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ゴシキ温泉郷、驚天動地編
―貴族は運命の相手を夢想する
しおりを挟む陽光が差し込む豪奢な部屋には、醜いものなど一つもない。
調度品はその部屋の主の望む最高級の品ばかり。この部屋だけを見れば、ここが庶民の宿の一室とは誰も思うまい。だが、その部屋を望んだ主はこれが当然とばかりに金の装飾の成された椅子に座っていた。
そう、彼にとって、柔らかな皮を張った椅子も、美しい模様を刻む壁紙も、穢れとは一切関わりのない部屋すらも当たり前の物。
貴族にとっては、これが当然。
例え安価な宿に泊まろうが、宿の主人にはこのような部屋を用意させる。
それこそが、貴族たる者の当然の行為なのだ。
だが、部屋の主は今、醜悪と戦っている。
眉間の皺を厭い必死に冷静さを装いながらも、苛立ちを隠せない指でトントンとしきりにテーブルを叩いていた。
「ええい、ツカサはまだ見つからんのか!」
忌々しげな声を漏らしながら、部屋の主……ラスター・オレオールは鬱陶しそうに前髪を掻き上げる。
美しい金糸の髪はさらりと流れて、指の間をすり抜けて行った。
その様子を惚れ惚れと見つめながらも、初老の気の弱そうな執事は慌てて頭を垂れ、体全体で謝罪を表す。
「申し訳ございません、ラスター様……宿の主人は『宿帳にはそれらしき名前がない、知らぬ存ぜぬ』の一点張りで……」
「知らぬ訳があるまい! 俺はこの紫狼の宿であの少年を二度も見ている。食堂でも従業員共はしかと彼の姿を見ただろう! 役に立たない蛇を連れた黒髪の少年など、すぐに見つかるはずだ!」
「仰る通りでございますが、ここは観光地ゆえ貴族の権限は使う事が出来ません。宿帳の開示を求めましても、主人は強固に拒否をいたします」
そう、高等区の存在しない街や観光地では、貴族は特権を幾つか封じられている。その地では、貴族と下等民である一般人は同等に扱われているのだ。
世界協定により取り決められたその法は、ラスター達貴族にとっては鬱陶しい手枷も同然である。
一般街の下等民を尊重するなど、貴族のラスターにとってはあまりに我慢のならない事だった。
確かに、人権はあらゆる民に必要だ。下等民は下等民なりに暮らすべきで、貴族はその生活を守る義務を負わされている。
しかし、物事には序列や順序があるはず。下等民は庇護すべき存在ではあるが、その前にラスター達貴族が支配者である事を下等民に示さねばならないのだ。
下等民に甘い世界は、時に反乱や謀反を生む。甘くすればするほど下等民は不平不満ばかりを漏らし、果ては貴族を「虐げる悪しき存在」と罵るようになるだろう。そうなると国が立ち行かなくなる。
その事を知っているからこそ、ラスターは制限が鬱陶しいものだと感じていた。
今だって、下等民は自分達を敬おうとしていない。それどころか、貴族をバカにした態度すら取っているのだ。
下等民を守る事を義務とされている貴族と、庇護されているにも関わらず傍若無人な振る舞いを許される下等民。そのような構図が有っていいのだろうか?
人族の国の秩序は貴族によって保たれてきた。
それは数百年の時を平穏にした確かな事実なのだ。だからこそ、手前勝手に自分達だけの力で生きて来たと思い込む下等民を、ラスターは許せなかった。
しかし、現実はうまくはいかない。
宿に居たであろう少年一人探せない有様だった。
……こんな恥ずべきことをしているなんて、つくづく屈辱的である。
「では赤髪の中年男はどうした。アレには密偵を付けていただろう。あの男の部屋も、ツカサがどこにいたかも分かったはずだ」
あの男……同じ男とは思いたくない程のだらしない恰好をした中年は、事も有ろうか十歳以上も年の離れていそうなツカサを【婚約者】だとのたまった。婚約に年齢制限は無いとは言え、あまりに変態的だ。
確かに貴族の中にも、ツカサ以上に幼い少女や少年を妻とし、それをさも偉大であるかのように自慢してくる者が多い。
しかし、傍から見れば脂ぎった中年が青い性を囲うなんて悍ましいばかりだ。
貴族の風上にも置けない、とラスターは常日頃から思っていた。
もっとも、ラスター自身もそれと同じような事をしようとしているのだが、指摘する者はいない。
「その密偵なのですが……先程、何故か中庭で狂ったようにぐるぐると歩き回っておるのを発見しまして……。正気を取り戻させて問い質しましたら、自分はあの赤髪の男をずっと追っていたと言い張り……」
「なんだそれは、意味が……」
解らない、と言おうとして、ラスターは言葉を止める。
(待て、そのような術の話を聞いた事が有るぞ……)
それは、はるか昔に一度だけ習った事柄。
ある特殊な人間だけが使用できる術に、そのような効果のあるものが存在するという。その術は、名を【幻術】と言った。
幻術は普通の幻惑術とは違い、完全に人を狂わせる事も出来る狂気の魔法と呼ばれている。その力は、幻の街を造りあげ多くの人族を化かせる程。公には知られていない話だが、ラスターはそれが実話であることを教えられていた。
幻術はそれ程までに強力で恐ろしい術なのだ。
だが、今現在その術を使用できるものは存在しないはず。しかし、長時間人を狂わせ続ける術などそれ以外にありえない。
「幻術だとしても、まさかあの冴えない男が……?」
あり得ない話だとラスターは笑った。あのような男が高等法術など使えるはずは無いという確信があったのだ。
「ラスター様、いかが致しましょう……今から周辺に兵を出しますか」
「良い。どうせ、あやつらはラクシズへ向かうだろう。この周辺には国境の砦とラクシズ以外に休める場所はないからな。仮に砦へ向かったとしても、連絡をしておけばよい。何より……リタリア嬢の御加減も確かめたかったから好都合だ。彼女も俺の側室となる運命の大事な娘、気にかけてやらねばならん」
「はい、この国の全ての美しき者はラスター様の御許に傅くべきでございます」
当たり前のように言い腰を折る執事に、ラスターは満足げに息を吐く。
「その通り。故に俺は大事な物には最大限の事はしてやるつもりだ。……だというのにあのツカサという東方人は……」
「ラスター様、その……差し出がましい質問ではありますが、なにゆえそのツカサという少年をお求めになるのです。麗しいラスター様でしたら、目も眩むような容姿の美しい東方人もすぐになびくはず……」
おずおずと質問をしながらも、執事はラスターをしっかりと誉めそやす。
ラスターはそれを当たり前のように聞いていたが、ふと真面目な顔になって、テーブルに両肘を載せ口を覆うように両手を組んだ。
それは、思考する時のラスターの癖。
口元の変化を周囲に悟られないようにと自然に身についたものだった。
「ここだけの話……に、しておけ」
「は、はい」
居住まいを正した執事に、ラスターは目を細めた。
「昨日、俺は暗殺されかけた。それも、俺が最も嫌う間抜けで醜い死に方という醜悪至極な方法でな」
「なんと……!?」
「携帯食の中に【擬態蟲】が紛れていた。食材については全てお前が管理しているし、俺も査術を使って確認した。だが、あの擬態蟲は見通せなかった。……新種か、何者かが“造った”可能性が有る。擬態蟲は特定の地域にしか生息しない珍しい虫だ……この西方の国の北部に、もっと言えば水気のある場所に存在するはずがない。あの蟲は水に反応して石のように硬化するからな」
ラスターの言葉に、執事は驚愕を隠せない。がくがくと震え青ざめながら言葉を失っている。さもありなん、彼にとってラスターは己の命よりも大事な主人だ。その上、暗殺されかけたとなれば冷静ではいられまい。
しかし執事が恐れ戦く事で、ラスターは逆に冷静さを取り戻し、軽く溜息を吐いた。
「能力が減退している今、俺を殺そうと思う輩がいるのは当然だ。何しろ俺は貴族の中で最も有能であり力を持った美男子……【黄陽の書】の次期継承者だからな。だからこそ、ツカサを手に入れたいのだ。俺の確かな力となる存在をな……」
「もしや……その東方人には何か力が?」
聡い執事の言葉に、ラスターは頷く。
「あの少年からは未知なる力を感じた。しかしそれを謙虚に治め、また、未知なる力に頼ることなく俺を助けたのだ。ツカサは確かに学と知性がある。そして何より、通りすがりであるのに行き倒れた俺に尽くした。愚鈍な王侯貴族会にはあのような殊勝な者はおらんよ」
「確かに……それに、今時の下等民は愚かにも貴族を軽んじております故……」
そう。ツカサの行動は王侯貴族には真似できない。もっと言えば、下等民でもあり得ない無垢な行動だった。
ライクネス王国では近年、下等民が貴族に盾突く事件が増えている。領地を治める貴族を討たんとする集団を組織したり、街中で公然と貴族に暴言を吐く者が散見しているのだ。警備隊が幾ら取り締まっても自体は良くならない。それどころか、酷い時には領主である貴族の屋敷へ術を放つ事件も度々起こっている。
幸い、国王の耳には入っていないが、王都での暴動事件が起こってはこの騒動もいずれは知られてしまうであろう。何しろ、あれは王都の下等民が起こした呆れるほどの愚行だったのだから。
だからこそ、あの少年を早急に囲う必要がある。
ラスターがツカサをどうしても自分の物にしたいのは、そこに理由があった。
ツカサを召し上げるのは己を守るためでもあるが、国王を守るためでもある。
博識なラスターすら知らない救命術を、ツカサは知っていた。王宮仕えの木の曜術師でもあのような術は知らないだろう。
彼の能力は、実に興味深い。
それに、ラスターですら把握できない謎の力を持つ下等民を放っておくのは危険すぎた。ツカサのあの力や救命術がもしこれから発揮されるのだとすれば、事態がどう動くか解らなくなる。ツカサの存在は、今のライクネス王国にとって毒でもあり薬でもあった。
だからこそ、己の力に絶対の自信を持つラスターは彼を囲おうと考えたのだ。
ツカサを籠絡すれば、必ず彼の力は己の物になる……そうすれば、貴族たる自分の役目である国王を守護する任も果たせるのではないかと。
この国を、国王を守るのは、高潔で誇り高い貴族の義務だ。
打算と称賛からだけではない。
これは、貴族たるラスターにとっては当然の決断だったのだ。
「俺は機会を逃さない。だからこそ、必ずツカサを手に入れねばならんのだ。未知の力を野放しにする訳にはいかんという思いもあるが……無償で他人に尽くす心は得難い。何より、下賤の民が貴族を助けて礼も貰わずに去るなど……あり得ない話だろう? その清き心を拾い上げ愛でるのも貴族の役目だ」
「全く仰るとおりにございます……! このメラス、感服いたしました……!!」
思わず感動の涙を零して鼻水を啜る感動屋の執事に、ラスターは慈悲深い笑みを浮かべつつも、内心では己の情熱に苦笑した。
(……まあ、貴族であるが故と言うのは嘘ではないが…………実直清廉な俺でも、先程のは少し格好つけて言いすぎたな)
――――……あの時。
死を連想させる暗い世界から目覚めた時、ラスターは素晴らしい物を見た。
鮮やかな色彩を湛える花園の中で、自分をみて微笑む少年。
陽光が後光の如く差し込み、ラスターを慈しむような表情を見せた彼は、まるで女神のように美しかった。
そう、オレオール家が代々信仰してきた、聖獣を駆る慈愛の女神のように。
最早味方などおらぬと思っていた時に現れたあの少年は、きっと運命の相手に違いない。彼は、自分を救うために現れた。
ツカサは、ラスターが幼い頃に恋焦がれた存在の現象。
きっと彼は……――――救世の使者なのだ。
(ツカサ……お前は俺のものだ)
最悪な出逢いは、自分に運命を気付かせるためだったに違いない。
そう思ってやまないラスターは、己の業になど気付きもせず。
ただただ美しく笑ったのだった。
→
次からようやくギルドや冒険いくよ(`・ω・´)
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