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裏世界ジャハナム、狂騒乱舞編
潜思
しおりを挟むレサミデ監獄。
この世界に数多ある監獄の中でも、指折りの堅牢な収容所として有名な場所だ。
ハーモニック連合国は数多ある部族の坩堝である事から、こうした強固な監獄が各地に作られており、その中では日々厳しい懲罰が与えられていると言う。
まあ実際は罰則も罪によりけりだろうが、そうでも言わねば荒くれ者が跋扈すると言う事も有るのだろう。ハーモニックには武闘派の部族も多く、そのため、自由の国と謳ってはいるが実際はかなりきな臭い。
(……他の国なら、その“きな臭い理由”の一つであるジャハナムも、とっくの昔に解体されているだろう。だけど、巨大な裏社会は今も解体されずに別の社会として存続している。……それが許されるのは、多民族国家である事を象徴する為に掲げられた「自由」と、その自由を抑え込める兵力が存在しているからだ)
そう。自由と言う物には「力」が要る。
自由に酔い足を滑らせた時に、平静な状態に戻るためのありとあらゆる力。それが有るからこそ、全てのものは自分の想う通りに行動が出来るのだ。
ならば、ジャハナムという巨大な無法地帯が存在するこの国には、どれほど途方もない兵力が温存されていると言うのだろうか。
そんな力に、自分達は今から喧嘩を売りに行くのだ。
考えれば考えるほど、己の敵を知って憂鬱になる。
「……おい」
「なんだい、煩いな。必要がない時以外話しかけないでくれるかな」
質素で飾り気のない狭い馬車の中、斜め向かいに座っているクロウクルワッハがブラックを呼ぶ。言葉通り煩いなと思いながら顔を上げると、相手は馬車の外を見ろと顎を動かした。なんだろうか。
ガタゴトと車輪が音を立てて跳ねる車内で、軽く身を乗り出して窓の外を覗く。
朝方、二輌で出発したはずの馬車の向こう側に新たに二輌が加わっており、いつの間にか編隊は四輌になっていた。もしや、あの二つはジャハナムで雇って来た「お供」だろうか。
クロウクルワッハに視線を寄越すと、相手は無表情のまま目を細めた。
「血の臭いがする」
「なるほど、流石は獣。鼻がいいね」
「……が、それより気になる匂いが有る」
「気になるにおい?」
なんだそれは、と顔を顰めるブラックに、クロウクルワッハは眉根を寄せた。
「ツカサの匂いがする」
「は……? どうしてツカサ君をこんな所に?」
鼻が良いと褒めたのは間違いだっただろうか。
こんな場所に居る訳がないだろうとばかりに訊くが、熊男は首を振る。
「分からん。さしずめ、人質のつもりなんじゃないのか。査術だけ、と言い張るお前はともかく、オレはあいつらにとって恐ろしい力の持ち主だからな」
「成程ね。……そういうの、気に入らないなあ……」
ツカサを見世物にするかのように扱うのもそうだが、なにより「ブラックの力を抑止するため」ではなく「熊男を牽制するため」にツカサが使われると言うのが、何より腹立たしかった。子供かと言われそうだが、気に入らない物は気に入らない。
全てが終わったらゆっくり料理してやろう。
特にこの熊男はすぐに船に乗せて他の獣人と強制送還させてやる。
数日ツカサに触れられていないブラックは、欲求不満の上に感情を持て余して大いに苛ついていた。胸糞悪い命令に憤っていると言うのもあるが、大半の苛立ちはツカサを下衆に捕まえられて離れ離れになっている……という理由のせいだ。
犯罪は別にいい。殺しもいい。
今更罪を悔いても仕方ない身だ、殺せと言われれば殺すだろう。
だが、その行為を他人の欲得の為に強制され……しかも、ツカサに知られる形で命令されたのは許せない。黒に染まった体であっても、ツカサには、ツカサにだけは、そんな汚い部分を見せたくはなかったのに。
なのに、シムラー達はこんな場所にまでツカサを連れて来ると言うのか。
(……最悪だ…………)
そう思いつつ、改めて席に座る。
――クラレットを無傷のまま強奪するのは、ブラックには簡単な事だった。
なんなら護送している警備兵達すらも傷一つ付けずに、誰もがクラレットを奪われたと気付かぬままに移動させたりも出来る。
だが、それは周囲にツカサがいない場合の話だ。
ツカサがこの場所に連れて来られたと言う事は、その方法は使えない。
彼の心に重大な後遺症を残すかもしれないし、もしかしたら、それを使っている自分を見放してしまうかもしれない。そんな事、耐えられない。
だから、愛しいあの子だけには、それを使っている姿を見せたくなかったのだ。
(くそ……シムラーの奴め、知らん事とは言え、全てを台無しにしやがって)
ここに来て、他の方法を考えなければならなくなってしまった。
内心頭を抱えたくなったが、視界の端に移る熊男の手前そうする事も出来ず。
ブラックは平静を保ちながら、腕を組んで窓の外をじっと見やった。
(どうする……ツカサ君がいるとなると迂闊な行動は出来ないぞ……)
木々がまばらに生える荒野のような世界を眺めながら、ブラックは今一度自分が置かれている状況について思いを巡らせた。
(まったく、気が滅入る……)
……今、自分達は監獄へと向かう囚人を乗せた馬車を襲おうとしている。
無論、作戦は事前に伝えられ、ブラック達の準備は万端……にさせられていた。
その作戦とは、こうだ。
まず、ブラック達が待ち伏せして周囲に警備兵がいるかどうかを査術で探る。
その索敵により相手の兵士の数を正確に把握し、襲撃する地点まで先回りして、再び待ち伏せをするのだ。
こうして言葉にすれば簡単だが、実際難しい事である。
相手の遠距離部隊が近い場所に居れば、逆にブラック達が攻撃されかねない。
それどころか計画に感付かれて自分達が捕まる危険性もあるのだ。
だが、それはシムラー達には関係のない事だった。
彼らは襲撃地点に先回りしている。と言う事は、目を付けられるのはブラック達だけだ。狙撃されるのは先兵の自分達だけで、シムラー達は別の場所から警備兵の数を減らし、クラレットを奪ったらそのまま逃げてしまうだろう。
つまり、自分達は捨て駒と言う事になる。
索敵に失敗したら、捕まるか死ね。シムラー達は、暗にそう言っているのだ。
(ここまで汚いと、いっそ清々しいね)
ブラックの力が欲しいとは言ったが、有用でなければ廃棄する。
結局の所、シムラーは自分達以外の全てを見下しているのだ。
それが悪い事とは言わないが、使われる側としてはたまったものではない。
ブラック達と組まされた「お供」も、恐らく使い捨てにされようとしている奴だろう。この機に乗じて始末しようと考えているのかもしれない。
シムラーと言う男は、実に狡猾な男だ。
一つ失敗しても、その失敗を負債にしないような策を同時に作り上げている。
(……今回は後手後手だな)
相手の正体を見極められずに油断した事もそうだが、なにより、自分の思い通りに動けなかった事が足を引っ張っているように思えた。
本当に、自分はどうしてしまったのか。
そう考えて、溜息が出そうになる。
ツカサと出会って、一緒に旅をするようになってから、そんな窮屈な思いなど忘れてしまっていたのだろうか。
今までずっと、縛られて生きてきたような人生だったのに。
忘れられようはずもない、辛酸に満ちた記憶ばかりだったと言うのに。
(ダメだなあ。……ダメだなあ、僕は……)
全てを許してくれる人が出来た。誰もが、それを祝福してくれた。
そう思って舞い上がり、今までの苦しい事をすべて忘れてしまったらしい。
……そんな事が許されるはずもないのに。
(自分がやって来た事は解ってる。忘れてない。……それだけは、忘れてない)
だが、愛しい人が自分を見ていてくれるという事実だけで、その罪と罰に染められた黒い記憶は思考の奥底に閉じ込められてしまう。
このままみじめに生きていくのだと思っていた自分を、ツカサは救ってくれた。
そんな風に思えたのは、初めてだった。だから。
(ツカサ君……会いたいよ…………)
早く会いたい。会って、力の限り抱きしめたい。
そうして今度こそ離さないと誓って、煩わしい物のない場所へと旅立って。
自分の心を温かくしてくれたその笑顔を、自分だけの物にしたかった。
(ツカサ君……)
並走した馬車のどれかにツカサが乗っているのだと思って、心内で名を呼ぶ。
決して届かないとは解っていても、今からの事を考えると名を呼ばずにはいられなかった。最悪、また離れ離れになるかも知れない。
死ぬつもりも逃すつもりも無いが、長く離れていると思うと無性に悲しくなる。
こんなに恋焦がれているのに、どの馬車にいるのかすら判らない。
その事すら、ブラックには苦痛に思えた。
(この声が届いて、振り向いてくれたらいいのに……)
そう思って、溜息を吐いた。
――――と。
「…………え?」
思わず中腰になって窓の外を見やるブラックに、同乗者が首を傾げる。
「なんだ。何かあったのか」
訊いてくる相手に、ブラックは何でもないと返して座席に座りなおした。
だが、動揺は収まってはいない。ガタガタと揺れる座り心地の悪い席に尻を動かしながらも、突如として現れた変化に忙しなく視線を動かしていた。
(これは……そうか。そうなんだね、ツカサ君)
突然の事で驚いたが、良く考えてみれば自分達には「そういう策」があった。
と言う事は、ツカサはブラックの知らぬ所で、自分達を助ける為に必死で動いてくれていたのか。思わず嬉しくなったが、顔には出さずに呼びかける。
(嬉しいよ…………やっぱり、ツカサ君は僕の救世主だ)
心の中で呟く声に確かな手ごたえを感じて、ブラックは薄く笑った。
→
※次回、一話の中で交互に視点が変わるのでご注意ください
五行くらいスペース開いていたら、視点が変わってる証拠です。
分かりにくいかもですが宜しくお願いします(;´∀`)
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