異世界日帰り漫遊記

御結頂戴

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最果村ベルカシェット、永遠の絆を紡ぐ物編

6.涙の意味

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 書斎、とは言ったが、実際のところそういかめしい物でもない。

 その部屋は自分と母の為に作られた、いわば「暇つぶしの部屋」だ。
 一般的な個室程度の広さの六角形の部屋には一つの窓があり、天井まで伸びる飴色あめいろの本棚がぎゅっと詰まっている。成人した今となってはさほど高さを感じなかったが、昔はこの本棚の一段目があこがれの場所だった。

 そこは母親すら簡単には手が届かぬ場所であり、その棚の本を見る行為は、自分が大人になったかのような充足感を与えてくれると信じていたからだ。
 あの時は本の内容など関係も無くただ純粋にはしゃいでいたが、思えばその時から中をあらためるような聡明さが有れば、自分はもう少し良い未来に居たのかも知れない。

 この書斎を最後に訪れた時も、そんな事を思っていた。

(だが、今は違う。俺の隣にはツカサがいるからな……)

 書斎を目にしても、ツカサは無表情なまま室内を見渡すだけで、相変わらず何も反応しない。だがそれでもレッドの手を握ってくれている。それだけでレッドは存分に満たされた。感情を忘れてしまっても、彼が自分を信頼してくれているのは間違いがないのだと。

「……ここが……書斎?」

 目をしばたたかせながらレッドを見るツカサに、笑みを浮かべながら頷く。
 しかし、ツカサはそれを確認しただけでそれきり黙ってしまった。

(…………そうか。あの元気さも、感情が揺れ動くこその行動だったんだな)

 以前、プレイン共和国の【工場】で、ツカサと行動を共にした事が有った。
 あの時は事情が事情なだけにぎこちない関係だったが、それはともかく。
 共にいた時のツカサは、レッドの部屋にあった本棚を見て、目を輝かせながらそれを一生懸命に隠そうとしつつ本棚を見ていた。

 きっとツカサは、自分が過酷な状況に置かれていようとも、好きな物や興味があるものを見ると目を向けずにはいられない性分なのだ。そして、まるで小動物のようにせわしなく頭を動かしながら、それらを観察して子供のように興奮するのである。
 そこには一片の悪心などない。ただ純粋に、目に見える物に高揚していたのだ。
 しかしそれも、彼の心が今まで奇跡的に無垢で有り続けたからだろう。

(異世界……というものがどんな場所かは知らないが、ツカサが純粋でいられたのは、きっとその世界が優しい物ばかりだったからだろう。もしくは、よっぽど両親に愛され大事に育てられてきたか……なんにせよ、こんな世界とは違う場所だろうな)

 この世界では、もっとも絆の固い同族であっても殺し合い裏切り合う。
 同じ血が流れているというのにその事すら親愛の証拠にはならず、最も遠い他人が信用出来ると言うような有様だ。ここは恐らく地獄と言う物に等しいだろう。

 だが、そんな世界にあっても、ツカサは純粋な性格であり続けたのだ。
 信じられない事だが、自分はそれを知っている。
 だからこそ、嘘のない彼の純粋な言葉にかれたのだ。

(……そうだな。俺は、別の世界で生きて来た、その世界の価値観を有するツカサの言葉に惹かれたんだ。しかし……もしそれが、彼の本質からではなく、その世界では当たり前の事だからという思いからだったのなら…………)

 自分は要するに、別世界の“当たり前”になぐさめられた、という事だろうか。
 考えて、軽く首を振った。

(だからと言って、今更やってしまったことを取り返す訳にも行かない。俺は、邪悪な手段でツカサを手に入れる方を選んだ。悩む事はもう出来ない)

 そして今度こそ彼を完全に手に入れるために、恩をあだで返すような事すら行った。
 ……とはいえ、もう充分に働いたのだから、何かを言われる義理も無いだろうが。

「それで、何の本を読めばいいんだ?」

 不意にそう問いかけられて、レッドは我に返ると「そうだな」と返した。
 とりあえず、いったん落ち着こう。そう思って、ツカサを書斎にある二人掛けの椅子いすに座らせると、一番下の棚に並んでいる厚みのない本を引き出した。

 ページ数もあまりない平たい本だが、その代わりにこれには子供が好むような絵がページ一杯に描かれており、内容も難しい物ではない。いわゆる絵本というものだ。
 中身は道徳や情緒を育てるための童話だが、今のツカサには丁度いいだろう。
 その本を持ってツカサの隣に座ると、レッドは彼に見えるように表紙を見せた。

「……え、と……。もりの、おひめさま」

 一文字一文字確かめるように呟くツカサの声を可愛らしいと思いながら、レッドはゆっくりと本を開いて物語を読み聞かせてやった。

「昔々、ある所に……」




 ――昔々、あるところに、竜がむという森がありました。
 そこにはお姫様と王子様が仲良く暮らしており、お姫様は森の動物たちの為に植物に元気を与え、王子様はそんなお姫様を守って暮らしていました。

 二人はとても幸せです。森の近くの街の人達も、二人の幸せそうな姿を見るだけで嬉しくなって、森も街も幸せな空気にあふれていました。
 誰もが、いつもいつも二人のことや幸せな街の人の事を思いやって考えて、誰もが幸せに暮らしていたのです。

 けれどある日、二人のもとに王様が現れて、こう言いました。
 『王子よ、この国に危険が迫っている。いまこそお前の力が必要だ』と。

 お姫様は行かないで欲しいと泣いて頼みましたが、王子様はとてもたくさん悩んだすえに、王様と一緒に森を出る事にしました。
 それは、お姫様の事を守りたかったからです。
 だからこそ戦おうと思い、王子様はお姫様と別れる事にしたのでした。
 けれど、お姫様は納得出来ません。

 『王子様、どうか、いかないでください。王子様がいなくなったら、私は心が悲しくて、痛くてたまらず、死んでしまうかも知れません』
 
 泣きながら王子様の服を掴んで離さないお姫様。
 そんなお姫様に、王子様は優しく言いました。

 『安心して。きっとすぐにここへ帰って来るから。だから、僕が道に迷わないように、いつも森で帰りを祈っていてくれないか。そうすれば、きっと僕は戻れるから』

 その言葉に、お姫様は泣く泣く頷いて、王子様を送り出しました。

 けれど、それから半年たっても、一年経っても王子様は戻って来ません。
 春の月が一度終わり、夏の月が二度終わり、秋と冬の月が三度終わっても、王子様は帰って来ません。街の人達はお姫様がさすがに心配になって、森に様子を見にいくことにしました。すると、お姫様はずっと森の中で祈り続けていたのです。

『お姫様、もうおよしよ。王子様は帰ってこないよ』

 街の人達がいいます。けれど、お姫様は祈る事をやめません。
 街の人達は諦めて、何も言わなくなりました。

 そうすると、今度は森の動物たちもお姫様が心配になってきました。

『お姫様、もうやめようよ。王子様は帰ってこないんだよ』

 森の動物たちが口々にそう言いますが、お姫様は祈る事をやめません。
 何度言ってもやめないので、動物たちはもう言う事が無くなってしまいました。

 すると今度は、街の人達の噂を聞いた兵士達が、王様を連れてやってきました。

『お姫様すまない、もう王子様は帰ってこないんだ。だから祈るのはおよしよ』

 王様と兵士達がそう何度も言うのに、それでもお姫様は祈るのをやめません。
 最後には兵士達が無理矢理祈るのをやめさせようとしても、お姫様は決してその場から動かず、両手を組んでただただ王子様が帰って来るのを祈り続けていました。

 そうなるともう、王様も兵士達もどうする事も出来ません。
 とうとう全ての人がお姫様が祈るのをとめようとするのをあきらめてしまい、お姫様の事を心配したり、何か言ったりする人は誰も居なくなってしまいました。

 それから長い、長い時が過ぎて。
 ふと、街のおじいさんがお姫様の事を思い出しました。

 『そういえば彼女は、今どうしているのだろう。わしが大人になった時にはもうずっと祈っていたが、まさか今もそうではないだろうな。そんなまさか』

 そうは思いますが、なんとなく心配です。
 考える内にどんどん心配になって来たので、おじいさんはついに孫達と連れ立って森の中に入ってみる事にしました。

 森は相変わらずキラキラとした緑でいっぱいで、とても綺麗です。
 お姫様が森に栄養を与えて育ってくれていた頃と、何も変わりません。
 こうして綺麗な森になっているんだから、きっとお姫様はもう祈るのを止めて、森をいつものように綺麗にしてくれているのだろう。

 おじいさんはそう考えて、お姫様が祈っていた場所に行ってみる事にしました。
 すると。

 『ああ、なんてことだ!』

 そこにあったのは、お姫様の形をした、石像でした。
 なんと、お姫様はずっと祈り続けて石になってしまっていたのです。

 お姫様の周りには、小さくてきれいな丸い石がころころと転がっていました。

 『ははあ、これはきっとお姫様の涙に違いないぞ。王子様があんまり帰ってこないから、お姫様は悲しくて悲しくて、たくさん泣いて石になってしまったのだろう』

 おじいさんがそう思っていると、お姫様の石像のもとに白い鳥がやって来て、祈る姿のお姫様の手の上に優しく乗って一声鳴きました。
 そうして、それから離れる事も無くずっとお姫様の石像の所に居続けたのです。

 もしかすると、この白い鳥は王子様の化身かもしれない。
 おじいさんはそう考えると、誰も二人のことを邪魔しないように、森に誰かが入らないように守る事にしました。それがいいと思ったのです。

 ――それからこの森は、おじいさん以外誰も立ち入らなくなりました。

 やがて、森や街が幸せに溢れていた頃のことや、お姫様と王子様のことは誰も語らなくなって、誰もが全てのことを忘れてしまいました。
 そのせいか、幸せな森も幸せな街も消えてしまったということです。



「…………おしまい」

 可愛らしい絵柄の本の最後のページをめくり、ゆっくりと閉じる。

 昔読んだ時は、なぜこのような童話が有るのかと思うくらい憂鬱ゆううつな気持ちになったが、今読むと、この話は「周囲の思いやりに答えなかった者」と、姫の説得を諦めて「全てを手放してしまった者達」の末路を教える為の物だったと理解出来る。

 姫は諦めず王子の帰還を願い続けたが、他人の思いを汲み取らず頑固がんこに祈り続けたがゆえに、石になってしまった。対して、幸せを享受していた街の民は、彼女の説得を諦めてしまったが故に、幸せを手放してしまったのだ。
 頑固で居続けるのも考え物だし、諦めてしまうのもいただけない。
 そんな風に無意識に嫌悪させるために、この童話は作られたに違いなかった。

(だが、童話とは言え終わり方が淡泊過ぎて後味が悪いな……)

 そういえば、自分もこの物語はあまり好きでは無かったような気がする。
 何故手に取ってしまったのだろうと考えて、不意にツカサの方を向くと――

「え…………」

 ツカサは何故か、涙を流していた。

 無表情なままで、顔色一つ変えず……それでも、ほおいくつも涙の線を作って。

「ツカサ……?!」

 慌てて相手の肩をつかむと、ツカサは自分がどうなっているのかやっと気付いたのか、頬を指でぬぐって目を瞬かせる。

「あれ……これ…………」
「涙だ……どうした、ツカサ……悲しいのか……?」

 いっそ顔を歪めてくれた方が、まだ良い。こんな風に泣くのはあまりにも哀れで、レッドが思わずツカサを抱き締めると、相手は震えるのどで息を吸った。

「かな、しい……悲しいの、かな……」

 己を閉じ込めるレッドの腕を弱々しく掴んで、ツカサは再び涙を拭う。
 自分の感情を認識できていない相手に胸が痛くなるが、しかし同時に喜びを感じずにはいられなかった。

(ああ、やっぱりツカサはツカサなんだ。悲しいと思って泣けるような子なんだ)

 きっと彼は、この姫が哀れでならなかったのだろう。
 慈悲深い少年だ。物語の中の存在であっても、彼には実在する者のように思えて、ひどく心を痛めてしまったに違いない。
 やはり、彼の本質は何も変わってはいない。ツカサは間違いなく、心の底から誰かを深く思える優しい存在なのだ。

 そう思うと我慢出来なくなり、レッドはツカサを強く抱き締めた。

「お前は優しい子だな、ツカサ……」

 呟くように言うと、相手は縋るように自分の服を掴んでなついてくれる。
 それは、今までのツカサには有り得ないような……甘えた行動だった。

(俺に気を許してくれたんだな……)

 その事を嬉しく思いながら、レッドはツカサの黒く艶やかな髪に顔を埋める。

 ツカサはただ静かに涙を流して、いつの間にか、片手で“森のお姫様”の絵本を強く抱きしめていた。















※遅れて申し訳ない…_| ̄|○
 
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