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最果村ベルカシェット、永遠の絆を紡ぐ物編
絶望のものがたり2
しおりを挟むレッドの家は“導きの鍵の一族”という名前の不思議な一族で、今俺達が住んでいる【アランベール帝国】の建国に関わった叡智の一族として、この国ではとても大切にされているのだそうだ。
その“導きの鍵”という名前も、勿論ちゃんとした意味がある。
レッドの一族は、俺が想像もできないようなずっと昔から数多の書物や文章を保管して、それらを記憶し守っていて、人々の為にその知識を伝える役目を持っている。だから、人を導く事と叡智の鍵を持つ事からこう呼ばれるようになったんだって。
本当は別の呼び方が有るらしいんだけど、それはレッドの家の統主……一族で一番偉い人しか知らないとか。
……で、レッドは、その一番偉い人の家に生まれたらしい。
一族の中で最も偉い人は“統主”と呼ばれ、代々“ヴォール”という名が付いている家から選出される。他にも“ソンメル”とか“ヘスト”とか名前のついた一族がいるけど、統主になれるのは第一座位と呼ばれる“ヴォール”だけ。
だから、レッドも現在の統主であるお爺さんの跡継ぎになれるように、幼い頃から途方もない程の努力を積み重ねてきたんだって。
でも、話を聞く限り……その努力というのは、酷くつらいもののように思えた。
子供だって、親の手伝いをしたり水汲みとか薪拾いをしたりと色々とやる事が有るけど、でも遊んだり家族で一緒に楽しい事をしたりもするはずだ。
友達と遊ぶ時間だって、たっぷり貰ってる。それが、子供にとっての普通なんだ。
なのに、レッドはそうじゃなかった。
物心ついた時から勉強して、曜術を練習して、貴族としての嗜みを覚えて、人との付き合い方も厳しく教えられた。それが毎日毎日続いて、遊ぶ事すらもままならず、食事の時すら気が休まる暇なんてなかったという。
……とてもじゃないけど、子供のする事じゃない。
それでもレッドはずっと努力し続け、貴族として友人を作り、統主の孫として立派に立ち振る舞い、必死に“次期当主”の器として認められるように頑張って来たんだ。きっと俺が解ろうとする事すら失礼なほど、つらく厳しい道程だったんだろう。
子供の頃の事を語ってくれるレッドの顔は、とても悲しそうだったから。
「レッド……」
カーテンなんてない、板で窓を覆い隠した薄暗い部屋の中で、俺は隣で座り込むレッドの手に触れる。胡坐をかいた足を緩く掴む手は震えていて、必死で何かを堪えているかのようで見ていられなかった。
そんな俺にレッドは弱々しい笑みを見せ、俺の手をもう片方の手で覆って来る。
掌は、緊張しているかのようにじっとり汗ばんでいた。
「……ありがとう、ツカサ」
「ううん……大丈夫か……?」
辛いなら、無理に話さなくても良い。
そうは言ったけど、レッドは緩く頭を振った。
「話させてくれ。……聞いて貰いたいんだ」
「……わかった。聞く」
真摯な態度で頷く俺に、レッドは仕切り直すようにギュッと目を閉じて、己を落ち着かせようと深呼吸を繰り返す。そうしてやっと、震えを止めた。俺の手も、少しは役に立ったのだろうか。
見つめると、レッドはやっとわずかに微笑んでくれた。
「……楽しみなんてない子供時代だとは言ったが……それでも、あの頃の俺が腐る事も無く頑張っていられたのは、この別荘のお蔭だったんだ」
「ここの……?」
「ああ。……夏の月の中頃には、俺と両親は必ず揃ってこのベルカシェットに訪れ、避暑と称した休暇を楽しんだんだ。……その頃の俺は、父親が好きで……狩りや術の技術を、遊びの中で教えて貰った。いつもは貴族としての仕事などで忙しい母上も、この別荘に居る時は俺にずっと付き添って優しくしてくれたんだ。……あの頃は、本当に……本当に、幸せだった……」
遠いところを見るようなレッドの目は、悲しそうに見えた。
今はもう、昔とは違う。この部屋を見れば俺にだってそれが解る。
だけど俺がそう思う何倍もレッドはその事を実感しているんだ。だから、こんなにも悲しんでいる。その気持ちを理解出来ない事が、何故かとても苦しかった。
「この別荘での優しい思い出があったから、俺は辛い日々も耐える事が出来た。だが……ある時……それは、容易く崩れ去ったんだ……」
「…………?」
あれ……遠くを見ていたレッドの目が、なんだか、妙な光を帯びている。
これは、さっきのような顔だ。凄く顔を歪めて、これは……何かに、怒っている。
悲しんでいるんじゃなくて、多分怒ってるんだ。だけど、何に。どうして?
問いかけようと思ったけど、それより先にレッドが強い声を発していた。
「ある男が現れて……そいつのせいで、俺の家はどんどん狂って行った……。母上はその男に傾倒するようになって、父とも不仲になって……俺はこの別荘に来る事すら出来なくなったんだ……それから……」
レッドの顔が、歪んでいる。
必死で何かを堪えるようにして声を震わせ、耐えている。
何をそんなに我慢しているんだろう。何に怒っているんだろう。
解らなくて、どう慰めたらいいのかも判らなくて、ただレッドの手を緩く掴む。
その上から乗せられているレッドの手は、俺よりも強く俺の手を握り締めていた。
「名前も呼びたくない、その男によって……俺の唯一の居場所は壊された……。それどころか、母上はその男に殺されたんだ!! 俺は、見た……屋敷で、母上が、両掌に傷を持つあの男に殺されているのを……ッ!」
「な……っ」
そんな。レッドのお母さんは、殺されたのか!?
しかも「傾倒した」って言ってたよな、なんだか正体が良く掴めない人に……。
でも、どうして。なんでレッドのお母さんが懇意にしていた人に殺されるんだよ。
そう言うのって普通、怨恨とかが有るんじゃなかろうか。本で読んだ話だけど、こういう類の話は、傾倒していた本人が誰かに危害を加えるような描写がある物ばかりだったような……。
それがこうなるなんて、一体どうしてそんな事になってしまったんだろう。
聞きたかったけど……怒りのあまり俺の掌にまで爪を立てているレッドの顔を見ると、そうは言えなかった。だって、それはレッドの母親を侮辱する事になるから。
「レッド……」
名前を呼んだ相手の顔は、少し怖い。
だけど名を呼ばずにはいられなくて呟くと、レッドは一瞬ハッとして、それからは顔を緩め俺を見つめてくれた。
「……すまない。今の話は……忘れよう。俺はお前にその事を話したくない。あまりに悍ましい話だからな……。とにかく色々とあって、俺は二度とこの別荘には近寄るまいと思っていたんだ……」
「ここに来ると……お母さんとの思い出を思い出しちゃうから……?」
「そうだな……。この別荘に来ると、良い思い出ばかり思い出してしまう。そして、その美しい思い出が……今のこの醜い現実で塗り潰されそうな気がして、今の今まで近寄りたくなかったんだ。……変わってしまった挙句に殺された母上と、逃げ出した腑抜けの父という最悪な現実に……」
思い出が塗り潰される。そんな事が有るのだろうか。
だけど、俺の中の認識がブラックによって改められた事を考えると、絶対に無いとは言えそうになかった。けど良い事が嫌な事に塗り潰されるなんて、冗談じゃない。
レッドの今までの事を考えると、実際にレッドの過去を見聞きしたわけでも無い俺ですら嫌だと思ってしまった。
だって、つらい生活を耐えるための力になっていた「別荘での休暇」という優しい思い出が、陰惨な記憶で塗り潰されるなんて……そんなの、あんまりだよ。
レッドは何も悪い事なんてしていないのに、その「男」は何故レッドの中の楽しい記憶まで奪ってしまうんだ。記憶は、レッドだけの物のはずなのに……。
でも、それでもここに来たのはどうしてなんだろう。
もしかして、俺のせいなのかな。いや、たぶんそうだよな……。
「レッド……ここに来て、良かったのか……? もしかしなくても、ここに来たのは俺が記憶を失ったからだよな……俺のために、ここに来たんだろう?」
記憶が塗り潰されてしまったのではないだろうか。
心配になってレッドを見つめると、相手は何故か少し悲しそうな顔をして、良いんだと言わんばかりに緩く首を振った。
「ツカサが心配する事は無い。……むしろ……俺は、お前をここに連れて来たかったんだ。今となっては、俺を受け入れてくれるのはもうお前しかいない……。だから、この別荘でお前と、誰にも邪魔をされずに穏やかに暮らしたかったんだよ」
「……レッドの中の楽しい記憶の邪魔とか……してない……?」
そう言うと、レッドはやっと苦笑してくれた。
「むしろ、癒してくれてるよ。……ツカサ、お前は本当に優しいな……」
大きな手が、俺の片頬を包む。
レッドの手は、もう震えてはいない。
だけど悲しい顔はまだそのままで、それが俺の胸を絞めつけて……思わず、レッドに縋って言葉を発していた。
「…………じゃあ、俺……もっと沢山、楽しい思い出作るよ。レッドが笑顔になれるように、一生懸命頑張るから。だから……もう、悲しい顔、しないで……」
「ツカサ……」
咄嗟の言葉だったけど……でも、その気持ちは嘘じゃない。
厳しい家で育てられて、今もきっと辛くて、それなのに唯一の楽しい思い出だった場所すら、悲しい結末を遂げた両親の陰が塗り潰そうとして来る。
だけど俺がそれを少しでも防げるのなら、出来る限りの事はしたい。
もうレッドが悲しむ顔を見るのは嫌だ。いつもみたいに、笑っていて欲しかった。
「俺……まだ色々解らない事もあるし……レッドとの記憶も思い出せてないけど……でも、俺はレッドのこと好きだよ」
「…………」
レッドが目を丸くして、俺を見つめている。
どんな事を思っているのか解らなくて少し居た堪れなかったけど、でも、俺は今の気持ちを精一杯伝えるつもりでレッドに訴えた。
「家の外で何か嫌なことが有っても、ここでは忘れられるように……俺が、頑張る。だからその…………して欲しい、こととか有ったら……何でも言って……?」
俺には、レッドの悲しい過去を全部理解してやれないのかも知れない。
“あの男”という存在に関連する事には、一生触れられないのかも知れない。でも、奴隷として恋人として……支えようと努力する事は出来るはずだ。
だから、そう言ったんだけど。
「…………ツカサ……」
レッドはどうして、また悲しそうな顔をするんだろう。
嬉しくなかったかなと思ったけど、でも、レッドは俺を抱き締めて「ありがとう」と言ってくれる。それが建前じゃない事は、俺にだって解った。
でも、だったらどうしてそんな……つらそうな声で、お礼を言うんだろう。
分からない。大事な人なのに、笑顔にしたいのに、レッドが何に苦しんで悲しんでいるのか、俺には理解が出来ない。
それが、とても……苦しかった。
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