさが必要である。

    幸い文兵衛はまだ若かったので、その動きについていけましたが、けっこう節々が稽古後に、そこそこ身が入たのか痛くなりました。

   今でも中国で、体操として残ってるのも頷けますねぇ、それに気合いの声も凄まじいものがある、女であってもです。

  (アチヤー、アッタッタター!)


 チャイナ服を着た娘の、柔術とも違った突きや蹴り、逆手取りや巻き手の受け身、それはもうとても新鮮であったのは言うまでもない。

    今までの体術や柔には無かった身体の動きであり、今の太極拳と違ってこの娘は、実は本格的武闘派拳法の太極神拳伝承者であったのだ。陽の少林寺拳法、陰の暗殺拳の太極神拳と恐れられていた。

   そんな人が、どうゆうわけあって日本に流れ着いたのか、本人は詳しい事は何も言わない(政変からか?)またそれは個人的な事なのか文兵衛は、まったく聴こうともしなかったが、娘は本能的に思ったのでしょうか、必死に教えた。

   後の中国拳法にとっては大いなる損失であったろうと思われるのです、その後の太極拳法が、今や体操に近くなって残ったのです。

 今中国では、太極拳法は朝夕の体操となっているが、この頃までは実戦的武術であったのだ、一子相伝ゆえに、途絶えたのであろうか?    といってもその頃の中華では無敵の拳法だった故、その名前と人々の憧れから体操として、残り引き継がれているのである。

   文兵衛はその凄さは知るよしもない、若い娘とあなどったのか。

「文兵衛今日は太極神拳とっておきの、鳳凰真空切りを教えるアルよ! ウッリヤアァツ」

 気合いもろとも近くに置いていた十寸(三十センチ)の丸棒を、刃物で切ったようにスパッと、竹をさいた如くに真っ二つにした。
   「ウワア凄いですね、別に何も持ってませんよねぇ!」

「かまいたちのように、真空切りしました太極神拳の秘伝アルよ」

「それを教えてくれるの?」

「誰しも出来ないけどあなた素質アルよ、アナタまだ若いしコツ掴めばすぐ出来るアルよ!」

   手取り足取り、たどたどしい日本語で、身体の経絡秘孔(急所)を指で指し、丁寧に教えて貰った。

   そして娘が言うに、男と女の身体が違うので経絡秘孔も違うらしく、絵で印した本も貰いました。

(漢字と絵で書かれていた、のでチャイナ文字も大方理解出来た)

 短い期間であつたが、しみ入る様に覚えた。また小さき頃から鍛えていたので基礎が出来ていた事も早く取得出来た原因である。
    教師が美人であったのも、楽しく学べる要因であったのだろう。

 紀州廻船は順調に航行して、串本、白浜、御坊、湯浅を、過ぎて

和歌浦港のふ頭に着いた。

「後藤船長ご教授有り難く思います、此処で降ります」

「お役に立ちましたか、文兵衛さんも元気に達者でのう」

 水夫が荷物降ろすのを、手伝ってくれた。チャイナ(中国)のクゥニャン(中国の若い娘)も、にっこりと笑顔で送ってくれた。

   娘にとって気掛かりだった太極拳の相伝を伝えた、満足感もあったのだろうと思われる。


   第十六章、和歌浦にて商売


 貞享二年(一六八五年)五代将軍徳川綱吉の御代文兵衛も十六歳になり見た目にも大人であった。 

 身長も五尺六寸(一メェトル六八センチ)になっていた。

 和歌浦のふ頭から呆然として海を見ていた、頭の中が真っ白けでしばし何も、考えられなかったのです。

 潮風が吹いてきて、身が寒さの為震えて我に返るのであった。宛てがあって和歌浦に来たのでは無いのです、ただ何となく気の向くままに降りたのである。

 運とか縁というものはそういうところから、始まる事もあるみたいである。

 この年は江戸幕府、初代天文方の(渋川春海)が日本最初の国産暦を作り、大陰太陽暦の貞享暦としてその後七十年間使われた。

 またこの頃には元禄十三年まで水戸黄門で有名な、水戸家二代藩主、徳川光圀が活躍した。
   和歌浦のふ頭から高台に行きふたたび海を眺めている、一人の若い男がいた。ザザザァ波が海岸を洗う音がする、男は呟いた。

「何かでかい事やりたいのう」

 一見二十歳とも見え目鼻立ちは整い、色白の文兵衛である。

「さて、知り合いも居ないし、これからどない仕様かの?」

 人生何してもうまくいかない時がある。やることなすことが、裏目に出て、それでやる気がなくなっていくのである。

 そんな時下手に動いてどつぼに嵌まる事が多い、かえって何もしないほうが、良い事が多い。

 どんな人にも運期があり、悪い事が重なる事も多々あるが、希望とか目処があれば、苦労も乗り越えられるのですが、この時何も考えられる事も無く、頭の中は真っ白で茫然自失でした。

 ただあてどもなく歩いた。ふと何気に顔あげて見ると、近くに玉津島神社が見えた、喉が渇き水を飲もうと立ち寄る。 

 この神社は美人で歌人の、小野小町がよく参詣して、袖を掛けた塀が今も残っていると云う。

 祭神は四神あり、特に衣通姫(そとおりひめ)は和歌の神として、和歌を読む人に崇められている。

 参拝し柄杓で手を清め、水を飲む疲れが出たのか座り込んだ。

    その様子を遠くより神社の巫女が見てました。名は神主の娘でかよと云う年は十四歳です。

「お父様あそこに倒れている人がいますよ、ねぇお願い助けてあげて!」

 聞いてよしと腰をあげその足で、若者に近づき声をかけた。

「いかが成された儂は神主の高松河内と言う者です、何かお困りでしようか?」

「これはご迷惑をおかけします」
    文兵衛は簡単に事情話す、神主は真剣に聞いてくれた。

「ところでおぬし、林長五郎殿を知っているのか?」

 じっと文兵衛の目を見ている。

「へい、私の柔術の師匠でございますが?」

「あの者本当は紀州藩士で、藤林正武と云う儂の友人でもある」

「では、高松河内神主も武士なのですか?」

 それには答えずに黙り込む、額の汗を拭い間をおいて。

「とりあえず片男波に、空き家が一軒ある当分そこに住むか」

「へいでは宜しく、御願いします」

 神社の斜向かいに馬が繋いであり、その馬の後に乗せてもらい半刻(十五分)走ると、片男波に着いた。

「おお、ここだ着いたぞ」

「あれ、ここは馬小屋では!」

「空き家の半分は馬小屋だ、二頭いる土壁で仕切ってるから、臭く無く男一人なら充分住めるよ」
    茶色と白の馬が二頭、大きな目でこちらを見て嘶いた。

「はい、文句言えません此処で充分でございます」

 しかしよく見ると、表はあんがい綺麗であった。

「代わり茶色の馬は駄馬であるが使っても良いぞ、町から遠いと当然足は必要に成るのでな」

 実にへんぴな所なので、文兵衛も多少不安であった。

「ところで文兵衛よ、馬には乗れるのか?」

「はい北山村で材木運びに乗ってましたので、少しばかり自信は有ります」

「では問題ないな! 儂は此より用事あるので長居は出来ないが、後は任せたぞ」

「何から何までほんとに感謝いたします、この御恩忘れません」

 早速荷物を入れて、部屋を片付けた。(何とか、住めそうだな)安心してごろんと横になる、意外に快適である。 

「まあ雨露しのげるだけでも、ありがたい事だな」

    部屋を片付け二三日すると、少し落ち着いた。近くに住む若者六兵衛も、最近よく遊びに来るようになった。同じような年らしい。


第十七章、


 かよの恋患い、花の紀三井寺


「文兵衛さん! お客さんですよう湯浅から?」

「へえだれかなぁ、まあ上がってもらって?」

「文兵衛元気でいますか、祖母の峰ですよ!」

「あっおばちゃん、狭いですがどうぞ上座へ」

 少し戸惑った様子だが、気を取り直し上座に座った。

「で何か御用向きで、御座りましたか?」

 何か云おうとしたが、途中でやめた? この暮らし向きを見てやめたみたいだ。

「いえねえ、熊野屋に聞けばとうに辞めましただろ、そして風の噂をたどって顔見たさに、ついふらふらと来てしまったのさ」

 六兵衛が気を利かし、お茶を出してくれた。

「文兵衛さん、あっしはこれでおいとましますぜ!」

 気を利かして帰って行った。

「それはそうと文兵衛や、いま紀三井寺は桜の花盛りでとても綺麗らしいの!」

「へい! 見事なものやそうですね、馬もあるし明日行ってみますかねぇ」

「きて早々悪いね、文兵衛よ本当になんだかねだったようで」

  ちょうど布団が二組あり、それを出して話そこそこ切り上げ、寝ることにした。

 明くる日に、早速に西国観音霊場第二番札所の紀三井寺に行くことにした。紀三井寺は名草山の上に御堂があるので、麓に馬つなぎそれからは、歩いて石段を登らねばならない。

 これが慣れない人には大変でがくがくと足にくる、堪えるが息も切れてくる、文兵衛にとっては北山村で、足腰鍛えたおかげか楽なものであった。

 祖母を背中におぶって、千段以上ある石段を、登って行ったら途中踊場で、玉津島神社の一行と出くわした。

「これは高松河内どの、何かお困りですか?」

「いやぁ娘の、かよの下駄の鼻緒が切れまして、難儀してます!」

「それはお困りでしょう、見せてもらえますか直しますよ?」
    下駄を受け取ると、手拭いで手早く鼻緒を付け替え直した。何事も器用にこなすのである。

 かよは、耳たぶを染め下向いたままであった。そして何事もなかったように、祖母をおぶって登りはじめた。

 この日から、かよの恋患いがはじまった。風邪ひきのような、若い娘のかかる病で、つける薬も飲む薬もありません。

「お父さん、何なんでしようかねぇ?」

「わしにも、さっぱりわからず」

 そんな毎日が、つづきました。

 祖母も、何か言いたげでしたが用事があると言い、次の日には湯浅に、早々と帰って行きました。

「ごめんください、文兵衛どのは居ますかの?」

「あっこれは高松河内殿、何かご用でしょうか」

「林長五郎どのから、事付かった事があってのう」

「えっ師匠からですか、いったい何でしょう」

「お主の父親文旦は、二年前流行り病で三十八歳で死んだそうだ」
    文兵衛、驚きの表情浮かべる。

「えっそれは知らなかった、本当ですかまだ若いのに……」

「長男の山本長兵衛(二十歳)が紀州屋を引き継いで、二代目山本文旦と名乗ってるそうだよ!」

「では別所には戻れませんね、それでは今日より私は、五十嵐文兵衛と名乗りましようかね?」

 (私は何処でも厄介者なのか)

「とりあえず、伝言は伝えたぞ」

 言ってその場を立ち去った。

 祖母が口ごもり言わんとしたことが、これでガでんがいった。

 腹が減ったので鍋を探して茶粥を窯どで炊き、ほした鯨肉を焼いて生姜醤油で食べる、梅干しも入れるなんと旨いのか思った。

 文兵衛は今まで働いて貯めた銭もあり、当分の生活の目処はあったが仕事がない、何とかせねばと焦っていた。
    翌朝早くから起きて片男波の浜から和歌浦湊、荒浜と呼ばれる海辺まで歩く、気落ちしているのでとぼとぼと。

 小舟が数隻留まっていて、何やら多くの人が忙しくしていた。

 この頃の魚市場は和歌山城の西側、荒浜の西の店、中の店、湊浜にあった。浜での売買は特別だ。

「あの、漁師さんですか」

「おっと、儂ですかのう若い衆」

「あのう魚売りの仕事を、したいのですが出来ますかねえ?」

「にいさんそれは難しいの」

「市場での売買は株仲間か、元締めの許可が必要なんだよ」

「その元締めの親方さん何処に」

「あの拍子木を、持ってる強面の人がそうだよ」

「あのうもし親方さん、私にも魚を売らせて貰えませんか」

 文兵衛に振り向きじっと見る。

「儂は仲間内では若竹商店の猛蔵と名乗っている。見たところお主は女に好かれそうな顔しているのう今いくつかな?」

「はい十六歳です、占い師に女難の相有りと云われました」

「この商売は女に嫌われたら売れぬ、逆なら少し高くでも売れる」

「ではどうですか、商いの方は」

「よし気に入った! 儂とこの魚を売るが良い小売りだがのう」

「へ、ご好意有り難く思います」

「おぬし名は何と言ったかね?」

「へい、私の名前は五十嵐(いがらし)文兵衛と言います」

「そうだな今日は気分が良い、店の屋号は紀文で良かろう!」

「紀文ですか、いい名ですね」

「おい華子、魚の小売したい若者がいる面倒を見てやれや」

「はい、お父さま分かりました」
    年の頃は十五歳の、勝ち気そうな気さくな娘が手を挙げる。

「華子さん、今後ご指導のほど宜しく御願いします」

「はい私は女ながら、とても厳しいですよ根を上げないでね!」

 それから色々教えて貰う、魚の名前や天秤棒の使い方など。そして毒のある魚とか例えば、フグの毒など素人には難しいですよね。

 始めは近場の和歌浦から、高松まで天秤棒を担いで売り歩く。

 (さっぱり売れんなぁ、人集めの工夫が要るな声も枯れるし)

 それで考え、横笛を吹く。

(♪ピイヒャララ、ピイヒャララ♪)

 すると人々が何かと、ぞろぞろ集まって来出した。

「そこのベツピンさんどうです」

「あら少し見せて貰おうかしら」

 すぐに桶は空になった。勿論包丁でさばいて料理し易くした。

 すぐに人気者になっていた。

 (もっと儲けるには? そうだ武家に売れば、高く買って呉れる)

 考えて馬の背中後ろに桶を四つ縄で、固定したら上手くいった。

「よっしゃ、明日から遠出だ」

 (待てよ武家に売るには許可要るな、神主高松河内に相談しよう)

 早速玉津島神社に行き、神主の高松に相談したら心良く引き受けてくれた。
    一日待つと、返事をもらえた。

「どうでした? 高松どの」

「藤林正武どのに聞くと、家老の三浦為隆どのにお頼み申して、入城許可貰ったとの事である」

「藤林どのは林先生ですよね?」

「そうだ、良く御礼を言いなさいよ、これはお城に入る許可証だ」

   と言って小さな木札を、文兵衛に手渡した。

「はい、お手数おかけしました」

 紀州藩の重臣屋敷地は、お城の三の丸にあった。城の南東の広瀬御門より出入りする為、許可が必要だったのである。

 秋も深まり玉津島神社周りの木々も、色付いて鮮やかだった。

 辰の上刻(午前八時)、馬から降りると天秤棒と桶を担ぎ歩く。

「ええっ取れたての魚は要らんかねぇ、鯛に太刀魚も新しいよ」
    城下の加納平次右衛門屋敷に着いた。もう一度大声張り上げた。

 すると屋敷内から女御衆が出て来て手招きをする。そのまま台所に入り、注文を取って魚を捌く。

「あら若い魚屋さん新顔やねえ」

「へい、藤林正武殿の紹介です」

 一歳ぐらいの男の子を抱いている。子供はじっと文兵衛を見てニコニコ笑ってる。

「おう、可愛いお子様ですね」

「ホホホッ、私の子では有りませんのよ」

「そうですか?    とてもあなたになついてますね」

「このお子は、藩主徳川光貞公の四男坊で、徳川源六君であらせられますのよ」

「へぇそうですか、これで下ごしらえ出来ました、では又宜しく」

 源六君は後の八代将軍徳川吉宗公だが、今は夢にも思わぬ事で藩主とて難しき身の上であった。

 加納家は紀州藩主初代徳川頼宣公よりの直参で、頼宣公より五郎左衛門は三歳年上であったが、貞享元年に亡くなっていたのた。

 跡継ぎの加納平次右衛門と、その子加納久通が、源六君の養育に関わっていたと思われる。先程の源六君の乳母は久道が妻である。

 武家屋敷より残りの魚を売り切り、和歌山城広瀬御門より出る。

 和歌山城南から新掘にかけて吹上げ砂丘の峰が続いていて、砂丘の斜面には根上がり松がたくさん見うけられた。

 広瀬御門近くの広瀬は、根上がり松の根下にて、侍女に貰った真桑瓜をかぶりついて食べた。
   この根上がり松は、砂丘の砂地が強風に飛ばされて松根元が、露わになったもので昭和三十四年(一九五九年)までは、八本あったが現在は和歌山大学付属中学グランドに、一本を残すのみとなった。

 ちなみに高さは三メートル五十センチある。

 風が松根の間に舞い、涼しかった。馬での移動なので何処でも苦労なく行けた。

 (明日東の店市場休みだが、紀の川でうなぎでも捕って売ろうかな)

 早速日の暮れぬ間に、川に仕掛けた竹編み筒から鰻を捕った。

 片男波に帰ると、窯どに備長炭入れ火を入れる。うなぎを背より開き、醤油たれにつけて焼く香ばしい匂いが周囲に立ち込める。

 侍は腹切って開くを特に嫌う。

 (明日は自前の鰻だ儲けるぞ)

 今日かなり働いたので疲れたのか、気持ちよくぐっすりと寝た。

 明け七つ(午前四時頃)起きて再度鰻を焼き、桶に詰めて馬に載せた。一刻(二時間)はかかった。

 玉津島神社に寄ると、娘のかよが居てお裾分けすると喜んだ。

 文兵衛が来ると、かよの病も嘘のように治るのだった。
    両親もわかったのか、頻繁に来ても何も文句は言わなかった。

「まあ! 美味しいぞうだわ」

 笑顔観てそれだけで満足した。

 その足でまずは、加納家屋敷に行く、広瀬御門横の空き地に馬を繋ぎ、小分けの桶を天秤棒で担いでの商いだ。

「紀文背開き鰻要らんかえ、美味しい焼きたての鰻だよ!」

 加納屋敷に入る前に人がいる。

 周りの奥方連中が待っていたのか、集まって来るのが早かった。

 それで玄関の横で、店開いた。

「紀文さん、よその魚屋さん皆お休みでね、本当に助かりますわ」

「へえ、それが急に決まりましてねぇ、私は小売業なのでさっぱり事情は分かりませんよ」

「ちまたの噂だと、ずうっと休みに成ると言ってましたわ? 本当に困ったわね……」
    皆聞きいる魚は貴重な蛋白元。

「どうしてと、市場の魚屋に聞きましたら、加太の浦に鮫が出て漁師が舟出せないらしいのよ!」

 皆困り顔だ、野菜ばかりだと夫のきげんが悪くなるからだ。

「それは、知りませんでしたね」

 鰻は飛ぶように売れ、加納家の分を残し早々と店じまいした。


   第十八章、サメ退治



 加納家の門をくぐり、屋敷に入るとしぶい侍が立っていた。

「藤林正武先生では、ないのですか? 私は文兵衛ですよ」

 久しく合うが面影ある、三十歳ぐらいになったかなと思われる。

「文兵衛か大きくなったのう、商い終わったらそこの、離れの部屋に来てくれまいか?」

「はい! 分かりました師匠」

 手早く鰻を納め、藤林の待つ部屋にと急いだ。

 部屋の前に来た、腰を落とした。

「失礼します、山本文兵衛早速に参りました」

「おお待っていたぞ、さぁ入るが良い!」

「で何か? 御用でしょうか」

 近くに寄る、何か訳ありと感じたそんな雰囲気がした。

「今の儂は光貞公側室、お由利の方に仕え源六君を守ってる」

「そうですか、それは大変な仕事ですね」

「源六君は光貞公六十過ぎての子供故に、ことのほか先々が心配らしい!」

「源六君は確か四男坊で、上には確か綱教様、頼職様がおられたかと思いますが?」

「しかし源六君が一番のお気に入りだろうと思う、光貞公より根来衆も蔭より警護を命じられているのでな、上の兄弟二人はどうもそりが会わぬと申されていてのう」
    源六君とは、後の新之助(徳川吉宗)のことである。

    文兵衛の、近くに近寄りて言う。

「では本題に入る、加太の漁師から藩に鮫退治の要請あってそれを其方に頼みたいと思うが、勿論太地での活躍ぶりを知っての事、頼まれてくれるかのう?」

 文兵衛の目をじっと見て、返事を待つ。

「へい私で良ければ、ひとつやってみましょう!」

 胸をいき酔いよくポンと叩く。

「それとお主の祖母に、預かって来た刀だ。そうだ銘は波切丸だと言っていたな」

 手渡され刀は、今は無き武兵衛の形見と、なった脇差しだった。

「師匠有り難く思います、こんな私の為に動いてくださって」

「たまたま覗いて見たんだよ、其れより鮫の事確かに頼んだよ!」

「へい、明日早速見に行来ます」

 文平は商売道具類片付け、片男波に馬で帰った。

 (当分仕事は、休みになるな)
    文平は紀北の漁師から、情報を聞きまわるすると鮫は加太から離れ、下津の大崎に要るらしい。

  和歌浦の浜で、聞き廻っている時玉津島のかよが、鮫退治を聞いたのか、むちゃせぬようにと指切りをせがまれた。

 危険な仕事だと、文兵衛の身体をかなり気にしているようだ。

  馬で片男波から下津は大崎の湊に着いた冊に馬を繋ぎ、砂浜を歩く、足の裏が太陽照りで熱い。 

 波が打ち寄せる一画に、人々が集まり騒がしい。おかみ連中がおいおいと涙ぐんでいた。

「皆さん、どう為されたのです」

「はい、私の亭主が朝から漁に出て帰らず、舟だけは戻りました」

「まだ、分かりませんよね」

「舟内血が一面に、真っ赤です」

 言うとその場に泣き伏せた。

「多分ヨシキリ鮫でなく、ホオジロ鮫でしょうかね?」

 加太の漁師おもむろに言う。

「加太では舟諸共粉々多かったのですが、今回舟は残ってますね」

「お父は、一人で漁出たんよ」
   舟の血を洗い流し、左右横側に直径一尺(約三十センチ)の丸太材木を、三間の長さ(約五メェトル十センチ)に縄で縛り取り付けた。

 あと鯨銛六本と、鶏三羽と血を入れた瓢箪二本、丸太の切れ端二つ投げ網二枚を積み込んだ。

「さあ、気合い入れて行こか!」

 舟に乗り込み、砂浜から海へ押し込む。舟は砂浜から沖へ滑り出した、青空でそよぐ浜風が気持ち良かった。

 海の狼と恐れられているホオジロ鮫は、この頃夏の終わりから秋にかけて、紀伊水道を回遊してその速度は時速四十キロメェトル。

 三角形の歯は内に向けて生えていて、噛まれると逃げられないノコギリのような歯であるし、噛む力は三百キロで一度に百八十キログラム近く食べる。

 また血の匂いに敏感であり暗闇でも目がきく、何にでも噛み付く習性が有りとても獰猛である。

 天敵はシャチで、ホオジロ鮫より泳ぐ速度は早く、群れて行動するので鮫も殺られる事が多くシャチの姿を見ると逃げるようだ。

 シャチの方は頭良いのか、めったに人は襲わないが、鮫や鯨はたまに集団に襲われる事もある。
    下津の沖で文兵衛は、瓢箪に入れた鶏の血を、平舟の左右に撒く更に鶏二羽も、波間に浮かべた。

「鮫が近くにいれば、来るだろうさ、半刻(一時間)ほど待つか」

「来ますかねぇホオジロは?」

 相棒も櫓を止める、舟はしばし波任せとなる半刻(一時間)ほどたつと、舟の揺れで心地よい、ウトウトと眠気が出てくる。

「ちっと文兵衛さん、糸に付けた鶏がなくなってますよ」

「二羽ともか? 其れでは来たのかな?」

 (ドドン!)左右の丸太が響く。


「文兵衛さん! きき来ましたよ!」

「オイ腰を屈めろ、海には落ちるなよ」

「へい、分かりやした」

 文兵衛は銛を右手に身構えると周辺に目を凝らす、二匹の黒い背びれがこちらに向かって来る。

「わぁでかい、ホオジロ鮫だ!」

 鮫は大きな口を開けて飛び上がる、文兵衛は煽られよろけるが足を踏ん張ってこらえた。二匹とも六メェトルほどあり体重は一匹で五百三十三貫(二トン)あるだろう。

(普通大きいのは体長四・五メェトルぐらい、重量は二千三百キログラムで、長寿であり七十年ほど生きる。(最近まで嫌われていたホオジロ鮫であるが、今ではガンの特効薬の研究で注目されています)

「おっと二匹いっぺんに、襲われるとこっちがやられるぞっ!」

 相棒は舟底で震えて何も出来ない、残りの鶏を海へ投げ入れる。

 それを追って一匹が舟から離れたがもう一匹がいる、ここぞと飛び上がってその背びれへ、思い切り銛を付き入れる、真っ赤な血が海面に飛び散る。

「うおっやった!    うん先ずは一匹を仕留めたぞぉ」
    銛先は刺さると取り付け棒から抜ける、後部横に縄通穴有り縄には、丸太の切れ端を固定した。

 (あと残りは一匹だなぁ)

 鮫は狂ったように舟に体当たりして来る、文兵衛は筏流しで鍛えて足腰は強い、ここぞとばかり背びれの前の、急所に銛を差す。

 (ドスン)鈍い音、鮫の赤い血が飛ぶ。

「文兵衛さん、やりましたね!」

「まだだ! 先ずは鮫が弱るのを待とうぜ、まだまだ危険だ……」

 暴れながらも浮き上がって来た時、網を左右の鮫に絡ませた。

 網の中で暴れる二匹の鮫に、留めの銛を思い切り射し込む。身体を震わせ痙攣すると静になった。

「これで一巻の終わりだなぁ」

「びびりました、漏らしたかな」

「網を舟に固定して、帰ろうか」

 舟は下津は大崎の浜に帰る。海上は夕陽で、赤く染まっていた。

 大崎の浜で漁民総出で待っていた。顔見て安心し笑顔になった。

「文兵衛さん、おおきによう助かりました」

「危なかったけど何とかなったよう! ご心配おかけしました」

 三つぐらいの子が、握り飯を持って来た。塩効きうまかった。

 砂浜を歩くと、見慣れぬが船打ち揚がっている西洋の難破船だ。

 (来た時夢中で気付かんかった)

 繋いでいた馬に乗り、下津から片男波に帰ると、疲れからか文兵衛は部屋で、泥のように寝た。



     第十九章「紀伊國屋文左衛門」紀ノ国屋文左衛門と名乗る。



「文兵衛どの! おられるか」

 表戸を叩き呼ぶ声がする、辰の上刻(午前八時)だ。

「これは、高松河内神主何か」

「鮫退治聞きましたぞ、それで藩主が昼に褒美を下さるそうだ」

 侍姿の裃を、目前に差し出す。

「失礼なき様にこれを着て、和歌山城へ行きましょう案内します」

「分かりました、用意します」

 二人は昼前に、和歌山城正門入りすぐの広場に着く天気はよし。

 (ドンドンドン、ドンドコドン)

 和歌山城の陣中大太鼓が、町なかに鳴り響いた。

「此より藩主光貞公が直々の、表賞式なり文兵衛出ませい!」

 文兵衛光貞公御前に、かしこまってまかり出る。
    
    紀州徳川家二代藩主の徳川光貞公よりの感謝状と賞金を受け取った。藩主光貞広の横にはお紋の方(お由利の方)がいて、目を細めて笑っていた。

「そのほう藩命の鮫退治、大義であるよって金千両及び武士の名を摂らす、此より文兵衛改め文左衛門である!」

 光貞公より直々に、感謝状を受けとる。

「このたびの働き見事である。うむ儂は紀州藩関口流指南役の佐々木利平より聞き及んでいるが、そのほうは関口流のかなりの使い手で有るとなっ?」

「はい佐々木利平師範より、幼きころより手ほどきを受けました!」

「ならばこの場で、御前試合をしてその成果を、見せてもらえぬだろうか?」

 嫌もおも無く、試合の場が設けられた一同が皆注目する。とても断れなくなって承諾する。相手は柳生新陰流の遣い手、後藤兵介という者で指南役を狙っている。

 二人はしないを持ち対峙する、ふと相手を見ると、どういうわけだろうかって神社で練習した人形に見えてきた、ならばやりやすい。


    後藤兵助はしないをとって二間ばかり飛びさがった。
文左衛門はしないを双手(もろて)上段に振りかぶった。後藤は青眼に構えている。文左はかまわず摺り足で詰め寄るとニ手三手しないを合わせる。

    そのまま文左衛門一気に間合いを詰める、後藤は上段から打ち据えてきたが、かまわず身体を移動しそのまま付きを入れ軽く胸をえぐる、そのまま後藤は後ろに思い切り転倒した。

 「まて勝負あった! おふたがたそこまでだ」

   即刻審判が、試合を止めに入った。

「お見事で御座る、どうもこのめでたき時に無理を頼んだ! これでお開きにいたしたい、文左衛門どの誠にご苦労様であったのう」

 ドンドコドン、再び太鼓の音の後、折り詰めと酒を賜り、和歌山城を後にする、これで一気に文左衛門の名が紀州中に広がった。
    
    此処でお断りしておきたい、柳生新陰流といえば名門中の名門であるが、残念だが関口流は紀州藩の者しか知らない流派である、しかし勝負事はきびしく、あっという間に柳生新陰流は徳川家の第一線から退きました。宮本武蔵のゆかりの関口流がかっての因縁に、いっしを報いた事に成りました。

   いかに名門であっても、その時期に名人といわれる剣豪が出なければ、その流派は自然と廃れてしまうのである。

 帰り加納家に寄り藤林正武どのに礼を述べ、裃を返し酒と折詰めを心付けに進呈した。

「でおぬし、その時何も要求せなんだのか?」

「はい本当は下津の難破船の修理許可と、修理終了後にはその船を私どもに、賜りたいのですが?」

「ではわしから藩に要請しておいてやろう……それにお主は既に源六君の家来に等しいのだよ!」

「ですが、私は商人の方が合っていますので御座いますが……。」

「ハハそれで良いのだよ今までどうりで、それと紀州藩より武士の名を貰ったそうだね、山本文左衛門だったかそれとも、五十嵐文左衛門だったかな?」

「はいでも私の屋号が紀文ですので、此からは通り名として紀伊国屋(紀ノ国屋)文左衛門と名乗ります!」

「そうかぁおぬしの気のすむように、名乗れば良いではないかまあこれで、お主も武士の身分と成ったのである!」

    今は江戸時代の戸籍は、ないしこの後紀州から江戸に移り住んだので、紀文の戸籍は今となっては通り名だけ残っている念願どうり紀伊國屋文左衛門と、この小説では私はただ読みやすい今ふうに、(紀ノ国屋文左衛門)と記入してだけなのです。

    この頃厳しい身分制度あり、かよの為にも武士の肩書きは行く末、必要だと思ったのである。

 部屋にお紋の(由利の方)方が、入って来た。

「これはお由利の方様、へへい」

 藤林正武がその場で、手を付き頭を下げて平伏した。

「そちが鮫を退治した文左衛門どのか、若いのに強かなる者だ、私には近しい者が少ないよって、わが子源六共々これからも、よろしく頼みますぞ!」

 常々お由利の方は、お城の二ノ丸で住んでいるが乳母が加納久通の奥方なので、乳離れした源六君を連れてたまに加納家に遊びに来るらしい。

「あの城勤めは、無いのですね」

「勿論です影となり助けてくれれば、それでいいのですよ」

「何ほどの事も出来ませぬが、私にできること成れば何なりと!」

「ああ嬉しや! 頼みましたよ」

 言うと軽く会釈し部屋を出て行く嵐のようなお方様だ、しかしその身のこなしは鋭く忍者のようである、文左衛門には解るのだ。

「これでお主も万々歳である、お由利の方の力添えも有るからの」

「はい総て藤林様の、おかげでございます……。」

    紀州藩にも派閥が有り、根来衆は二代藩主光貞の派閥なので、紀文も光貞派と成りました。

 文左衛門は頭を下げ、部屋を出ると待っていた高松河内に、褒美の千両箱預けて片男波に帰る、作り置いた茶粥を食べて即刻寝た。

 明くる朝魚屋の仕事に出るその段取りをしていたら、見かけぬ者が訪ねて来た。


    第二十章、難破船の修理


「あのう、紀ノ国屋文左衛門さんですか?」

「そうだが、あんさんはどちらさんです?」

「あのう私お手紙貰いまして、白浜の安宅から来た船大工ですが」

 文左衛門に、深く礼をする。

「おお待っていました、船は下津港の大崎に打ち上げています」

「此処に来る途中にそれとなく観て来ました、南蛮はスペイン国のガレオン船でしたね!」

「詳しいのですね、へぇスペイン船でしたかならば外交問題にでも成りますか?」

「あっそれは心配無いですよ今日本は鎖国中なので、スペインとは国交ないので大丈夫です!」

 大工はおもむろに、手帳を出して観たびっしり書かれている。

「治りますか、ぼろ船ですが?」

「ええ西洋船は頑丈ですし、船底の穴を治せば済みますよ」

「藩の許可下りたら? お願いしようと思っています」

 文左衛門は笑顔で言った。

「藩からのお達し有り来ました」

「へえ早いですねえ、和船仕立てに治して欲しいのですが」

「それは出来ますよ、我が国の安宅船形式に成りますがね」

 大工は図面を見せながら、文兵衛に詳しく説明する。

「文左衛門さん、あんたどえらい船見つけましたねぇ、この船は世界中を股にかけてる船で、龍骨張り巡らして、今の日本では有りませんやろ、弁財船で例えると二千石は有りますやろ、で修理の細かいところは、私共に任せて貰えますやろか?」

「はい、祖父武兵衛より安宅衆の優秀な事は、聞いてますのでおまかせを致します」

「外国材は無いので、日本の木材で代用してもよろしいですね?」

「はいそれで結構です、では宜しくお願いします」

「了解得たので、今日より修理にかかります、なお御要望有れば現場にて賜ります」

 大工は要件述べると、さっさとその場からいなくなった。

 文左は鰻を積んで街に出る途中に、玉津島神社に寄り鰻をお裾分けする、巫女かよが待っていた。

「文左衛門さん毎度すみません」

    文左はこの笑顔には全く弱かったのだ。
    この日は鮫退治の効果で繁盛する、噂を聞いた娘らは、文左衛門の顔を一目見ようと集まる、歌舞伎の人気役者のような、端正な顔顔だちに、娘らは萌えるのだ。

 年明け貞享三年(一六八六年)睦月(むつき一月)文左衛門は満十六歳である。

 元禄時代まで後二年である。一月五日に魚市場は、三本締めして大発会し初仕事が始まった。

 心引き締め、良い年でありますようにと神棚に祈った。市場の周辺はねこが多くねこだらけであったが、人々は招きねこと言って可愛いがったけれど、あまり増えないねこの需要があったのか……。
    毎日が忙しく朝は魚市場、くれ六つ(午後六時)まで棒振り仕事して、帰りに下津港は大崎で、船の修理を見る日課になっていた。猫の手も欲しいほどであったが、玉津島の巫女のかよが、友達を連れて手助けに来てくれるので、何とかまわっていると思っている。

   もちろんかってに和歌浦から自分で馬に乗ってやってくる、海南の下津まではかなりの距離あるのですが、馬に乗れるので毎日平気な顔してやってくるのです。どうも武家の娘なので、おてんばで勝ち気な所があるようです。

「かよさん、何時もすみません」

「いえかってに来て、ご迷惑ではなかったかしら?」

「本当に助かっています、これこの間夜店で買ったかんざしですがどうぞ使って下さい」
   と言って紀文はかよの髪に、かんざしを挿してやった。

   確か前から緋牡丹のかんざしを挿していたが、どうも玉を無くしたようだ、で紀文が探して来た。

「まあ嬉しいわ、ねえどうかなこれ、私に似合うかしら?」

   かよはよっぽど、嬉しかったのか貰った緋牡丹のかんざしを、鏡に映しては何時までも観ていた。

「どうでしょうか、傷の程度は」

「はい、大丈夫ですよ傷は浅いです、ただガレオン船は帆柱三本有りまして大小二本にしますよ!」

「一本は折れてましたしねぇ」

 よく観ていると驚く大工。

「あと船上に縄がどっさり有りまして、今逸れを撤去してます西洋の船は竜骨があって、とにかく頑丈に作られています」

「では少人数でも操船出来るように、改造をお願い致します」
    そう文左衛門は大工に言った。

「この間役人が来まして、船の大砲十門持って行きましたよ」

「商船だから仕方ないですね、それではまた来ますので宜しく」

 心強い返事に、紀文は満足した。

   徳川の江戸時代は、なぜか日本の技術は遅れて退化していた。

   新しいものを好まない為か、鎖国政策の為か?    その間に世界の技術は大幅に進んでいた。

 日も暮れて来たので片男波まで馬を走らせ帰る、途中紀ノ川で鰻の入る竹あみ筒籠も揚げた。

 家も手狭になって来たので、高松河内に頼んでいた、少し広い和歌浦南の屋敷に引っ越しました。

 (紀文)の看板を玄関前に掲げ、従業員も五人増やして総勢六人となる、いよいよ魚屋から念願の、回船業にと進出しました。

「よっしゃ、やったるでえ!」
    その時若い紀文の、心の奥からから出た叫びだった。

 (紀文)は魚市場の仲間株を手に入れ、仲買いから侍屋敷への小売りまで手堅く商いをした。

 (船修理したら水夫いるなあ、人が足らん回船業務に戻るからな)

 毎日夕方に文左衛門は、下津大崎に通っては、船の修理状況を丹念に観ていた。    

 船底の穴は塞がれ下津を流れる加茂川の河口に浮かべて、上部を和船仕立てに改装していた。

 下津は海南にあり、有田の箕島はほんに目と鼻先である。

「紀ノ国屋さん、大分出来ましたよ、それで船名は考えてますか」

「凡天丸にしようかと思っています、梵天丸ではおこがましくて」

「梵天丸は伊達政宗の、幼名ですからね」

「凡天丸は、梵が違いますからね、さすがに有名人の名をそのまま使うのは気兼ねしまして、それで凡天丸としました……」

  一呼吸して、続けて文左衛門は言った。

「修理中大きいと思ってたが、水に浮かべると意外に小さく見えますね」

「そうですか中に入ると、かなり広いですよ! 日本の船ならそう二千石船ですかね?」

「毎日観てると、ほんま楽しいですね!」

「文左衛門さん藩に船名を、申請して下さいね」

「はい屋号と船名を、早速に登録しますよ!」

 (これで屋号は紀ノ国屋、船の名は凡天丸と決まりだなぁ)

 江戸幕府は鎖国により(一六三五年)大型船製造の禁止をした。

 けれど(一六三八年)に荷物船に限り解禁したが、その影響で大型船は一時的に減ったのだ。
    文左衛門は和歌浦魚市場は従業員に任せ、自分は海南は下津大崎でぼろ屋敷を買い、周辺の若者を集め、水夫の訓練を壱からする。

 船員すぐに集まらないので、文左衛門は近辺の若い漁師の中より仕込もうとしました。

 教師には祖父の船頭仲間に頼み、自らは関口流柔術を教えた。

 如月(きさらぎ二月)で底冷えする。外は雪が舞っていた。文左は忙しくても侍屋敷は自分の持ち場と、心得て得意先を廻っていた。

 加納屋敷に来て御用聞き伺って台所方に入った。応対するお女中に言った。

「ええ今日は脂のった寒ぼら、どうですか美味しいですよ?」

 桶から生きのよく、飛び跳ねている寒ぼらを皆に見せる。

「まあ丸々して、ほんとにこれは美味しそうだわねぇ」

 そこへ加納久通奥方の乳母に連れられて、源六君がよちよち歩きでやってきた。にこりと笑う。

「あっ文左衛門それはぼらか」

「源六様、また持って来ましたよ新鮮で美味しいですよ」

「好物じゃ今からさばいてくれるの、よろしく頼むよ嬉しいな!」

 理発な子供だ、奥方が言った。

「あのう文左衛門さん、お由利の方よりお預かりしている物が、御座いますのよ」

 と言うなり本を出す、(元和航海記)池田好運著作の、その当時幻の本である、西洋の天文航海術を表した、当時の帆船運用に於いて極めて優秀なる幻の本であった。
    鎖国により、船も小さくなりその影響なのか、地乗り航行が主になって船底を陸近くの岩に、ぶつけるなどの航海事故も、当然多くなっていた。

「これは貴重な本ありがたい、お方様には文左衛門が、お礼を言っていたとお伝え下さい」

 言ってから、頭を床に下げる。

 お由利の方が至れり尽くせりの事、それは紀文を根来忍者と知っての事と思われるが、藤林正武の口添えも多分に影響していると思われる。

 (心かけてくれるお方様だな、いや紀州藩主徳川光貞公の心も入ってるのだ)

   その期待にたいして、めがねどうりの働きを後にして、根来忍者を徳川幕府の中央に、押し上げるきっかけと成るのである。

 弥生(やよい三月)、待っていた紀州藩からの許可が下りた。

 紀ノ国屋の屋号と回船業務の許可、凡天丸の使用名である。逸れを聞くと、もう舞い上がるほど嬉しかった。

  矢も楯もたまらず、先ずはかよに言ったら、自分の事のように喜んでくれる、その場にいた皆にも大声で報告した。

 皆大いに喜こぶ、船も大分仕上がっていたので、次の日早速伊勢にある木綿屋に、厚めの帆布を注文した、もちろん丸に紀の字を入れた帆布である。
    紀文は元々明るい性格だったけれど、最近はつとめて明るくしている、逸れは目には見えない運を意識しだしたからである。

   不運な人の元には貧乏神しか寄り付かないからだ、人の集まるところに金も(福の神)も寄って来ると信じているからである、それは迷信かも知れないけれど、福の神どうも陰気な人は苦手で、近寄り難いのかも知れません。


   第二十一章、かよと和歌祭り


 弥生(やよい)三月二十六日玉津島神社の巫女かよを誘い、桜を見に紀三井寺に行く、花の紀三井寺はもう満開だった。

 山頂のお堂に登る石畳の中ほどで、かよの下駄の鼻緒が切れたので、仕方なくおぶって登る。
    寺のからの景色は見事で美しく一面ピンクの絨毯みたいだ。

「兄さん、見せつけてくれるやないか! 儂も混ぜてくれるか」

「うん邪魔するな、早々にあっちへ行きなよ!」

「何だとこのやろう、なめくさって痛い目に会わしたろか!」

 与太者が絡んできた、仕方なくかよを降ろすとその場で、相手を先ずは中国拳法(太極拳)の熊手でアゴに一発打つ。

「アッタア!」

 後は合気でひねり上げ投げ飛ばす、それが効いたのか相手は、悲鳴あげ慌てて逃げて行った。

「ふん、口ほどにも無い奴だ!」

 再びおぶって階段降りる、重く感じない久しぶりに、楽しく満ち足りた一日だった。

(文左衛門は思う、かよはよく暴漢に襲われるなあ今までは自分が居るときだから、何とかなったけれど不安だな……)

「かよさん今日から毎朝、合気技の護身術を教える!」

「女の私に武術を!     きゃしゃな身体でも、大丈夫かしら?」

「合気技は力で無く気だから、女の子でも出来ると思うよ!」

「ふうんだったら、少しやってみようかしら」

   逸れから文左衛門は毎朝柔らの特訓を、かよを相手にする。合気は文左衛門も正式に習ったことはない、だから初めは関口流の基本から教える。

「そろそろ合気技もやってみようか、合気は義経流でもある!」

「エッあの有名な、源義経ですか是非にも習いたいですわ」

「今は大東流合気術と言いますがね、剣術を除く柔らが主体です」

   今までの経験で出た技を工夫して教えるが、合気とは本当は技ではなく、気であるけどそれを言っても今は無理だと思う、接して身体で覚えるしかないのです。

   文左衛門は必死で手取り足とり教え女といっても甘やかさず、きびしくで接したが、かよは好いた男に構って貰えるのが嬉しいのか笑顔で楽しく練習に励んでいる。
    かよは神社の巫女で神楽舞をたしなんでいるので、合気の動きと通じるものがあるのか、覚えも早く直にさまになってきた。

   というより特殊な能力を持つ者の、近くに居るとその能力は移る事があるみたいです、とても不思議な事ですが文左衛門が舌を巻くほど、見る間に上達していきましたが、中国拳法の太極拳で習った急所の経絡秘孔は教えなかった。

   戦争中で無い、平和な世の中では如何なる悪でも、人が死ねば裁かれる側となりえますからねえ。

     強いが故に一子相伝の拳法、太極拳に一抹の不安を感じました相伝者も事故で亡くなれば、伝えるすべがなく優れた技も消える。

  (あの太極拳相伝者、チャイナ娘は今どうしてるかと、ふと思った)

 桜を観てその花も散る、卯月(うづき)四月を過ぎると。

 それからすぐに、和歌祭りがある。せがまれて行くことにした。

 皐月(さつき)五月の第二、日曜日(ドドドンドン)と太鼓が鳴り響く和歌祭りである。神君家康公を祀る、和歌浦東照宮で年一回この祭りは開かれます。
    玉津島神社の巫女かよと、文左は和歌祭りを見に来た。

 (神輿)は三台、神殿「本殿」から百八段の石段を降りると、片男波御旅所まで、神輿と徒千人ほどが外人含めて五キロを練り歩く。

 先頭は根来衆が勤める根来同心組である。模様しとして文左も片男波相撲大会を楽しんでいた。

   場にいた人々は文左衛門の細身の体つきを見て、これはすぐに負けるだろうと思っていた。

   文左衛門もはじめ適当にしていたが、関口流や合気技が次々と決まりだす、もう無我夢中になり相撲大会で優勝しました。

「賞品は何か出るのかな?」

「へい鯛と饅頭が一折出ますよ」

「良かった!    饅頭はかよさんの大好物でしたよねぇ……」

「はい、私とても大好きよ!」

 藩主御座所から、その様子を観ていた侍がいた。

「あれは文左衛門ではないか!」

藤林正武が指差して言った。

「そなたの弟子、文左衛門か?」
    お由利の方が見たところ、この前よりかなり若く思えた、藤林は手を振り大声で紀文に合図した。

「これは藤林正武師匠、ご無沙汰しております」

 頭下げる紀ノ国屋文左衛門。

「隣りにおわすは、お由利の方で其方にお声掛けてくださった」

 見ると少し大柄だがその引き締まった身体、仕草は上品だが尋常で無いものを感じた。

「文左衛門源六だ、久しいのぉ」

 横にいた二歳過ぎの、若君が言った言葉がしっかりして来た。

「これはご丁寧な挨拶、有り難き事に御座ります」

 深く頭を下げ一礼し、その場をかよと共に立ち去った。

 戻り御輿が担がれ祭りは、絶好調で花火も打ち上げられた。

   二人は仲良く話をしながら、和歌浦にある各自の家へ歩いていたら、酒に酔った若者二人がからんで来た、いつもの様に文左衛門が相手になろうとかよの前に出た。

   すると後ろにいたかよに袖を引っ張られ止められる。

「今日は私に任せてくれる、では緋牡丹のかよ只今参上、皆様方お相手をつかまつる!」
    逸れを聞いた男達が、いきり立ってかよに向かって来た。

   かよは両手を前に開いて、ぐっと腰を落とし、合気八想の構えで身構える。

「生意気な女、手加減無しや!」

「えっい、やあ!」

   かよの高い声が、こだまする。 二人して前後から、襲いかかっていったが、あっという間に左右に投げ飛ばされた。

「ううっ、なんという女だ!」

   見事に合気の四方投げが、決まったのだ。

「ねえまだやるの、お兄さん方」

   腰を打ったのか、半泣き顔だ。

「いえ!    お見逸れ致しました」
    酒に酔った若者達は、いっぺんに酔いが覚めたのか、足を引きずってその場から逃げて行った。

「ははん、女だと舐めんなよ!」

「かよっ大丈夫か、何ともないか?」

「快感、気持ち良かったわ!」

   今更ながら合気技は凄いと、再確認した文左衛門であった。

 帰り際かよを引き寄せて、ほほにせっぷんしたら、耳元からほほを赤く染め上げ、その場から逃げるように、ささと帰って行った。

 (ああ早まった、嫌われたかな?)

   文左衛門は帰ると、すっかり暗くなった空を見上げて、一面に散らばる星々を見る、すると気持ちも晴れ、早速寝床に入って寝る。


   第二十二章、嵐の五十日


 皐月(五月)ようやく凡天丸の修理も出来て、喜びもひとしおだ。

 紀州有田地域の山々では、蜜柑の白い花が一斉に咲き、山が白くなったように見事である。文左衛門は忙しく動いた。船に乗る人集めや資金繰りに、苦労した。

 貞享三年文月(七月)三日、文左衛門は満十七歳となった。

 紀文の心はもえていた、青春は炎のごとくである。

 そう青春は誰にもあるが、それぞれ一度しかないのだ。何をしても悔いなく生きたいと思う紀文。

 七月七日たなばただ、凡天丸が海草郡海南の下津大崎にあるせいか、文左衛門の行動範囲が和歌浦から、海南の下津や蜜柑の里有田の箕島に移っていた。

 今日も有田周辺を、かよを誘って馬で一駆けしてて来た。かよを和歌浦まで送って、また有田地域をうろうろしている。

「おっ空が曇ってきた、こりゃもう直に一雨あるかな?」
    有田川近くの箕島近辺を、馬に乗ってうろついている時、突然俄雨が降って来た、近く箕島神社に雨宿りする。

 境内に、見掛けぬ男がいる見たところその若者は、自分と同じ年頃のように思われる。

「お主見かけん人やけど、馬に乗って豪勢やの! おっと失礼しました、私は高垣亀十郎と申す若輩者で蜜柑方荷親をやってます」

「そうですか、私は紀ノ国屋文左衛門と言う最近下津の大崎で、回船業をやり始めた若造です」

 文左衛門は濡れた服を絞る。

「私は親に先立たれ、十六歳から商いし今十七歳と成りました」

「そうですか奇遇ですね、この私も十七歳です」

「へえ、そうですか? 二十歳ぐらいに見えましたがねぇ……」

「此から宜しく御願いします」

「こちらこそ、お頼み申します」

 二人は固く手を握り締めて、此より友達と成る事を誓った。

 それまで友人はいなかったのである。最初の友人となった。

 箕島神社は(祭神水主明神・素戔嗚命)で、海運陸運交通の安全を祈願する人々に尊崇された。

 雨はあがる参拝した二人は別れて、文左は下津まで馬飛ばす、山では蜜柑の青玉が成っていた。

 文月(七月)十日、凡天丸は修理成って処女航海に出発する。
    安全を考えて瀬戸内は長州行き航行で、九州博多港まで行く。

  湯浅から醤油・備長炭・鰹節などを運び、九州博多や長州からの戻り荷は、主に米を天下の台所大坂まで運んだ。

   博多港で下船して、博多の町中を皆でぶらりと観て廻った。

「九州博多は美人多くて人もさばさばして、叉来たかっのう!」

「小僧さん、この船どでかいですなぁそれに南蛮船みたいに、がっしりとしてますね?」

「あのう……失礼しますが、この御方が船主の紀ノ国屋文左衛門です、どうぞ宜しくとの事です!」

「ハハハ、それは失礼しました」

  どうもこの頃の文左衛門は、いつも若く見られるのである。聞いた人もばつが悪いのか、知らぬ間に居なくなっていた。

 訓練の成果が出て七月二十日無事、下津の大崎に戻って来た。

 喜びはひとしおで、文左衛門は笑顔で言った。

「皆様ご苦労さんやの、次もこの調子頼むでぇ!」

「へえ、わてらも楽しみにしてますよう」
   宴会し皆の無事を喜び称えた。

 葉月(八月)に入り有田の蜜柑産地から有田北湊の、蜜柑方の倉庫にどんどん蜜柑が集まっていた。

「今年の蜜柑の出来は最高や」

「うん大きさも味もええし」

「そら楽しみやの、ええ正月出来るろ」

 蜜柑方は活気に満ちていた。蜜柑は紀州藩の統制品で、蜜柑方荷親組合いが小売りをのけて紀州蜜柑を扱っていた。

 有田組合株主十九組、海草郡組合株主四組が独占して、藩内のみかんを仕切っていた。

 長月(九月)二日過ぎから嵐が来て、海は時化て大荒れになって来た。すぐに回復するやろと、待っていたが回復はなかった。

 幸い蜜柑は倉庫に既に運び込まれて、所狭しと積まれていた。

 神無月(十月)十日過ぎても、嵐と時化は治まる気配は全くない。

蜜柑方荷親組合員は頭抱える。

 十月十一日文左衛門は有田川周辺を馬で観て廻った。鰻の仕掛けをするための場所を探していたら有田川の橋近くで、老婆がうずくまっていた。

「どうなされた?    どこか悪いのですか」

「あぁどこも悪く有りません、ただ腹が減って動けません蜜柑が売れなくて米買うお金も無いので」

「そうですか取りあえず、私の持ってる握りめし食べて下さい」

「どなたが知りませんが、ご親切ありがとう御座います!」

   老婆は手渡したおにぎりを、受け取ると貪るように食べた。

「この世に神や仏はいるのでしょうか、悪い事が続きますのう?」

「どうでしょうか、人の都合で神はいませんが人の心に:神が住むならば助ける神も現れるでしょう
   「どうも愚痴を言ってしまいました、おにぎりごちそうさま」

「いえいえ、では失礼します」

(まず思いそして願いあり、逸れを叶える事が商人だ!)武兵衛の教えが紀文の胸に蘇って来ました。
    それは科学(発明)の世界でも有り得る事ですがまず分からない事をメモしておきます、とある時一機に解る事が有りますヒラメキそれが発明なのではないかと思います。

    まあヒラメイた時嬉しくて人に言いたくなりますが、ちょっと待って下さい ここで注意しておきます、発明出来ぬ者は何とかして人のアイデアや製作物を盗ろうと、必死なのです気をつけて下さいね。

 箕島神社の前で辰の上刻(午前八時)に、高垣亀十郎とばったり会った。

「おう高垣亀十郎どの、久しいのう紀ノ国屋の文左衞門や」

 馬から降りて馬を繋ぐと、その前をゆっくり歩く。

「文左衛門さん、みかん方と船主の寄り合いには、行かへんのか」

 文左衛門は、何か不思議そうな顔してる。

「それは何の、寄り合いかのう」

「紀州回船の船頭と、蜜柑方荷親の話し合いや、昼会議あるんや」

「儂はまだ紀州廻船に新入りなので、まだ認められて無いのや!」

 情けなそうに頭をかいた文左。

「そうか悪い事聞いたなぁ話しは蜜柑の船出せ出せんの、押し問答で結論のない会合やと思うけど」

「そうかぁ皆生活と、自分の命懸かってるから必死なんやろ!」

「それじゃまた遅刻せんよう、今から行ってくらよ」

「ではまた、引き留めてすまん」
    その日の午の刻(正午)寄り合いが始まった。蜜柑方と船主の意見は平行した。時化と嵐で誰も船を出そうと云う者はいない、調停役の藩の役人も、困り果てていた。

「そらあ金も欲しいが、命も惜しいさけいのう!」

「儂らはかかあも、子も居るしのう……」

 今日も堂々巡りの会議となりそうです、まとまりません。

 現代的に言えば、台風が三つほど来たようなものである。台風の当たり年であったのだ。

「海で育った男が、誰ひとり行く者無いのか! エエイあまりにも意気地無さ過ぎる」

 高垣亀十朗がたまらず激昂して言ったけれども、本人は船も無く経験もないので、それ以上は何も言えず口をつぐみました。

「誰か知り合いに、いないか?」

「あのうお役人、一人だけこころあたりか御座います」

「それは誰かね?」

「それは、私の友人の紀ノ国屋文左衛門さんです!」

     紀文はその頃近くの滝で、無心に流れる水に打たれて来るであろう要請の吉凶を、予知していました幸い吉と出ました。何だ占いかと思われますが何もしないで、引き受けるのは逸れこそ無謀で有ります。

「あの鮫退治の紀ノ国屋文左衛門か、ウムでは上にはからって、早速行ってみよう!」
    十月十五日の暮れ六つに(午後六時)下津大崎の紀ノ国屋に、藩お勝手方の水野忠勝が訪ねて来た。

「儂は藩お勝手方水野忠勝と申す者、文左衛門どのは御在宅か」

「はい、私がその文左衛門です」

「おっと、お役人どうぞ上座へ」

「今日は貴殿に藩主からの頼みがあって参った。それはまたお由利の方が願いでもあるのだが!」

 聞いた文左は、額の汗を手ぬぐいで拭く。

「それは何でござりましょうか」

「今藩の蜜柑方は困っている、このままだと有田の地域全体が干上がってしまう、それで頼みたい江戸へ蜜柑を運んでくれまいか?」

「そうですねぇ、はいその事喜んで私がお引き受けしましょ!」

「助かった御願い申す、蜜柑の値段は、西村屋小一と相談してくれるか、あっそれとお由利の方からは、船磁石と望遠鏡を預かって来ましたが、受け取ってくれるか」

「はい御配慮のほど有り難く思います、では確かに受け取ります」
    その西洋風望遠鏡は、直径十センチあり、前後に伸ばすと五十センチあり、三十倍大きく見えた。

「それと紀州藩御座船の印し、旗差し物も預かっている」

「それは心強い御墨付きや! 船の関所も素通り出来ますなあ」

 これで凡天丸は、紀州藩御用立て船と成ったのである。

 こうして文左衛門の、江戸行きは決ったのです。幸運の女神が微笑んだら躊躇無く前髪を捕まえなくてはならない、迷って一瞬を逃がして、後ろ髪掴んでもするりと滑って抜けるのである。

 十月十六日文左衛門は蜜柑を買う為、資金集めに走り回った。

 和歌浦の店屋敷や魚市場の仲間株、それと下津の屋敷を担保に神主高松河内に頼み、神社金融で千二百両を作ったのです。それは文左衛門の今ある総てであった。
    その頃の一両は値打ちあり(一両は四千文・一文を二十円と計算すると)八万円ぐらいであったと思われる。お金も変動するである、一両は六万円の時代もあった。

 大工の日給は銀五匁四分(五千四百円)米一升五十五から七十文(八百二十五円~千五十円)だった。

 十月十八日有田北湊蜜柑方会所の元締め西村屋小一の店に若者がやってきた。

「あのぅ、私はみかん買いに来ました」

「おおそうかぁ、そこらへんにある蜜柑どれでも一籠持って行ってくれ金は要らん」

 邪険に言う、紀文は店の周りをキョロキョロ蜜柑を探している。

「けったいな人やな背負い籠ですか? 今倉庫開けますよって」

 ギギギイ倉庫の扉が開かれた。

「わぁ西村屋さん、どえらい蜜柑の量ですなぁ!」
    西村屋小一ジロと横目で睨む。

「まあこの倉庫内だけで、八万籠は有りますやろうなっ」

「ほなそれみな買おか、一籠四貫目(十五キロ)で八万籠全部や!」

「えっ! もしやあなたは、紀ノ国屋文左衛門さんですか?」

「そう紀ノ国屋の文左衛門です」

 文左衛門は、にっこり笑う。

「すみません知らずに、蜜柑方役人に聞いてます御願いします」

「あのそして値段の事ですが?」

「値段はあって無いようなものですな、このところの暴落相場で目開いたら損嵩んでますよってに」

「ここに千両用立てました。今これで仕切ってください、江戸に着いたら相応に出しますよって!」
    「うんまだ若いのにえらい男や!    それで船はどこに在りますのや」

「へい下津大崎は加茂川河口に留めています、そやな有田の橋から陸路で運んでくれませんか?」

 西村屋小一、パンと手を打つ。

「それは有り難い、今北湊は時化でどうにも動き取れませんので」

「ではそういう事で、宜しくお頼みしますよ!」

 これで蜜柑の交渉は成った、意気揚々として文左衛門は帰る。

 十月二十日、下津大崎の屋敷で訓練生三十人に江戸行きを募集する。長男はのけ命惜しむ者も省いたら十一人が残った。文左衛門入れて十二人であった。

「意外に少ないな、仕方ない誰も命がけだと尻込みするやろ」

 去るものは、追わずである。

 後お由利の方から藩船運用に長けた、根来同心組より三人来たので総勢十五人になった。

 十月二十五日、船に蜜柑八万籠が積載と連絡が入った。

   第二十三章、江戸に船出する

 嵐と時化は五十日経つが収まらなかった。
    「紀伊国屋さん、高垣亀十郎ですこの度助かりました。私も江戸へ連れて行って貰えませんか?」

「でもこの仕事は、まさに命がけだよ!」

 文左衛門は亀十朗の、顔をぐっと覗いた。

「覚悟の上で御願いします、私なら江戸の蜜柑方にも詳しいです」

「まあ人手も足らんし、こちらは願ったり叶ったりですよ」

「それでは、良いのですね!」

「うん、先ずは十両です良いですか? 着けば三十両出します」

 これで総勢十六人になった。 

 霜月(十一月)八日は、いよいよ江戸のふいご祭りだ。それまで蜜柑を送らねばならない。

 ふいご祭りは鍛治屋や鋳物師などふいごを扱う職人達の祭りで子供らは祭りにまかれる蜜柑を、楽しみに待っています。毎年その日まで紀州から蜜柑が届けられた。

 文左衛門は皆を集めて言った。

「なんぼ時化や嵐やとて、紀州から江戸へ一艘も出せんのは、紀州商人や船乗りの名折れや、どうしても儂は行くで!」

 高垣亀十郎も続けて言った。

「その通りや、有田の蜜柑農家や問屋もそれで、頭を痛めてましたんや!」

「この凡天丸に積んだ蜜柑が唯一紀州商人の誇り、命懸けても祭りには間に合わせるつもりです」

「それで、いつ船を出しますので?」

「皆の安全考えて嵐治まるの待ったが無理やった、いよいよ二十九日に船出します、紀州の心いき見せるのはこの時や皆頼むで!」

「へい、一つ聞きたい事おますのやけど宜しいか?」

「おう何なりと聞いてくれ!」

「あのう……(紀文)の若旦那は死ぬのは怖くないのですか?」

「怖くないと言えば嘘になるがのう、あまり考えないようにしているのだ!」

「その時来たら思うと、もう恐ろしくて体が固まっています!」

「人生は短い、やるべき時やらなんだら、この世に悔いが残るで」

「そしたら、あの世とやらは有るのでしょうか?」

「この世に生まれて、この世あるのを知ったけど、まだあの世行ってないので解らないなぁ!」
    そう言って皆を、見渡したが意外と恐怖の顔はなかった。

「そうでんな、聞いて何や吹っ切れました、要らんこと聞いて済みませんでした!」

「いやぁいいさ、儂とて不安で怖くなった事もある。今度は成功するかどうなるのか分からない?」

「でも若旦那は、いつも堂々としてますよねぇ!」

「うん人には持って生まれた運とかさだめがある、ただ後で後悔したくないのだ、我が人生思った事をやるだけだ、結果は運しだい」

「へい分かりました、その覚悟のほどをもう二の五と言わず、あなた様について参ります!」

 この一連のやり取りは、和歌山城下田中町の蜜柑市場に、流れると蜜柑相場は暴落から、昇龍のごとく立ち上がった。

 十月十八日、紀文は下津大崎の屋敷にて、船出の前祝いに皆を集めて心尽くしの酒盛りをした。

「やっと間に合うた、揃いの半天襟に紀ノ国屋、後ろに丸の中に紀と染めてある、みんなこれ着て行こう」 
    
    玉津島のかよも手助けに来ていた、高松河内のはからいだろうと思います。

「文左衛門さん、この人知ってますか?    昔は真田苔丸と名乗っていたそうです、分かりますか?」

「あっ根来の苔丸か、ゆえば面影ある、お主くの一だったのか?」

「はい藤林様の命令で、かよさんの元に手助け警護に参りました」

   見ると女らしく忍びと見抜けない、人は変わるものと感心した。

「逸れなれば心強い、はいこれで安心しました」

「はいお久しゅうございます、あれからもう十年になりますかね」

   紀文はすっかり変わった苔丸でなく、今はすっかり女らしくなった優奈を観ていました。

「すっかり女らしくなったな、かよの事頼みますよ真田優奈さん」

「私こそかよさんに、大事にして貰ってます、言い遅れましたがこたびの、船旅ご成功祈ってます」

 かよは船員に半天を配り、ご苦労様ですと声をかけていました。

「明日いよいよお立ちですね、おなごり惜しいですね……遠くから男児の本かいを祈っています!」

   かよは紀文の安全と成功を、祈る気持ちを込めて言いました。
    閏十月二十九日、辰の上刻(午前八時)以前に増して外は大嵐だ。

 下津大崎の屋敷を出た、十六人は加茂川河口堰に来て、船に取り付けた綱を引き寄せ長板を舷に渡し凡天丸に乗り込んだ。

「わぁ久しぶり、新船みたいだ」

「さあみんな気を引き締めて、行くでやってやれぬ事はなしや!」

 見送りは三十人ほどで、かよも涙こらえて手を振ってる、しきりに文左衛門に対し、強気のはっぱをかけているが、顔見ると目が潤んで涙目であった。

 そこに馬のひずめの音、かよの父親の高松河内がやって来た。

「おお文左衛門どの! 間に合ったこれは箕島神社の海上安全の御札だ、それではくれぐれも気をつけての……皆期待してますよ!」

「はあ有り難く思います、ではこれにてさらば、おさらば……」

 意を決した文左衛門、船を引き留めていた麻縄二本を、先祖譲りの波きり丸でスパッと切った。
   船出を見届けてかよは、近くの箕島神社に出向いて、海上安全の祈願込めて雨降りしきる中、お百度参りをしました。

   船名の凡天丸であるが、梵天丸でないかと思われる人も有りますが、神仏の名で有り伊達政宗の幼年期の名前でもあるので、あえてこの作品は凡天丸としています。

    
   第二十四章、嵐の中凡天丸は行く


「さあ錨を揚げよ! 皆行くで」

   ギリギリギイ、手回し巻き上げ機で錨を揚げる。風が強い帆をはってないのに、船は海に進む。

 下津湊から凡天丸は加茂川の流れに乗って沖に繰り出す、陸からかなり出て潮流に乗ってる、それで岩に乗り上げる事はない、波は予想以上に高く猛烈な雨が、甲板を洗うように降りそそぐ。

「神よ凡天丸を、守りたまえ!」

 天を仰ぎ見て思わず大声を張り上げると、皆文左衛門の顔見た。

  すると文左衛門は、祖先譲りの刀である、波切り丸のさやを払って天上に掲げ大声張り上げた。

「南無八幡大菩薩、八百万神々よ我らを助け賜え!」

「おおっ若旦那危ない、雷にうたれますよ」

「気づかいない心配するな、事成すに思う事信じ実行する事だ!」

「これから旦那どうします、陸づたいの近場乗りで行きますか?」

     近場航海(地乗り)とは、陸地を離れる事なく、沿岸の山容地形を目標として行う航海である。

「あかん、大胆にやらんと逆に危ない! もっと沖へ出すのや」

「ヘイこの大嵐の中、沖に船出して大丈夫ですかね?」

「あのなぁこの大嵐、今までの常識で物事考えてはいかんで、非常識の中にこそ突破口が有るんやないのかと儂は思っている!」

「へぇぇ、そうでしょかねぇ?」

 皆顔色青く、不安げである。

「文左衛門一世一代の大勝負、船玉大明神我らを守って御座る!」

「みんなええかあ、船を沖へ出すでぇ! 若旦那遠乗りですね?」
   船はさらに沖へと進む、文左衛門腰に縄をくくりつけ磁石片手に指図する、風は唸り上げて舞う。

 (ビュュウ、ゴオォゴゴゴゥ)

 寄せくる波は小山のごとく、連なり重なり襲って来る、船は上に下に木の葉のように翻弄され、生きてる心持ちもない。

「若旦那、嵐には一服ないんかのう! 雷神様よお手柔らかに?」

 舷から眺める海は、沈み込み船を引き込んで、ああ今度はもうあかんと思うが、叉急に浮上する。

   波をかぶって船上にそしてひざ下おおう、そんな波大したことないと思っていると、足を取られ流され帆柱で頭を打つ。

「ええい、帆を揚げよ帆を!」

「えっこの嵐に、帆を揚げるのですか?」

「速度上げて三角波を飛び超えて行くのや、そや船ごと大風受けて飛んで行こう!」

「おお怖! ほな皆さん方親方の指図出たよってに行くで」

「ああナンマイダブツ!」
   ろくろ仕掛けで、がりがりと上げるピイン風受け帆が張る、今にも破れんかのように、南西から吹く風を受け船足は飛ぶようだ。

 稲光りが頭上に走り波が船を殴りつけ帆柱は軋んで音たて、海水は怒涛のごとく頭上から叩きつける、みんなは海水をたらふく飲み込んで、激しく咳き込んだ。

 紀伊水道の難所、日の御碕を一気に超えた頃嵐も少し収まった。

「気を緩めるな波は高い、クソ荒波よ何時でもきやがれてんだ!」

 船を波が叩く、それを紀文はゴウシュ音頭の、太鼓のごとく聞いて歌い出した。

 (♪よいとヨイヤまっか、ドッコイさぁの~さあ、ああ黒潮踊る熊野灘、潮岬や大王の御崎~イ♪)

「若旦那まだ元気いっぱいで宜しいな、わてらもうじき限度です」

 皆命綱を緩め肩で息した。波をかぶったので身体が冷え、凍え死にそうに寒く震えが止まらない。

 雨や嵐は少し収まるが、時化はきつく上下左右波に揺られて、全く方向感覚がなくなり、船磁石に頼るしかなくなった。

「紀文の若旦那、大丈夫ですか?」

「ハハハッ何のこれしき、膝が笑うてござるわい!」

  言う間もなくどおうっと、大波が来て船外にさらわれる、帆柱にくくりつけた命綱を、手繰り寄せかろうじて船内に戻る事が出来たが、全く冷や汗ものであった。

   船は黒潮躍る本州最南端、串本の潮の岬や大島須江崎の沖を、東にまわり込み熊野灘から、伊勢の大王埼を遠く大回りし進んだ、みんな血の気無く青息吐息ある。

    日は出てないが昼間なので、外海はぼんやりと明るい難所は過ぎた、これで島に乗り上げる気ずかいはなくなる、船との衝突の危険もない、この嵐に船は一艘も出てない。

   紀文はと見ると、また俄かに歌い出している。皆気が狂ったかと心配そうに、紀文を観ていた。

「♪華のお江戸に蜜柑を運ぶ、度胸千両で生きる身だ。咲いた花なら一度は散るさ!    男文左の、男文左の心意気♪」

   高垣は辺りを見渡して言った。

「おおまともやないか、まあ少し狂ってなきゃ、やってられませんわなぁ皆様方よう!」

「へい、儂らも心配でのう……」

    夜に入って、空と海の区別も付かなくなった。凡天丸は暗闇の中ひたすら走り続けるのであった。

   灯台もないし陸の風景も見えずでは、今どこを走っているのか皆目見当も付かない有り様です。心細いなんのって皆は胸が張り裂けそうになるのをこらえていました。朝日が差してきて周りがぼんやり明るくなってきました。

    此処で紀文はどこからか、船上に和太鼓持ってきていきなり叩き出した。

(ドドンコドンああドドンコドンそりやドドントドンドンドンドン)

  腹に響く太鼓の音 これで皆の気持ちも高鳴り、明るく成り久々の笑顔も出てきました。

 音がする?    鳥羽浦の漁師が、何気にふと沖を見ました。

「おおい皆見えるか、この嵐の中に船が帆を上げて行きよるでぇ!」
    人々集まり沖見る波に消えては浮かぶ船がある、横で竜巻が揚がり暴れ狂う龍王のようだ。

「あれは人間業の船ではない、八大龍王の御座船じゃぁ」

 目を凝らしてよく見てると。

「帆にはまるに紀の字が有るで」

「おっあれは、紀州の蜜柑船や」

 皆はたまげて船を見ていた。

 (♪沖の暗いのに、白帆が見ゆるあれは紀ノ国蜜柑船♪)

 漁師町に後の世に歌い継がれた網引き音どである。

 新居の沖(浜名湖の近場)を経て

遠州・相模灘を、進む頃には日も差してきて、嵐も収まり時化も和らぐみんなの顔色も戻ってきた。

   まさにあの世の境目からの生還であった。陸上にいたならば途中から逃げる事も出来たであろうが何せ海の上だから、皆が覚悟決めなければならなかったのである。

「皆よう頑張ったのう品川までもう少しだ! 其処で検問ある」

「品川で積荷、降ろしですか?」

「いや江戸の佃島まで行く、江戸神田には近い佃で荷降ろしする」

「えっ儂らが、降ろすのですか」

「いや荷降ろしは、江戸の蜜柑方問屋に総て任せようと思う!」

「それは楽でええなあ! もうあきません、わてらへとへとです」

 神無月(十一月)一日、品川の船番所に凡天丸は着いた。ここで江戸湊は佃島へ入津の手続きする。
   この時に紀州御三家御用達が役立つ、葵紋の旗差しは紀州藩船の通行証、お由利の方に授かった。

「ここまで三日で来たな、かなり沖合いを遠回りして来たが、風が強かったので早かったのか?」

 腕を組みながら、誰にゆうでもなく文左衛門はつぶやいた。

 十一月五日、凡天丸は江戸湊佃島に着き、ふ頭に碇を降ろした。

   ピンチは最大のチャンスでもある、生きるか死ぬかの難を乗り越えて、紀ノ国屋文左衛門は幸運の女神様の、前髪を掴みました。


   第二十五章、江戸にて


「おおい、みんな江戸だぜ!」

「これが江戸か皆見てみい、人も多く活気あるで!」

「あほやなぁ、ここはまだ江戸湊の佃島やでぇ」
   皆は生きて江戸湊に着いた喜びに、明るさと元気を取り戻した。

 文左衛門は、羽織を着込んだ。

「若旦那、今からどちらへ?」

「高垣亀十郎と商売に行く」

「気つけて、行ってくださいよ」

 言うと二人は小舟に乗り、大川を日本橋に向かい登って行った。

 (ギイギイ)川風が冷たく肌を刺す、柳枝がゆらゆら揺らいでる。

「若旦那、波切丸は船に置いて来たんですか?」

「おう、江戸じゃ町人の帯刀、禁止しているので置いてきた」

 文左衛門は番所で貰った、江戸の地図をしきりに見ている。

「よし舟を止めてくれ、この辺で良かろう」

 日本橋手前京橋で舟を停めた。

「高垣どの、お主は江戸蜜柑方問屋と、紀州藩役人に連絡頼む」

「若旦那はどちらへ行かれます」

「近くの伊勢屋嘉右衛門店で、江戸蜜柑方九軒が揃うのを待つ」

「では、皆伊勢屋に集合ですね」

「ご苦労だけど、高垣頼むで!」

 聞くと高垣は、文左衛門と別れ紀州藩邸へと早籠を飛ばした。

「ちょいと兄さん野暮用があるんだがねえ! 有金出さねえか」
   やくざぽい男が絡んできた。

「おぬしに、やる金はねえなあ」

 ヤクザは懐に手を入れて、ドスを文左が見える目の前に出す。

横から、別の二人も出て来た。

「おいやっちまえ、ひょろい奴」

 この時文左衛門の内から、合気術の気が入った。それは皆さん方も経験された事もあるだろう、それは交通事故た時に一瞬の出来事なのに、それはスロモーシヨンのごとくなる感覚に似ている。

 文左衛門は声より早く、横飛びに男の腹を一蹴りした。

「あちゃぁ!」

 紀文はチャイナ娘から習ったカンフゥを用い、流れるような素早い動きで突きや蹴りを入れる。

 それを見た二人は一斉に斬りかかるが、右の男のドスを、素早く手刀で払い落とした。

 左側の男のドスを蹴り飛ばし熊手であごに一発、もう一人の腹には一発足蹴りをいれる、三人はその場にうずくまったまま、動けなくなった。

 文左衛門は、三人を縄で縛り付け、長板を差し込み(おれ達は強盗だ)と書き入れた。神技に近い技であったが、合気技はこの域に達するまで年齢に関係なく、ある者は若い時に、ある者は年を経てからも得られなかった事もある。

「わっははは、此にて一件落着」
   紀文は何食わぬ顔で、その場を立ち去る、これが世が世ならばひとりの剣豪に近いといえよう。

 伊勢屋嘉右衛門の店先で、文左衛門が顔を覗かせ中を見ていた。

「へえ、あのもし何かご用で?」

 丁稚が怪訝な顔して言った。店に入り片隅の台に腰掛けた時、客が顔色変えて飛び込んできた。

「おい伊勢屋、一定前提どうして呉れるんだよ蜜柑はよう!」

「へい蜜柑は紀州より、一艘たりとも入ってませんのです」

 手を揉むと、それから地面にはいつくばり頭下げる。

「ふいご祭りは、三日後だよ!」

「何とも、申し訳御座いまへん」

 店先に江戸中の鍛治屋職人、親方衆が押し寄せてきました。

「ええごめん伊勢屋さん、蜜柑方問屋旦那衆八人お見えです」

 高垣亀十郎が蜜柑方を連れ伊勢屋にきた。江戸九軒蜜柑方揃う。

「あれ紀ノ国屋文左衛門殿は、来てませんのか?」

 高垣亀十朗が、店の者に聞く。

「お高垣亀十郎、儂はここや!」

 店の隅から声がする、店員が探すさっきばかにした若者だった。

「若旦那! 今から蜜柑の値段を客間で決めておくれやす」

「このお人が、紀ノ国屋さん?」

    この頃名字の代わりに、宣伝の為なのか商人の間では屋号を用いる事が大流行りでした、伊勢屋長兵衛とか奈良屋茂左衛門とか、だから紀伊國屋文左衛門(紀ノ国屋文左衛門)でも、何ら珍しくもおかしい事でも有りませんでした。

    皆は紀ノ国屋文左衛門が、以外に若者なのでびっくりしていました。人は見た目で判断する事が多くあるので、それなり身なりはちゃんとした方が良いけれど、まだ江戸に来て間がないので仕方なかった面もある。

「紀ノ国屋さん、先ずは上座にどうぞ、売り手はそちら紀ノ国屋さん、あんたさん独りだけです!」

 どんと上座に坐る、紀ノ国屋文左衛門が声高に言った。

「私は紀州から来ました田舎者です、命がけで江戸にきました!」

「其れでは皆さん、今から蜜柑の値段入札します宜しいですか?」

 皆望外な値段付かぬか不安な顔色、それ見て文左衛門が言った。

「聞けば去年まで一籠一両だったと聞いています、色付けて一籠一両と二分金で如何でしようか?」

 (一分金四枚で小判一両と交換)

「紀伊国屋さん其れでよろしいのですか? 有り難い事ですが」

「私今回心意気で来ました! ほう外な値段は期待してません」

 ふっかけられると思っていたのに、意外な申し出に皆同意した。

    紀文は昔武兵衛に教えられた近江商人の心得である、三方良しの教え、売り手良し買い手良し世間良し、を実践しました。

 八万籠で十二万両です、数量は各人で決めて貰いました。

「いつものように八万両は藩の蜜柑方に為替で御願いして、四万両は佃島の凡天丸に頼みます」

 文左衛門は心易くなった、蜜柑で儲けた金を預けている、住友の両替商に早速依頼した。 

 この時は、深川で短期に芸者呼んで派手に呑んで食べて、江戸から船出しようと考えていた。
   しかしながら、奈良屋茂左衛門が船の(大きさ)件で、番所に訴え出たので、役人が来て取り調べ受け出航を止められている。

 それで再び、住友の両替屋に行き依頼した。

「あのう、申し遅れましたが江戸には、吉原という遊廓御座いましたか? 其処へ私の名前で一万両入れといて下さいますか?」

「よろしおます、今日でも入金しときます、後何か特に御座いませんか?」

 文左衛門はこの一万両を、命がけの仕事をしたねぎらいに、また江戸の景気付けとして、ぱぱっと使ってしまおうと思いました。

「皆すまんの、ほれ此のとうりや謝る、役人がよしと言うまで暫く船は動かせんのや?」 

   この頃江戸は景気良くて、全国から男衆が集まっていて極端に女の人が少なくなっていました。また遊ぶ所も限られていました。


   第二十六章、吉原で大尽遊び


 逆に皆から、慰められた文左衛門だった。

「まあまあ若旦那、頭上げておくれやす、役所の仕事やったらこれは仕方おまへんやろ!」

「それでやな船の中でくすぶっててもなんやさかいな、江戸で有名な吉原でも行ってぱっと土派手に遊ぼかの! おお金は儂が出す」
    これで予定になかった、吉原での大尽遊びが決まりました。

   この頃江戸の吉原というのは位の高い武士とか、金のある商人が遊べる高級で格式あり、普通の一般人は遊べない(いちげんさんお断り)であった。また出入口は大門のみで、門には番人がいて人々の出入りを厳しく見張っていた。

「紀文の若旦那、金の力は凄おますなあ! わてがあれだけ頼んでもあかんかった吉原が、旦那の一声で了解するとはねぇ?」 

「それでは皆にその事を、言ってくれるか、しかし船を空に出来ぬから三交代で行こうかのう!」

「人選は今から決めます、三日間吉原を貸し切り、ですか!」

「安全を考えての事でもある、それに其れぐらい取り調べもかかりそうだ! なあにっ手は打っているから心配するな」

「はいわかりました、ではそのように段取り致します」

「皆にこの際身なりもちゃんと整えて、遊びに行こうと言っ説いて呉れるかの恥をかかぬように!」

 紀文は吉原からの迎えを待っていた。しまの着物をきて、青の羽織り掛けと洒落込んだ。 

 半刻(一時間)ほど佃島で待っていると、猪牙(ちよっき)舟で迎えが来た。それに五人が乗り込んだ。

 吉原は浅草寺の裏手にあり、浅草橋・柳橋を越え、隅田川をさかのぼり山谷掘に入り舟を降り、徒歩で日本堤(つつみ)要に土手八丁を行き、吉原大門に着いた。

   ここで吉原について、一言述べておきたい。
   吉原遊郭は戦国時代に滅んだ北条氏に仕えていた乱波(忍)、風磨一族の庄司甚右衛門が、くノ一を引き連れて、開業したのが始まりとされています。

   始めくノ一が男を骨抜きにし情報を得る事が、目的の一つだったようですが遊郭に発展しました。

「皆さん私は紀州の田舎もんですが、よろしくお願いします!」

 深々と頭を下げる文左衛門。太鼓持ちがひょいと出てきて、

「はあい今日は、即きょうでやりますよ!」

(♪そら行け、やれ行け、どんと行け!紀州紀ノ国みかんの船よ、どんと行け、宝の船でござります♪)

「待ってましたおいらん、よろしく頼みますよ!」

 曲に合わせて、ひょうきんに踊る、すました顔だから面白い。黄色い声でヤンヤやんやの大騒ぎ。

 中の街大通りで、阿波踊り宜しく花魁(おいらん)が、練り歩く。

「ワハハハ愉快ゆかい、うん吉原祭りだどどんと行こうぜ!」

 外で見ていた見物人も、浮かれて踊る始末になって来た。見物人は瓦版や口コミで、蜜柑船の紀文の事を知り、当時娯楽が少なかったせいで有名、人気役者如くひと目見ようと集まって来ました。

(♪そら行け、やれ行け、どんとどんと行きまあしよう♪)

 吉原は三日三晩、飲めや歌えやの大騒ぎで、昼や夜とも分からんほどになっていました。

   色町が色恋いなしの状況ですそして吉原の元締めが、紀ノ国屋文左衛門に挨拶に来ました。

「紀ノ国屋文左衛門さん、この度のご散財おそれ入りました、少しは楽しんで貰えましたか」

「楽しみました。今日でお疲れ様となりましたが、預けた金子が少し残りましたので今から、豆金として撒いてぱっと使い切ります」

「それは重ね重ねありがとうございます、また江戸にお越しの折はご贔屓にお願いしますよ、猿飛佐助どの我が風魔一族は、総力あげてお役に立ち申す、では……」

   (うんそうだったのか風磨一族のくノ一が、花魁に紛れていたのか女忍びなら鍛えているから、身体も均整取れているから綺麗な女も多いのもうなずけるなぁ)と、ひとり納得していたのです。
   文左衛門は大広間や通りに、ざるに入れてばらまいた。それを先を争って拾う人々、餅まきみたいな感覚要領で御座いました。

 文左衛門は笑って、見事預けた一万両を使い切りました。

   それが吉原だったのでまず江戸中に広まって(紀文の吉原大尽遊び)として次に日本国中に、名前が広まったらそれが信用となり効果絶大となりました。

 そこまで計算に入れた、大尽遊びだったのです。普通ならだれもそんなあほな事できませんなあ。

   運の良いときこれが自分の実力だと、奢り高ぶった時につきは落ちる前兆で、気をつけなければ幸運の女神が愛想つかし離れます。

   紀文は自分の為に金を使ったのでなく皆の労をねぎらっての事ですよね、本人はつきが落ちぬように、足元すくわれぬようにと細心の警戒していました。そう自分の気持ち考え方が運に影響します。


   第二十七章、新たななる儲け


 紀州藩江戸役人混ぜての、会議が早く終わった。

 京橋から駿河町の三井越後屋まで江戸土産の反物を、買おうと二人は出向いていたのだ。

「へえ此処が、最近評判の呉服店か」

「若旦那のれんには越後屋三井八郎衛門と、書かれていますよ」

「おかしいな三井高利、ではないのか?」

「聞いた話しは高利は、五十二歳で日本橋で開業したらしいです」

「現金商売掛け値なしで、大店にのし上がったと聞いているぜ」

   人生五十年と云われてる時、五十二歳で開業は皆びっくりした。

「もの凄いですね、伊勢松阪の人は」

「私も早く江戸に来て商売したいなあ、江戸の町は人が多いし金が溢れている」

    紀文は越後屋の店内をくまなく覗き見た、大きな店内なのに隅々まで見わたす限り、綺麗に整理整頓されていた。店員はてきぱきと明るく客の応対をしている、教育が行き届いていた。

   越後屋の店すみには傘が有り自由に使って下さいと、書いてありましたので一本取って見て見ると、越後屋と大きい宣伝文字が有りました、それに現金商売掛け値無しでした。

    兎に角工夫(アイデア)が凄い店が流行るのも判ります、美男美女を用いて店内を着物の最新流行の物着て練り歩く(今のファッションショウ)みたいな事も時折模様していました。

「なかなかの工夫(アイデア)だ三井高利さん、今いくつですかね?」

「ええっと確か、六十四歳だっと思いますよ」

「すごい気力十二年で大店か、それに商才衰えてませんね」

 反物購入し、二人は船に戻ろうとした帰り道、日本橋でなぜか立ち止まった。

 いつも客多い日本橋界隈の魚市場に、人はまばらで見るに寂れていました、隅に立て看板がありそれを読んで見た。

 (生類憐れみの令、覚え書き)

「これを皆勘違いし、魚が食えなくなると思ったのかなぁ?」

 読み終えると文左衛門は、首傾げて言った。

「うむ、これは解釈のしかたにより、何とでもとれるなあ?」

 高垣亀十朗も一席ぶった。

「わたしは生き物大事と、理解しました。お城での殺生に関しては魚や貝も、禁止となりますね」

「ううん? 噂は怖いからなぁ」

「開店休業状態になってますね」

  (うむ魚価暴落か、すると万人弱気時、買い場かな?)

   ふと 後ろの方から誰かに、声を掛けられたような気がして後ろを振り返ると、見たような人がいた。

「あっこれは河村瑞賢師匠、お久しぶりで御座います!」

「文兵衛どのいや今は、紀伊國屋(紀ノ国屋)文左衛門でしたかな活躍の噂は聞いていますよ」

   文左衛門は周辺を見渡し茶屋を探し、河村瑞賢を誘い店に入る。

「お主に伝えたき事あったが、会えぬじまいで今に至った」

「私もお会いして、お教え願いたく思っていました」

  「うむ~さしあたって伝える事は、投資投機時人の欲は限りが無いので、それを抑えるということかのう」

「それは欲張りは儲からないと、いうことでしょうか?」

    瑞賢は言葉を噛み締めながら、一言一言さとすように言う。

「材木屋のような投機的商売において、時には休むも相場である事肝に据えて商うべしである!」

    動あれば反動ありで、相場も一直線に単純に動くべきにないものである、叉人々のウツプン溜まれば狂った者現れて、付け火の火事も頻繁に起こるので、材木相場の上下する可能性も大いに出て来るるのです。

    人々の暮らし向きも、相場(商売)する者の注意すべき事だ。

    瑞賢の言葉を 一言も聞き漏らさぬように、文左衛門は真剣に聞くのであった。

「何事も限度が有り、強欲になればそれが全く見えなくなるのじゃ!」

「はい、戒めよく心得たいと思います、で師匠用事の方は?」

「どちらも忙しいからなぁ、それでの儂が書きためた相場の覚え書きを、そちに渡そうと出向いたのだ」

「それでは有り難く、逸れを頂きます!」

「ではこれで私は失礼致す、幕府公共の仕事でこれから役人と打ち合わせが有るでの」

「では師匠、くれぐれもお身体を大切に!」

    瑞賢は急ぎ江戸城の方向に、足早に立ち去った。

   富豪と名高い河村瑞賢、この頃十六万両の資産を持っていたと、世間では噂されていました。

   紀文の不思議な能力、かって広八幡神社の神主、佐々木利兵衛が言っていた、何故か教えたくなる不思議力が影響していたのかも知れません、まあ誰かに伝えないと技は、その人と共に消えますが。

   紀文は高垣と舟で佃島に帰る。

「あっ若旦那お帰りやす、蜜柑のほうはどうなりました」

「売った売った十二万両で! けど儲けはざっと四万両だ!」

 みんなは桁が違うので、ぽかんとしています。

「千両で買って四万両なら、儲かってるやろう」
   それを聞いて納得したようだ。

「蜜柑の荷降ろしは順調かな」

「蜜柑方役人が来て問屋連中に指図し、めいめい自前の舟で持ち出して、変わりに手形や現金置いていきましたよ」

「儂らも肩の荷、降りました」

 皆明るく晴ればれ、とした顔です。

「あのう東北から来たという、松前藩の船頭が訪ね来てますよ」

「船長室で待ってます、でかい船やとびっくりしてました」

 紀文は凡天丸の船室へ急ぐ、中に西洋の机と椅子が有り、棚には稲荷神社が祀られていた。

「お待たせしました、それでご用件は?」

「生類憐れみの令で、江戸で魚価暴落し売れなくて困ってます」

「私も立て札を見て、知りました大変な事になっていますね」
   文左は机の上にワイン出す。

「それで紀ノ国屋さんに、買って貰いたいと思いまして」

「それで値段の方はいかほど」

「仕入れ値で、お願いしたい」

「わかりました買いましよう」

「仲間の分も願います、大方は塩鮭です私共が積み込みます」

「では頼みます二万両で足りますね、東北は小判でよいですね」

「へ、紀伊国屋文左衛門どのありがとうさんにございました!」

 不安だった話がつき、船主達は喜び帰った。

   無理して考えた商いは、失敗する紀文とて今回リスクは有りましたが、商売相手のたっての願いでしたし情報もあり、紀文なりの思案もあったので快く引き受けた。

  (相場もしくは商いには機有り、ここぞという時うって出よ)瑞賢の教えを、紀文は実践しました。

 紀文は高垣亀十郎と根来衆を呼んだ。先ずは根来衆三人が来た。

「若旦那、何かご用ですか?」

「そのほう達は、今から玉屋で江戸花火二十発仕入れて欲しい」

「へい、分かりました」
    言って外に出て行く、代わって高垣亀十朗が顔出す。

「文左衛門どの何か用ですか」

「今のところ江戸で、何か変わったこと無いか?」

「へい特に、あっ吉原で奈良屋茂左衛門という人、若旦那の事を根ほり葉ほり、それは詳しく聞いてましたよ?」

「奈良茂か怪しい奴だな詳しく調べて報告してくれ、どうも気にかかる奴だな歴史を学んで新しきを知る、人の思い考え行動はいつの時代でも似たものやからなっ!」

「へい地元風磨一族皆さん方の協力をお願いして、報告します」
    奈良屋茂左衛門、後に文左のライバルとなる人物だが、すこぶる評判悪く芋場町材木商の柏木太左衛門を、幕府用立ての檜材売り惜しみと町奉行に訴え出て、罪に落とし没落させて、柏木の木材をただ同然で手に入れて大儲けした。

   人は目前に金儲けが見えると何かと、怖い事が起きるのである。

「おかしな奴やな、ほなもう一度芸者呼んでど派手にやろうぜ!」

「あのう若旦那、魚の件大丈夫ですかねぇ?」

「心配ない今運は我に有り、押して押して、押しまくるんや!」

「はあ……さようですか?」

 江戸深川で、芸者の三味線、小さい太鼓や鼓で派手に騒いだ。
    紀文らが江戸で遊んでる間、魚の積み込みが終わっていた、二日間交代で遊んで帰り皆は揃った。

「文左衛門の旦那、皆満足しました。深川の芸者さん粋な姉さん多くて、酒も旨く進みました!」

「うんそうか、それは良かったのうハハハッ満足してくれたか!」

 とても十七歳とは思えぬ、大尽ぶりで御座いました。

 文左はその間も、根来同心より上方の情報は常に聞いていた、今も昔も情報は金なり信長も秀吉も情報の大事さを知り、活用して成功したが、商いも同じです。

 忍の真価は武術で無く如何に早く、必要な情報を探るかである。

 云うなれば秀吉は、信長の猿面間者であった。話は飛ぶが実に文左衛門も、その大事さを知る根来流の、隠れ忍者であったのだ。
   この頃はまだ西洋と日本の技術の差はなかったと思うが、新しき物新しい考え方は、一部の者を除いて鎖国によって封鎖されて、西洋に著しく遅れをとるのである。

「皆ご苦労さんです、約束したかねを払う落とす事も無いやろ、一人あたり百両でよいかなぁ」

「そんなに貰って良いのですか」

「帰り船で、もうひと仕事有る」

「魚積んで何処へ行かはる?」

「大坂へ行く、また頼むでえ!」

「肝の太い気前よい人やな」

「皆明日出るさかい、早よ寝て疲れとってや!」

 皆小判を懐に入れて、にこにこ顔で寝床に入った。
    後世の人は言う、紀文は投機的な商人だとそれは違う、情報に元ずき計画的な商売だったのだ。

 近年では松下幸之助氏のような人だったと思われる。それでも時代に流され名が消えていくのだ。

 何故名を出す? それは幸之助氏が湯浅の別所に、紀伊国屋文左衛門の碑を建立しているからだ。

 奈良屋茂左衛門、本名神田茂松というが、やはり良からぬ事を企んでいた。江戸の神田雅吾郎というヤクザと組んで、佃島の凡天丸を襲う、乱取りをしているようでであった。

 だから紀文の行動を、詳しく調べていたのである。神田組と念入りに相談し、儲けは半々と決まった今晩決行する事となった。

「雅吾郎親分、よろしくお願いしますよ! 私は家で吉報お待ちしていますから」

「任せておきな、たやすい事だ柏木の時は、たんまりと儲けさせて貰った、今回も大丈夫だろう!」
    悪人と言えど、奈良屋茂左衛門は用意周到で自分の行動を、正当化し役人をも味方に引き入れる。

 文左衛門は遊びながらも、逐次根来衆から情報を得ていた。

「今夜が危ないか、早速帰って対策立てようかの、まだ出航の許可降りぬのか?」

「どうも奈良屋茂左衛門は、下っ端役人とつるんでいるようです」

「なんともしつこい奴だな、これで二回目だぜ! 紀州藩に急がせ幕府や役所に手配を頼め……」

「はい分かりました、早速そのように手配を致します!」
    といって、静かに立ち去った。

 文左衛門は佃島に帰ると、てきぱきと指図して対策を行った。

 まずは佃島人足場にて、人を雇い入れヤクザに対抗する、だけの人を集めた。それと魚網を凡天丸の周いに張り巡らせ、容易に小舟が入って来れぬようにした。

 もちろん陸上にも、網を吊して囲っている。その中に素人の雇い入れた兵隊が見回り、先の尖って無い竹ざおを持たしている。

 案の定薄暗くなって来た時、ヤクザが手にドスや、匕首を持って襲って来た。

「あのぅ皆さん方、どうなされました騒々しく大勢で?」

「あ彼奴が、紀文だいてまえ!」
    するとヤクザの若い衆が、立っている紀文にドスで突き刺した。

紀文は油断したのか、武器は何も持ってなかった。

「アチヤッ、おりゃあ!」

   とっさに紀文は、太極拳の真空切りで相手の刀を折り、腹に足蹴りを一発入れて難を逃れた。

   そしてどっと来たが、暗いので網が見えない、皆はそれっとばかりに、そこを竹竿でつついた。

   勿論尖らしてない平の方なので命に問題は無いのだが、身体が腫れ上がって、だいの男が大声で泣き叫ぶヤクザとて人の子である。
    網は強くドスで切れない、手間取っていると竹でつつかれ、殴られるし脅し言葉も効かない。

 さんざんな目に遭っている所へ北町の同心が駆けつけ、捕らえられた。呆気ない幕切れだが、奈良屋茂左衛門は捕まらなかった。

  文左衛門は騒動が終わり、やれやれとはねを伸ばしお茶を飲んでいた。遠くから呼ぶ声がした。

「頼もう!    紀ノ国屋文左衛門殿はどちらにおわすか?」

「紀文の旦那、是非にも会いたいと申す者が来てますが、どうしましょうか追っ払いましょうか?」

「何という御仁か?」

「馬庭念流の本間忠勝様と言っておられてますが」

「はて来て間がない江戸に、そんな知り合いは居ませんがねぇ?」
    いう間もなく目の前に、眼光鋭い浪人風の侍が現れた。

「えぇぇ失礼します、あなたが紀ノ国屋文左衛門殿ですね!」

「はい私が、紀ノ国屋文左衛門ですが、何か御用向きでも?」

「私に一手御指南願いたく、まかり越しました本間忠勝です!」

   馬庭念流は関東では有名な古武術で、戦国時代から続く名門であるが、平和となった時代にはその使い手は数えるほどしかいなく柳生流と並ぶいや逸れ以上とも云われていた、そして町人までも学んでいる古武術であったのだ。
    
    島津の薩南示現流に近い流派と、言えばわかって貰えるかも知れない。噂では兎に角その一撃は、示現流のごとく凄まじいものがあると聞いていた。

    柳生新陰流では稽古に袋竹刀(ふくろしない)を使用していて、人に優しい流派もあったのだが、馬庭念流ではもっぱら木刀を使用す。

   紀文もどうしようかと少し迷っていたが、周りに人々が成り行きを見たいと集まりだしたので、引くに引けなくなってきた。

   普通紀文の習った、関口流では宮本武蔵の流れもあって、他流試合をするときは相手の研究を怠らない(敵を知る)が、今は馬庭念流とは如何なる剣か全く知らない。

「それでは一試合だけ、お手合わせしましょうか!」

「逸れは有り難い木刀を二振り用意しました、改めお願います!」

   紀文渡された木刀を見たが、特に細工はなかった。

「では今すぐでも近く広場で、やりましょうか?」

「してお主の流派は、何で御座ろうかな?」
    言いながら紀文を見ている、にやりとしている明らかにこの若造がと、馬鹿にしている顔である。

「紀州藩留め流の、関口流です」

「ふうんそうか、でもあまり聞かん流派だなぁ?」

「私どもの流派は剣術よりも、柔術に重きを置いていますので」

「そんな事はどうでもよい、関口流では剣の技も有るのだな!」

   鷹揚な口調に変わっている、あるいは一つの手かも知れませんね。

「はい勿論剣技も御座います!」

   この頃木刀の試合と云っても現在の剣道の試合ではなく、防具や竹刀(しない)では有りませんので対戦相手しだいで、手加減は無く命に関わる事も有りました。

   それに稽古では、寸止めといって身体に当たる前に止める流派が多かったが、他流試合となると勝敗をはっきりさせる為、容赦なく手加減は無しとなっていました。
    人々はまだ二十人ぐらいで、試合に支障はなかった。二人して先ず礼をして軍配を一人付ける。二人は正眼の構えで対峙した。

「では本気で行きますれば、そちら参もその覚悟でお願い申す!」

「はい口上しかと心得ました!」

   紀文はます関口流でやる事にした、相手は摺り足で声を出してじりじり打ち込み押して来る、紀文は逸れを受けながら後ろに退く強打撃なので受ける手が、しびれてくる連続技で息もつかせぬ。
    防戦一方で押されていたが、時折変わった変化を見せる。
  (やや変わった構えだなぁ、最近ではあまり見ない型だぞ?)
    それは随所に義経流の、型が現れて反撃に転じ掛けていた。

 「ヤァヤァヤァ、きぇぇい!」

   木刀で受ける、(ポキッ)と鈍い音がすると紀文の持っていた木刀が折れた、にったと相手が笑うそのとき紀文の頭の中で何かがはじけたような気がした、もちろん手には何もない。

    それを見た相手は、馬庭念流得意の兜割りの秘技で紀文の頭上を襲う、まわり皆は一瞬目を伏せた。
    

   気がつくと紀文の合気無刀取りが決まってる、そのままの状態で身体を捻ると相手は横に吹っ飛んだ。

  合気も武田ゆかりの大東流なら、元を辿れば義経流かも知れませんね。
 
「ウウツ参りました 、 さすがにお見事です!」

   場内は沈黙した、しばらくして拍手が沸き起こった、その様子をひっそりと見ていた者がいた、そうあの奈良屋茂左衛門です何とも諦めの悪い男ですな、憎まれ子世にはばかると昔の人は言ってますが、今回も悪知恵働かせてこの試合を仕組んだようですねぇ。

「本間殿これで宜しいですかな」

「見事な技見せてもらい、誠にありがとうございました、はいとても勉強になり申した!」

   礼を述べ頭下げると、悪びれずそそくさとその場を後にした。
    冷や汗ものであった、馬庭念流の兜割りの迎撃をよく止められたものである、思い浮かべるといつもとかっての違う感覚だった、あれは本当に止まったのだ、そして受けられたのは合気と超能力(念動力)の重ね技だったのかも、知れないという思い至ったのである。

   超能力と云うと、子供騙しのように思われるが、親に異変があった時に、むしの知らせや夢枕に立つなどの経験があったなど、よく聞きますがあれも一種の、テレパスのようなものでないでしょうかすると普通の人でも、多少能力が有るのかも知れませんね?……。

   自分の折れた木刀を手にとって見たら、重さが相手の使用した物より軽かった、木刀の材質が違っていたのだ例えば樫の木と栗の木のように、儂の持っていたのは栗のやわい木刀だったのか……。

(ウウム謀られたな、いったい誰が今日の事を仕組んだのか?)

   事のしだいを知らない文左衛門は相手が名前知ってたので不思議に思う、いったいこれは何であったのかと幾度も首をかしげた。

       後に紀文が江戸に行った時に紀ノ国屋文左衛門と、奈良屋茂左衛門が何かにつけて反目して対抗バトルをしますが、この時期のこういった経緯があったからです、決して富を誇り無闇に競いあった訳ではなかったので御座います。


    第二十八章、海賊との戦い


 十一月十日、帰り船だ江戸佃島湊からゆっくりと船出す、青空で太陽光がまぶしい、風は北西へ吹いている波は少し高めだ。

「みんな、張り切って行こう!」

「オオッ!!」

 近場乗りで景色眺め進む、途中品川の船番所で役人が荷を改めるが、紀州藩御用達船と云う事、で簡単な手続きで許可がおりた。

「富士は日本一、美しい山やな」

「日本一高い、登ってみたいな」

「うっ、今日潮風が冷たいのう」

「はい、でもこの寒さで魚が傷まないのが、何より助かってます」

   どうも天の理が、味方しているようである。大仕事時には運も一つの才能と言えますかねぇ。

 船は遠州灘過ぎ伊勢の大王埼で夕日沈み、海は真っ赤に染まる。

   紀文を見ると洋式のテエブルの上に湯のみを置いて、にらめっこをしている息を止めているのか顔が真っ赤である、念力の練習のようだが皆逸れを知らないので、皆不思議な顔して様子を見ていた。

「若旦那!    大丈夫ですかい?」

「何ともないそろそろ沖へ船廻そう、危ないから遠乗りで行くで」

 物見櫓の一人が、大声で叫ぶ。

「島陰から変な船が、こちらに向かって来てますで! 三隻です」

   (グワァ~ン!  ドンドコ、ドンドコ、ドコドンドン)

   船は五百石船ぐらいと少し小ぶりだが、海賊らしく赤と黄色のスマートで派手な装いである、ドラや太鼓や鐘を鳴らしオールで漕ぎながら、凄まじく此方に向かって来る。

  (ヨイショ、ヨイショ、ヨイショノ、サアー!)

   まず此方の戦う気力を削ぐ戦略だ、追い込み漁のつもりかも知れない、兎に角ど派手であった。

   紀文は望遠鏡を取り出し、冷静に様子をうかがっている。

「百足船です! 海賊ですかね?」

「わあっ、三方囲まれました!」

    皆おろおろしている、この平和な時代に海賊は珍しく、九鬼水軍か熊野水軍の残党だと思った。

   九鬼水軍とは信長の水軍と活躍した当時、世界に先駆けて鉄張りの船を持っていたので有名です。

    ヨーロッパで鉄を造船に用いるようになるのは、十七世紀以降で造船の常識を乗り越え世界初の装甲軍艦を、 信長の命令で作り持っていたのである信長の頭は常識を越えていた。

 一隻に二十人ほど乗っているようだ、総勢百人だろう。こちらはたったの十六人それは解るまい。

 右の船が凡天丸に寄せ、縄梯子を掛けて乗り込もうとしている。

 逸れを見た文左は、波切り丸の鞘をはらって、甲板を駆ける。

 敵が矢射掛けてくる、けれど風が強いので矢尻があらぬ方向へと       飛んで行く、敵の船が後少し近づいたら、危ないかも知れない。
    
    敵もさるもの 火矢は、積み荷が燃えるのを警戒し放ってこない。

「ダダッダッダダン」

  一斉に火縄銃を撃ってきた。矢では効果無しと思ったのか。それでも見えない人は当たらない。凡天丸には乗っている者が少ない。

    五・六人が登って来たが、紀文は敵を峰打ちで次々と海に落とす。

   船に掛けられた縄梯子を切り落とし、それで敵の乗船を防いだ。

     海賊はこれ見よがしに、拡声器で相互の連絡を取り始めた。

「そうだ船沈めぬ程度にいたぶったろうか、あの船の梶を目指して此方の船突っ込んで遣ろうか!」

   船の梶やられたら航行出来なくなり、それでお手上げ万事窮すです。

「では先頭の船突っ込ませますので、頭合図宜しく御願いします」

「おう心得た儂が様子見て、合図する皆はそれまで待機せよ!」

   大きな声だ近いので拡声器無しでも、十分に聞こえて来ます、凡天丸方は気が気ではありませんそれに海賊の方が足が早いのです。

「ああ若旦那、どどうします?」

   声が裏返っていて、もう大慌てである。

「このままだと、やられる」

「根来衆はいるか、花火使おう」

「はい分かりました、花火を大砲の代わりに打つのですね!」
    その前に紀文は大弓で、打とうとしている船に鏑矢(カブラヤ)を放った、距離を測る為でもある。

 (ピッピッヒユウゥゥン)

「若旦那どうですか、飛距離のほうは?」

   海賊は変な音したので、首傾げてワイワイ騒いでいるようだ。

「よし花火打ち上げ木筒用意、そうだ急げ先ず左側の船を狙え!」

「この花火玉、以外と重たいな」

「文句言わず、早よやれよ!」

   筒に花火玉入れ、二人掛かりでやっとこさ狙い定め火を入れた。

  (どどどん)横殴りに火を噴く。

 近かいので、まともに当たる。

 (ばっばばん)花火で船燃えた。

「おぅ新型の大砲か、よく見ると葵の旗が有る徳川の軍船か?」

「お頭(かしら)やばいです、大砲です今すぐに逃げましょう!」

   また残りの船めがけて、鏑矢(かぶらや)が飛んで来る。先ほどとは違ってもう、パニック状態です。

 (ピッピッヒュゥゥン)恐怖の音。

「おお徳川の軍船相手では、とても儂らには勝ち目はないのう!」

 法螺貝が鳴り響き逃げて行く。

「おお助かった!    有り難い人数では負けていた」

 遠乗り航法に戻し、凡天丸は帆をはらめ全走で沖へ出た。

   船を走らせながらも、文左衛門は考えた(思った)あの花火に、念力の解決策が有りそうだな外に放つ力か、合気は内攻の力が主だから念力と繋がらない、とすれば拳法(カンフゥ)は攻撃力だから念力と会うかも知れないな、特に真空切りの極意が的を得ているかな。
    文左衛門は、皆の飯の支度をし念力の事に思い巡らせていた、考えるより思えという師匠の言葉をかみしめながら。

「おーい皆握り飯出来たぞ、おかずは塩鮭や旨いぞ早よ食べよ」

 紀文が盆に載せ運んで来た。

「若旦那何しても、上手いすね」

「長いこと、自炊してたんでな」

   本当はこのところ寒く冷えるので、船内にある温かい釜どで御飯焚きながら、暖をとっていたというところでした。冬の寒さで積荷の魚も傷まずに助かっています。

 食事も済んで文左衛門は、望遠鏡であちこち覗き見ていました。

「白浜の眼鏡岩が見える、そろそろ右に舵きり大坂へ行くで!」

 船は日ノ御碕過ぎ、紀伊水道を進みでて摂津湊へと急いだ。

第二十九章、大坂(大阪)で大儲け
    
十一月十四日、船は大坂の堂島川河口に着く、此処で錨降ろす。

 近くの安治川河口堰の船番所で入津手続きして利用金払った。

 此処でも紀州藩御用達船と云うことで、上陸許可おりるのも早く優遇措置を受けた。

「若旦那、街の様子観て来ます」

「高垣よ、根来衆を連れて行け」

「はい心強い、御願いします」

 二人は早速に堂島や、雑候場魚市の方に偵察に向かう(一刻)二時間ほどして帰って来た。

   文左衛門は凡天丸の船上で身体が鈍らぬようにと、太極拳(カンフゥ)の型稽古をしていました、勿論念力の研究も兼ねていました。

「どうだった? 市場の状況は」

「若旦那、あんたの目は高い」

「それで大坂の人々は?」

「時化が長引き町では大水溢れて病流行し、なまものはまったく売れてませんね」

    そう大坂の町は流行り病で、パニックに近かった巷の町医者はおおはやりで有りました。

「ホウそしたら、塩物干物は売れるな!」

「もちろん市場・問屋には品切れ状態で在庫無しです」

「では儂も顔だそか、根来の衆よ此から凡天丸の噂流してくれ!」

「へい、分かりました今すぐに」

 それぞれ町に、散らばった。
    十一月十五日、朝から江戸越後屋で仕立てた羽織りを着て、高垣亀十郎と根来衆一人を連れて、雑候場魚市に出向いた。

    瑞賢覚え書きを見る (商いは踏み出し大事成り、悪いと手違いになるなり)か、よっしゃほな気を引き締めて商いにあたろうかな。

 行くと予め噂を流した、効果も有り皆の注目を集めた。

「私四代目・淀屋の岡本重当ですが、紀伊国屋さんですか?」

 当時淀屋は、大坂米市場を作った、日本一の大商人だった。

「へい紀ノ国屋で、ございます」

「そうでございますか、私共待ってましたんや、あちらにお席ご用意していますどうぞ!」

「丁寧に恐れ入ります、行こか」

 市場の離れに部屋が有り、旦那衆が三人にこやかに座っている。

「紀ノ国屋さん私共に江戸からの積荷、売って貰えませんやろか」

「それは値段次第ですね、いくら出して貰えますかねえ?」
    みんなめいめい顔見合わす。

「品物見せて貰わんと何とも」

「松前藩は上物の、鮭と干物です気に要らないなら兵庫にでも」

「いくらなら、売って頂けますのか? 値段を言ってくだされ」

「二十万両です、此から見に行って決めて下さいますかね、ほんに船は近くに止めていますから!」

「ほな今から、行きましょうか」

 紀文は凡天丸に案内し、旦那衆に聞くと納得即決で決まる実はこの時文左は、読心術を使ったのであった。

「大坂は主に銀使い、私は金の小判が欲しい、宜しいですか?」

「はい品物と引き換えで、取引は今日からでも、よろしおますな」

「へい、待ってますよってに」

 堂島川河口凡天丸は、各自問屋の平舟や人足で、ごった返した。

「高垣どの、ちょっと来てくれ」

「若旦那何か、ご用命ですか」

「紀州で、両替商知らんか?」

    紀州は大坂や江戸に比べると金融は全く発展していません、のでそういった事は皆紀州藩の役所に頼っていました。

「これは困った、千両箱山積で紀州に帰っても不安やの」

「あっ紀州に帰ったら何とか成りますよ、旦那と縁が在ります加納久光どのがいました、あの人は松坂の三井家と繋がり有りますよって為替の口座聞いて貰えますよ」

「そう三井は紀州藩領の松坂出身やった江戸に店あるし、そういえば為替も取り扱っていたようだ」

   徳川御三家のうち、紀州徳川家のみが上方銀経済圏に属していました。

   金は無いのも困るが、有りすぎても困るのでしょうかねぇ。
「あのう若旦那ちょっと、気になる事が有りまして……」


   第三十章、甲賀忍者との戦い


 根来同心組の、花岡十兵衛が言う文左は近寄って詳しく聞く。
    「実は町で探索中に、凡天丸の事を聞き回る女がいまして、不信に思い後をつけて見ると、天王寺屋という忍びの宿に入りました」

 あまりのことて、声詰める。

「別に不思議な事、無いのでは」

「へえ私はその女が細身の私好み粋な女でしたので、ついふらふらと執拗に追っていました」

「まあそれも仕事ならば、問題無いのではないのかな?」

「途中気ずかれまして、問いただされましたけれどその女が言うのに、ほぼっこんな不細工に肥えてる忍びもないわねと解放された」

「それは良かったではないか?」

「カチンときてますそれで更に調べ天王寺屋は実は甲賀忍者の出入りする忍び宿で、抜け忍山中権兵衛を頭とする忍者盗賊団でした」

  此処で簡単に甲賀忍者について述べておく、甲賀忍者は伊賀忍者と違って下忍少なく、いわゆるピラミツト型でなく独立した五十三家武士団的要素有り、薬学に長けている勿論火薬もそう、鉄砲隊を組織して幕府に広く用いられているが、甲賀忍者の仲にも時にはぐれ忍者集団がいたのでしようか。

「うむそれは、厄介な事だなぁ」

「へい不思議な事なのですが、その忍び宿で江戸で会った奈良屋茂左衛門が、頭(かしら)の山仲権兵衛と親しげに話していました?」

「ウムあの奈良屋茂左衛門か、大坂(今は大阪)まで来ていたか?」

「はい間違い有りません、今夜にも我が船を襲うとの事でした!」

「ご苦労様、引き続き監視を」

「はっお任せあれ、では後ほど!」

    と言うなり、花岡十兵衛は音も立てず風のごとく去った。

   紀文も根来忍者、それとはなしに天王寺屋まで、かよの女物の着物着て様子見に行きます。

   根来 同心 に器用な者がいまして髪結いもお手のもの、髪は丸髷でなく嶋田に結って貰いました牡丹のようなお嬢さんの出来上がりです、意外感有るのでこれで皆に疑われなく偵察出来そうです。

  それ で皆振り返るほど見事に化けたので、問題なく色っぽい女に変装出来何か癖になりそうです。

   そこで店に行く道すがら、しやなりしやなりと歩く姿を若い衆が此方をしきりに観てたので、からかい半分に流し目でウインクしたら、若者は突然後ろに後ずさりした。

「うわーおぉーっ」

「キヤゥン、ウワン、ワンワンワン!」

   犬のしっぽでも踏みつけたのか犬に追われてました、しかし若者の逃げ足速いことびっくりです。

   早きこと風のごとくを地でいってます、この若い衆将来有望ですなぁ 飛脚(郵便屋)に なれますよ、内心少し可哀想な気もしたけどねぇ。

   元々細身の女ぽい顔立ちしてましたし、女のしぐさはかよを見てその真似して、誰にも男だと気ずかれる事はありませんでした、まあ化けるのも忍者の得意技ですしね。

    ただ天王寺屋では、店の客とおぼしき男に絡まれました。

「ねえさんよ、儂の部屋来て酒のしゃくしてくれねぇか?」

    いきなり 手を掴んで、向こうに引こうとします。

「えっご無体な、あの私困りますわ!」

     と言ってその手を、そのまま合気で捻り上げました。

「わあっいててぇ、この女えらいバカチカラだ!」

   皆周りの人々が、その有り様を見ていたので、女にやられた照れくささも有るのかすごすご引っ込みました、けれど男とは疑われませんが危ない危ない、何とか無難に偵察終えました。

 帰ってから確信した紀文は、船室に皆を集め言った。

「今晩忍者崩れの盗賊が、襲って来るとの情報が入った。それに対応する為覚え書きを、渡すので町で用意してきて欲しい、以上」

「要った銭、後で貰えますか?」

「帰ったら高垣に貰ってくれ、急ぐので今すぐに動いて欲しい」

 半分ずつ交代で町にでる、船内問屋の荷降ろしで混雑していた。

 堂島の問屋三人が、挨拶に来た淀屋・和泉屋・天満屋・の旦那衆代表で淀屋重当が礼を述べる。

「紀ノ国屋さん、このたび私共をお選び下され有りがとうござります、良い事御願いしますよ」
    「淀屋さん丁寧な挨拶恐れ入ります、あなた様もお元気で気をつけて下さいましねぇ、特に金品有ればそこらかしこから狙われますので……」

「はい私共はそれを見越して、腕の立つ用心棒を雇っていますので大丈夫抜かりは有りません」

 皆で三々拍子を打って別れる、街に出たみんなも既に町より凡天丸に戻っていました。

「おおい、船を少し沖へ出そ」

 暗くなったので、衝突の危険から船をあまり大きく動かせない。

 周りに目を凝らすと、他所より来た船がひしめいている。

「此では船出せん、仕方ないな」

「若旦那、用意した品物どうします? 分かりませんのです」

「今から皆に説明しようと思う」
    紀文は並べた品を手に取り、使い方や工作方法を教えて廻った。

「まず茶色の着物に、着替えてもらおう船の色と同化するのだ!」

「ごみ箱の木の葢、どうします」

「飛んで来る矢弾防ぐ盾だ、そうだな外側に一尺格鉄板六枚張り付けよ」

 (一尺)は約三十センチである。

「唐辛子と小麦粉はどうします」

「紙に包んで目潰しにする、尚まんだらけなどの薬草を混ぜて、頭を朦朧とさせる! まぁいわば幻術だなぁ」

  文左衛門周りをせわしなく動き回る、多分動きながら考えていると思います、兎に角時間がない。

「菱の実は撒くと、足の裏に刺さるので敵の動き止めですね」

「竿竹は、加工しますか?」

「先ず竹槍、後矢弾除けにする」

   皆の質問攻めに、応対する。

「あの小鍋は、被るのですね」
    皆の質問にてきぱきと答え、たまに手にとっては指図している。

「能面は解るな! 矢尻よけや」

「気つけろ、忍者は矢先に毒塗る当たらず触らずだ、心せよ!」

「へい分かりました今すぐに、皆に申し送り作業に掛かります!」

 (くれ六つ)夕方六時になった。

 (敵を知り己を知れば百戦危うからず)と、心にいい含める紀文だ。

   この度は甲賀と根来忍者の戦いだ。といっても文左衛門には忍者道具などはありません、全て市販品の間に合わせの道具です。

   この日呑んでいた湯のみ茶碗に何気なく念を送ってみた、少し動いた気がした船が波で傾いて動いたのか?    印を結び雑念を払いもう一度試してみたら、おっ少しだがやっぱり動いた

 (おしっ、これはいけるぞ! )   

   後はこの念力をもっと強力にしなければならぬなぁ、逸れから幾度も幾度も精神を集中して、気の済むまで何度も練習をしました。

「そろそろ来るぞ、皆持ち場に付いて相手来るのを待ち構えよ!」
   勿論敵と味方を区別するため合い言葉を決めています、例えば花と松のように関連の無い言葉ですが、重要で命に関わる事で、これも根来忍者の秘伝に有ります。勿論同士打ちを無くす為でもある。

 皆は息をころして待っていた。

湊には灯台の登楼に火が灯り、潮風が肌に冷たく感じる。皆は農機具の草刈りの鎌を、腰にぶら下げている、狭い場所に適してます。

「ウウ寒いなぁたまりません!」

   空を見上げると曇ってきて、今にも雨が降って来そうだった、そのせいか濃い霧が立ちこめる。

「この霧のせいで、火縄銃は使えなくなったなあ有り難い!」

「でも対戦相手も、見えにくくなりますよねぇ」

   今回は不意に海賊に襲われた時よりも余裕があるし、対策や用意もしているが全くに面白くない。

「おおい皆提灯に火を付けよ、上がって来る者は皆敵だと思え!」

 船の内と外が明るくなり、不夜城のごとく浮かぶ。

 ヒュー、カツカツカと矢が刺さる。ダダタン火縄銃の音もする。

「来たぞぉ! 身をかがめよ」

 集団の盾の内より声する。
    暗闇に目を凝らすと、六隻の平舟が凡天丸を目指している。

「チイ感ずかれたたか、このまま引き上げますか?」

「馬鹿言え、此処まで来て帰れるか相手はたかが、素人の船乗りやひ弱い商人衆だ!」

 紀文は望遠鏡を取り出して、様子を見てみると一隻に五人が乗り込んで、皆黒ずくめで背に刀を差している。

 六隻ならば三十人である、凡天丸の十六人の倍近い甲賀者だ。

「それっ、者共心して掛かれ!」

「おおうっ、それっいくぞ!」
    先陣の三隻が漕ぎ手残し、寄せ手十二人で攻め掛かってきた。

 (カカツカツカ)縄梯子が左右舷に、掛けられる無気味に静かだ。

「おい野郎共、火は使うな燃えて沈むと、千両箱も海の底だ!」

「へい、がってん」

 忍びは見えぬから強いのだ、黒い衣装も明るいと逆に目立った。

 かえって野良着のような茶色っぽい方が目立たずに、良い場合がある。

 忍者達は遂に凡天丸を小舟で取り巻いた、登ろうと縄ばしごかけた時上から何やら落ちて来る、目が刺すように痛んだ、唐辛子の粉が次々と頭上に落下したのだ。

 目が痛い頭がくらくらするそれにもめげず次々登る、けれど今度は何か頭上から、黒い物が落ちて来た。
    それは四方に重りを付けた、あみである、被せられれば今度は海に落下する者は、そのまま浮かび上ってこれない者が多く出た。

「ううん何してる、相手はたかが素人の町人共だ皆で掛かれ!」

 総攻めに挑んで来た、守りは人数が少ない今度は乗り込まれる。

 (ヒュゥカッカッカ、ダダン)

 再び矢弾が飛んで来る盾をかざし身を守るので、登る者押さえ込めずに、とうとう上がって来た。

「皆怪我無いか、いよいよ敵が登って来たぞ気をつけよ!」

 皆盾をかざし、緊張して身構えている、全く戦なれしてないのであるどこか他人ごとのような感がある。

    この盾が意外に重宝した、特に手裏剣や鉄砲などの飛び道具刀などの受けそう素人でも扱えるのが、メリットでそれに身体も隠せたのである。

「うん奴らはいったい、どこ行ったのか?」

 声する方に石つぶてが、集中して乱れ飛ぶ。

「わぁぁいてて!」

 甲賀忍者は敵はどこから来るのかと、きょろきょろ見ている。

 暗いので足元に何か当っても気にせず歩く者は、竹に乗り上げ思いがけず足を挫く。

    転げると何処からか、人が出て来て棍棒で、袋叩きに合う。

 摺り足で歩くと、縄で足を引っ掛けられて転ける。くり返しやられると馬鹿にできない。

 (ヒュゥヒュゥ、カッカッカッ)

 文左衛門は拾った矢尻を手製の竹弓で射る、近いのでよく当たる甲賀者は鎖帷子着ているが、毒が塗られている為に少しの傷でも倒れる、まあ自業自得である自らの塗った毒矢である。

 甲賀者も負けじと手裏剣を投げて来るが、盾に弾かれ全く役立たず。

 紀文方は少ないが、一人で二人倒せば勝つのである。

 甲賀忍者にも体術はある、それを使って文左に向かってくる。 

「うりゃあ! アタタタッタ」

 文左のカンフゥが炸裂する、突然の奇声に戸惑って金縛りあったように動けない、忍者達瞬く間に蹴りや突きを喰らい倒れた。

    もちろんこの前取得した念力も使いました、飛び道具である忍者の手裏剣を封じ込める為です。

「うっどうした事だ、手裏剣持つ手がしびれて動かない!」

   相手は武術に優れた忍者で人数も多かったので、まだ自信なかったけども仕方なく使いました。

    帆柱の上から甲賀忍者が船員めがけて、短弓を打とうとしているのを眼にした、盾は真横に構えているので頭上はがら空きである。

「おおっと、危ない!」

   紀文はとっさに猿飛びの術使ってよじ登り、敵の忍者に食らいつき腹に蹴りを入れて、甲賀忍者を柱から落としその船員を助けた。

 相手方が少なくなってきた今度は梯子(はしご)を使い、皆が捕り物のように敵の首に掛け数人で取り押さえる。

 下から大きな声がした、甲賀の頭である。

「おい野郎共片ずいたら、早く千両箱降ろしな!」

   だがいっこうに、仲間の反応が無い。

「静かだおかしいな、仕方ない儂は今から船に上がるぞ」

 縄梯子を伝って登る、甲板に上がり見わたすと、要るはずの仲間が誰一人もいなかった。

   薄明かりの中目を凝らすと、町人風の若い男が天狗の面を付けて立っていた。

「あの、そこ元は山中権兵衛どのでしょうか?」

「誰だ! おぬしこの儂を知っておるのか?」

「甲賀忍者の山中権兵衛では」

「なぜ知る、お主ただ者では無いな、いったいお主は何者だ?」

 紀文はかぶり面を取り、素顔を見せる、敵はまだあどけなさが残る紀文の顔に戸惑う。

「忍びの盗人なら、隠す事も有るまい伊賀の本流であった根来忍者は藤林正武門下で、あざ名は猿飛佐助通り名は紀ノ国屋左衛門だ」

「ほうお主もやはり忍びか、さもあらん素人衆に負ける事はない」

「さぁ勝負は付いた、お主どうなされるのか?」

「えっと言うとお主このまま、儂らを逃がしてくれるのか?」

「私達は特に怨は御座らん、捕まえた子分も皆連れて行ってくれ!」

    文左衛門は血を見るのは好まない、それに同じ忍者一門という事もあった。    

    この一件で(紀文)こと猿飛佐助は 、忍者仲間内では 名を馳せるがそれは影の世界であって、世の中世間一般に名前は残らないのである。

   しかしこの紀文の働きは、風磨一族や甲賀一族を味方に引き入れた事で、江戸の情報社会に於いて根来忍者の質を押し上げたのである。

「それはかたじけない、儂も人として忍びとしてこの恩は生涯忘れぬ、ではおさらばで御座る根来の猿飛佐助どの!    証しにこれをやろう!」

    と言って手渡されたものは、握り鉄砲であった。十七センチ足らずの短筒であった。これは革新的な物で火縄を使わない銃である。

「最新式の鉄砲でござるな、これは珍しいありがたく貰います!」

   忍者集団(科学技術集団)は、海外の拳銃に近い短筒を開発していたのだ、もしは無いが根来に海外の最新の情報や物が、入ってれば日本はそんなに、西洋に遅れてなかっただろう、

    紀州には紀文のような先進的な考えを持つ人も、いたのである。しかし普通鉄砲鍛治が開発しそうなものであるのに。

「では紀文どの、さらばでござる叉いずれか……」

   多い甲賀忍者が少ない根来忍者にやられる、根来はさすがにもと伊賀の本流であったと認めたのである。

 甲賀忍者は負けを認めると、去るのも早い風のようにいなくなった。 

     多分盗賊団から足を洗い、組織を維持するのに甲賀忍者の得意とする薬学で、身を立てるのだろうと紀文はふと思った。

  (甲賀流は特に、忍者仲間内でも薬草学では有名であったのだ)

   薬は儲かるからなぁ今の平和な時代では、本業のスパイ仕事も少ない、忍者も転業しなければならない世になってました。

    ちなみに根来忍者は、毒物に関しては甲賀より詳しかったようでも有ります。

    毒物も少量なら虫下しのように薬にもなり得ますが、それは使う人次第でも有るようです。まあ毒を盛るのは人です当時は殿様が食べる前お毒味役がいましたが、一般人ではまったく防ぐ手だてもありませんねえ。

   人には欲が有ります、金次第で何をするかわかりません、現在には本当に狂った人もいますしねえ。

    ネガテブな事ばかりではありませんよ、ちょっとした工夫やアイデアが大発明に繋がるのですが、この頃技術は一部の忍者のみでしか研究されていなかったし、甲賀や伊賀もしくは根来の秘密とされ、多くは技術の引き継ぎもなかったのである。

   鉄砲鍛冶に火縄銃以外の、新しい発想をする者いなかったかと思う、まさか幕府に止められいたのだろうか、世界では火縄銃は古く時代遅れです、連発銃の時代に入りつつありました。

    兎に角戦闘で皆疲れたのか叉は安心感からか泥のように眠った、月も陰りがちで寄せくる波が眠気を誘い、妙にけだるさが心地良かった。
 

    第三十一章、宝の入り船(最終話)


    「朝だ、さぁ宝船の出航だ!」

 凡天丸は朝日浴びて皆の待つ紀州へと梶を切った。堺湊を過ぎるとだんじり祭りで有名な、岸和田に来た。

「若旦那、儂ら紀州に帰ったらどうなるかの?」

 訓練した若者達十一人が、情けない顔して聞いてきた。

「儂が江戸に行くと言ったので、心配して聞いているのか?」

 文左衛門は続け言う。

「お前達は根来同心が面倒見てくれる、侍にして呉れるらしいぞ」

「それはほんまか、嬉しいのう」

「そのために、訓練して来た」

「あの時に皆に言ってたら、もっと残る者いたと思うがのう」

「あれで良いのや、今の武士は辛いことも多くあるでな」

「そしたらこの凡天丸も、紀州藩の船となるのかな?」

「うん船と船員は一体で、藩が面倒みてくれるだろう、だから紀ノ国屋の海運業務も終わりて事だ」

「そしたら和歌浦にある、紀文の魚屋はどうしますのですか?」

「長年務めてくれた従業員に、店名変えて後を任せようる思う!」
    皆が納得するように、考えていました。物事にこだわらない性格でした、それで皆納得しました。

   立つ鳥後を濁さずです、人に憎まれたら後が怖いですからね。信長ももう少し人の心を知り、気配りしていればあんな最後はなかったかも知れません、紀文は人について本で勉強していました。

 船は貝塚を過ぎ岬町だ、もう少しで紀州に着く懐かしい故郷に。

「あのう若旦那、船は何処へ着けます」

「うんそやなぁ和歌浦港に、着けてくれるかのう!」

「下津では、ないのですか?」

「我が家は、和歌浦にあるんだ」

「へ、すみません分かりました」

「あっ和歌浦に着ける前に、友が島に寄ってくれるか?」
    高垣亀十郎が、不思議そうな顔して文左衛門を見ている、紀文は大人のようでまだ子供のようなところがある。(友が島に今度の儲けの一部分を埋めて、秘密の宝島にしようと思ったのです)

「紀文の若旦那、友が島に着きましたよ!」

「根来衆よ、三人ほど来てくれ」

「はい若旦那、私共に何なりと」

「今から遊びに、友が島に上陸する少し手伝って欲しい事がある」

   と言って友が島に上陸する、そして用事が終わったのか、ニコニコして凡天丸に帰って来た。子供の頃の  夢を叶えたようです。青春燃えるが如きである。

「若旦那お帰り、どうでした?」

「おう友が島の漁師に無理言うて釣り道具一式と、餌を貰うてきたでぇ!」
    と言って早速船上から釣り糸を垂れる、ググッと引きがきて釣り上げたら、見事な真鯛が釣れた。

「おっこれは大きいぞ、今日の飯のおかずや!」

   真鯛が、ピチピチ跳ねている。

「はい嬉しいですね、ご馳走になります今から料理しますよ!」

   それを見ていた皆も笑顔で、楽しそうでした。

   これを読む皆さんと同じく紀文には、若さという大いなる財産があったのです、頑張って下さい。

   もしあの時ああしていたら、こうしていたらと後で思うが、それは決断の結果そうなったのです。

   人生より良くする為、結果残せるように良い勘を磨きましょう。
    逆境必ずしも逆境に非ず、順境必ずしも順境に非ずですよね、世の中の目に見えぬ運の荒波を、渡る時手探りで勘を頼りで、渡らねばならない一歩間違えば、人生の落伍者になりますから、本当に怖いですよねぇ、人生一度やり直しはきかないのですifはないのだ。

「さぁ和歌浦に出発だ、錨を揚げよ帆をはれ!」

   西洋の有名な海賊が、日本の島に宝を隠してその海賊が、捕まったのかどうかわからずに、日本の島のどこかに眠っているとの、伝説は残っている。よく店を建て替える為土地を掘ったら、小判が出てきたと言った話などもある。

「紀文の若旦那、今度は何ですかこの前は湯のみとにらめっこしてましたが、今日は台上でいろはカルタとにらめっこですか?」
    三人ほどが椅子に坐る紀文を囲んでその様子をジッと見ている。

「うん今度は予知能力の研究をしている、何とか裏返したカルタの表を当てられないかと思ってね」

「若旦那それは無理ですよ、超能力でもない限りねぇ!」

「江戸へ行った時、商品相場の動きを予知しなければ、ならなくなるから超能力を得ようと思って」

   紀文お茶をのみながら言った。

「カルタとにらめっこして、予知能力が得られますかね?」

「なるかならぬか、やってみなければ解らんからのうハハハッ」

   あまりに熱心にしてるので、皆はそれ以上何も言えなかった。

   この頃まだ紀文のような、冒険心の強い若者もいましたが、しだいにやる気ない無気力な者が増えて来ました。
    景気の良い次の元禄バブル時代に突入しようとしてました時。

   いったい何が原因でしょうか夢をみない探求心の無い若者が増えて、忍者の研究開発も低迷するのでございます。

   いつの世も若者が、次の世を担うべき原動力となるのです。

   若者と言っても順送りで、気がつけばすでに年寄りになってますが、まあ時の過ぎゆくのは早く何事も思った時がやる吉日でしよう先延ばしはしない事と同じ成り。

 貞享三年(霜月)十一月二十日に和歌浦漁港のふ頭に船は着いた。

 夕暮れ時花火を海側の空に向けて、派手に打ち上げた。

(ドドドン、バリバリ、ヒューン)

 みんな花火に見惚れている、文左としては着いた合図だった。

 笑顔で高松河内がやってきた。

「おお紀文どの、でかしたようやった!」

「おかげで、やり遂げました」

 お由利の方、三十五歳も来ていた。源六若君を抱いている。
    源六君もう満三歳である。(後の徳川吉宗である)

「文左衛門、ご苦労チャま」

「賢い和子様で、ござりますね」

 紀文は、若君の頭を優しく撫でる。

「文左どの、そなたの申していた江戸行きの件を、藩主に言えば将軍に頼んでおくと言ってました」

 一呼吸置いて、続けて言う。

「江戸に行かれても、紀州藩は源六の事をお頼みしましたよ、あっそれとあなた江戸に行って何をなさるの?」

   文左衛門の、まだあどけない顔を見て言う。

「頼り無いですがお任せを。それと私は江戸に行って金儲けをします、商売が面白くて」

   何故か、気になって仕方ない。

「で、どんな御商売しますの?」

「へえ先ずは米屋、そして材木商いですか、熊野屋で習ったので」

「そうですか、でも金の亡者にはならないでね!   人の欲は本当に きりが有りませんから……」

「はい金の亡者にはなりません、金儲けに飽きた時は即止めますよ!」

「そうならば、良いのですがねぇ?」

「金は天下の回りもの、金の情報掴んでばっと儲けてまた使います、近江商人のごとく牛のよだれのごとく儲けるも一手ですが、私の性格に合いませんので!」

「では文左衛門殿江戸で頑張って、思うさま儲けて下さいね」

「はい士魂商才にてまず私が江戸へ行き、きたる源六君の先駆けとなる所存に御座りまする、お方様には何時も気にかけてくださりどうも有り難うさんにござります!」

 「そうですか差し出がましい事言いましたねぇ、もう言うことは有りませんよ、其れでは今後江戸では楽しみですねぇ!」

   それを聞き幾分か安心したようだ、頼れる者が必要だったのである言うと由利の方は、警護の役人に守られながらその場を立ち去った。

  この頃二代藩主光貞と、次の藩主たらんとする綱教の仲は、険悪であったと噂されている、三男頼職は綱教 と仲が良かった。

    由利の方にとって、不安なのは藩主光貞はかなり年をとっているのと、まだ源六君は幼いということであったのです。

    何を思ったのか紀文は、再び船に戻って女装して出て来ました頭にはカツラ付けています。

   そして後ろからかよに近ずき両手でかよに目隠ししました。  

「かよちゃん!」

   その時かよは、男の声に反応し合気で投げ飛ばしたのです。

   「わあっいたったたった!」

「あっその声は、文左衛門さん?」

「びっくりさそうとし、逆にこっちがビックリしたアイタタタ!」

   痛いのか文左衛門手で腰を押さえてます、女の無意識な技強い。

「あらごめんね、文左衛門殿何そのカッコは変だわねえ?」

    合点がいったようですそして改めて高松かよが、そっと紀文に寄り添い言いました。

「あら文左衛門どの、どうもお勤めご苦労さまでございます」

 かよが、ねぎらいを言った。

「おっとそうだ、江戸土産の越後屋で買った反物だが、気に入るかどうかな?」

「えっこれをあたしに、まあ嬉しい!」

 男文左の名が上がる一代分限と今も尚その名を誇る、紀ノ国屋文左衛門青春伝でした。

 この時掴んだ金は、合わせて二十七万両で紀文江戸行きの夢膨らむ。(この頃の一両は現在約十万円)

 ちなみに越後屋三井高利一代で築いた財産は七万両を少し上と云われている。

   時は流れ動く変化する、誰も時の流れには勝てない、誰も時を止める事など出来ない。

   ならば時の流れを的確に読み掴み、その時の流れに乗るベし。
   紀文は江戸時代を、駆け抜けた。いずれ令和時代を駆け抜ける者が、続き出てくるだろうと思います。

    皆さんも紀文のように大成功して、あなたの人生(青春)を、思うさまに突っ走ってくださいね。あまりに儲け過ぎると紀文のように、金への執着心が消えますが……。

「紀文」を読んだだからといって、紀文の活躍した時代では有りません。

   時代のニ-ズがあるのです、今何をしたら良いのか?     現在社会の人々のニーズを掴み、自分の出来そうな事をやっていると、不思議に協力者が現れて来ます。

   出来ない言い訳を考えるのでなく、どうすれば出来るのかを考える。此から何が必要に成るのかを考えて努力し大成功して下さい。

   運とは時の歴史でしょうか  、 個人、国家、地球、宇宙。

   そう大宇宙の神は見て御座る、神とは自然で真実成り。今後幾百年人々に、語り継がれるのであれば第二第三の、紀文が現れるだろう事信じて筆を置く。

 快男児「紀ノ国屋文左衛門」青春伝    、 劇終です。

    

 (追伸)

「後は、江戸にて材木商をやります、おいら江戸の町が大好きに成りました。皆さんどうもありがとう御座いました」

「アッそれと、江戸で結婚しますが吉原の花魁お蝶を見受けした事になっていますが、事情ありましてかよが早く江戸に来るため、吉原に頼みお蝶と改名致しました」


    


    
    
   
    
    
   
   
   
    
       
    
   
    
    
    
     

    
   
    
    
    
   

    
    
    
    

   
   
    
    

    


 




    

 



 





 



 

 

 


 





 

 


































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