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北アルテス街道、怪奇色欲大混乱編
25.外道畜生、人外に堕ちて世に蔓延る
しおりを挟む俺達の居る場所から館の壁までは、少し距離が有る。
森のすぐそばにある馬小屋に使用人のお爺さんがいないかと心配だったが、どうやら馬達もぐっすり寝ているらしく俺達に気付く事は無かった。
幾分かほっとしつつ、俺達は充分に時間をかけて最小限の動きで窓の下へと辿り着く。そうして、壁に体を付けて部屋の中の会話を聞き取ろうと耳を欹てた。
「…………」
館の壁は案外薄いのか、それとも相手の声が大きいのか、村長達の笑い声と会話が聞こえてくる。その声は、俺達に向けていた優しげな声とは全く違っていた。
「ハハハハハ! いやぁ、これで今年も媚薬が大豊作ですねえ」
これは、男衆の誰かの声だろうか。若干酔いが回っている若者の声に、上機嫌な村長の声がまったくだと相槌を打つ。
「タケリタケは血気盛んな若者の方が上質な苗床になるようだからな。まったく、あのキノコが人の死骸にも簡単に生えるだなんて、冗談も良い所だなあ」
「全くですな。しかし、それが回りまわって金を生むのだから驚いたものだ」
この老人の声は、村の有力者だろうか。声の感じからして三人しかいないようだから、彼らは男衆のリーダーと、ご意見番と言った感じなのだろう。
諸悪の根源三人組ってところか。
「しかし……惜しかったなあ。あの黒髪のガキだけでも残しておけば、旅人相手にいい商売になったかもしれないのに。あの感じの少年ってのは貴重っすよ」
「それは考えたが、金になるのはやはりあの化け物の媚薬の方だからな。お前達の慰み物として取って置くのも良いが、金には変えられんだろう」
「ホホホ……全ては村のため、村に金さえ入ればそれでいい」
化け物。それって、チェチェノさんの事だよな。
こいつら、やっぱ下心が有って彼を助けたんだ。……いや、昔は純粋な気持ちで助けたのかも知れないが、今のこいつらはその時の優しさすらないらしい。
他人を金になるかどうかでしか判断せず、旅人の命すら金勘定で判断している。
自分達が潤えばそれでいいと、そう思っているんだ。
「…………」
もしかしたら、ピクシーマシルム達もやがて彼らに騙されて、媚薬を作るための道具にされるかも知れない。それを考えると、腸が煮えくり返るようだった。
……俺には、何もできない。
出来ないけど、あいつらのやってる事は、人として許せなかった。
「しかし、あの男はどうします」
「なぁに……いつものように『お連れ様は先に出立されました』と言えばいい」
「前は『傭兵さんはもう少し滞在したいらしいので』って台詞でしたよね」
「そうそう。まあ、毎度毎度よく騙されてくれる」
「ハハハ、そうじゃなけりゃあの男を後任になんて選ばんさ。ただでさえこの辺は人が少なくなって、新しい苗床が足りなくなってるんだ。あの男にはまだまだ人を連れて来て貰わんとな」
トルクさんの事か。やっぱり、彼も騙されてたんだ。
犯罪の片棒を担いでいなかった事にホッとしたが、それでも今の話を聞いていると抜け過ぎてるんじゃないかという気もする。
だって……村長達の口ぶりだと、今までの旅人達ってトルクが連れて来た傭兵や旅人って事だろう? 中には迷い込んできた奴も居たんだろうけど、にしたって、あの【食料庫】の苗床の数は半端じゃなかったぞ。
黒い異様な固まりは、十や二十なんてモンじゃなかった。
まさか、あのレベルの数を連れて来て……まだ気付いてないってのか……?
そこまで考えて、俺はいやと首を振る。
村長達は、村の周辺に人が少なくなったという一見関係のない事を言っていた。
そう言えばこの村はドラグ山のふもとで、街道から外れている。その街道には、丁度廃墟になった六つの村があったはずだ。
そう、村人全員が謎の失踪を遂げた村が。
――――まさか……。
「それにしても、苗床になると骨まで養分にされるんですね」
「まあ証拠が残らない分ありがたいがな」
「人の命で出来る媚薬なんて、そりゃあ高値も付くというものだ」
…………まさか、こいつら……
近隣の村の人間全てを、金の為に苗床にしちまったってのか……?
「――――……ッ!!」
吐き気が、込み上げる。
この村の人間達の所業もそうだが、一番俺の動揺を誘ったのは、その「人の命で作られた媚薬」を飲んでしまった自分への激しい嫌悪感だった。
知っていたはずの事実なのに、この悪辣な男達の言葉に今更胸が悪くなる。
……生きるってのは、命を奪う事だ。それは分かってる。だけど、こんな非道な方法で搾り取られた命で作られた物を使ったという事実は、甘い世界で生きて来た俺には到底耐えられるものでは無い。
その媚薬で散々乱れた自分の事を思うと、気が狂いそうだった。
思わず口を押さえた俺に、すぐ隣にいたブラックが寄り添ってくる。
そんな場合ではないと解っているだろうに、ゆっくりと俺を抱き締めて来た。
「…………落ち着いて」
微かな声で一言だけ呟いて、ブラックは俺の頬に自分の頬を摺り寄せる。
いつもの、無精髭が痛いだけの頬。
だけどそのむず痒い痛みを感じると、何故だか吐き気は次第に治まっていった。
「そろそろ、あのチビキノコ共も成長する頃合いだろう。その前にもっとたくさん苗床の数を確保せんとな」
「なぁに、南の街道にはまだ村が有ります。ちょっと秘密めかして【天国のような村が有るんだ】と言えば、連れて来るのは簡単ですよ。他の村の奴らはバカだし、旅人ってのもそんなバカな噂を信じる愚か者ですからね」
「無知や夢追い人というのも、哀れな物だのう」
人を馬鹿にしたような口調で口々にそう言って、三人は笑っている。
俺はブラックに抱き締められながら、新たな情報に眉を顰めた。
天国のような村が有るって噂って……マイラで聞いたアレか?
まてよ、その噂を流した旅人は、尋常じゃない様子で何処かへ消えたって言ってたけど……もしかして、その旅人はこの村で歓待を受けて、媚薬で骨抜きにされた人だったんじゃないのか。
旅人は何も全員捕まえる必要はない。盛大にもてなして、媚薬と快楽で骨抜きにした後に離せば、相手は勝手にブレア村の事を吹聴してくれる。
そんな桃源郷のような村の噂なら、爆発的に広がって探す奴も出て来るだろう。
現に、マイラの街では「怖い噂」が「良い噂」に取って代わられてたし、マイラを拠点にしている旅人達は皆知っているようだった。
あくまで噂だから探そうと思う暇人はそういないだろうが、しかし、水先案内人が居れば別だ。その噂が真実だと言えば、人は簡単に付いて行くだろう。
そして、村で処分する。そうすりゃ真実が広がる心配はない。
冒険者は、夢やロマンを求める。逆に言えば、未知の素晴らしい物を追い求めてのめり込むからこそ、冒険者に成れるのだ。一朝一夕の決意や思いで成れるようなものではない。その性質をバカと罵るなんて、本当に性根が腐った男達だ。
「さて、今度は何日持つかな」
「二人ですからねぇ、半月程度は頑張るんじゃないんですか」
「だがまた発狂して幼体を殺されては困る。暴れているようなら……」
「解ってますよ。ザクっとね」
「明日にでも声を聞きに見に行ってみるか。少年の絶望した声は初めてだな」
楽しみだ、と笑う声に、握り締めた拳に爪が食い込む。
今ここで怒鳴らない自分を褒めてやりたい。
絶望を知って発狂する人間の叫びを、笑って聞いている奴らがいる。
そんなこと、真実だとしても知りたくなかった。
「つまり……北アルテス街道の噂はすべて、この村の事を指していたんだね」
寝静まった館の中、薄明りの点いた廊下を歩きつつブラックが呟く。
俺はすぐそばで跳ねる小さなキノコを気にかけながら頷いた。
「最初に流れた噂は、この村の奴らに根絶やしにされた六つの村の廃墟についての根拠のない噂で……二つ目の“良い噂”は、それを逆手に取った村人達の仕業。それに拍車をかけたのは、この村で薬漬けになった男の言葉だ。彼がどこに行ったかは判らないけど、偶然取り逃がした男の言葉が彼らに噂で釣る方法を思いつかせたんだろう。もっと言えば、この村で歓待を受けて帰って来たトルクさんの傭兵もそれを誰かに話していたのかもな」
「だけど、彼らはもうマイラの街にはいない。……たぶん全員、この村に再び訪れて苗床にされてしまったから」
「…………人間のやる事かよ」
本当に胸糞悪いが、そう言い続けていても仕方ない。
俺達に出来る事はさっさとトンズラこいて村の奴らを一網打尽にする事だ。
今となってはこの村で筆降ろししなくてよかったぜと思うばかりである。
「しかし……まさかエネの怪談が当たらずとも遠からずだったのは驚いたね」
曲がり角に来るたびに口を閉じ、周囲に人の気配がない事を確認しつつブラックは言う。それには俺もびっくりだったよ。
だって、アレはただの怪談だったのに、殆ど正解みたいなものだったんだもん。
宿のない村に、人を襲って行方知れずにしてしまう男。
ニュアンスは違うが、不穏な村と人攫いという所に置いては的中している。
人の想像力ってのはほんと、時々凄い奇跡を起こすもんだ。
「にしても……どこから探したもんかね。流石にもう、僕達の荷物は部屋から移動させられてるだろうし……」
「在るとしたら……倉庫か村長の部屋かな……ロクも無事だと良いんだけど」
ロクからの呼びかけが無いって事は、ロクはまだ寝てるはずだ。
流石に食べられたりなんてことはないと思いたいけど……。
「ムム?」
「あ、えっとね、今は俺達の荷物を探してるんだよ」
解るかなと囁くと、ピクシーマシルムは目をぱちくりと瞬かせていたものの、なにやら地面に顔を付けてカサを動かし始めた。もしかして、これは匂いを嗅いでいる仕草なのだろうか。やがてピクシーマシルムは顔を上げ、俺達を誘導するように或る方向へと動き出した。
「キノコって、鼻とかあるのかな……」
「さあ……モンスターだし、たぶん……」
根本的な疑問が湧くが、この世界はファンタジーまみれだしな……。
それを言えばキノコは鳴かないし動かないもんなんで、本当考えるだけ無駄だ。
小さなキノコに誘われるがままに一階を歩いて行くと、なにやら頑丈な錠が嵌めてある鉄の扉に辿り着いた。もしかしなくても、ここは倉庫だろうな。
「はー、やっぱこんな所に……案内してくれてありがとな~!」
「ムムー!」
お礼の意味を籠めて柔らかい頭を撫でてやると、ピクシーマシルムは嬉しそうにカサをまふまふさせた。ああ、生き物っていいなあ……。
「この程度の錠なら軽いな」
「あ、そっか、アンタ金の曜術師なんだっけ」
「うん。まあ見ててよ」
そう言えば、ブラックが実際に鍵をピッキングしてる所は見た事なかった。
どういう風にやるんだろうかと興味津々で見ていると、ブラックは小声で何事かを呟きそっと南京錠っぽい鍵に触れた。
「…………三の縛めの一つ」
カチン、と小さな音が鳴る。
「二つ、三つ」
南京錠の奥から、カチャ、カチャと何かが動く音が微かに聞こえた。
もしかして、ブラックは内部の構造を読み取って、脳内で鍵を外すイメージを作ってるんだろうか。それを術に流し込んで解錠してるってこと?
何だか予想してる自分ですらこんがらがってくるが、そうだとしたら凄い。
「……よし、開いたよ」
そう言いながら、ブラックは南京錠の鍵を軽く開く。
なんの道具も使う事なく簡単に落ちた錠に、俺は驚きを隠せなかった。
いやだって、ピッキング道具いらんじゃんこれ。どうかしたら俺のオートロック式の家まで軽く突破されるんじゃないの? あれだって金属の集まりだし……。
うわ怖っ。本当俺の世界に曜術なくて良かった。
「さ、ツカサ君行こう」
ドアを縛めていた物を取り去り、ブラックは何事も無かったかのように鉄の扉を開ける。何が一番怖いって、当たり前のようにピッキング出来てるこの人ですけどね。……まあ、今回は場合が場合なので、アレだが。
音を立てずに重苦しい鉄の扉を動かし、自分の体が入るギリギリの隙間だけ開けて俺達はその中へと滑り込んだ。俺達が扉を閉めて隠れても、南京錠が破られてるから誰かが見れば侵入者がいると気付くだろう。その前にさっさと逃げねば。
早く俺達の道具と服を見つけよう。そう思って見渡した倉庫の中は、何と言っていいか、言葉に詰まるような物ばかりが放置されていた。
「……ブラック、これ……」
「恐らく“売れそうだけど出所がバレそうで未だに捌けてない物”を保管してるんだろうね。年代物の銘入りの剣だとか、一点物っぽい曜具も置かれてるし」
ワンルーム程度の広さしかない空間には、幾つもの棚が並んでいる。
その棚には、道具屋のように色々なアイテムがずらっと収められているのだ。
しかもそれらは、おおよそ村人が持つ物ではない旅人用の道具だ。この道具達の持ち主は、もうこれらを持ち帰る事はないだろう。
そう思うと背筋が寒くなったが、立ち止まっていても仕方ない。
時間をかける訳には行かないので、俺達は手分けして自分達の荷物を探した。
「えーと…………」
「トルクが帰ったすぐ後だし、まだ僕達の物は売られてないと思うけど……」
しかし、こう数が有ったら探すのに手間がかかる。
困ったなあと思っていると、ピクシーマシルムが俺の服の裾を引っ張ってきた。どうやらどこかへ誘導したいらしい。付いて行くと、比較的扉の近くの棚に俺達の衣服や道具が乱雑に置かれているのを見つけた。
おお、やっぱ凄いな嗅覚!
「でかしたよ、キノコ君!」
「ありがとなー! よっしゃ、さっさと着替えようぜ!」
はー、やっとこの病人服からオサラバできる!!
ブラックにはしっかりと後ろを向かせて手早く着替えた俺は、荷物の中にロクが混ざっていないかと探した。
「ロク?」
重ねられた衣服の中に、あの細長い姿はない。ウェストバッグの中に入ってないだろうかと探して、手が有る物に触れる。それは、ガトーさんから貰ったコケシっぽい人形だった。……結局使わなかったけど、まあ、ある意味お守りが欲しい展開だったなこれ……。ってか、ロクがいないんですけど!
どうしたんだろう、どこかで眠ってるのかな。無事だったら良いんだけど、村長に捕まってたりしたらどうしよう……まさか蛇酒とかにされてないよな!?
あああどうしようぅうう俺が祭りに連れて行かなかったせいだあああ!!
「ツカサ君、ロクショウ君は見つかったかい」
「いや……バッグの中にも居なかったんだ。どこ行ったんだろう……」
「……索敵で探してみるかい?」
「え、出来るの?! でも、外には気の光がほとんど無かったじゃん」
「この服装でならね、なんとか」
良く解らないけど、ブラックの服に秘密が有るんだろうか。
そういえば、炎の曜術も「普段の服装をしていたら使えた」って言ってたよな。もしかして、そういう曜具が組み込まれてるとか?
マントの留めの所にある紫色の宝石っぽい奴かな。
今までファンタジーな格好いいマントだとしか思ってなかったけど、汚れ除けであるだけじゃなく、いわゆる「魔力補強」の意図も有ってつけてたんだろうか。
むう、それなら話してくれても良かったのに。
「あまり広範囲は探せないけど……いくよ」
ブラックの体が淡く光り、波状の光が一気に周囲へと放出される。
久しぶりに見たが、その波状の光輪の範囲は相変わらずかなりの広さだ。これで「なんとか」と言うなんて、こいつが本気出したらどのくらいになるのやら……。
想像も出来んと思いつつ、ブラックが捜し当てるまでじっと待っていると。
「……ん?」
僅かに何かを感じ取ったのか、ブラックは眉を顰める。
「変だな……」
「どうした?」
「いや……気が微弱なせいか、判別の精度に問題が……あっ、でも大丈夫だよ! 小さいモンスターの位置は捉えたから。多分……アイテツ君の所……かな?」
ブラックらしからぬ曖昧な物言いに、俺とピクシーマシルムは首を傾げる。
しかし、今は問いただしている暇はない。とにかく藍鉄の所に行ってみよう。
俺達はしっかりと南京錠を元通りに掛けると、庭に出るドアへと向かった。
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