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彩宮ゼルグラム、炎雷の業と闇の城編
35.誰かを守るために
しおりを挟む「任の無い騎士団員を全員召集せよ、賊の討伐に出る!」
「しかし陛下を危険な場所にお連れするなど……っ」
「アレクは私の子だぞ!! 玉座でふんぞり返って待つ事などできるものか! 我々は一足先に向かう、各自戦闘準備を整え私に続け!! 目標はヨールカ街道をこちらへ向かってくる世界協定の馬車だ!」
自分を止めようとする兵士や臣下の声を一喝して封じ、分厚い胸当てと剣を装備したヨアニスは、簡素な幌馬車の御者台にひらりと乗り込む。さすがに御者台に彼だけでは心配で、俺も慌てて幌の中から御者台へ移った。
途端、ディオメデが嘶いて走り出す。
幌馬車とは言えしっかりと防寒具を装備した青毛の馬は、ヨアニスが鞭を入れた瞬間に物凄いスピードで走り出す。背後で沢山の人達が騒いでいたが、それもすぐに聞えなくなってしまった。
馬車はガタガタと壊れそうな音を立てながら、街中を疾走する。
その暴走寸前の速度を出す馬に街の人達は道を開け、前方からの馬車すら慄いて端へと寄った。誰もが皆この爆走する馬車を見て、絶句していたが……一番大変なのは、ヨアニスと一緒に乗車している俺達だった。
「ヨアニスっ、こ、これ以上速度を出したら馬車が壊れる!」
「大丈夫だ、幌馬車と言えど我がオーデル皇国謹製の馬車、雪原の上を駆けるのも厭わぬ車輪と雪の重みにも耐える幌を備えてあるからな!! それより、ツカサはボリスラフの手当てを頼む。道具はもって来たが、私やロサードには使い方がよく判らない!」
「わ、分かった! だけど無茶だけはするなよ!」
顔面を叩く冷たい空気に震えながらも、俺は慌てて羽織って来た一枚のコートの合わせをぎゅっと握って幌の中へと戻った。
そこには、ボーレニカさんの具合を見ているロサードと、包帯などの道具が入った大きなカバンを開けて、しきりに首を傾げているブラックがいる。
俺は激しく揺れる車内を四つん這いで必死に歩くと、横たわって深く呼吸をしているボーレニカさんに近付いた。
「ど、どう?」
「頭の傷は浅いけど……でも、打ち所が悪くてかなり頭が参ってるらしい。眩暈や吐き気に加えて、視界がぼやけるんだと」
「つ、ツカサ君、消毒薬ってこれでいいのかな? 普段使っているのと違い過ぎてどうも……」
ロサードは具合を見てくれているが、ブラックはいつも使用していた冒険者用の応急手当道具と違うらしく、珍しく戸惑っている。
こういう場合は開けて匂いや色を確かめればいいのだが、薬の瓶は無闇に開けると危ないから、中の物を確かめようにも開けるに開けられないのだろう。
俺はブラックの肩当を軽く叩いて交代すると、鞄の中に入っている薬品を一通り取り出して、それらの瓶のラベルを眺めた。
「……うわ、なるほど。こりゃ判らんはずだ」
この世界では基本的に外国語……っていうか、俺が使っていた日本語以外の言語は使われていない。とは言え、俺より前に“この世界”に召喚された人達が、英語やその他の言語を含めた物を紹介していたっぽくて、トランプとかサロンとか、ちょこちょことカタカナ語な単語が出るけど……でも、基本は日本語だ。
だから、薬のラベルに貼られている薬品名も、アルコールじゃなくて「消毒液」だったり「除毒薬」とかだったりと、日本語で読めるように書かれている。
しかしこのオーデル皇国の薬瓶は……なんと、全てがカタカナの単語で書かれていたのだ。そりゃ、ブラックにも読めないはずだよな。
さすがはレストランだのサロンだのという言葉が普通に飛び交っている国。
俺は素早くアルコールと包帯、それに綺麗な箱に入っている軟膏……傷薬を取り出して、ボーレニカさんの傷の手当てを行った。
「…………しかし、こんな事になるとは……」
俺の後ろで、ロサードが苦々しげに呟く。
まだ完全な真実を知らないまでも、薄らと事件の全貌を悟っているらしく、やり切れないと言った顔で頭を激しくかき乱していた。
さもありなん。……俺も……いや、俺達も、ボーレニカさんの様子を見て、話し合いが決裂してしまった事を悟り、深い衝撃を受けたのだから。
だけど……まさか……パーヴェル卿がアレクを殺そうとするなんて。ボーレニカさんにこんな怪我をさせるなんて、思いもしなかった。
でも、ボーレニカさんは、ヨアニスの前では何も言わなかった。
ただ必死に「ここに向かっているアレクの命が危ない」と繰り返しながら、自分の怪我など気にもせずに必死に訴えていたのだ。
……多分、パーヴェル卿がやったとヨアニスには言えなかったんだろう。
いっそ言ってしまえば楽になれるのに、それでもボーレニカさんは、ヨアニスがパーヴェル卿に失望する事を恐れて口を噤んだのだ。
彼はもうボーレニカさんとの縁を断ち切ったのに、それでも、まだ……。
「バカだよ、アンタ…………」
揺れる車内では一層眩暈が酷くなるだろうと思って、俺はボーレニカさんの頭を膝に乗せて、消毒をし薬をつけた頭にしっかりと包帯を巻く。
ボーレニカさんは俺の成すがままになっていたが、俺の膝で馬車の振動が和らいだせいか、僅かに目を開けて小さな声で呟いた。
「……すまねえな……このザマでよ……」
ヨアニスには聞こえないだろうその声に、俺は眉を顰める。
「駄目、だったんだな」
「ああ……。俺の話に……アイツは怒ったよ……怒って、開き直って……それで、何が悪いんだって……言いだして……結構罵られたな……ははっ……。それで、剣の柄で何度も何度も……。さすがにもう、ダメみたいだ。こうなったら、もう……アイツを、斬ってでも、止めるしか…………」
「…………でも、教えてくれたんだろう?」
「…………」
押し黙るボーレニカさんに、俺は続ける。
だって、そうじゃなければ……あまりにも悲し過ぎたから。
「どんなに罵っても、怒っても、逆上しても……アンタには、ちゃんと言ってくれたんだろう? 今からアレクを殺しに行くって」
「…………坊主の膝、やわっこくて気持ちいいな」
「誤魔化すなよ。アレクやヨアニスのために振り切りたい気持ちは解るけどさ……でも、アンタが“彼”を愛している事も、“彼”がまだアンタの事を憎み切れずにいて、アンタを見逃してしまった事も事実だろう?」
「…………」
「無理に否定するなよ……そんなの、悲しいじゃないか……」
自分の声が情けない気弱な声になるのが嫌になる。
だけど、例え相手の罪が決定的になったとしても、自分の敵になったとしても、それまでの愛情を否定するなんて悲しい事じゃないか。
愛した事が間違いだったなんて、思って欲しくない。
間違いだと思って、子供を喪った事やその時の愛情の深さ故の悲しみにまで蓋をしてしまうなんて、絶対にしてほしくなかった。
パーヴェル卿だってきっとそう思っているはずだ。そこまでボーレニカさんを思っていたから、大事な情報を握らせたまま仕留め損ねて逃げたんだろう。
そうでもなければ、ボーレニカさんを止めない訳がないんだから。
「……止める事が出来れば、まだ踏みとどまれるかもしれない。……彼がやった事は取り返しがつかないけど……でも、それでもアンタは、彼の心を救ってやりたかったんだろう? ……だったら、今度は止めてやらなきゃ」
アレクとヨアニス、そして、パーヴェル卿の為にも。
御者台の上の相手には聞こえない小さな声でそう言って、俺はボーレニカさんの頭を軽く撫でた。無理して振り切らなくても良いんだと言うように。
すると相手は気持ちよさそうに目を閉じて、少しだけ笑った。
「…………アイツも、よくこうしてくれたな……。だが、アイツの膝はよ、訓練でガッチガチになってて、硬くてよ……。これで子供が産めんのかって心配したが、だけど…………あの時は、そんな膝でも……本当に、嬉しかったんだ…………」
閉じた目から、雫が零れて涙が一筋伝う。
幸せだった時の事を思い出しても、その日々が戻って来る事は二度とない。
例えパーヴェル卿の凶行を止められたとしても、ボーレニカさんのもとに彼が帰って来る事は無いのだ。
それを思うと、ひたすら悲しかった。
「…………街を抜けるね」
煩い車輪の音が響く車内で、ブラックがぽつりと呟く。
ヨアニスの背中の向こう側に見える風景は、いつの間にか街の中の風景になっていて、目の前には大きな門が立ちはだかっているのが見えた。
あの先に、街を抜けた雪原の向こうに、アレク達とパーヴェル卿がいる。
アレク達は今どこにいるんだろうか。クロウが付いているから、襲われてもまだ大丈夫だとは思うけど……でも、相手がどういう装備なのか判らない以上、安心は出来ない。距離的にはそれほど差を付けられてはいないと思うが……。
そんな事を考えていると、今まで喋っていたボーレニカさんが軽く唸った。
「ど、どうし……うわっ、凄い熱だ……!」
「ヤバいな……これで風邪の精霊が取り憑いたら、最悪死ぬかもしれないよ」
俺の肩を手で掴みながらボーレニカさんを見るブラックに、俺は目を丸くする。
風邪の精霊ってこんな時にまで人を攻撃しに来るのかよ!
ど、どうしよう……精霊を追い出すには体温を上げるんだっけ?
でも今の状態じゃ、体温を上げ過ぎたら命に関わるかも知れない……どうしたら良いかと思ってブラックを見やると、相手は少し考えて、俺に耳打ちをした。
「少し危険かもしれないけど……ツカサ君、大地の気を流せないかな。大地の気は、曜術を使えない人間でも、多少は体内を巡っているものだ。言うなれば、体の元気の素の一つって言うか……だから、体内の大地の気を増やせば、自己治癒力が増すかもしれない」
「そ、そっか……分かった、やってみる」
ロサードは気の付加術も使えない普通の人だし、ヨアニスは前を向いていて俺達が何をしても多分気付かない。
だったら、やれるだけやってみなければ。
回復薬が手元になく、この場で薬効のある植物を生やす事も出来ない今、俺にはそれしか出来る事はない。
「ボーレニカさん、目を瞑っててくれよ……!」
俺は相手の頭を両手でしっかり固定すると、その額に自分の額をくっつけた。
そうして、ボーレニカさんの体に気が巡るイメージを作り、自己治癒力が高まるようにと願いながら体に力を籠める。
すると――――
「……っ」
頭を掴んでいる手に、またあの黄金の光の蔦がするすると絡み始める。
その蔦はボーレニカさんの頭へと延びて、彼の体全体を繭のように覆った。
何重にも巻き付いた幾つもの蔦の隙間から、ボーレニカさんの顔が見える。他人に、それも怪我をした人に使ったのはこれが初めてだが……こんな風になるなんて思わなかった。
驚く俺の目の前で、蔦はゆっくりとボーレニカさんの体内へと染み込んでいく。
光はじわじわと弛み、ボーレニカさんの体に触れて、体の中へ消えていった。
すると、ボーレニカさんの体が淡く発光してきたが……これって……一応、成功したって事だよな……?
困惑する俺の予測を「正しい」とでも言うように、光を纏ったボーレニカさんは、先程までの苦しそうな表情を解いて、安らかに呼吸を始めた。
……た、たぶん……大丈夫……なのかな。
顔を見合わせて目を白黒させている俺とブラックを余所に、ロサードは何が起こったのか解らないながらも、ボーレニカさんの様子を見て驚いていた。
「な、なんだ? ツカサ、お前なにやったんだよ! さっきまであんなに苦しそうにしてたってのに……!」
「ええと、その、それは……企業秘密で……」
「企業秘密って……まさか、アドニスが欲しがっていた能力の一部なのか……? まったく、お前って奴はほんとに不思議な奴だな」
そうは言うが、ボーレニカさんの体調がよくなったことで、ロサードも幾分かホッとしているようだった。
……そうだよな。これ以上の最悪の事態は防ぎたい。
俺はボーレニカさんの額に残っていた汗と、頬の涙の痕を優しく拭って、彼の頭を何枚も重ねた布の上にそっと移し替えた。
これでひとまずは安心だが、けれど油断は出来ないだろう。
ボーレニカさんの容体も、今の状況も。
……これから、人の血が沢山流れるかもしれない。
誰かが酷い怪我をしたり、俺の大事な奴らも傷を負うかもしれない。
そうなった時……俺は、何が出来るのだろうか。
――いや、そうじゃない。
そうならない為に、俺が……この中で唯一、何の制限も無く曜術を使える俺が、どうにかしなきゃ行けないんだ。
「…………」
ヨアニスの馬車が、門番の敬礼を横目に街を抜ける。
まっすぐに伸びた街道の先に見える、黒点のような小さな目標を見て――俺は、拳を強く握りしめた。
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