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波乱の大祭、千差万別の恋模様編
22.例えその身を手に入れられなくても1
しおりを挟む「なんだ、お前……」
突然空から降ってきた何者かにたじろぐファスタインに、相手は無言のままでゆっくりと立ち上がり、ちらりと俺の方を見た。
綺麗な橙色の瞳が、俺の姿を見て一瞬丸く見開かれる。
いつもの無表情ではない、あきらかに硬直した顔を見せた相手に、俺は掠れた声を漏らして表情を緩めた。
「く…………クロ、ウ……」
無事だったのか、と思うと同時に、こんな場所に助けに来てくれた仲間に安堵の気持ちが湧く。しかしクロウにはそんな事は関係ないようで、顔に陰を作るほどの険しい顔をして、早足で俺に近付いてきた。
「ツカサ……っ」
凛とした低い声が、苦しそうに歪んでいる。
何もお前が苦しむ必要はないのに、と手を伸ばそうとしたが、俺の体は縛られていてどうしようもない事に気付いた。そんな俺の姿を見て、クロウは歯軋りをせんばかりに悔しげに口を開き歯を見せ、俺の体に張り付いている小さなクラーケン達を無理矢理に引き剥がした。
「っあ゛ぁッ!!」
きゅっ、吸盤が! 吸盤が引っ張られて余計に肌に!!
でも痕はついてないみたいだ、よかった……ってか、暴行され過ぎててもうどれがイカの吸盤痕かもわからんけどな……とほほ。
まあその事を考えるのは後で良い。とにかく、クロウが助けてくれたことに感謝しなければ。そう思って顔を上げた俺に、クロウは苦しそうな顔で耳を垂れる。
「すまない。すまない、ツカサ……オレがあんな所で気を失わなければ……」
「ば、バカいうなって……あれは、不可抗力だ……。ヘヘ、でも……お前が助けに来てくれて……よかった……」
このままだと本当に凌辱されて絞め殺されそうだったし、なによりブラックと喧嘩して怪我してなくてよかったよ。俺だって不注意だったんだから、この事で二人が喧嘩すんのは嫌だし。
そう思って上手く動かない顔で無理矢理に笑うと、クロウは悲しそうに眉を顰めて片腕で俺の事を支えると、簡単に縄を引きちぎった。
「ツカサ、すぐに島に連れて帰るから少し我慢していてくれ」
腕が俺の体を抱き留めて、そのまま抱きかかえられる。
未だに手は縛られていたけど、腹にかかる重さが無くなった分とても楽になって、俺はクロウの肩に頭を預けてゆっくりと息を吐いた。
ああ、安心したらめっちゃ痛みが……。
「ちょ、ちょっと待て! 貴様ただで帰れると思ってるのか!」
この事態には焦ったのか、ファスタインがクロウに怒鳴る。
だがクロウは全く動じておらず、元の無表情に戻って鬱陶しいとでも言うようにファスタインを見て目を細めた。
「お前らの都合など、心底どうでもいい。殺されないだけありがたいと思え」
ツカサの目の前で人間を殺せば、ツカサが悲しむ。
なんて事を言いながら、クロウは甲板でうねっていた小さなクラーケン達を容赦なく足で踏みつぶした。
ぐしゃ、という音と共に青い血が飛び散って、俺は思わずびくりと肩を竦める。
「く、クロウ、モンスターでも赤ちゃんは殺したら駄目……」
「ああ、すまない。それもだったか。だが意趣返しはしないとな……」
そう言うクロウの目は、冷静な顔とは反対に怒りにギラギラと輝いている。
ガキを全員殺さないだけありがたいと思え、と言わんばかりの目に、俺は直感的にヤバいと感じた。
そうだ、クロウはもともと、ブラックよりも先に手を出しやすい奴だ。
俺を襲って来た時の事だって、俺に対しては殴ったり破いたりのやりたい放題で、正気に戻るまではとんでもなかったし。
でも、ブラックと同じで俺が嫌だと思っているから今は乱暴を抑えている訳で、その我慢が効かない展開である今って……。
「貴様……よくも私をコケにしてくれたなァ!!」
俺以外には微塵の興味も示さないクロウに、ファスタインは激昂して剣を抜く。
だがそれにすらクロウは微塵も表情を動かさず、ふうと溜息を吐いた。
「オレに剣を向けても無駄だ」
「煩いッ、二人とも切り刻んでくれるわァ!!
真っ直ぐな切っ先を俺達に向けて、ファスタインが駆け寄ってくる。だがクロウはその行動を難なく横に避けていなし、ついでとでも言わんばかりに剣の刃の部分を指で挟んで止めた。
「!?」
「こんななまくらを振り回すな。危ない」
そう言って、まるで細い枝でも折るように――――素手で、剣を折った。
「えっ……!?」
「な、何だと……!? お、おまえっ、どういう……ッ!!」
「……なんだ、熊族であるオレに喧嘩を売ったのだから、オレの一族の力も当然知っている物だと思っていたが……ただの白痴だったか」
切っ先が折れてしまった剣をそのまま突き放すように前に押し出すと、柄を握っていたファスタインは軽く後ろへジャンプしたように引き下がる。
いや、これはクロウの力で少し吹っ飛んだのだ。
軽く押しただけとは言え、それだけでこうも簡単に人が動くなんて。
「くっ、くそっ……フッ、フハハ、だがいくら怪力であっても自分よりも巨大な物には敵うまい……!! クラーケン、やれ!!」
折れた剣を捨て召喚珠を握るファスタインに答えて、クラーケンがまたあの恐竜のような悲鳴を上げてずるりと体を動かした。
大波に揺れる船の上で、その巨大な触手を掲げて俺達を威嚇するクラーケン。
巨木とも思えるほどの大きさの触手に俺は思わず硬直するが、クロウはそんな俺を抱き締める力を少し強めて、それから俺を甲板へと降ろした。
「く、クロウ……?」
「…………ツカサ、お前はオレが守る……このオレの命に代えても」
俺の頭を撫で、頬にその手を滑らせて、クロウは少しだけ笑った。
悲しそうな色を含んだ微笑みで。
「クロウ」
「ここから動くな」
引き留めようとしたけど、今まで拘束されていた手はうまく動かなくて。
俺に背中を向けて去っていくクロウに、俺はそれ以上何も言えなかった。
「は、ハハハ、どこまで耐えられるかな」
勝ちを確信したのか、ファスタインは少し離れた場所で笑っている。
先程のことに驚いているのか、クロウを警戒してこちらへ近付こうとはしない。
本能的な恐怖と言うのは狂人でも感じてしまうのだろう、必死に優位に立とうとしていると言うのに、ファスタインの体はわずかに震えていた。
怖いんだ、クロウの力が。
どこから降って来たのかも判らず、自分の力も簡単にいなしてしまうその力が。
俺やリリーネさんを圧倒的な力で屈服させようとしていたと言うのに、いざ自分が敵わない相手と対峙したら、俺よりも怯える事になるなんて。
きっと彼女は、挫折を知らなかったんだ。だから、ここまで狂ってしまった。
けど、だからって今やっている事が許されるわけじゃない。
クラーケンを悪い事に使って、祭りの参加者をさんざんに苦しめて、俺を助けようとしてくれたガーランドにもあんなに酷い怪我をさせて……。
彼女は、それを償わなければいけない。
でも、クロウがクラーケンと戦う事が、本当に避けられない道なのだろうか。
クロウの力を信じていない訳じゃない。勝てるって信じてる。
だけど。
「クロウ…………」
こんな時、ブラックなら止められたのに。
無意識にそう考えて、俺はぎこちなく首を振って自分の弱気な感情を打ち消す。
そうじゃない。そうじゃないんだ。
今は、そんな弱気な事を考えている場合じゃない。
俺に出来る事は、まだあるはずだ。
こんな体で動きが鈍くなってたって、まだ出来る事が。
そう思って、俺はファスタインを見据えた。
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